幸運と不運のあいだ。

 幸運とは不運を理解するための、不運とは幸運を理解するための基準でしかない。それはひとつ真理だと思いますが、そう簡単に冷静沈着に幸運と不運を理解して終わりでは寂しい。その間には何かあるはずだ。それは何か?一番近い存在に対して「おめでとう!」と言う。何であれおめでたい事を伝えるために言葉を発する。しかし、その「おめでとう!」はどこまでその人に届いているのだろう。これは私の大好きなモノです。それをお祝いにプレゼントします。上から何かを共有しましょうと言っているよに伝わってしまないかとか、それはそれで貰えるものなら貰っておきましょう的な程度で終わるんじゃないかとか、不安なるが、それを100%クリアして行動などできないわけですから、そう思った時が判断の時だから、それは間違いなくプレゼントとしてその人の手に渡される。あとは野となれ山となれである。で、それが幸運と不運のあいだで振動している感じがするは、神経質なわけではなく、鈍感なわけでもなく、大胆なわけでもなく、臆病なわけでもなく、ただ、ただ、正直なのだと思うし思いたい。すると、幸運と不運の間の天秤軸で、まるでサーカスの縄渡りのようにバランスに集中してのCome & Goが心地いい。ディテールという視点でこの感覚が初めて見えた時、テンパイするパイをつもってきた感覚が右手の親指の面で振動する。Luckはどこにある?どこにでもある。引き寄せることは誰でもできるが、誰でもできない。結果それがLuckであるか否かを幸運と不運のあいだで模索するのがディテールだと思う。さて、この感覚そのものは幸運の入口なのか、不運からの出口なのか。