理解の理解か。

 「理解している。」という意味がなんとも実は難しい。それはデザインでもWEBサイトでも映画でもアートでも理解してもらうためになんらかの工夫をしているはずで、特に、商業用のツールになると、理解度ということは必ず意識しなければいけないし、理解できないツールに費用対効果を求めることはナンセンスだと考えるのはもっともである。しかし、まず、理解という壁にはいろいろなランクがある。また、デザインを作るという作業の中に創り手がこう理解してもらいたいと考え創るデザインと、こう感じてもらいたいと着想して創るデザインにおおきな溝が存在する場合が多い。
 まず、ある一定の標準的な「理解力」を想定してクリエイターはデザインを創るわけなのですが、この想定が甘く緩いと伝わる力が欠け、あまり想定が確定しすぎていると伝えたいことそのものの魅力付けという点で物足りない感じになる。このさじ加減が非常に難しい。まず、経験値や一般的な認識をベースに想定作業をすることがデザインや販売促進ツールの最初の作業になるが、意外とこの発火点が緩いと燃えがる炎は小さい。デザイナーの醍醐味は着火させるための方法と燃えがる炎とその後始末までに関わってこそ責任のあるクリエイトができているという事になり、部分的にろうそくにするのかガソリンにするのかプラスチックバクタンを使用するのかという段階では、デザイン作業というよりも、オペレイター作業になり、燃えている炎をいっしょに観賞しているレベルではクリエイターとは言えないように思います。花火の後始末のように、火が消えたあと水が入ったバケツの中の燃えカスを処分してお仕事完了だと思いますね。つけっぱなしや花火だけ用意して「あとはどうぞ」にならないように気をつけたいと思いながらいろいろな企画・デザインの作成に取り組んでいます。