2008年07月 アーカイブ

Patience

 Patience〈忍耐・根気・我慢・辛抱強さ/名詞〉。全英オープンの前に今田さんがインタビューでこの言葉を口にされてから、どうもこの「Patience」という言葉が気なっています。今田さんはタフなコンディションのリンクスのコースを指して「Patience」と表現しておられたのでしょうが、これは、目線を変えれば「自信があるぞ」という意味なんでしょう。結果、期待したのですが、今田さんは初戦ということもあり予選を通過されなかったのですが、上位のトッププロが定石どおり無難にパーをセーブしているところを果敢に攻めておられような印象を受けました。まぁ、無難にパーをセーブすると言っても世界のトップレベルの経験と技術があるから「セーブ」できるでしょうけれど。今田さんもアメリカ本土で1勝して意気揚々と乗り込んでこられたので、スコアはどうであれ、4日間のプレイを応援したかった。
 さて、そこで、「Patience」という言葉が何故気になるのかという背景を自分なりに整理してみようと思ったのですが、広告やWEBサイトやメディアへの情報発信と市場のニーズに対してどういうプランを構築するかという作業は対極すると能動的です。いかにリスクを押さえリターンを得るかというアクションがありきの前提です。その手法はこの世界に20年以上関わらせていただき、様々な時代の潮流があったと思います。新しい表現、新しい手法、新しい価値観をと次から次へと動き取り込むことで淀まないように常に進行形で活性化するということが当然の定石としてありました。そして、その感覚に疑う余地などなかったように思います。しかし、いろいろな意味で、ほんとにいろいろな意味で、この「Patience」という言葉が気になったということは、もしかして、これからの時代は「動く意味」よりも「動かない意味」の方が大切になりそうな気がするのです。山に篭り自給自足の暮らし、無人島でロバートのような3日間、何もこれらが「動かない意味」だとは思いませんが、「動かない」ことにも多くの理由があるように思います。それらの詳細はまだ分析できていませんが、一旦、歩を止めいつもより余裕を持ってひとつのことをじっくり構想するということで、世の中のスピードと意図的に時間差を作ることで、見えてくるモノがあるように思うのです。

PLUTO第6巻

 そうかそうか、そういう展開なのか。浦沢さんの解釈は大きい。大きすぎる解釈と絵の力がこれほどひとつの作品の中にこのような手法で1mmの隙もなく展開されると、読む側はただ共鳴したいという願いだけで胸が熱くなる。昨今、共鳴できる事象がことのほか少ない。思考において否定を先行させても生産的なパターンではないので、まず、飲み込むことに挑戦している。しかし、明らかに飲み込めない情報が氾濫しているように思います。でも、時代と共にありたいと願うので飲み込む訓練をしなければと思います。視点を変えると違ったシルエットが見えることもよくあるので、オブジェクトが見えにくければ自分の立ち位置を変えてみる勇気も失いたくない。そこに立って通り過ぎる万象を傍観するよりも、その中に紛れて会話し肩と肩をぶつけながら自分の方向を見つけたいですね。そんな気持ちになるPLUTOの第6巻でした。さて、次はそろそろ、ナルトの最新刊です。楽しみ楽しみ。

PLUTO第6巻!!!

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 ほぼ、8ヶ月待ちました。本日書店で発見。楽しみ楽しみ楽しみ・・・・・・。

PVJapan2008in東京ビックサイト

 「太陽光発電の川上から川下までを広範囲に網羅 環境問題への取り組みが進展する一方で、資源価格高騰を伴うエネルギー問題も深刻化している。そんな中で注目を集めているのが太陽光発電だ。日本初の太陽光発電総合イベント「PVJapan2008」が、東京・有明の東京ビックサイトで開催される。同業界の最新情報をつかむ好機だ。」ということで太陽光発電のボトムアップを狙ってのイベントなのでしょうね。オフィシャルサイトはこちらのようです。と、それを知ったのは昨日の日経新聞なのですが、その広告は日清紡という企業の広告ででした。あまり地球環境をテーマにした世界や日本の取り組みに対して肯定的ではないような印象がある養老猛司さんがその広告に登場しておられたからである。養老さんの書籍はほとんど読んでいるつもりですが、昆虫のお話や脳のお話は勿論のこと、他のいろいろな分野の方との対談はとても刺激的です。そして、環境問題についても数冊出しておられるのですが、そこで、現在日本の国レベルで取り組んでいる諸々にあまり肯定的なコメントを投げておられなかったような記憶があったので、この広告を見て、ああ、養老さんは太陽光発電にはもしかして肯定的なのか・・・と思ってしまいました。この日清紡の広告の担当者かこの企業の広告代理店のデレクターか、それは、誰かが養老さんをチョイスしたのでしょうけれど、う~ん、凄い起用だなぁ~と思ってしまいました。
 いつでも困った時、人間はやはり「太陽だのみ」なんですね。いろいろな意味で。

