これ何だろう?

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 映画「メッセージ」のワンシーン。これ何だろう?

 DVDの到着が楽しみです。

40歳以上男性限定!?

 日本での公開に先駆けアメリカで「ブレードランナー2049」が公開されたが、興業成績はパッとしなかったらしい。

 また、日本での公開が10月末に迫っているが、恐らく「40歳以上の男性」限定になるだろうとネットで予想されている。僕もその通りだと思います。

 むしろ、この映画に反応する20歳代・30歳代がこの日本にいたとしたらそれは本物だ。何がどう本物なのか?残念ながらそれを言葉にすることはできない。「ブレードランナー」を感じることができない人間に言葉で共感を求めようなど言語道断。この映画、必ず映画館に行くが、どんよりした40歳以上の男性が静かに固唾を飲んで上映を待っている空気が想像できる。

 製作者は175億もかけたそうだが、恐らく、前の作品同様に35年かけて回収するつもりだろう。これが正しい映画のつくり方なのかもしれない。

Is it real intention?

 最近、テレビで政治家の声がうるさい。

 実しやかな弁を奮っているが、言葉が頭に入ってこない。

 あのポジションだと、どうしても理論理屈を先行させなければならないのだろう。もっと、感覚的に等身大の人間を出せば楽なのに、って、それはできない相談。因果な仕事です。早く、人工頭脳にそのポジションを託して、もっと生産的で建設的で人間らしい仕事をしたら、言葉の角が取れ、真意に向き合い清澄になれるのに。

鳩。

 本日、長浜南小学校様の50周年記念モニュメントの除幕式の映像撮影をさせていただいた。生徒達が中庭に集まり、恙無く除幕式が進行する。いよいよモニュメントの上にかけられたシートを子ども達が外したタイミングでクラッカーが鳴り、鳩が飛び立った。なかなか、いろいろな式典に仕事で行きましたが、鳩を飛ばせるという演出は初めて。それが実際どんな感じなのかと期待していたが、いやいや、なかなか、鳩はいい。恐らく、鳩達は自分の住処に帰るだけなのだが、除幕式の演出として鳩はこれほどに効果的なのかと圧倒された。一瞬の出来事なのだが、とても素晴らしい演出でした。

 映画でもココイチのシーンで、鳥を飛ばせるのに監督がこだわるのがなんとなく理解できた。あれはいいものだ。

テキパキなヒト。

 最近、ふと気づいたことがある。

 「テキパキと動くヒトには腰痛持ちが多い。」と。

 裏を返すと、動作とか思考とかゆったりしているヒトは「腰が痛い」とか「肩が凝る」というヒトが少ないのだ。僕は以前(10年前)、ヘルニアで杖生活を送っていた頃と比べ、いろいろな動作や思考のスピードを意図的に遅くした。本質的にイライラするタイプなのだが、それでも努力し意識してテンポやリズムを鈍化させている。早朝からすぐにパソコンのスイッチを入れたいところを我慢し、必ず15分程度の準備体操をしてスイッチを入れたり、営業先でも少し早めに出発して、想定以上に時間が空けばコンビニでスクワットをしている。本を読む速度も落とし、できるだけ言葉を反芻するように心がけている。

 その結果、富士山にも登れたし杖生活から脱出することもでき、快適快調な身体を手に入れた。このリズムで何事も対応していれば磐石だなというスタイルが確立できつつある。以前、腰痛に悩んでいる時って、当然イライラが継続して仕事の能率とか考える余裕もなく、ただ勢いに任せ「忙しい自分」に陶酔していた。相手の評価や仕事のテンポを無視し、ただただ、思い込みで「忙しい忙しい」に充足感を得ていた。

 「テキパキし過ぎると一見優秀に見えて成果が伴わない。」これ結構、重要な捉え方です。

目から血。

 そのトカゲは砂漠で生きるための特殊な能力を二つ持っている。

 ひとつは蛇などの天敵に遭遇するといきなり身体を反転させて、動かなくなる。死んだふりをするのだ。蛇が死骸を食べないことを何かのタイミングで学びそれが能力になっただろう。その映像を観ていると確かに腹を上に向け、両手両足を開き微動だにしないトカゲを少しだけ観察して蛇はどこかへ去っていった。それをチラリと確認したトカゲはクルっと反転して画面から消えていった。凄い能力である。

 もう一つ、次は圧倒的な天敵コヨーテが現れる。トカゲからすると圧倒的な天敵である。大きな前足で身体を激しくつつかれ、もう万事休すの状況だ。そこで、トカゲの二つ目の能力というか決死の攻撃が放たれた。食べようと口を近づけてきたコヨーテに向かって、目から自分の血液を放出した。水鉄砲のように勢い良く発射されたトカゲの血液を頭部に受けたコヨーテはその血液を両手で擦りながら退散。トカゲの血液の成分にはコヨーテが嫌う成分があり戦意を奪われたのだ。

 しかし、目から自分の血を発射する生物を初めて観た。やりよるトカゲ君。

 僕はそんな危機的な場面・状況になったら、身体のどこから何かを発射できるのだろうか?

