ネットPRなのか・・・。

 そもそも「宣伝」と「広告」と「PR」についてあまり深く違いを考えたことは少ない。インターネットがメディアであると同時に他の価値を確立していることはおぼろげながらに感じてはいますが、具体的にしっかりとその違いを認識しなければ、出来上がるツールはやはり中途半端になると思います。一枚の絵を描くということだけでも、描く紙や画材の特質や使用する画具の知識は勿論のこと、画面構成上のバランスや遠近法やデフォルメの歴史、さらに、テーマや考え方など心の中のイメージの出し方となると、それこそ心理学や解剖学的なアプローチが必要で、さらに、それらをどこかで何かの目的のために発表するとなると、観てもらう方への何かしらのアプローチを固めていないと、その行動の意味が散漫になる。時に散漫に分散することも大切で予期せぬ副産物があるからこそアートの世界は面白くも苦しい表現世界となる。しかし、オンライン、インターネットの世界での「宣伝」と「広告」と「PR」となるとどうだろう?
 「PR」とはピーアールという言葉として何かを伝える手法という程度しか認識していなかったのですが、ネットPRと聞いて何も連想できませんでした。よくよく雑誌の記事を読み進めればそれは、「Public Relations」の略だった。そうか!そうなんだとその入り口が見えたように思えました。広く双方向の関係性を築くためのコミュニケーション活動のことを指すのか。最も大きな特徴として第三者を介して情報を伝えるという点にあり、ソシャールメディアが発達したネットにおいて大きな力を発揮するらしい。宣伝でも広告でもないもう一つの情報の伝わり方が「ネットPR」のようです。
 広告とPRは大きくは5つの違いがあり、それは、「情報発信者の違い」「情報の伝達性の違い」「情報内容の違い」「受ける印象の違い」「コスト」だそうです。また、この部分で実際のお仕事において自分なりに分析できたことについてはこのブログで掲載していこうと思っています。それより、最近読んだ本で日本の迷信の本があります。その中で「ご飯をこぼすと目がつ潰れる」という日本の迷信について少し。
 昔は年貢として米を国に納めることで日本の国民のほとんどは生計を成立させていた、自分の家の食卓に充分なご飯がでないのに、義務として米を献上すること。つまり、貨幣と同じ価値が米にあり、それをひとつぶでもこぼすということが、目が潰れるほどのいけない事だという戒めだったようです。つまり米は生きていく上で生活していく上で最高の価値があった時代だったのです。さて、現代その価値は何に置き換えることができるのでしょうか?米や金ならリアルですし、貨幣についてもリアルに手にできる存在のモノだから価値として認識しやすいが、現代では「情報」という価値判断材料も存在するのではないかと思います。そこで「Public Relations」につながる。公的な関係性が誰しもインターネットというギアでコントロールできる現実こそが生きるために必要不可欠な相互性のようです。「鏡をまたいではいけない。」という迷信の意味は三種の神器に由来するらしい。また、この中に書きます。しかし、不思議な迷信・俗信がありますね。