「知っている」の実態。

 誰でもインターネットを活用して情報をどこでもいつでも収集できる環境が凄まじいスピードで世の中に浸透し、「飽和している氾濫している」「次世代コミュニケーション」「ユビキタス社会到来」などと言われ続けて久しいのですが、確かに情報は氾濫しているし、情報の受発信も容易になったことには異論はありませんが、さて、適度にほどほどに最適にという「加減」のモノサシが少し狂っているようにも見えなくないですね。狂っているというとかなり乱暴な表現ですが、あふれる情報を制御できないのに集めてるだけで「知っている」は体感できても、さて、その本体(脳は人間は)はそれについてどう的確に反応しうようとしているかを俯瞰視できているのでしょうか。テーブルに全世界の料理を並べられて「おおっ!素晴らしい料理の数々だ、ルネッサ~ンス!」と咆哮するか、それとも、「ほんとに食べたい料理を手短にテーブルに並べてゆっくり味わいながら堪能するのかは、自由だぁ~~~!」と等身大の満足にこだわるのか。所詮、ひとりの人間が1日で10,000相手にメール交換はできないわけですから、等身大の活性化された情報を会得・体得する、身にしっかりつけるスキルだけあれば、時にフランス料理に、時にイタリアに、時に豪華な中華で舌を楽しませるのもいいかもしれませんが、頭がメタボになる前に、頭の代謝率を毎日計測するDSが開発・発売されないかな・・・。心技体と申しますが、実はデジタル文化は有機体の中で昇華されていることだけは決して忘れてはいけませんね。
 「知っている」の詳細をもう少し細かく認知していきたいものです。

ペキオリまであと10日。

 いろいろな複雑な前評判の多い北京オリンピックですが、すでに、大型液晶テレビもブルーレイも準備万端ですという方も多いのではないでしょうか。録画るぞみたいな。とにかく何がなんでも金メダルというベクトルはわからなくもないのですが、世界一って凄いことはなんの異論もありませんが、様々な競技で金を獲得される方のひとりひとりのドラマもさることながら、そのご家族や応援するその国の熱い思いを競技の合間合間にでもチラリと見えた瞬間にとてもオリンピックのリアリティーを感じてしまいます。彼ら彼女たちは自分の人生を競技に賭けることをどこかの段階で決意してこの大会に臨んでいるわけですが、それは決して本人だけで実現できたことではないはず。団体競技ならチームひとりひとりが一つの目標に向かって長年の苦労をその一瞬に結実させるために想像できないぐらいの練習と試練に立ち向かったこられた結果を、私たちが涼しい部屋でそれなり熱く観戦できるという幸福感にこそ、もっとも大きな動機付けを感じるわけです。家族に親戚に代表選手がいたら、今頃、北京行きの準備をしているはずですから。また、国際情勢も少なからず反映されてしまうオリンピックですが、テロ的な悲劇や国家間の淀んだ濁った利権争いのようなくだらない絵が競技の前後に見えないようにだけはしてほしいものです。
 個人的にやはり注目するのはいつも短距離です。4年の、いや、それ以上の試練の結果がほんの数秒に凝縮される100m走はやはりオリンピックの醍醐味だと思うのです。野球やサッカーやバレーボールはとにかく頑張ってほしい(って頑張ったから皆様そこにいるので、頑張れ!などとは言う筋合いではないのですが・・・)と思います。
 大型画面もブルーレイもないですが、100m走だけはリアルタイムで観るぞ!!!

ルーキーズ最終回。

 最初はそれほど興味がなかった「ルーキーズ」。市原隼人さんが出ているということぐらいが気になっていた程度で、またまた、野球を題材に展開される学園ドラマなんだろうなぁ~という緩い印象だったのですが、だったのですが、3回目だか4回目をチラリとテレビで観た時から、どうも自分の中の野球バカな部分が反応してしまって、最終回まで高いモチベーションで見てしまった。というより、テレビの中のルーキーズを応援してしまいました。最近はプロ野球も観ないですし、大リーグもそれほど観ないのに、なぜ、ルーキーズにこれほど見入ってしまったのか。ベタなんですが、いいんですねぇ~、青春と野球という関係が。プロ野球にはない何かが学生時代の野球の中にはあるように思えて、その何かが野球バカの心をくすぐるようです。思いのほか、全開でくすぐられ、次のテレビや映画化決定をどこかで期待しながらの最終回なのでした。臭いんだけどなぁ~、野球には何かが言葉にできない魅力がありますね。

