アウトプット

 僕の仕事は「デザイン」なので、お客様の意図や狙いをアウトプットすることが目的です。「アウトプット」が苦手、何かしらの理由で難しい、メンドクサイと考えている人の代わりに「アウトプット」を代行することです。

 「アウトプット」が苦手な人にはいろいろな特長があり、「アウトプットが習慣化されていない」「考えすぎてしまう」「他人の考えを吸収できない」「他人の目を気にしすぎる」「インプットしていない」などが上げられるのですが、実は僕も同じ悩みがあります。つまり、長年、デザインの仕事に取り組んできたが、未だにこの苦手意識があるのです。しかし、それでは仕事が成立しませんし、成果を生み出すことはできませんから、なんとかしてこの苦手意識を克服し、曖昧で優柔不断なつくり手としての自分をコントロールしなければなりません。

 結局、「アウトプット不良」の正体とは「感情」なのです。日々変化する状況に感覚が翻弄されて、ひとつの場所に思考が固定できない、定まらないのです。これを解決して上手く作り手である自分に方向づけをして前進させなければなりません。まるでそれは乗馬の騎手と馬のような関係なのです。馬がイライラしていたら宥めて、機嫌を損なわぬように進みたい方向に誘うテクニックが必要なのです。

 そのテクニックとしていろいろ試行錯誤して挑戦を繰り返しています。それは「アウトプットする前提でインプットする」「自分の思考を紙に書き出す」「誰かとブレインストーミングする」「アウトプットを習慣化する」などです。つまり、まずは考えずに手を動かせ!ということ。ああだのこうだのとゴニョゴニョ考えてしまう自分自身を上手く前進させるための工夫が「アウトプット」なのです。と同時にデザインの仕事自体が「アウトプット」なので、一石二鳥というわけです。別に自分のことを仕事熱心でまじめな働き者だとは思っていませんが、「仕事している状態」が実は自分にとって良い状態なんです。これを「天職」と呼ぶのかもしれませんが、もし、「デザインの仕事」をしていなかったら、今でもゴニョゴニョと考え続け迷い続け自分を見失い、停滞、もしくは、後退し続けていたことでしょう。

 このブログもそういう捉え方で「アウトプット」のひとつなので、必然性と幸福が表裏一体となれる習慣のひとつでもあるのです。

望むモノ。

 ことごとく「望むモノ」は手に入らない。

 その理由はいくつか思い当たるものの、どのように考えても納得いかない。具体的にはあり過ぎて整理できず、いつしかそれが悪い思考パターンとなり習慣化してしまう。例えば、足が速くなりたいと望み続けた子どもの頃、誰よりも早くなるためには練習しかなかった。素質の有無に関係なく努力すれば、練習すれば今よりも早くなるだろうという期待だ。小学校や中学校レベルならたまに1番になったりすることもあったが、ずっと1番でいることはできなかった。だから、練習をする。練習が終わってフラフラになって更衣室で倒れることもあったし、両足が痙攣してまともに歩けないこともあった。それでも練習するために針治療やマッサージを繰り返し練習した。その結果、ココイチの大会で足が痙攣しリタイア。つまり、望むモノは手に入らなかった。

 また、毛筆の公募展。小学生高学年から毛筆の塾に通っていたから子どもなりに筆の使い方は長けていた。県の公募展の作品課題を半紙に書く。結果は知事賞だった。教師や友人からはいろいろな好評価や激励の言葉を頂いた。しかし、僕の中には違和感があった。この作品はそんな評価を頂けるような作品ではない。自分で書いたからそれはよく分かっている。改めて自分の作品を見れば一目瞭然である。知事賞など頂くような作品ではない。あそこもここも納得いかない痕跡だらけの作品だったから。結果、他人の評価と自己評価はこれほどに違うのだということを実感し、それ以来、毛筆に興味がなくなった。僕の感覚ではお手本を穴が開くほど見て、それを自分なりのアレンジを加え、完璧に複製しただけだったからだ。書の心などあろうはずがない。

 そして、仕事を始めると新しい好奇心が生まれる。当然、目標が生まれ望むモノが矢継ぎ早に次から次へと目の前に現れた。視野が広くなり当然のように欲望も肥大していく。しかし、やはり、「望むモノ」は手に入らない。手が届いたモノと言えば自らが望んだモノではなく、視野・視界の外からふとした瞬間に、こちらが望んでいないタイミングで向こうからやってきたモノばかり。しかし、それらを確実に獲得するためには自分自身のコンディションが整っている、受け取る準備ができている必要があることを知り、「望むモノ」とは自ら追いかけても逃げていく、むしろ、コンディションづくりさえしっかり整えて、受け取る姿勢や準備を整えることが重要なのだとその経験から学習する。デザインの仕事は正にその連続で、準備を怠ると取り逃がしてしまうのだ。それから徹底的に準備運動を整える、装備をツールを来るべきそのタイミングのために整えることが仕事の核となる。その代償として「望むモノ」が希薄になっていった。短距離走の経験で素質以上の目標を立てると身体が壊れる。例え高い評価を得ても自己分析とは一致しないという経験が悪循環を生んだのだ。

