創作意欲。

 創作意欲ってエンジンのようにガソリンを入れて着火すれば必ず動くというモノではない。むしろ、創作意欲を打ち消したり、低下・鈍化させたり、何がなんでももみ消そうとする理屈に押し切られたりする状況や要因が多すぎて、一人ひとり丁寧に切り捨ててもゾンビのように僕の創作意欲に次から次へと襲い掛かってくる。ま、ゾンビなら「バサッ!」とか「スパッ!」っとか手ごたえがあるから、「どうじゃい!」などと実感としてあるが、このゴーストのような怨念のような気配は心の隙間に巧みに侵入してきます。ああ、ここもか!おお、ここにもか!みたいな風の谷にトルメキア軍が運んできた胞子のように入り込む。綺麗に焼却したいところだが、そんなキメ細かやかな神経もテクニックもないので、いつもどこかに胞子が残っているのでしょう。巨神兵かダイソンがあれば一掃できるのだが。つまり、「意欲」にはいつも「反意欲」がセットで双子のように生まれ(双子の皆様、ごめんなさい)、気がついたらカッコウの雛のように先に生まれて他の種の卵(本来の創作意欲)を巣から落とすのです。

 さて、では、創作意欲を素直に起動するためにはどうするのか?僕はかなりこの問題に真剣に長年取り組んできましたが、安易に捉えれば「すぐに動く」「迷わず直感で決断する」「とにかく行動する」という戦略でした。しかし、この戦略もこの年齢(54歳)になりますと、いくつか問題点があり、柔軟で自己治癒力の高い若い頃なら失敗やトラブルで受けた傷もすぐに完治するのですが、ま、年齢と共に治癒力が低下し、古傷が痛む、日常生活レベルの些細な動作がままならない、新しい技術の習得イメージが沸かないなどなど、これまた創作意欲を萎えさせることばかり。

 だ・か・ら、まずはリラックスすることにしています。「馬鹿の考え~」なんとかが一番良い状態をつくることができます。開き直っているわけではないのですが、「結局、できることしかできないのだから」という基本姿勢で「じゃ、まず、いろいろ悩まずにこの部分に集中しよう」と素直に取り組むようにしようと最近考えいます。「果報は寝て待て」ということ。

 そこで、2019年のテーマは基本に立ち返りシンプルに「たくさん絵を描こう!」という目標を設定しました。結局、これが一番僕のシンプルな創作意欲を行動に変える適正なルート(経路)じゃないかと感じたのです。唯一、絵を描いている時だけ「ゾンビ」も「ゴースト」も「胞子」も襲ってこないゾーンだからです。この習慣を程良く復活させて、創作意欲を大きな成果に変換するための好循環(習慣)を安定確保したいと思っています。

Premiere Pro CC

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 プレミアはかなら古いバージョンから使っているが、独学だから一向に編集テクニックが上がらない。「編集テク」って誰に相談したらいいのか分からないし、そんな時はテキスト本を買うしか手立てはなし。だって、相談するにも相談する内容のレベルってものがある。バスフィッシングのプロに向かって「どんなルアーが釣れますか?」なんて質問できないし、逆に「絵を描く時の鉛筆の濃さですが、どの硬さが一番絵を上手く描けますか?」と質問されても「はぁ?」となってしまい、僕なら言葉を失うだろう。だから、ちゃんと常識レベルの知識は入れておかねばならない。現状で満足すればどんなことでも上達は見込めません。「そんなこと知っていますけど」じゃなく、「何事も知っているだけでは何もできないんだ」という謙虚な姿勢で常にいろいろな知恵や知識をブラッシュアップしていかねば。

ミレニアム5

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 出てしまった「ミレニアム5」。まだ、開いていません。う~ん、どのタイミングで開こうかな、非常に悩ましい。

心臓を交換。

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 年末からメインマシンの痙攣が止まらない。この症状、持ち主と同様に老化なのか?あらゆるソフトが思うように動かない。もう、まるで自分の四肢のように動かない。マストタスクを仕上げて入院を決意。痙攣状態の中、500GB近いデータをバックアップし入院。ドクターの診断は「物理的に壊れています」とのこと。そこで純正のHDDに交換。OSをミラーリングし完全に複製して頂き、さらに壊れているOSをチューニングしてもらいました。古い心臓がこちらの写真です。ほんとに長年酷使してごめんなさい。疲れさまでした、という気持ち。退院後、それは若者のような快速ぶりで僕自身も若返ったような感覚。まるで、操作や作業などの動作が思考より2~3秒先行する感覚です。しかし、これで満足せず、近日、2TBの新しいHDDに加えて、最新のSSDを増築します。つまり、心臓が2個。ひとつは最新のHDD、もう一つは最新最速のSSDの2刀流となる予定です。当然、メモリの増設も16GBから32GBを検討しましたが、ドクターのお見立てではメモリの増設はさほど実測として速度アップはしないでしょうとのこと。よりも、SDDの快速を堪能してくださいとのこと。楽しみです。

僕の好きな風景を。

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 僕の好きな長浜の風景を集めてみました。

 →Beautiful World

The Blackout.