富士山かぁ~。

 一度は自分の足で富士山の頂上に登ってみたいとは思っていました。が、そうそう、そんなタイミングも訪れることなく、富士山とは新幹線から見るだけの存在でした。しかし、ひょんなことから、もしかして、富士山に登るかもしれない・・・という気持ちが湧き上がりました。まったくの瓢箪から出てきた駒のような気持ちの断片をつないでつないで、その日、私たちは富士山の頂きに立つかもしれない。そう考えただけで何か興奮してくるのは私だけだろうか・・・。最近、はまりにはまっている「岳」というマンガに富士山の頂きが描いてあった。慣れている人でも酸素ボンベを持参で決死の登山であるということは充分に理解している。そして、「富士山に登ろう!」というこんなサイトもあり、それを、ウキウキワクワクしながら登ろうとしている44歳のおっさん。目的は頂きに立つといういたってシンプルな目標の他に、できればできれば、頂上でキャッチボールをするという、まさかの若手芸人の罰ゲームのようなこの構想は、普通に考えればいたってオモロ~!な無謀なプランである。体力はあるのか?と自問自答が始まった。しかし、頂きに登り、頂きでキャッチボールをする。う~ん、素敵ではないか。

iPhoneには・・・。

 まず、どう考えても私自身は「iPhone」には興味がない。考えるまでもなく感覚として世の中がどうなっていようが「必要なし」と感じてしまったので、例え、それが道に落ちていても拾わんでしょう。と同じような存在で「カーナビ」にも心の針はピクリとも動きませんでした。そもそも、車をステイタスと捉えたことがないので、当然、その中に付随している機器に興味が沸くはずもなく、「どうしてカーナビつけないの?」と言われるのですが、便利だとは思いますが、まず、カーナビがどうしても必要不可欠なシチュエイションって想像つかないのです。さらに、運転中に見ながらって、仮に音声でナビするからと言っても、なんか売り手のシドロモドロな感じがお腹いっぱい。それに運転中は危ない。
 と話がそれましたが、「iPhone」を持つというステイタスに金を出しているだけと言ってしまえば、同じようなことはどこかでやっているのかもしれませんが、天性、天邪鬼な私はどうも「他人の便利」の裏ばかり考えすぎて結果アナログギアしか信用できない・・・みたいな方向性にたどり着いたようです。とはいえ、デジタル機器なしで仕事はできないので、道具としてのデジタルとアナルグの「使い勝手」だけをこれからも判断材料として模索し続けるのかなぁ~と、改めて「iPhone」ブームを傍観しながらそんなことを考えています。もう、フィルムカメラには戻れませんものねぇ~。

なぜデザインなのか。

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 そのタイトルが全てを語っているように思えた。そして、手にとりインデックスに目を落とす。そして数秒で購入決定。本との出合いは人との出逢いにとても似ている。つまり、相手は書籍なのに文字の裏に著者の声が聞こえ、こちらも何か声に出して語りたくなってしまう。間違いなくいい書籍だろう。読む前にそれが分かるとは言葉にするとなんとなく傲慢な言い草のようですが、この書籍はそう表現してもおつりがくる内容だろう。

パストーン・フラワー・アレンジメント

 人生のいろいろな場面で、暮らしのいろいろな場面で、メモリアルな瞬間にいつもいつもお花の存在があったように思います。入学・卒業・イベント・記念日などなど。人は誰かを祝福したり嬉しい気持ちを花に置き換えて、お花にメッセージを込めて送る時、その熱い心や感謝の気持ちのボリュームをお花に込めるのでしょう。花束や鉢植えなどのフラワーアレンジを頂き悲しい気持ちなる人はいないでしょうし、メッセージカードが花束などに添えてあると、より、その言葉やメッセージが色鮮やかに輝きを放つように思います。人生の場面で、それほど、花束やお花を誰かに頂いたという回数の少ない私でさえ、その場面場面でのメモリアルなシーンでの花は記憶している。結婚式の時に頂いた花束も捨てられずドライフラワーにして部屋に飾ってあります。そんな花との出逢いを演出するお店が五十嵐淳子さんが経営しておられる原宿のお店「パストーン」なのです。一度、情報紙S.O.S.の取材で原宿に伺った際、ざわざわとした原宿の駅前とは少し離れた落ち着いた雰囲気にそのお店はあり、思わず「素敵やねぇ~」と声に出てしまいました。1階がお花屋さん、2階がカフェ、そして、3階がフラワースクールです。「花屋の店先に並んだ~いろんな花を見ていた~」そんな歌が思わず口から飛び出してきそうなパストーンさんなのです。

