ほろ苦い。

 全英オープン、松山英樹さんは日本人初のメジャー制覇に挑まれた。

 3日目を終えて首位スピースとは7打差の3位。最終組から3つ前でスタートされた。恐らく日本のゴルフファン、松山ファンは初日のようなバーディースタートを心から願っていた。勿論、私もである。しかし、無情にもティーショットは右の柵を超えOB。そして、1ホール目はトリプルボギースタートなった。結果は14位。

 翌日の新聞でこの松山さんの結果をライターが「ほろ苦い結果」という表現を使っていた。

 いやいや、世界ランク2位で望んだ全英オープン。スピースの一人旅の中、3日目も惜しいパットを何回も続けながら3位で終わり、私達に「もしや?」どころではない、「メジャー制覇」という夢を観せてくれるだろうと期待を維持させた松山さん。その実力や戦歴についてはもやはや誰も語れるレベルではないのである。言わば、「初めて人間が月面に立つ」クラスの期待を抱かせてくれれている松山さんが痛恨のトリプルボギーから14位に終わったとは言え、どんなライターさんか知らないが「ほろ苦い」はないだろう。そんな軽率な表現はないだろう。長い日本のゴルフの歴史に金字塔を建てようかというプレイヤーに対して、もう少し敬意を表して言葉を選んでほしいと感じた。ライターと編集長と校閲の皆様に決して松山さんの心情など分かるはずがないのだから、もっと、違う言葉で4日間の戦いを讃えてもらいたかった。

類は友を呼ぶ!?

 「類は友を呼ぶ」という言葉がある。

 考え方や趣味趣向が似ている人は共感しやすく、集まる傾向が強い。

 当然、言葉には多面性があり、良い意味では技量や思考に優れている人達が集まり、切磋琢磨することで新しいイノベーションが生まれたり、革新的なビジネスモデルを生む集団になる。良くない意味では、烏合化し誹謗中傷やゴシップ的な的を得ていない議論に終始する傾向が強くなり、烏合の外に対して過剰な警戒心や敵対心が生まれる。協調することは必ずしも有益で意義のあることではないのです。集団や組織の中でライバルを見つけ自己を高めようとする考えと、人の揚げ足やウィークポイントにフォーカスし他人の評価を貶めようと考える人とでは、当然、成果や本人の活性度合いが極端に変化する。

 分かりやすい事例として「SNS」がある。当然、開発者の狙いは生産的なネットワークをつくるためだったのだろうが、多面性が悪しき結果を生むこともあるようです。組織や集団って「企業」「国」「地球」「人類」などなど枠を広げていくといろいろな規模があり、当然、ある人は生産的にある人は破壊的に捉えているので、その関係性が「良い友」なのか、「悪い友」なのかは自然の理に委ねるしかない。SNSも最終的には本人次第なのだが、必ず関わる以上、多面的な捉え方をする必要がある。だから、素性も知らない、お互いポテンシャルも十分に分かりあっていない相手をそれが仕組みだ常識だと思い込み「友達」だと軽率に認定するわけにはいかない。そんな軽率な意思決定から有益なネットワークが生まれるはずがないのだ。

 昨晩、「海外視察」だという大義名分の元、ヨーロッパを旅する6名の地方議員集団がテレビに登場していたが、990万円という視察費用(税金)をドブに捨てていた。ご本人達は議員であるという属性に完全に依存し、大義名分を傘に着て、テレビ人間が直接問い正したが、ただ、その場を取り繕うしか術がなくともて痛々しく目に余る映像だった。いや、必ずしも議員・政治家がすべてこの「類」だとは思いたくないが、たまたま、この6名は公的な資金を私欲のために浪費するしか、己の存在価値を示す術がなかったのだろう。

 だからと言って、孤立し単独行動が気高く意義があるとは思わないし、小汚い野良犬で終わるのか、孤高の一匹狼で生きるのか、やはり、本人次第なのである。

 そういう捉え方で言えば、昨晩から読み始めた村上春樹氏の新作は、ねっとりと感覚に絡みつく。このテイストは意図・意識せずとも村上氏の得意技なのだろし、本質的に人間の中にある「同類を引き寄せたい衝動」を巧みに利用しているのだろうと捉えると、物語に不思議な共感が生まれ登場人物に感情移入させられてしまう。非常に「上手い!」としか言葉が思い浮かばない。恐らく、ドライな気質の人が読めばこの文体はカリフォルニアの空ように爽快感を生み、ディープで粘度の高い人が読めばコスタリカの密林のように息苦しくなるのだ。作用と反作用を見事に利用している、数少ない日本が世界に誇れる書き手さんなのだろう。