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 いつものことながら、ヤバイなぁ~、痺れるなぁ~、素敵だなぁ~!

https://www.youtube.com/watch?v=PaJCFHXcWmM

初詣。

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 昨日は数十年ぶりの初詣に太郎坊宮へ行ってきました。毎年、初詣をスルーしてきたのですが、今年は気持ちが少し変化して行列に並んできました。ま、何がどう変化したかは自分でもよく分かりませんが、勝運を祈願してきました。祈願したところでどうなるもんでもない、結局自分次第だという気持ちから、決意も行動も自分次第なんだから、素直に手を合わせようと思いました。とても清清しい気持ちになれましたし、ちょっと淀んで濁っていた気持ちがスッキリしました。

新年明けましておめでとうございます。

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 新年明けましておめでとうございます。

 猪突猛進を繰り返したくさんの傷を負ってきた。獣道を進む以上、たくさんの苦難や失敗もあった。決められたレールの上を進むならいいが、自分の道を自分の意思で進む以上、傷も失敗も受入れなければならない。いつまでどこまで進めばいいのかは未だに分からないが、ただ、多くの人から受け取ったバトンがある。これを次の誰かにしっかり渡すまで何回も何回もスタートラインに立たねばならない。

 On my mrak. このスタートラインが見えなくなるまで立たなければならない。

九十九剣児論。

 テレビドラマ「獣になれない私たち」はとても楽しく拝見しました。

 新垣結衣さん主演で松田龍平さんも出演ということもあり、また、脚本が野木亜紀子さんだったので、これは間違いないだろうと楽しみにしていて、結果、素敵な素敵な物語でした。特筆したいのは新垣結衣さんこと主役の深海晶さんの会社の社長「九十九剣児」。これは最高のサプライズでした。あのキャラはなかなかテレビドラマ向きではないし、ましてあの縦横無尽奇想天外自由奔放なパワハラキャラがここまで物語にマッチして、強引に成立させてしまう野木さんの手腕。驚くべき物語です。本来、現実にこのタイプの人間は、恐らくどこかに、間違いなく実在しているんですが、テレビドラマに登場させるにはちょっと難しい破天荒キャラ。しかし、どこか悲哀もありつつ独特の緊張感を生み出しながら、それでいて人間味があるという不思議で強烈な存在感でした。その物語も今夜が最終回。この素敵な物語を野木さんはどう終わらせるのか、とても楽しみです。当然、菊池凛子さん、黒木華さんは圧倒的で魅力的な存在感でした。

 さて、この九十九剣児という男、パワハラ全開のマイペース社長なのですが、社員すべてを敵に回して物語をひっぱっていく感じを社員目線で観ると「メンドクサイ」「強引過ぎる」「超自分勝手」「支配的」となるのですが、僕はどうしても社長目線になってしまいます。確かに一見無神経そうで我がまま言い放題の暴言もよくよく聞いてみるとロジックはしっかりしているし、むしろ正論のようにも聞こえてくる。というか、社長と社員のパワーバランスで言えば、社員の方が圧倒的に能力が劣っているように感じます。何もこのパワーバランスは九十九剣児の会社のお話ではなく、現代のいろいろな会社に適用できそうなロジックだと感じました。確かに無神経で関西弁タッチで捲くし立てるのは良くないが、ならば捲くし立てられる前にタスクを完了できないのか?という真理。深海晶さんは淡々と九十九剣児社長の無茶振りを処理していたが、あまりも他の社員の能力やモチベーションの低さに自分はこれでホントにいいのか?正しいのか?と疑問を持ってしまうわけです。確かに社長がいくら強引な理屈を吐いたとしても、それを社員がしっかり受け止めれば業務や経営の全体のベクトルは上がるはず。それを「パワハラ反対」だとか「働き方改革」とか便宜上響きの良い言葉で能力の低いレベルが会社の水準・基準になってしまうと、結果、それが成果に直結してしまう。そんな社会や企業のあり方について通念や常識は考慮しつつも独自性とか差別化を心から現実化したいのなら、九十九剣児社長の経営術は正論だと思うのです。今日が最終回、九十九剣児がテレビでもう観れないと思うと少し寂しいです。ま、別のステージでこの俳優さんはたぶん今後もハジケルことでしょうから、次の物語を楽しみにしたいと思っています。

VUCA時代到来。

「VUCA(ブーカ)とは、Volatility(変動性・不安定さ)、Uncertainty(不確実性・不確定さ)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性・不明確さ)という4つのキーワードの頭文字から取った言葉で、現代の経営環境や個人のキャリアを取り巻く状況を表現するキーワードとして使われています。」とのこと。

 「VUCAはもともと1990年代にアメリカの軍事領域において用いられてきた言葉で、一言でいうと「予測不能な状態」を意味します。昨今、経済、企業組織、個人のキャリアにいたるまで、ありとあらゆるものを取り巻く環境が複雑さを増し、将来の予測が困難な状況にあります。そんな中、2010年代に入って以降、世界の経済界各所で「VUCAの時代」が到来したといわれるようになりました。2014年、ASTD国際大会にてVUCAは注目を浴びました。「チェンジ(変化)」にフォーカスが当たったこの年、VUCAは多くのセッションで登場しています。2016年に入って以降もWEF世界経済フォーラム(ダボス会議)やIMD国際経営開発研究所主催の講演でVUCAは数多くのビジネス界の著名人に取り上げられ、「VUCAワールド」という言葉が頻出しています。現代ビジネスは本格的にVUCA時代に突入したといえます。」という情報がエンジンで容易にヒットします。

 しかし、私は「到来」というニュアンスはちょっと違和感があります。恐らく「到来」とすることで言葉の鮮度や注目度を高めようという意図が感じられますし、むしろ、「不確定で予測不可能」な状況が自然であり、この世の中が予測可能だと思い込んでいる姿勢や思考の方が危険です。だから、本質が見えていれば「VUCA」という概念が改めて押し寄せてきた大きな波だと捉えることの方が不自然だと思います。

 ま、世の中の地球上の経済の流れを動かしている人たちの間でこの概念が注目され、共有されているのは素敵なことです。