パストーン公式WEBサイト

差別化のコツ。

 WEBサイトのトップページデザインを構想する時のコツというか気をつけていることはWEB関連の雑誌や専門書を見ないことです。そして、期待して無作為にグーグルなどでどこかにいいデザインのWEBサイトはないものだろうか・・・、面白い仕組みの素敵なナビゲーションを構築しているWEBサイトがヒットしないだろうかと手を変え品を変えてキーワードやリンクスなどで検索をするのですが、あまりも膨大なその数に圧倒される上、どれもこれも、同じトップページに見えてしまう結果になりがち。粘って粘って、もしかしたら、このクリックでピカイチなWEBサイトがヒットするかもしれないと期待しても、「あ~あ、こうなるか・・・」みたいな。キーワードがそこそこ的を得て、その紹介文もいいことを短い文章で書いてある。だから、ここはもしかしてとクリック。しかし、逆に腰が抜けてしまうようなWEBサイトがヒットする。「これはどのように思考してどのような技術を活用してどのような考えをすればこれになるのか???」と、暑さにバテているせいだろうか、声に出てしまう。「寒い」と。それほど、いろいろな価値観が飽和しているのでしょう。
 テンプレートありきのデザインを決して否定しませんし、プログラムがスタイルシートを適用させて創るデザインにはWEBサイトらしい空気感が感じられるので、それはそれでありだと思いますが、それ単体ならいいですが、本来、デザインを考えるというスタートラインではまず「差別化」することが最も重要だと信じているので、ここと同じ仕組みでちょっとアレンジを変えて・・・みたいなノリだけには出来る限り距離を置きたいと思っています。とはいえ、独自性をカタチにすることの難しさは時間的にも精神的にもかなりの負荷であることは否めません。しかし、いくつかコツさえ踏んでいれば、考え方の中である種、鈍感になれれば、簡単な場合もあります。でも、ああだのこうだのと考えることそのものを考える癖が染み付いている人には、理論とか方程式とか公式を捨てることは難しい。なかなかいろんなモノを捨てるのは何においても勇気が要りますね。捨てられないものばかりが身の回りに残って、いつの間にかそれが自分自身の実態になってしまう。これが重い。いつでもハダカになれる人でありたいです。

涼しい風吹いていました。

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 なんとも素敵な風景でした。涼しい渓流を渡る風が心地良い良い。

暑中お見舞い#002

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 お仕事でとある山の中へ。市内を抜けて30分ほど愛車で走るとこんな素敵な渓流の風景が見えました。市内から比べると暑さもかなり和らいでいました。余裕があれば川原まで降りて一服したいところです。

ハプニングハプニング。

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 2008オリジナルカレンダーの7月の原画は映画「レディー・イン・ザ・ウォーター」のワンシーンです。不思議なお話でしたが、シャマランのテイストが随所にちりばめられながら、原作の切り口もグゥ~でしたし、テーマや設定もとても良かった良かったということで印象的な映画作品でした。で、現在公開中の「ハプニング」も「人類は滅びたいのか・・・」みたいな結構大きなテーマに取り組んでおられます。たぶん、日本国内での興行成績は低いでしょうね。

長浜力研究所構想。

 全国、全世界にはそれぞれの市や街単位でそれぞれの歴史や文化をベースに「街づくり」や「地域教育」などの運動や事業を展開するコミュニティーが存在している。その規模は巨大なモノもあれば、小規模な団体もある。いろいろな季節にいろいろなコンセプトを構築して展開・継続される事業・イベントが歳月を重ねる毎に定着し、それ自体の価値観がさらに大きな渦となり、活性化や安らぎや期待感を創出し始める。それ自体はたくさんの関係者の皆様がひとりひとりの想いや願いを共有する目的でスタートしている。
 共有が共有を生む過程で初志が色褪せないようにしなければいけない。しかし、規模やボリュームを維持することが難しい時代です。手法が目的にならぬよう、何がはじまりで何がゴールなのかをその都度少しだけ立ち止まり確認することも共有するためにも、固定化しない概念の集まる場所があればいいと思います。ピースを集めて大きな絵を組み立てることも、集まったピースをバラバラにすることもそれほど難しいことではありません。何故組み立てているのか、何故一旦バラすのか、その理由や背景を共有できていれば、それは、とても生産的な概念として意味があると思います。
 意識の中に偏在する概念には常に先入観や別の価値観が入り乱れ「迷い」が生まれます。時にその「迷い」も必要だと言えるほどその入れ物が成長した時、それを傍観する人、その中に入りたいと感じる人、そして、その中で軸を支える人、それぞれが、何かを共有するきっかけとして長浜力研究所が存在すればいいなぁ~と思うのです。

長浜力研究所公式WEBサイト

QUESTION#003

 夏休が始まりました。ここ数年近くの神社でのラジオ体操にはほぼ100%の参加をしているのですが、暑くなる前、神社で身体を動かして暑い夏、夏バテを吹き飛ばす基礎体力を維持しようという目的です。子どもの頃を思い出して半分寝てる頭でラジオの声のままに身体を動かしていた初めの段階を経て、夏休みはここ数年日課になり、午前6時には目が覚めるようになりました。何をするにも体力がなければ始まりませんから、このまま、子どもたちといしょに皆勤を狙いたいものです。

 とそこで、問題です。本日のラジオ体操のラジオの中の会場です。いつも、全国のどこかの小学校とかグラウンドに集まってラジオ体操の放送が収録されているのですが、今日はその場所はどこだったでしょうか?これはかなりDEEPな質問です。いろいろな意味で。

QUESTION#002

 さてさて、クイズ第2弾です。映画「崖の上のポニョ」でリサが乗っている軽自動車のナンバープレートのナンバーの番号は?