 僕の身体からもいろいろな物質が出るがこのトカゲには負ける。

60秒。

 僕はよく冷蔵庫をちゃんと閉めるのを忘れカミさんに怒られる。夜、喉が渇き水を飲み、冷蔵庫のドアがちゃんと閉まってなくて朝起きたら開いたまま。当然、「ピーピー」という警告音が居間に鳴り響いているという状況。夜中でなくともちゃんと閉めないと警告音が鳴る。そういうことが僕は多い。

 BTW, さて、この警告音はドアを開けてからどれぐらいの時間で鳴るのだろう?冷蔵庫をつくった人は何を根拠にこの警告音が鳴り出すまでの時間を設定したのだろう?5秒だと短いし10分だと長い。良い加減をどんな人間の行動パターンや日常生活の心理から算出したのだろう?

 ドアを開け、警告音が鳴るまの時間を図るとジャスト60秒。さて、この「60秒」の根拠は何だろう?他のメーカーの冷蔵庫も同じなのかな?恐らく冷蔵庫の中のモノを出したり、何かを入れる時間の平均値を集め、動作時間のバッファを見越して設定したのがこの「60秒」なのだろう。

 そんなどうでもいいこと考えるより、「ちゃんと閉めて!」とまた怒られた。

目力(メジカラ)。

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 勿論、演技だとは分かっているが、この目力(メジカラ)強すぎる。僕は日常でも映画でも絵画でも写真でもネットでも、この目力に勝る目を見たことがない。Thank you, Claris.

 これは公式の大判ブロマイド写真(印画紙)です。

スキルはどこへ?

 スマホの便利さの基準は「多くのヒトが使っているから」である。「ガラケーをまだ使っているんですか?」と言われ続けても僕はスマホに切り変えるつもりはなかった。ただ、更新のタイミングでガラケーの選択肢がなかったため、渋々、スマホユーザーになった僕。しかし、この端末は大きい、画面は見にくい、誤動作やOSの不具合や更新プログラムの多さが気になって仕方ない。何をどう考えても僕は「便利さ」は感じない。欲しいのはもっとツールとして「美しい電話」である。電話機能とテキストメール受信機能があればそれ以上は必要ない。みんな使っている機能だからと言って必ずしも「便利」ではないのだ。わざわざそんなことは取り立てる必要もないようなことだから、誰も言葉にはしないが、実はスマホが普及すればするほど開発会社が潤う仕組みになっている。各種アプリの製作意図は個人情報を集めること。個人情報といっても氏名や住所や電話番号ではない、個人の趣向性や行動パターンなどである。それを今の段階ではどこかの誰かが求めてるだけだが、どこかの誰かがその狙いさえシステム化・プログラム化してしまったら、CPUが独自で情報を回収するのだろう。目に見えないケーブルプラグが頚椎のあたりの穴に差し込まれ、私達はメインサーバに情報を提供するだけのセンサー野郎になってしまうのだろう。「美白」「抗菌」「抜け毛」「環境保全」「グローバル化」「北朝鮮」「解散」などなど。一回、このケーブルを抜き、本来の五感情報を意識して鈍っている感覚をスキルを高めたいものです。

礼節を心得る。

 僕は常に歯を食いしばって「見えている大人」でありたいと願っている。

 例えば、最近の若者達。古き良きモラルやルールを無視した挙動と言動、どこまでも限りなくフリースタイルな振る舞い、礼節もリスペクトもリレーションシップも未熟だが、しかし、どこか的を得てる部分もある。などなど、現代の若者は摩訶不思議という言葉で解釈し放置するそこそこな大人達。僕は歯を食いしばってそういう解釈をしたくないと思っている。通念のモノサシで若者を一刀両断で切り捨てている大人にはなりなくないと。むしろ、自分がそうであったように「見られている意識」をもっともっと強くして大人に牙を向いてほしい。僕はすでに53歳、こんなこと言っている時点で終わっているのかもしれないが。

 ただ、ヒトが持つ礼節だけは普遍だと捉えていて、老若男女問わず普遍のモノサシだと確信している。

 僕は3年間の硬式野球を経て徹底的に礼節を、幸か不幸か叩き込まれた。だから、他人をその視点・観点で無意識に分析・評価してしまう。最近、ソフトボールの練習に行っていて、地域の皆様が夜の7時からグランドに集まり汗を流している。先日、20歳の方がその練習に参加された。一見、ぶっきらぼうだが、「こんばんは」はちゃんと返してくれる。その彼がグランドに入る時、帽子を脱ぎ一礼をした。練習後もホームベース付近を入念に黙々と整備している。そして、メインライトが消えて薄暗くなったグランドの出口でグランドの方を向き直し一礼した。それを見た瞬間、僕も入口に戻り一礼した。

 他の人達はワイワイとグランドから出て行き、帰宅されたが、僕は一礼した若者のことで胸が一杯になり、少しだけ鼓動が早くなった。人のふるまいひとつひとつには理がある。その理が見えなくなった時、ヒトがヒトである大切な部分を手放してしまうような気がした。

 その瞬間が見えてひと安心した僕。