教育という概念。

 比較的少人数の会社ばかりにお世話になって来た私はあまり組織におけるいろいろなプレッシャーや規則について無関心でした。デザインや広告の仕事の作業は少人数のチームで取り組む事が多く、何百人という組織で目的に向かって長期的なプロジェクトを仕上げるという作業も少なかった。短い期間で多種多様のジャンルのお仕事をする。比較的少人数でモチベーションの高い、センスも技術力もある程度予測できる標準以上のスキルを持ったスタッフを集めてから仕事にプロジェクトに着手するので、そこに「教育」という図式は経験値として非常に低い。
 学生の頃は「教育」など上から下方向に詰め込まれるものだと認識していから、なかなか自分のモチベーションとシンクロしない場合は詰め込まれることに嫌悪を感じた。結局、好きなことを仕事にしたいという強い意志があったおかげで、勉強はしなかったし、一般教養よりも、雑学と呼ばれる教育の現場ではあまりYesではない事の方向に興味のベクトルがあり物色したのはそちらの方面が圧倒的に多かったですし、これからもこの視点は変わらないし変えたくないと強く思っています。
 さて、学校過程が終了してからの教育という概念はとなると、「教え育む」という意識はほとんど欠落し、上記のように日々の仕事に追われ続け気がつけば40歳を超えていた。教育という言葉を聞いただけですこし体温が下がっていた頃もありましたが、今では、なんでもどんな場面でも「教え育む」ことを感じられる。そもそも人と関わる瞬間から実は「教え育む」作業が始まっているように思える。そんなに高尚な事をしている意識はないのですが、人と人のコミュニケーションの基準はこの「教え育む」という視点が軸であれば、永遠に大きく狂う事はないように思います。