 宮崎ワールド全開!!!!!!!!!映画を観たことが素敵な思い出になる数少ない貴重なひとときでしたね。ポニョはとてもとても可愛かったです。

MIHOKO'S NEW BIKE.

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 ということでMIHOKOさんの新しいバイクの写真です。元気で快活でパワフルなMIHOKOさんにピッタリのギアです。「KHUZさんはバイクに乗りますか?」とメールを頂いたのですが、「バイクは免許がないので、もっぱらファンカーゴです。」と返信しておきました。.N.Y.も今、夏ですから、こんなバイクで山や海沿いを走ったら、そりゃ気持ちいいでしょうね。またまた、何かでコラボりましょう!!!ほんとに元気な女性です。

MIHOKOさんWEBサイト

MIHOKO WORKS

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 情報紙S.O.S.でお世話になっているN.Y.在住のMIHOKOさんからホットなアートワークが到着しました。こちらのアートワークはスイスのご友人の会社のお仕事らしいです。素敵な絵です。「絵画」「イラストレーション」という全世界共通言語のチカラをこうして長浜に暮らしていながら、N.Y.で活躍しておられる方と情報交換させていただいているとリアルに実感できます。「絵」と「デザイン」の関係性を日本的に捉えると堅苦しい言い訳的な定義ばかり浮かんできますが、語らないけど語るよ!みたいなコミュニケーションが素敵だなぁ~と思います。やはり、こうして向こうから何かを投げられたらこちらからも何か投げたいと思いますので、2球ほど投げておきました。

MIHOKOさんWEBサイト

QUESTION#001

 さてさていつものカテゴリーではブログも退屈してくるので、今日、ふと浮かんだカテゴリーをしばらくはさんでいきたいと思います。それは、「ハイブロークイズ」という名称にしました。何がハイブローなのかイマイチ固まってはいませんが、気分がのってまいりましたのでのダイタヒカル的に無作為に思いついたQUESTIONで新しいブログのネタを創っていきたいと思います。「な~~~んや!そんなの知ってる知ってるでぇ~!」というこでしたら、軽快に回答をください。「ええっ!なんのこと?それ知ってるからどうよ?」みたいなテンションの質問だったらスルーしてください。と風呂敷を広げかけてみたものの、そうそう、広く浅い知識に恵まれているわけでもありませんし、見聞も広いとも言えませんので、非常に片寄った小さい世界観の中のクイズが続くと思いますが、まぁ、そこは読み物としてお付き合いください。

 では、第1問!
 マット・デイモン主演の映画「ボーン・シリーズ3部作」より。第1作目の「アイデンティティー」では、突然の刺客との組み合いの中で、ボールペンで四肢の間接の腱をつき動きを封じます。そして、第2作目の「スプレマシー」では刺客に対して雑誌を丸めて武器として活用します。さて、第3作目の「アルティメイタム」では、ボーンはどのようなモノを武器にして刺客と戦うでしょう?

 余談ですが、特殊効果もやりすぎは幻滅してしまう。マトリックスは世界観が違うから成立レベルが高いが、宇宙モノやヒーローモノでのビーム光線は寒い。最近のアニメでも、呪いや魔術や最新科学か何か意味不明な戦いは正直寒い。その技の背景を100%納得して戦いを完結してほしいとは言いませんが、緩い設定の特殊な武器や戦術の戦いはいくら童心モードで観戦していても寒い。それに比べて「ライダーキック」や「スペシウム光線」は情緒があったように思うのですが、GやDは緩くて緩くて寒い寒い。

リンクスはヘビーです。

 今田さんにとてつもなく大きな期待をして昨晩は11時からテレビの前で応援をしていたのですが、う~ん、トップが-2って、やはり全英は凄まじい。世界のトップレベルが集まりに集まっているのに、ボギーとかダボのシーンがところどころではさまれる。これは強烈です。海風による気温の低下や風のうねりなどはテレビでは実感しにくいので、なんで、こんなトップレベルのプロが厳しい展開を余儀なくされるのかが伝わってきにくい。しかし、実際、どこのホールでいいからティーグラウンドに立たされて、さぁ、ティーショットを打ちなさいと言われたら、「ごめんなさい」ってことになるのでしょう。日本は山岳コースが多いから(なんて凄くレベルの高い視点での物言いですが、実際は山でも海でも同じ)、距離感が合わせ易いのですが、河川敷や海浜コースに行くとフラットで距離感が合わず、平地は風に翻弄されまくる。その世界一がたぶんこのコースなんだろうから、あの今田さんが簡単にボギーを打ってしまうわけです。しかし、2日目。強烈なアンダースコアは期待できなものの、やはり、決勝ラウンドも今田さんを応援したいので、今晩も眠くなるまで応援する所存です。頑張ってほしい~~~!!!!!

