モノ消費からコト消費へ

 モノ消費が飽和している、だから、コト消費に切り替えましょう。と、いつもながらの思考の答合わせでは結局「モノ消費」にひっぱられている。今一度、「モノゴト」に対する一階層深い観点で経済を捉えることが大切なんです。「モノ」は「コト」と常にワンセットなのに、大量商品文化構造が「モノ」重心になり、「学力」「教育」も記憶型の理論理屈で辻褄を合わせ、リスクのみを回避する姿勢でビジネスプランが展開されてきたが、その構造が時代と共に劣化して動きが鈍化・停滞しているのだ。これは国力が弱くなっているサイン。この観点は今後、デザインワークやインターネットメディアにのみ関する警告としてではなく、すべての動向に作用する大切な観点である。本質的な「創造計画」が求められているのだ。その実行部隊の中心になるのはやはり「つくる人達」なのだから、世代を超えて深い観点で情報交換が必要なのだと思います。2020年は恐らく「創造計画元年」になるのだと思います。一大イベントが終わった時、大きな動きが起こるような気がしています。

8トラック。

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 以前、4トラックのレコーダーを検討していたのですが、コンデンサーマイクの端子がありませんでした。で、再検討した結果、やはり、コンデンサーマイクの端子は欲しいのでこの8トラックレコーダーに決めました。映像(動画)制作に必要な機材はほんとにたくさんあり、どれもピンキリ。高機能な機材は高価ですし、そこそこの価格はやはりスペックがそこそこ。マイクやライトやカメラレンズもいろいろ欲しいところなんですが、よくよく考えたらレコーダーが2チャンのコンパクトサイズモノしかないことに気づき、マルチトラックレコーダーが必要だという結論になりました。撮影現場や録音状況によってはこれでは機能的に足りない可能性も想定されますが、まずは1台。手ごろなマルチレコーダーを1台買いたいと思います。録音の精度はマイクに依存しますが、とはえロケ現場であまり大きなレコーダーも機動力がなくなります。また、電源供給の問題もありますし、コンパクトさも大切な判断材料なのです。これを購入すると、またまた関連していろいろな音源出力機器が欲しくなるだろうけど、まずはこれを使いこなしていろいろな現場で録音技術を上げていこうと思っています。

やっぱり、沙村さん。

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 書店へ行くと、必ず漫画コミックスコーナーをチェックするのですが、55歳のおっさんが反応できそうなコミックスが少ない。ま、コミックスってのはそういうコンテンツだから無理して若者向けのテイストを買ったところで楽しめないことはうすうすなのです。ああ、イマドキってこのテイストなんだろうなぁ、というテイストにはどう背伸びして無理をしても反応できない。だから、どうしても安定感のあるコミックスをいつも買ってしまいます。その中でも沙村広明さんの新しい作品は発見したら必ず買ってしまう。なんでしょう、やはり、結局「絵ジカラ」の作用なのかなと。

 で、もう一つは1.29販売開始されるDVD「JOKER」のフライヤー。これは本来映画館で観ておくべき作品だったのですが、DVDのレンタル開始を待つことにしました。まず、いろいろな条件(監督や主演俳優さんなど)とネットや知人の評価を総合するとDVDを買うことは100%確定なのですが、それでもテンションを上げずにDVDのレンタルを虎視眈々と待ちたいと思っている作品です。慌てず、ゆっくりと、じっくりと、しんみりと堪能したいと思っている作品です。

創造力とデザインの心得。

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 毎日毎日、飽きもせずノートに自分の書籍をつくるための下書きを書いている。ま、このルーティーンの先に必ず僕の本があることを信じてコツコツ取り組んでいるわけですが、過去の下書きをたまに読み返すと「そんなこと考えていたのか!」とか、「けっこう、それはデザインの仕事現場ではアリだよなぁ~」とか、「そんなこと、イマサラ」とか意外にも自分の書いた下書きを読んで新鮮な気持ちになることが多い。このルーティーンを始めて約5年目になるが、書き始めた頃の文章と最近の文章でもさほど進化はしていないが、少しだけ読みやすくなったのか?そこそこ丁寧な言い方(姿勢)になっているぞ!などと感じることがあり、少しは上達の兆しなのかなとも感じている(あくまでも自己分析レベルですが)。ホント、たくさんの方から「本づくり」に対するご意見やアドバイス・助言を頂き、すべて真摯に受け止めてこのルーティーンに取り組んでいます。で、そういう頭(思考)になっているといろいろなメリットがあるのです。中でも嬉しいメリットは「良質な本」との出会いの確率が格段にアップしたことです。僕は本選びにあまりトレンドを意識しない(これもあまり良い傾向ではないのですが)、自分のモノサシオンリーで本を選んでしまう傾向が強く、テンションだけで買ってしまいハズレを引くケースも以前はとても多かった。途中で飽きてきても、貧乏根性むき出しで意固地になり読み終えて、やっぱりハズレだったってこともよくあった。しかし、最近、「本づくり」を意識するようになってから、書店の本棚や平置きを見ているだけで良書を手に取る確率が高くなったのです。当然、デザイナーなのでデザイン・装丁や出版社名・著者名はチェックしますし、テーマについても知識の範囲で推量します。それでも以前はテンションを間違えてハズレを買っていたのですから、やはり、「見る目(観察力や分析力)」が足りなかったと捉えています。特にタイトルと本の中身の関係性はとても重要で、やはり、名はなんとかを表すではないのですが、練り上げられた本はタイトルもビシっと決まっている。「簡潔こそ英知の真髄である」という言葉もあるぐらいだから、その真髄加減が少しだけ見えるようになったのかなと密かに高揚しています。この本も立ち読みでチェックできるゾーンはチェックしましたが、良書だと思います。ただ、良書か否かは読み手で決まるわけで、フロイトを読んでも「ウケるぅ~!」だけでは寂しい。頭に心に身体の中に著者の意図を浸透させてこそ、などとまたまた貧乏根性が蠢くのですが、良書とは中身に書かれていた情報それ自体ではなく、どう刺激を受け、どう触発され、どう誘導されたか?に尽きると捉えているので、著者の姿勢や意図を自分のポテンシャルで向き合い、しっかり実感したいと思っています。とても楽しみな一冊です。

