アオウミガメ。

 ヒルナンデスで水族館のロケを放送していた。

 そこにはいろいろな人気キャラクターがいて、それぞれに多彩な魅力があるとタレントが紹介していた。動物達をまとめたフリップをタレントが持ちながら、
「シロクマの○○君!アザラシの○○ちゃん!イルカの○○ちゃん!」などなど、それぞれに愛称を読み上げていく。最後に紹介されたのが「アオウミガメ」。

 あれ?愛称もなければ、「ちゃん」も「君」も付けられていないぞ!?

 ちょっと可哀想なアオウミガメ。

定説を覆す。

 昨晩テレビを観ていたら、「恐竜の定説が覆る!」というタイトルを耳にした。なになに、恐竜の定説が覆す!?と、大好きな恐竜ネタだったので、いかなものかと迂闊にも気持ちを持っていかれました。結果、「なんでやねん!」となってしまうのですが。

 その仮説とは「トリケラトプスは草食で、ライバルのティラノザイウルスは肉食とされていた定説が間違いで、双方とも雑食だった!」と、わざわざCGをふんだんに使ってその仮説を説明していた。

 テレビだから言いたい放題だが、「定説が覆る!」「恐竜は雑食だった」「永遠のライバルだった」「太古のロマンが崩れる」、最後の最後に、「もしかすると、ティラノザイウルスはにニャーと鳴いていたかもしれないですね。」というコメントでそのテーマを締め括った。

 へぇ~、テレビの番組づくりも深夜枠となれば、こんなポンコツな感じになるのかと、ひとり部屋で「なんでやねん!」とつぶやいてしまった。

 「定説を覆す」って聞こえたものから、私は新しい化石や分析結果が確認され、進化のプロセスや繁殖地域について新しい事実が証明されたのかとか、世界のどこかの地域で、繁殖形態や亜種の新事実が発見されたのかとか、氷河期や隕石説意外の絶滅理由が発見されたのかなどと勝手に想像を膨らませたが、まったくの「膨らませ損」だった。骨格や筋肉の構造、食生活などの痕跡から、鳥類に近く、ティラノザイウルスもその後期には羽毛が生えていたとか、生殖についても、様々な仮説があるので、その辺に対する新たな定説の発見を想像したが、「ニャー」で強引に締め括った。

 あの女性アナウンサーの顔はしばらく頭に残るだろう。

「オノマトペ」って侮れない。

 「オノマトペ」とは擬音語・擬態語・擬声語です。

 パタパタとか、ドキドキ・コツコツなどの状況や心情を表現する語彙です。

 英語や他の外国語と比較して、日本語にはこのオノマトペ表現がケタチで多いらしい。その理由は日本語の比喩表現・引用表現が複雑で言語としては非日常的で、文章としては趣があり、体裁が良い表現でも、言葉にすると小難しくなる。それを代用するために使われているのが「オノマトペ」。

 しかし、表現力があるからと言って、会議や然るべき状況で、パクパク・ビンビンとか言ってしまうと品格が下がるし、それを使うことでより伝わると判断しても控える状況です。しかし、口語がブログやSNSに多様されるのは、やはり、読み手に伝わるから。その効果や作用は決して侮ることができません。小難しい、難解な文章よりも、さらりと感覚的にシンプルな文章を心がけることが読み手に対する誠意となる場合も多いのです。

 しかも、この「オノマトペ」の活用術として、介護や認知症の現場でのコミュニケーションにとても有効で、実際、理屈には叶っているが、小難しい言葉を使って相手の理解に至らず、コミュニケーションが成立しないよりも、「オノマトペ」を多用し、しっかりとニュアンスやフィーリングを伝える方が治療や介護の場面では有効だそうです。

 英語や海外の言語と比較して、日本語の「オノマトペ」の数は10倍以上。英語の場合は300程度なのが、日本語では3,000近くあるらしいです。言葉って、文章って、使い方が難しいです。リズムやテンポやトーンやイントネーションでも伝わり方が変化しますし、勢いだけでも伝わらないし、丁寧に慎重に誠実に理屈を並べてもドンビキされる場合もあります。結局、空気や間合いを読める人が適正な成果を生むのですね。

春の色。

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 私は個人的に桜の花にあまり心が動かない。あまりにも儚いからだ。散るのが早すぎる。

 闘病した経験は幸運にもありませんが、闘病している病室で冬の季節、最後の枯葉が冷たい風にさらされて、いつ落ちるのだろうなどとヒヤヒヤ・ドキドキする暇もなく、桜の花は散る。

 よりも、小さな雑草の芽がアスファルトの間から出ているのを発見すると、エネルギーをもらえたような気持ちになります。上からチューリップ、りんご、カリフラワーですが、春の陽気と共に寸分違わずウチの連中はスイッチを入れてくる。このたくましさと季節への反応の誠実さが好きです。

良い違和感。

 「オリジナリティー」とは何か?