今夜11時から釘付け。

 今晩11時から全英オープンが放送です。午前4時までの放送ですが、明日も仕事がありますので、どこまでおつきあいできるか不明ですが、ですが、ですが、ガルシアと同組でスタートする今田竜二さんの戦いぶりいかんでは、多分、午前4時までテレビの前でしょう。今から快挙・金字塔・メモリアルな4日間を期待してやまないゴルフファンがひとり。
 しかしながら、ウッズの欠場で断然ガルシアとエルスの前評判が高まっています。しかし、そこはなんとか今田さんに今田さんのモードに入って頂きたいと願うばかりでございます。楽しみ楽しみ。ついでに青木さんワールドなコメントも楽しみです。

暑中お見舞い#001

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 今日は朝からハコダテヤマへ。帰りに湖岸に車を停めて撮影した本日の奥琵琶湖です。関西は梅雨が明けてもう昨日から夏本番の暑さ。琵琶湖の湖畔には涼しい風が吹いていました。

最高!イモトアヤコ。

 お笑いブームはたくさんの実力者や一発屋を輩出した。そして、その中の誰かが今後のメディアを少なからず牽引していくのでしょう。テレビ的には、MCとの歯切れのいい、ノリのいい個性的なコメント力があればどんな番組にも重宝がられる。ああ、この方はその路線を目指しておられるんだろうなぁ~という見方になってしまうコンビやピンさんが非常に多いように思う。とてつもなく低いギャラでこきつかわれているという新人のイメージも逆にピラミッドの上部の方を支えているというタテの繋がり感みたいなものを感じ、お笑いの業界もタテとヨコの糸が微妙に絡み合いながら、芸能界って成立しているんだろうなぁ~と思う。売れると面白いの関係は多様ですが、どれだけネタ的にクオリティーが高くとも、コメントや切り替えしのクオリティーが低いとイッキに高感度・期待度が下がる。それは、これだけの密度のお笑いムーブメントだから、よほどのことがない限り次に期待はしなくなる。これは、出演者を決めているプロデューサーの皆様も判断しておられるのではないでしょうか。勿論、事務所の力関係もあるでしょうし、縦の糸の中で芸能界の誰と親しくしているかなどの人的ネットワークも重要なんでしょう。これは、ふと考えるとお笑いブームの渦中のタレントさんだけの話ではなく、一般社会の様々な場面で同じことが言え、あてはまるテンプレートのように思うのです。そういう意味ですべてがテンプレートの中で小さくまとまっているべきなんだと、それが、目先の安心安心なんだと。しかし、イモトさんは違う。だって、あの場面であの条件下でバナナを食べて虫歯が抜けるんですから!これは、ここ数年、テレビを観ていて最高の出来事でしたね。お笑いブームとか関係なしに、あの映像をリアルタイムで観れたことに最も高い価値を感じました。あれはお笑いではない何かもっとレアでディープでスペシャルでワンダフルな神様がイモトさんに降りてきた瞬間でした。

今田竜二さん、応援しています。

 明日から全英オープン。ウッズ不在の中、エルスやガルシアが優勝候補ということですが、密かに密かに今田竜二さんがもしかして・・・という期待をしています。そんなに簡単に全英オープンでの優勝という栄冠は日本に来ることはないとはつくづく過去の結果から認識しているのですが、やはり、誰かがそれをやってくださる日は来ると信じています。絶頂期の丸山茂樹さんがエルスと最終日、最終組でバトルした時のことは忘れられません。雨と強い風の中、スターティングホールのパー4でラフからのセカンドをオンしてバーディースタートされたとき、もしやがまさかになりました。世界屈指の最強メンバーが集まる大会ですから、いくら、最近アメリカ本土で優勝され好調だとは言え、全英の優勝と結びつけるのはかなりファンとしては強引な思い込みなのかもしれませんが、今年の今田竜二さんなら・・・と期待は膨らんでいます。しかし、日本の新聞やメディアは今田竜二さんをあまり取上げないですねぇ~。何故でしょう?ずっとアメリカの下位のトーナメントから登ってこられたからかな?現在、アメリカの賞金ランキング9位ですよ、もっと、メディアに取上げられてもいいのにと思いますが、反面、メジャーでの栄冠を奪取されるまでそっとしておいてほしいとも思います。

OSAKA CITY!

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 大阪に暮らし、大阪の街を出て、そして、大阪の街に来る度に思う。ほこりっぽいなぁ~と。

創設者の意思。

 サーゲイ・ブリンとラリー・ペイジはgoogleの創設者である。その意思は10年間で地球を半分飲み込もうとしている。すべてのタイミングがすべてのベクトルが「共有する」というキーワードでひとつの方向に向かった時、「多様性」さえも飲み込み、「企業の在り方」さえ震撼し体感するユーザーを凌駕する。情報の本質に触れることとは・・・と考えを巡らせようとする時、googleはタイムマシンになる。それをひとつひとつ紐解くことをここで語るより、いかに軸をひとつにしてチェーンリアクションを派生させ続けることが価値があるかについて考え動き創る事のほうが、この二人の創設者へのリスペクトになるのではないだろうかと思う。昨日はそんな素敵な2時間でしたね。

何書いたっけ?