解体工事。

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 小学生の頃、町内で棟上があったり、解体工事があると授業後や休みの日は現場に行って暗くなるまでずっと工事現場を見ていた。何がツボだったかは覚えていないが、とにかくずっと飽きずに見ていた。建設現場や解体工事のプロセスを見ているだけでワクワクしていた記憶がある。最近、長浜市十里町の町内でも空家を解体している風景をよく見かけると、仕事がなければずっと見ていたいという衝動を感じる。改めて何が楽しいのか考えてみても、未だに上手く言葉にはできない。建築の仕事に興味があるというわけではないし、家が建造されるプロセスや壊されるプロセスに何らかのリアリティーを感じているようだ。単に「つくる」「壊す」という作業を観察するのが楽しいのだろう。つまり、小学生の頃から人間の中身はあまり成長・進化・発達していないということだけは明白だ。

動画マーケティング。

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 本日、長浜で一番大きな書店で購入した書籍「KPI・目標必須の動画マーケティング 成功の最新メソッド」です。必ずチェックする専門書コーナーでこの書籍を発見した。結構な頻度でこのコーナーをチェックしているので新しい書籍があればすぐに分かる。実際、この書籍も2019年11月1日初版なので新しい書籍と言えるだろう。しかも、デザインやクリエティブ系の書籍コーナーに同じ本が3冊棚にあることはほぼほぼない。しかし、この書籍は3冊棚に並んでいた。ということはこの地域でもこのニーズがあるということだ。チラりと立ち読みしてもさすが最新メソッドがしっかりと整理されている。間違いなく購入しておくべき書籍である。ただ、1点だけ気になるのは「KPI」という見慣れない文字。検索してみると「KPI とは 意味/解説/説明 (ケーピーアイ) 【Key Performance Indicator, 重要経営指標】」となっていた。知らなかった。書籍のタイトルに使われるぐらいのワードなんだから、ちょっと恥ずかしい気持ちになりましたが、動画制作を「マーケティング」という観点で分解していくといろいろつじつまが合わないこともあると僕は捉えている。ただ、そのポイントだけを広げてしまうと書籍が成立しないから、購入する上で気にしても仕方ないので即決で買ったが、違和感はある。確かに経営上の指標として動画をどのように制作するのかを分かっていない者が動画をつくると、それは支離滅裂な自己満足なアブストラクションになってしまう。それは長年、デザインの仕事に取り組んできてよくよく理解・実感しているものの、あまりにも最近のネットコンテンツは理論理屈に固執し過ぎている印象を受ける。砕けた言い方をすれば「楽しくない」。もっと、コンテンツのつくり手も受けて手も双方が相互に良質な「楽しさ」を無理なく分かち合えるような、その先でビジネス上の良質な等価交換関係が成立するような、と未だに甘さの抜けないつくり手寄り思考になってしまいます。確かに理論理屈抜きに経済指標を語ることはできないのですが、そういう違和感も意識しつつ、最新メソッドをインプットしていこうと思っています。そして、ただインプットするだけではなく、それらのテクニックやスキルで試作品(成果物)をつくって自分なりの「解」をWEBサイトやYouTubeで公開していこうと思っています。

アケオメMOVデス。

新年明けましておめでとうございます。

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 新年、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。この年齢(55歳)になると考えて考えて考え過ぎてどこか無我夢中になれない。思考の片隅にでっかい頭の僕がいる。偉そうな言い訳ばかり上手くなって、とにかく動きが鈍くなる。だから、シンプルに「無我夢チュー」になろうよという自分へのエールを込めています。あとは2019年は一番意識していたこと「足るを知る」という意識を2020年も大切にしながら、基本、とことん、何事も最後まで自分が設定した目標は諦めないということを自分へ戒めています。本日は早朝(午前2時)より伊吹山に登り、初日の出映像を撮影してきました。1日の初日の出映像を撮影したいと思い立ち7年目で達成。山頂はマイナス2度、風速は20mぐらいだったから体感はマイナス10度ぐらいでした。手袋を外すと数秒で指が痺れてきましたが、神々しい初日の出をカメラ越しに観ながら、やっぱり太陽は偉大だなと手を合わせておきました。

