そういう最終回なのか。

 歴史ある施設を売買するM&Aの波が「一升庵」に押し寄せて来た。古い文化が経営難でなくなっていくことをそのM&A会社の社長が「自然淘汰」だと言っていた。何がどうねじれればそんなふうに「自然淘汰」という言葉をチョイスでいるのだろうと思わせるような脚本である。多分、多くのM&Aを展開している企業の考えの中にはそんな大意も大志もないでしょう。しかし、失われようとしている歴史や文化にこだわることにもそれほど意味はない。つまり、是非でもなく正と悪でもなく、得でも損でもない。自然淘汰のモチーフとして「北極熊」をチョイスしていたが、いやいや、ホッキョクグマはそんなことは考えていないだろう(例え人間のような意識レベルがあったとしても。)と思いますね。天上天下唯我独尊ですよ。
 そんな時代の波に押し切られようとするおせんちゃんに対して、大女将が帰ってくる。そして、「一升庵」に放火しようとする。「これはただの建物だよ、「一升庵」はこれじゃないよ、「一升庵」はあんたのここの中にあるんだよ。」と。胸にこぶしをあてます。
 「一升庵」の料理にケチャップをつけて美味しいという子どもをどう見るのかは自由ですが、気がつかないうちに自然淘汰していくタイプはこのM&Aの社長のような人間像であり、その息子でしょうね。と、脚本家は言いたいのでしょうね。少なからず正解でしょう。淘汰は必然だと思えるか思えないかは心が感じることですが、体はどう反応するでしょう?私は生命が存続できればそれだけでいいという生活レベルがあるとすると、そこで何かを繋ぎたいと感じます。心が一人歩きを始めて長い道のりです。歩いているのは心か体かという疑問を「ブレードランナー/ファイナルカット」を見て考えたいと思います。心の意味を「ニキータ」を見て考えたい。体の意味を「ボーン・アルティメンタム」を見て考えたいですね。