 どうしてもパソコンで制作したコンテンツって、どこかにありそうな感じが漂っています。理論理屈で捉えると、形状や色彩や各パーツのコンビネーションは明らかに違うモノなんだけれど、感性や感覚で捉えると「同じモノ!?」となってしまいます。この感覚は長年デザインの仕事をしてきた、言わば専門的な狭い視野で捉えた感覚だから、一般的な広告やデザインのコンテンツとして、目的やクライアントの要望をしっかり訴求できればそれでOK。何もその先を探求する必要は蛇足だというセオリーも正解。しかし、なんとなくそれじゃ違和感が拭えないのも現実的に感覚としてあるのです。

 そこで「オリジナリティー」という言葉をどう捉え、自分がその言葉をどう使うかというスタンスで、つくり手としてのポテンシャル評価が変化するような気がしています。つまり、仕事において「オリジナリティー」という言葉の使い方、使う場面を慎重に吟味しないと、相手に誤解される、伝えたい狙いや主張がスムーズに伝わらない。本人が言葉を十分に理解し習得していなければ、パソコンでつくるデジタルコンテンツと同じ、「コピペモドキ」を生み出してしまう結果になるのです。

 では、パソコンのデジタルフィールドから外へ目を向けるって具体的にどうするのか?やはり、日本には四季があり、目に見えて美しい変化が自然の中には多く存在します。その変化の中には美しい木々や花、山や海、空や星があるわけで、身近なモノとしては、日々の天候の変化や食材も自然からの恵みなので「変化の産物」です。美味しい食材を美しい景色、心地よいスペースで頂くという嗜みこそに、人としての感性を起動させる間合い・機会があると思います。

 一方、デジタル仮想空間にはそれが一切なく、結果、一時の知恵熱のようにわずかに興奮はするけれど、平熱に戻ったときに「あれ?僕は何に浮かれていたのだろう?」とか「よくよく冷静に捉えるとこの2次元の世界に何故感動していたのだろう?」と我に変えると、ヒヤリとするわけです。

 結局、外に出て、雲の流れを見つめたり、風向きを気にしたり、雨の中にいることで、自分の中の感覚が再起動する、その感覚をニュートラルポジションだと意識することができれば、つくり手としてのコンディションも整うと思っています。

 そんな感覚をキープできれば、「良い違和感」を見極めることも簡単だと思うのです。

 仕事のツールとしてパソコンやソフト、スマホはもう手放すことはできないのでツールとしてカッターやペンと同じように主人として使い、決して、奴隷にならぬことだと思います。

ワークスペース

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 こんなワークスペースにしたいが、まず、どこから手をつけようかな。

 まず、本とか書類をしっかり整理しなければならないし、カメラや周辺機器も使いやすい場所に置く。広い机も欲しいが現状のモノを活用しつつ、この完成イメージに近づけたい。

爬虫類カフェ

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 うん、可愛い。

 ここら辺では大阪にあるらしい「爬虫類カフェ」。次、大阪に行った時はぜひチェックしようと思っています。

ワークスペース

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 今更ながらデザインの仕事場というのはこのようにお洒落でシンプルな方がいいのだろうか?「机の上が整理できていないのは頭の中も整理できていない証拠だ!」と何かの本で読んだが、今更ながらその通りかもしれないと気づきつつあります。「つつ」なのは、長年、見慣れた仕事場の風景を変える決意・勇気がまだ不充分なのである。しかし、歳も歳だし、どんどん記憶力とか集中力が低下している。なんでもメモをとり残しているつもりが、そのメモがどこか分からなくなる始末。このようなモヤモヤを一回リセットするために、仕事場をシンプルに整理し、思い切って模様替えをしようと思っています。こんなことぐらいしか解決策がないのが現実。正に蜘蛛の糸だ。

目のつけどころ。

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 「目のつけどころ ものの考え方」という書籍を買った。

 明日にはアマゾンから届くだろう。「世界のエリートが実践している」というフレーズに惹かれ、アマゾンのレビューをチェックし、ネットでも書籍の評判をチェックして確認しました。この書籍との出会いは新聞広告だったが、それをきっかけにネットでチェックし、購入を決断するというパターンでした。ネットがなかた時代ならテレビや新聞や雑誌で得た情報を記憶していて、お店で確認し決断するという手順と比較すると、現代は圧倒的に広く情報を得られる状況になっている。しかし、これが書籍ならば、書店で確認するまでもなく、レビュー程度の情報で決断できるが、「デザインの仕事」を発注しようと考えている人がデザイン会社やつくり手の情報をネットでリサーチしても、充分な決断材料は入手しにくい。当然、WEBサイトにはスキのない饒舌な言葉がちりばめられているし、その言葉を100%信用したとしても、まだ発注に至るには情報のディテールが足りない。では、足りないディテールをどうして補足し足りる状態にできるかが発信側の試行錯誤の部分である。ネットの情報の表層だけを比較しても、本質や真意や実感に辿りつくには、もう少し深く情報にリアリティーが必要なのだ。ただ、購入(発注)を決断する前段階として、お問い合わせやお見積依頼のアクションを起こしていただくにも、工夫が必要だし、提供できる情報はあますところなく誠実に発信しなければならない。ただ、それも限界がある。

 さて、「目のつけどろ」とは?の部分をこの書籍で実感し、自社(アクト)の情報発信の優良で効果的な工夫点を得られることを期待している。

 今、ヨーロッパの洞窟を探検し、洞窟の壁に描かれた太古のサイン(記号)を探索し、データベースを制作している方の教授の書籍を読んでいるが、500近い洞窟のサインを精査すると、32種類の記号に分類できるらしい。描いた人の真意がその壁のサインに込められていて、暗く狭い洞窟でそのサインを目視した時の心の震えは例えようもなく深く大きいと著者は書いている。

 そんなサイン、ひとつでもいいからこの時代に残せるなら残したい。

skillfully?

For example, which will swell when I talk in English when an American good at Japanese and a Japanese good at English talk in English?
Which will it be that the feeling of the person becomes the words skillfully?
Because the thing called all skillfull is how to choose words and personality and a human being in the essence, The quality of the conversation should be fixed what you changed through a result, words.
Then you should think that human nature cultivated in the different language zone by culture and custom makes a base of the communication.