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 技術評論社というところから封書が届いた。「貴殿の投稿を、下記雑誌に採用させていただきました。謝礼として~」ということで¥1,000の図書券到着。え~と、何を書いたっけ?これも雑誌を買う動機づけになるかもしません。どこかでそれらしい記事を読んだらご指導とご鞭撻をお願いします。
 さて、ブログ時代ですが、「更新が簡単」「画像もメディア各種もアップロード」「プログラムベースでデザインもラクラク」ということは誰でも理解できる。たかがブログ、されどブログ。ブログを始めたいのですが、文章が苦手で・・・って、空を飛びたいのですが翼が・・・みたいな感じ。この場合の文章とはいったいどのレベルを指しているのだろう。「ネタがなかなか見つからなくって・・・。」という方はネタがないのではなく「ブログのネタとはこうあるべきだみたいなハードルが高い」場合が多い。そんな書籍を出すわけでもなく、自叙伝を執筆する、雑誌のコラムを連載するというハードルを思い描くとそりゃハードルは棒高飛びでも超えられないぐらいに高くなる。一般的に新聞を読み、自分の好きなジャンルの雑誌や書籍に日々親しんでいれば、文章などどうにでもなる。小学生の言語能力が落ちてる落ちていないの話ですが、それを先生が言ってちゃダメダメ。貴方達を見て子どもたちはコミュニケーション能力を養っているんですよ。そして、「うちの子の会話能力は低くってどんな塾に行けば・・・」ってお父さんお母さん、まず、塾に行くのは子どもたちではなく・・・みたいな流れ。
 で、WEBSITREXPERTに投稿って何を書いたっけ?たぶん、何か書いたのでしょうね。覚えていない。ということは、またまた、書店でチェックしなければいけない最新号が一冊増えたということなのです。
 ブログの文章って教科書がないからフォーマットがないからルールがないから難しいんですかね。教科書もフォーマットもルールも自分で作るのが面白いのに。でも、それらの人智ってすでにどこにでも偏在しているんですよね。それがサインって奴ですよね。

えだまめえだまめ。

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 えだまめの種を植えた月曜日、いきなり火曜日に土が盛り上がり、水曜日には黄色い双葉が。金曜日には双葉の間から次の葉が出てきた。そして、本日、さらにそれがこんな状態になりました。種を土に植えて6日目。う~ん、ワンダフォ~!

ROOKIES (ルーキーズ)か・・・。

 子どもの頃はボールとバットがあれば友達であつまって暗くなるまで野球をしていた。たぶん、野球がモチーフのテレビ番組やマンガはほとんど観ているだろうし読んでいるだろう。Jリーグやワールドカップで世の中が盛り上がっていても、サッカーの試合に心は入っていかない。では、ゴルフはどうだろう。27歳でお仕事関係でクラブを買ってのめり込んだが、さりとて、野球と比べるとやはり気持ちの温度は低い。自分にって「野球」とは、スポーツ競技以上の何かなのである。陸上も太ももの筋肉がパンクするまでは、どれだけ練習しても楽しかった。競技性の高い、いわゆるテクニックや技術を求められる競技は開花した記憶がない。つまり何事についてもセンスがないのである。そもそもセンスのある奴と勝負してセンスのない奴が勝つためにはもう「努力」しかない。そう思っていたから、興味を持ち心が向いた競技は「野球」と「短距離走」だけでした。武道にも興味があったのですが、多分、武道の精神という枠の中にいる自分が嫌になるだろうと選択肢にさえ入らなかった。つまり、自分のベクトルが向いた視野にはいってきた「野球」という存在。これは、とてもブログで語ることはできませんが、そんな特別の感情を抱いている野球だから、ROOKIES (ルーキーズ)のように暴力と関連づけられることに最悪の嫌悪感を感じていた。「なぜ、この連中は野球をしているんだ!」と。「絶対に観るものか!」と力んでみたが、フィールドでボールを追う。気合を入れてバッターボックスに入る。泥だらけになってのヘッド。もう、ダメでした。たぶん、このメンバーが「辛抱」と「努力」を重ね「感動」を手に入れるのでしょうけれど、それは、それオキマリオヤクソクということで、モチーフが「野球」である以上、テンションは上がる上がる。
 コミックスの第1巻にまで手を伸ばそうとしている始末・・・。

