対であること。

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 映画「シャイニング」のワンシーン。小さい男の子には不思議な能力がある。父親の仕事の関係で山奥のホテルに家族3人で訪れたその男の子。さまざまな歴史の綾を静かに押し込めたホテル。その一室で男の子はいるはずのない双子の女の子を見る。そんなシーンです。
 絵や映像の構図にシンメトリーとう構図がありますが、左右対称の構図は安定するが変化を持たせにくいと思う。しかし、私は絵やデザインを構想する時、最初に描くイメージは圧倒的にシンメトリーが多い。こじゃれたデザインレイアウト感で変化を「ありき」とするならば、配置・構図・バランス感は以外と簡単に手に入る。しかし、シンメトリーの構図は奥が深い。シンメトリーな構図を多用したと言われている故S.キューブリック監督。この映画も代表的な映画なのですが、原作者と最後の最後まで衝突しながら、原作とはある意味方向性を変えながら、キューブリック監督の映像と物語が映画の猛吹雪ようにザクザクと降り積もっていく雪のようです。狂気のJ.ニコルソンも凄まじい妖気の光を放ちながら孤立したホテルの中を縦横無尽に闊歩する。しかし、ホテルのあまりにも強靭な深すぎる歴史に正気を失い雪の中でフリーズ。この映画の中で双子の女の子が画面の中央に現れる瞬間、現実か幻像か迷うほど美しいのは、人の視覚から入る信号の中でシンメトリーな構図に反応する独特の何かがあるように思います。対である事が私達のあらゆる感覚の中に言葉にならない強烈な意味を感じさせるパワーがあるように思います。DNAの螺旋構造の書籍を読みながら、シャイニングのこのシーンを思い出してしまったのにも何か意味があるように思うのです。