DEATH NOTEへの考察。

 最初に第1巻のコミックスが書店に並んだ時、キレイな絵を見て衝動買いした一冊です。内容は面白い切り口だなぁ~と思って見ていたような記憶があります。とにかく絵がキレイだったので物語の特異性よりも絵で引き込まれた作品でした。が、テレビアニメになり映画になり、登場キャラが単独で映画になるという展開までに進化してしまいました。「L」のキャラで1本映画になってしまうのかぁ~!とただ驚いています。
 デスノートというプロットが最初はかなり無理があるなぁ~と思っていたのですが、適度な設定説明で物語がしっかりとリンクしているように思わせる仕掛けがまたしっかり噛みあっていました。でも、気になる部分も常にありながら見ていると、いやいや、この設定の緩い感じもまた楽しいのかな・・・と思えてきましたし、設定と伏線がガチガチで組み立てられても、きっと、楽しめないでしょうし。
 そこで、「キラ」と「エル」という相対する存在とその取り巻きとしのFBIや警視庁の存在が、非現実を上手くコントールされ、それらの登場人物がしっかりと個性を発揮させながら、人類愛とか家族愛とかが軸に流れている感じも好感度が高い作品でした。ただ、そこで、「正義と悪」の定義の部分でこの作品の原作者の方の考え方がいったいどちらに比重があり、実はどこへ向かってこの石を投げられたのかという疑問があります。実は、コミックスもアニメも映画もまだオチを見ていないのです。昨日のテレビでの映画の前編の放映も最後まで観たのですが、後編で完結すると言っていたのですが、どうしようかな・・・と思っています。ここまで広げた風呂敷が結局何を包んでいたかを知ることは簡単で、その中身を知った瞬間、広げるだけ広げた風呂敷が実はハンカチだったみたいな展開が非常に多いので、それを観ない知らない方が「DEATH NOTE」に対して興味を持ち続けられるのではないかという非常に捻じ曲がった感覚でこの作品を楽しんでいます。しかし、映画「L」の映画宣伝をチラリとTVCMで観たのですが、あれあれ「アウトブレイク!?」みたいな展開でした。あれれ、こうなってしまうのか?とちょっと寒くなり、コミックスでもテレビアニメでも映画でもオチを知らない者にしてみると、「結局、適当なオチに、納まる鞘に納まった」んじゃないかと少し心配しています。でも、どこかでいつかオチを知るはずなので、それはそれで楽しみにしています。風呂敷が大きければ大きいほど落としどころが難しいのは「タシカニ!!」なんですが、せめて、DEATH NOTEに殺された犯罪者の意味があるよなオチを期待するばかり。原作者は何からこのプロットを得たのでしょうね?正義のモノサシがちょっと特異ですから、日本のアニメが世界の注目を浴びてきた理由はいろいろあるでしょうけれど、やはり、設定やキャラクターの特異性がその大きな理由の一つのはず。それが生まれる国民性とその物語を楽しむという国民性がなければ決してビックヒットには進化しないはず。この情報が飽和している現代でDEATH NOTEのオチを知ろうとしない見ようとしないというこのおっさんもかなり特異なのかもしれませんが。「リアル鬼ごっこ」が映画になるのだからナニゴトモオシテシルベシ。