急いで…。

「急いでデジタルクリエイティブの本当の話をします。」という書籍がある。

 その書籍の構成をネットで確認すると、さほど食指は震えない。

 唯一、「急いで」というフレーズをタイトルに入れているセンスに心が反応しました。

 つまり、現代は「ゆったり」「ボチボチ」「のんびり」ではダメなのだ。比較的、私はせっかちである。カミさんや大学時代の友人に言わせると「比較的レベル」ではないという評価になるのだが、自分ではこのスピード感がちょうど良いと感じている。確かに「迅速」「テキパキ」というニュアンスではなく「そそっかしい」「軽率」「荒い」タイプだと言われ続けてきた人間なので、「急いで」というフレーズに心が反応してしまったのだろう。

 さて、「急ぐ」というニュアンス、どの程度急ぐのだろう?参考までに、家族で大阪に出かけますという状況で、各々が準備をする。だいたい出発時間は午前9時と決めている状況。私の場合は準備を整えて8時45分頃に車に乗り忘れ物がないか、また、車の汚さを家族に指摘されないかと気が付いた部分の泥を拭ったり、車内が臭くないかなどゴミをチェックする。すると、二人の娘がその5分後ぐらいにやってくる。そして、10分前ぐらいには3名は車の中であと1名を待つ状態。当然のようにカミさんは来ない。「トイレに行っていた。」「忘れ物をチェックしていた。」「どこかに電話していた。」という娘からの報告を聞きながら車の中で待つ。そして、出発予定時間の9時になる。当然、カミさんは来ない。まぁ、この程度なら日常茶飯事なので私も娘もイライラなどせず普通に待っている。5分経過して、ぶつぶつ言いながらやってくるカミさん。「雨が降るかもしれなから全部ドアを閉めてきた。」とつぶやきながらシートに座る。すでに私と娘達はニヤけている。「忘れ物はないよな?」と確認すると、「あっ!トイレ行くのを忘れた!!」と急いで家に戻るカミさん。

 どうやら、一生で使える時間は皆、公平ではないようだ。

 だから、何事も急がねばならないのです。

新しい名刺。

khuz_meishi_2017.jpg

 昨日、営業用の名刺がなくなったので、只今、データを制作し印刷入稿した新しいデザインです。表面に「ナスカの地上絵」、裏面は「ドクロ」。両面のビジュアル選びに特に根拠はなく、感覚で写真を選びました。あまり理由とか意味とか考えても名刺ってじっくり見るツールではないですし、むしろ、第一印象勝負だと思います。

知る人ぞ知る「スヤキ」。

suyaki_170714.jpg

 先週の金曜日に伺った谷野製麺所様(近江鉄道水口城南駅周辺)で「スヤキ」をいただいてきました。

 まず、スヤキは初めてだったので定番スタイルでいただきました。これで¥300!特に調理の際の味付けはなしでモヤシと麺の程よい炒め加減が絶妙。通の食べ方はいろいろあるとのことでしたが、お店のオーナー様のアドバイス通り、胡椒とソースを少しかけていただきました。さらに大盛り(¥500)を注文すると、後半に出汁が出てきて、後半から出汁にこのスヤキをつけて食べるのが通らしいです。次はそのパターンでいただこうと思っています。やはり、さすが、麺の味は安定度抜群でした。昔ながらの製法で長年製造してこられた製麺所ならではの逸品です。谷野製麺所様の「スヤキ」、これこそここでしか食べられない限定グルメ麺です。

ラフスケッチ。

works_170716.jpg

 あるコンテンツ用のラフスケッチ。歴史上の人物ではあるが、このようにラフスケッチを何枚を描いてイメージと合わせていきます。イメージが細部まで固まれば、あとはどんな画材で描いていくかで完成度が変化します。歴史上の人物イメージだから少しモリモリの油絵タッチがいいかなと思っていますが、シャープなイメージも欲しいのでフォトショップかもしれない。そんなことを考えながら、細部(アクセサリーや着物の柄など)を決めるためにラスケッチを何枚も描いていきます。

二人でひとり。

books_170713.jpg

 ほんま、その通り。唐突にネットで発見して、7秒後に購入ボタンを押しました。

非論理的思考。

 「論理的思考力を鍛える33の思考実験」という書籍がある。新聞広告にはイラスト付で、このような質問が事例として紹介されていた。

 質問:「暴走したトロッコの先に5人の作業員がおり、線路を切り替えれば1人の作業員がいます。このときあなたは線路を切り替えますか?」という質問である。そのまま放置すれば5名が暴走したトラックに惹かれ、線路を切り替えれば1名の作業員が惹かれる。という状況です。この問題は論理的思考力の世界では有名な質問だそうで、この書籍ではこの類の質問が33個紹介され、論理的思考力を解説しているのだろう。