撮影用モニター。

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 いろいろ検討したのですが、結果、この撮影用モニター商品を購入。このタイプのモニターはけっこういろいろなタイプが販売されており、価格もピンキリなんですが、当面、写真撮影用と映像撮影用としては充分なスペックだと判断し選択しました。実際、屋外の撮影現場に出ると、カメラ内蔵の小さいモニターでは正確な構図が判断しにくい。ま、老眼という一番大きな問題があるわけですが、いちいちノートやタブレットに転送して確認するというのも現実的には非常にわずらわしい。特に動画撮影の場合は撮影後でもカメラのモニターで再生しても、致命的な不具合を発見できないのです。特に取り直しができない現場で確実に撮影した映像をチェックできる利点と合わせ、テスト撮影中の構図変化やモチーフの動きなどもあとあとの編集を意識して撮影しなければならいので、撮影現場での映像チェックはとても大切だと実感したのです。ビデオグラファーの皆様が撮影している映像をYouTubeなどで観ていると必ずこのモニターをカメラに連結させて撮影しておらましたので、やはり、必需品なのだと判断しました。

不特定多数というターゲット設定。

 デザインの仕事に取り組んでいく上でこの「不特定多数」というターゲットゾーンの搾り方に非常に苦労してきました。

 当然、仕事はクライアントさんありきなので、ご要望や企画主旨・意図・狙いがデザインを設計する上で最優先されるべき基準なのですが、それでもデザイン表現が最終的に固まるまでに「不特定多数はどう感じるのか?考えるのか?」という課題が発生します。さて、この「不特定多数」を別の言葉に置き換えると「通念」「常識」「世間一般」になるのですが、そもそも、つくり手という人間(僕だけ!?)は着想する際、差別化させる前提でモノゴトを考えているため、不特定多数を視野に入れなければ、思考や着想がどんどんマノリティー(少数派)になっていく傾向が強い(考えやすい)。むしろ、希少価値であったり独創性などをデザインに実装する場合、「普遍」「普通」は「手抜き工事」と解釈される場合が多く、確かに自分自身もデザインを外注する場合、クリエイターから出されたデザインを見て、「どこかイマイチ」「何か足りないけど」「あとひと捻り」と感じる場合、センスの有無で評価基準を決めてしまうが、実は、何か足りないのだ。それは「不特定多数」を意識できていないことで生まれる、微妙なニュアンスの「不足感」なのだ。ただ、クリエイターに対してセンスのお話はあまりしたくないですし、というリミッターが作用してしまうのです。

 これは何もクリエイター同士だからという訳ではなく、クライアントさんに対しても同じ状況で、プロのクリエイターにデザインの仕事を発注しているんだから、「素人が口出す場面ではないけれど」、という違和感を感じさせてはいけないのだ。しかし、つくり手も、いや、僕もこの「不特定多数」というターゲット設定が未だに明確ではなく、絞り込むノウハウが確定・確立・完成していない。できれば特筆した秀逸な孤高のデザインをつくりたいと取り組んでいるので、どちらかと言えば「不特定多数など視野から外してもいいかな」とも考えてしまうケースも多い。となれば、客観的に公明に普遍的な節度で「これぞ名実共に優れたデザインです!」というデザインをつくればいいのだが、そこのゾーンも実はよくよく考えてみると曖昧なゾーンなのです。

 例えば、「グッドデザイン賞」。結論から言えば、僕は「デザイン」と「グッド」を組み合わせるのはナンセンスだと考えている。が、世の中は何がなんでも「グッドデザイン賞」ありきの風潮が徹底的にとことん浸透している。むしろ「グッドデザイン」でなければデザイン的には論外だ、ぐらいの空気をヒリヒリ感じながらデザインを構想している状態があまり健全ではないと捉えている。つまり、デザインに絶対的な基準は存在しないという結論である。逆にチープでプアで安直なビギナーチックなデザインは本当に価値がないのか?という自問が生まれる。実際、日本の雑誌と海外の雑誌を「デザイン」という視点で比較してみると、理屈的も感覚的にも僕は日本のエディトリアルデザインが優れていると感じているが、それは日本生まれだからに過ぎず、実際、アメリカ人はアメリカのマガジンこそホンモノだと捉えているかもしれないのだ。何が双方の誤差を相違点を生むかと言えば、「相対性・相関性による選択」としか言及できない、という結論になる(少し乱暴な結論の出し方ではあるが)。

 うん、「不特定多数」という相手は、いやはや、タダモノではないのだ。