ニューヨークと東京。

 マンハッタンの地下には大きな岩盤があるらしい。聳え立つ構想ビルの骨組みの基礎は全てこの岩盤の中に打ち込まれていて24時間眠らない街ニューヨークの鼓動が岩盤に伝わっている。静寂と無縁のこの街が人間が暮らすのに適正であるか否かについての議論はさて置き、ここに世界のエネルギーが集まってくる大きな理由のひとつとして、24/7この街は振動しているからであるらしい。これは原因ではなく理由でもなくその場所が持つ特性とそこに生きる人間の関係でありふるまいである。
 私はよく初めて行った場所や想い出深い場所の石を拾ってくる。ある後輩に言わせれば石(意思)を持って変える事はあまりよくない事で観念的にいい意味合いに繋がらないらしい。しかし、文化や慣習に興味がないわけではないが、もっと根本の理由で石をひとつ持ち帰る。ブログでその理由の詳細を記載するつもりはありませんが、石こそ地球だからである。
 東京で4年ほど暮らしたが今会社のパソコンの周りにも書斎にも東京の石は一個もない。ローム層に乱立するビル街に本来石などないからである。いずれもどこかから持ってこられた石に何も感じないからである。科学雑誌などで地球の歴史の話を読む。まるで、小学生の頃のような気持ちで読む。情報化時代100年の時間の経過に思いを馳せられない人が増えているらしい。つまり、「一瞬先は闇」という言葉、もしくはその状況をメディアに刷り込まれ酔いしれているだけだろう。アフリカの原住民は明日のことを考えない。その方が平和に暮らせることを彼らは知っているから。予見は恐れでしかない。夢や希望は幻想だという文化をあの頃、教育や文化や経済面で刷り込まれた私たちは人が作った人を制御するための真理に操られている。それはそれで悪でも過ちでもない。いつのころか基準を失いつつある概念や通念への回帰が大きなうねりを起こす時、一番大切なことは地球のどこに住んでいるかではないでしょうか。私たちは間違いなく断層地帯に暮らしている。だから平和な日本としての平衡感覚が生まれたように思う。さてさて、石ひとつを見て何を思うべきか?先日、横浜で買ってきたゲルマニウム鉱石はガラスの器の中に水を入れて仕事場に置いた。何やら気泡を出しているが、成分は何だろう?