文章のルール。

 メディア進化という大きな仮説が横行する中、さまざまな警笛が響いて久しい。中でも子ども達がネットと接点を持ち活用する時の注意点についてある書籍でなるほど的な記事を読んだ。それにはこう書かれていた。ウイルス・スパイウエアに対するセキュリテイーとアダルト系へのアクセス規制、そして、文字面だけのコミュニケーションで起こるトラブルの回避となっていた。ひとつめとふたつめはいかようにでも規制できなくはない問題点なのですが、問題は3つ目の文字面でのコミュニケーションのトラブルはヘビーだと感じた。確かに何も子ども達にだけに関係する問題ではなく、電話で話せばそんな事にはならないのに・・・みたいなライトだけれどディープなトラブルは実感しています。
 
 学校ででもこれらの問題に対していろいろな対処はしておられるそうですが、最後の最後はやはり親がモラル的な価値観をどれだけリアルに伝えられるかがポイントであると記述してあった。さて、どう対処するのか。DSで頭をやわらかくして目力を鍛え常識度を採点しゲームから何を学ぶのか・・・。親なりの人生観を噛み砕いて教訓化しじっくりと会話する機会をもうけて聞かせてやるのか・・・。

 そもそも親である自分自身が人生の波にもまれすぎアイディンティティを失っているようでは何も継承していないわけだから、子どもに何かを語れるはずもない。背中を見てちょうだいとステレオタイプに教科書どおりな言葉を並べても子ども達は反応しないだろう。自分も子ども頃はそうだったが、これほどコミュニケーションとは、みたいな時代ではなかったからあえて言及するモノではなかったから。そもそも本来在るモノを複雑化し、まな板の上にのせて何でも料理しようとする人間の業の方が無理があるのではないでしょうか。時には記号化せずに象徴化する事も大切ではないかと思うのです。簡単に言うと言語ではなく絵で見せればほとんどの問題に対応できるように思える。つまりコミュニケーションのデッザン力を鍛えましょう!と自分も含めて日本の中心で叫びたい。