紙媒体の質感と質量。

 確かにWEBの進化は目覚しく目まぐるしい。一時は「ペーパレス時代」とまで定義されかけた程紙媒体の存在や価値がどうやらまわりまわってめぐりめぐって新しい価値観へと進化しているように思う(思いたいかもしれませんが・・・)。時代背景についてよくいろいろな事柄を「再認識」とするケースに限って前提となる仮説が緩い場合が多いと思う。確かに確かにWEBは独自の進化を遂げそのニーズたるや情報の流れや仕組み、情報そのものの価値すらもシフトチェンジしかねない、しつつある。チャンネルやベクトルという言葉で総称される方向性や拡張性や将来性といった認識はいったいどこへ向かうのだろうと思う。試行錯誤が繰り返されるたびに新しい価値観が生まれることは時代時代に起こってきたわけで、時代とは逆に「新しい価値観ありき」の積み重ねだとも言えかねない。が、40数年生きてきて、限られた時間で時代を知っていると思っているレベルでは到底、「時代」を語ることは難しい。知っているような御託を並べることは容易ですが、無知なことを知り精一杯時代とは?情報とは?媒体とは?と考えひとつひとつ自分のモノサシで答をカタチにしていくことにのみ意義があるとも考えている。
 さて、そこで「紙媒体の再認識」について。ある雑誌にこのようなコメント(キャッチコピー)が掲載されていました。「大学でデザインについて教えたりなんかしていても、生徒は「先生そういう苦労の話はいいからハウツーを教えてくれ」みたいな事を言うんですよ。「どうやったら~さんみたいにデザインができるんですか、とか。とりあえずどこ覚えといたらいいですかって」。本当にデザインを教えるとするならば、無駄をいっぱい経験して、無駄に対してすごくジレンマを持って、ある日それが解決できて前に行くしかないんですけどね。」ということでした。確かにうんうんうんとなる。学生の頃は同じことを考えていたようにも記憶しているのですが、デザインはノウハウではないということは頭で理解することはできても、デザイナーではないということが会得できないからでしょうね。
 また、ある書籍で「デザイン力」とは一言で何かと聞かれたら「総合力」だとしか表現できないというコメントが印象的でした。そりゃそうですよね。誰でもできたらデザインの価値も意味も理由もないから。時代に合わせてトレンドが流れているように、創出されて終焉してという繰り返しそのものが「デザイン」なのですから。イラストレーターというソフトが使えたらグラフィックデザイナーだと思っている人には決して聞こえない見えない言葉かもしれませんが、カタチになった段階でそれはデザインではないとも思います。では、紙媒体が再認識される事とデザインの関係も同じで進行形で流動的なその空気のような存在をどれだけ自分の中に取り込んで・・・という感覚を体感した方でないとデザインのお話が正確には成立しないんです。たかがグラフィックデザイン、されどグラフィックデザインなんですよね。
 ただ、人間の手の触感はもしかするとどの五感よりも心を動かす原因になっているのかもしれません。