 そして、いつしか「望むモノ」を額に入れて鑑賞することが楽しくなってしまった。正に「絵に描いた餅」である。それは食べることができない。ただ、諦めの悪い捻れたこの頑固者は「望む」ことをやめない。最近、ある方から「あなたの夢はなんですか?」という質問を頂いた。これは凄まじい衝撃だった。3秒ほど言葉に詰まったが、適当にお茶を濁すことはやめて「本」と「映画」と「漫画」をつくることですと返答した。素直な気持ちの内側を言葉にすることができてとても心地良かった。改めて、僕が「望むモノ」はこの三つなんだと再認識した瞬間だった。

確信はあるのか?

 人にお願い事をする際、中途半端な気持ちでは相手を納得させることはできない。いかに強い決意と覚悟があるのか?相手に対してその提案は有益なのか?このタイミングがベストなのか?いろいろな迷いを抱えたままお願いをしても決して納得はしてはいただけない。曖昧で軽率なお願いではないのだと、たくさん言い訳を用意しても、結果、確信がなければ言葉は相手の心から逸れていく。当然、その場面で相手に生まれるのは不安や警戒心であり、信頼を勝ち取ることは絶対にできない。いくら誠意・誠実を言葉にしても無駄である。まして勢いでなどとは言語道断。

 では、確信はどうして生まれるのだろう?まず、自分の中でモノゴトがしっかりと整理できている状態をつくり、腑に落ちていなければならない。さらに、相手のことを理解しようと可能な限り徹底的に相手を知ろうとする姿勢が必要だ。この部分を疎かにして自分本位の言葉や理屈を並べても相手の心には響かない。そして、それ以上に重要なことは社会的通念や常識と照合・比較した場合、その思考は適正なのかという社会的な公平性の問題である。公明正大に揺るがない軸を自分の中に実装しておく必要がある。

 例えば、自分本位に生きてきた中で探求し蓄積した知見や知識がいくら豊富でも、それが相手に対して有益でなければ信頼関係は築けない。どれだけ「一生懸命さ」を言葉で重ねても、むしろ、そんな不用意な言葉を重ねれば重ねるほど綻びは大きくなる。つまり、相手との関係性の中でスタートラインが捻れていたのだ。僕の場合、それはいつも小さな嘘から始まる。悪意から生まれた嘘では決してないのだが、自分本位でつい口からこぼれてしまった嘘だ。それが基軸で始まった流れをなんとかして適正にしようとしても、時間の経過と捻れは比例し嘘の上に嘘を上塗りしてしまうのだ。それに気づき修復しようとしても遅い。何故、嘘がこぼれるのか?それは確信がないからである。時間の経過と共に忘却に焼失してほしいと願うが焦るばかりで、そんな嘘に限って決して灰になることはなく、いつまでも頑強に心の中に残り、悪腫瘍のように肥大していくのだ。例え善意からこぼれてしまった嘘であれ、嘘は嘘なんだ。小手先で関係性を修復しようとしても徒労に終わり、いつまでも癒えない傷として残ってしまう。言葉にするということはそれほどに緊張感と覚悟が必要なんだと後悔することが多い。結果、年齢を重ねていくと、大意のない嘘の後始末ばかりしているような状況になり、新しい変化をしようにも枷だらけ、がんじがらめで身動きがとれない状況を自分自身でつくっている葛藤に陥る。どこかで抜本的な変化を引き寄せるしかない。長年蓄積した膿や身体に沁みこんだ悪しき癖が習慣化してしまっているのだ。やはり、しっかり丁寧に自分の中にある確信を確認しなれば生産的で創造的な思考など生まれない。

 この「令和元年」は絶対にそういう一年にしなければならない。

令和元年。

 「令和」を英語で説明する際は「Beautiful Harmony=美しい調和」という趣旨らしい。「平成」から「令和」に年号が変わることで日本人ひとり一人の心の中にある「平和」や「調和」の意識が再確認されて、世界との調律が様々なシーンで成立することを期待したい。海外の投資家達が「美意識」とビジネスの関係を掘り下げようとしている。古典に記された古人の「美意識」が日本という存在を本来のあるべき美しい姿に変化させること期待したい。

これも習作。

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 これは自分用に描いた鉛筆画。仕事ではなく自分用に描く絵の場合、完成度が自分次第なのでけっこう自由に描ける。これはそういう気分だったので鉛筆で描きました。デッサンとは違う、鉛筆という画材で描いた絵というニュアンスでした。結果、同じかもしれませんが、そこはこn絵の場合、自分次第なので「鉛筆画の習作」となります。もし、僕が死んでこの絵がどこかで展示されて「鉛筆デッサン」とカテゴライズされていたら、そっと化けて出て「鉛筆画」と訂正することでしょう。