 確かにこの状況、論理的思考力が鍛えられるだろう。こんな極端なハプニングではないにしても、日常生活においても論理的に判断しなければならないケースは以外と多く、日々のルーティーンで判断できているうちはいいが、このような極端なケースでは自分自身がどんな判断をするのか?確かに興味深い。

 しかし、もしこの場面に私が遭遇したら、思考力のスイッチを入れる前に5名の作業員の方へ全力で駆け出し、なんとかトラックの暴走を気づかせようとするだろう。この質問の状況ならば、線路を切り替える余裕があるのだから、トロッコは切り替え地点にはまだ到達していないはず。そして、暴走している様子は目視できているわけだ。さらに、トロッコが暴走しているレベルだから、新幹線ほどスピードは早くないはず。さらに、5名の作業員も線路を切り替えた先の1名の作業員もその場所から確認できているとしたら、論理的思考力のスイッチを入れる前に、線路を切り替える切り替えないを考える前に5名の元へ全力で走り出すだろう。

 まぁ、論理的思考力って本を見ながら比較的余裕のある状態でゆったり考えましょう的なノリだから、迷いが生まれるわけです。思考力ってどんなにテクニックがあり能力が優れていたとしても、余裕のある机の上の戯れである。

 実際、トラブルの場面に出くわしたり、瞬間的に判断しなければならないケースでは、「さてさて、論理的思考力で・・・」などという余裕はない。それはもう感覚の世界で本能で判断するのが正解だと思います。現場でトラブルに遭遇したらスイッチを入れるのは論理的思考力ではなく、直感的な判断と筋肉への命令を最優先で意識する「非論理的思考」が決め手だと捉えています。こういうタイプの人間は、予測不可能なので、後先考えず、線路の上に石を並べトロッコを脱線させてるかもしれません。ジョン・マクレーン刑事のように。

DAWか。

kakunin_170711.jpg

 やはり、ここを避けていては前に進めない、DAW。長年、つかず離れずの間合いだったが、いよいよガチでダイブして、こっち側に引き寄せてみようと思います。

論理学者の独り言。

鶏が道路を渡ったのか、道路が鶏を渡ったのかは、あなたの基準系次第である。
アルバート・アインシュタイン

「論理学者型の人はかなり珍しく、全人口のわずか3%を占めていますが、「平凡である」ことが何よりも惨めだと思う論理学者型の人達にとって、これは良いことです。持ち前の発明力や創造力、独特の視点や力強い知性を誇りにしています。哲学者や建築家、または空想好きの教師が多く、歴史の中で数々の科学的発見に関与してきました。」と、これはあるWEBコンテンツでもあるアンケートの分析結果です。つまり、そのアンケート(100問)の問題を答えて出た分析結果でした。過去にこのタイプの分析を受けた経験はあるが、「論理学者タイプ」という結果は初体験でした。

 改めて「論理学者」っていう言葉に親しみが湧き、いろいろな論理学者が気になり始めています。

 分析結果の文面の中で、妙に納得してしまった部分が「わずか3%」という数字。漠然と私のタイプはそうなんだろうなぁ~、いや、そうありたいと願っている部分も作用したのだろう、その結果が「論理学者」だと、逆に他の15タイプは何だったのかとも考えてしまいました。

 論理学者タイプだからなのかもしれないが、私は良く論点を反転させることがある。意図的にか本能的にかスイッチを切り替える瞬間、具体的にどうしているのか、脳の中でどんなスイッチングが発生しているか全く実感できていないのですが、ふっと自分の状況に対して捉え方や視点を反転させる。ユーモアや仕事のアイディアもこの瞬間に生まれることが多い。ある状況ではその反転が「逃避」だったり、ある場面では「攻撃」だったりするのですが、この間合いのつくり方がかなり常識から逸脱しているような実感がありました。良い言い方をすれば「フットワークが良く個性的」だろうし、悪い言い方をすれば「逃げ足が早くズルい」となる。例えば、企画会議の席でも、「賛成と反論」のタイミングを意図的にコントロールする傾向が強く、相手の論点が良く見えるのです。むしろ、相手の話を聞いている際、「論点しか」見ていないので、メモなど取らずとも何時間相手が話をしようが、話の流れは完全に記憶している。弊害としてディテールや感情面を完全に無視するため、論点と感情が混合している曖昧な意図は見事に無視してオートマチックに忘れます。つまり、あまりこの人の話は面白くないなぁ~というケースはほぼ論点が曖昧な人であり、感情的で語彙が強い人でも論点が崩れていなければ共感するし魅力を感じる。この「見切り」が初見の相手でも3秒以内。合わせて、表情やふるまい(挙動)も、電話ならイントネーションや言葉のリズム・音階も意識して聞くが、論点はロックオンする。

 ああ、こうブログに書いてみると、やはり、自分はメンドクサイ奴なんだと痛感します。反省(汗)。