習作です。

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 こちらは以前に描いた油絵で特にテーマなしに描いた習作です。習作なのでどこかで発表することが目的でもないし、誰かに寄贈することが目的でもないただ描いただけの絵画です。モデルを見てではなく写真か何かを見て描きました。

 最近、ある方から「絵の描き方」について技術的なご相談を受けて、その方に対して参考としてこの習作の写真をお送りした。これは油絵なのでいきなり油絵の具を使いこなすのは難しいので、あくまでも筆のタッチや色調の整え方などの参考になればという意図で選択した作品です。もっと油絵の作品を描きたいのですが、他にいろいろやりたいことが多くてその時間がつくれないのです。現在も途中で止まってしまった油絵が部屋に2枚ほどあり、いつも部屋に入るとその絵が「こら!いつ加筆するんだよ!」と睨んでくる。いつかキャンバスから飛び出してきそうです。騎士団長かっ!

映画「ブレインゲーム」

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 もう、ヤバイなぁ~。「羊たちの沈黙」の存在がこういうカタチ・アプローチで揺るぐとは思ってもいませんでした。あの映画はもう不動の金字塔でした。A.ホプキンスもその後、いろいろな映画でその存在感を堪能させていただいたが、「羊~」はある意味頂点でした。しかし、この邦題「ブレインゲーム」、原題「SOLACE」はその同位、もしくは凌駕しています。それはどの部分なのか?映画の内容や質感をこのブログで書くことはできませんが、むしろ、「羊~」のアドバンテージはJ.フォスターだけだったのかもしれないと思っています。恐らく、今後、折に振れて何回も観ることになる映画作品です。こういう作品が数年に一作品出会うことができる。言い換えればこういう作品に出会えなくなったり、そういう作品を観たときにこの気持ちになれなったらいろいろな意味で終わりかもしれないとさえ感じています。映画に対する人間の捉え方は千差万別ですから、何が良い、どこが良い、と、「何が?」「どうして?」「何故?」などの理屈を繰り返してしまいがち。でも、それはそれで互いの見方をぶつけあってもその先に何か未曾有の金脈があるわけではない。徹底的な規律や古典に対するテンプレートを厳格に厳守したところで、私はその部分があまり心地よくないと感じてる。それは自分勝手な自論でただのマスタベーションだと言われたとしても、厳粛な規律がリミッターになってしまってはいけない。絶対にいけない。歴史上の偉人・巨人はそれを制御して偉業を達成したと数多の著書には書かれているかもしれないが、どんなに小さく偏狭で陳腐で平凡な想像力だとしても、差し出された餌よりも自分で狩った兎が美味いに決まっている。

春ですねぇ~。

 昨年の夏、娘に「お父さん、頭の裏がエライことになっているで!」と言われ、鏡を見ると、ただでさえ薄い頭頂部を差し置いて、黒髪50%と白髪50%というまだらの後頭部に6箇所の円形脱毛症が発覚!頭皮についての悩み事は35歳頃から続いているので、もう、諦めて丸坊主にしたが、それでも続くこの頭皮トラブル。

 黒髪のところにも白髪のところにもポッカリ穴(ワンコインサイズ)が開いて、頭皮が見えているじゃないですか!でも、ま、ストレスか何かだからそのうち生えてくるだろうとこれまた放置。しかし、秋から冬になっても産毛すら生えてくる気配はなし。僕自身はもう諦めの境地なので、どうでもいいかなと放置していたら、営業先や仕事仲間から「スギノさん、癌の治療中ですか?」などと暖かい気遣いをかけていただくことが続き、本人は諦めているが、このトワイライトゾーンを見た人は意図的に無視しておられるか、何かしらの不快感を感じておられるのだと反省し皮膚科に行きました。先生にルーペで見てもらうと、これは免疫力のバランスが崩れて毛根が攻撃されたため抜けた円形脱毛症ですと診察をして頂きました。かれこれ2ヶ月ほど毎日飲み薬と塗り薬で治療してきました。お陰様で6箇所のうち5箇所からは白い毛が普通に生えてきて(白い毛かいっ!)、残りの1ホールも木の芽のような短い黒い毛が数本生えつつ、という状況です。

 頑張れ毛根!いやいや、春ですねぇ~。

60cmスライダー

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 これは映像(写真)撮影用のスライダー。いろいろなサイズ(長さ)があるのですが、まずは60cmを購入しました。他に電動式や油圧で動きを制御する10万円以上するスライダーもあるのですが、まずは節約してこちらをチョイスしました。意外と動きはスムースですし、それぞれのネジもしっかりホールドしてくれますし、とりあえず、これで十分かなと。撮影したい映像はいろいろあるので試行錯誤しながらスライダー撮影のテクを高めたいと思っています。

思考が運命に。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

 これはマザー・テレサ(修道女)の言葉です。

 54歳になって、この言葉の意味が少し実感できるようになりました。