佳矢乃作品展7.24~7.29

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 いつもいつも情報紙S.O.S.でお世話になっている和歌山在住の佳矢乃さんの作品展が7月24日から29日、大阪市西区のART HOUSEさんで開催されます。詳しくはこちらをご覧ください。
 お送りいただいたDMのメッセージには「女の子はママのコーヒーをちょっと飲んでみたいのです。でも、まだミルクしか飲めません。早く大きくなりたいけど、今はまだ、このミルクの味が大好きなのです。「あなたはどんな女の子でしたか?」~」と、女の子でない私がドキドキワクワクするようなメッセージが書かれておりました。自分の子どもの頃かぁ~!みたいなこのイラストレーションを見せていただき、そんなことを回想してしまう。佳矢乃さんのイラストの魅力なんてとてもとてもひとことふたことでは決して語れないのですが、「女性のぬくもり」「女性の暖かさ」というキーワードが結構てれながら頭に浮かぶわけです。つまり、ART HOUSEさんの2回のギャラリーにはそれが充満していそうなのです。お近くの方はぜひ。遠くの方もぜひ、って、「お前も来いよ」って感じです。いえいえ、私はこのハガキを見てるだけ・・・って、緩いノリツッコミでした。

早っ!

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 カボチャが最悪の結果になってしまったので、見切りをつけて下の写真のように今年はあきらめました。非常に残念。しかし、何かこの植木鉢で植えて育てることができないものかと、探しに探しました。それは、早くて丈夫でたくさん実のなる「えだまめ」。70日で収穫できるということ。やはり、いきなりカボチャなどに挑戦したことがハードルが高すぎたのか・・・。と反省しながら月曜日に種を植えた。すると!昨日芽が出た。そして、すでに双葉が緑色になっている。早っ!植えられるスペースにところ狭しと植えたので、芽が出て育ち始めた段階で半分ぐらに他の場所に植え替えをする必要があるんでしょうね。でも、ずっと、元気のないカボチャを毎朝見てて、昨日、「えだまめ」の芽がチロリと出ているのを発見して元気になったような気がします。頑張ってくれぇ~~~!と願うばかり。

悲しい結末。

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 頑張って飢え鉢を増やしたのに、頑張って肥料をやったのに、頑張って棒を組んだのに、何故だろう?見る見る枯れていく3本のカボチャ君。実らしいものが大きくなりかけたのに・・・。収穫まで育て上げることができなかった。う~ん、残念。植物は植えたら育つというものではないことがよくよく理解できました。なんとも寂しい気持ちです。中途半端な知識で苗を植えてしまった浅い知恵が情けない。悲しい結末です。来年はちゃんと環境を整えてチャレンジしたい。

最後は人ヂカラ。

 最近創ったアクトのミニミニリーフレットの中にも書かせていただいたのですが、デジタルツールの進化、専門ソフトウエアの安価化、デバイスの普及などなど、ほんとに目まぐるしい、ギアやソフトウエアの進歩は何かのCMではないが「貴方もプロの技を使いこなせる!」みたいな錯覚に引き込んでくれる。とは言えこの仕事(デザインと広告は20年以上、WEBサイトは10年そこそこ)を20年以上しているからと言っておこがましくも自分自身がプロというレベルで何かをしているとは思ったことがない。ただ、何に取り組むにも自分のポテンシャルと向き合い、自分のキャパを越えるような物件ならネットワークの仲間にサポートをお願いして仕事に誠意に取り組んできた20年に過ぎない。けっして、自分の看板を磨くことやその看板をできるだけ高いところに翳すようなことは絶対に避けてきた。それがプロだと思う方もいるからそれはそれ予定調和でそれでいい。あらゆる構造には不変で不可解な物理定数が含まれているから。
 で、ミニミニパンフに何を書いたかと申しますと「売れるデザインとは・・・?」みたいな切り口で、売れるデザインを創るためには、プロフェッショナルからの言葉をただお客様が聞き、言うとおりにしているだけではダメだと思うと書いています。プロが100しゃべったら、お客様は101しゃべってほしいと思う的なことを書いています。すると、プロは102目を考える。そして、レールはどこにでもあり、売るためのレールを創ることはそれほど難しいことではない。しかし、すでにあるレールに乗せて商品を売ろうとするのか、新しいレールを敷きその上に乗せて商品を売ろうとするかは、プロにも最後の最後で分からない。分かるはずはないのですから。だから、一生懸命、プロも考えているんですよと書いている。
 プロだから売れるデザインの引き出しがたくさんあるでしょう?と言われてても、引き出しはマトリックスの中のM-16の倉庫よりたくさんありますが、そこには「売れる元」は入っていません。そこに並べてあるのは、電球を発明するためにエジソンの膨大な失敗作のようなものが並べてあるだけで、それはたったひとつの成功へ導くための膨大なる失敗作品。言わばプロである条件、より、高いレベルでのプロフェッショナルになるための条件があるとすれば、成功事例の数よりも失敗事例の数をどれだけ自分の引き出しに持っていられるか・・・ではないでしょうか。これは、さすがにデジタルツールには荷が重い。

おにぎりの朝食。

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 長浜市内の観光・ビジネスホテル「グリーンホテルYes長浜」様で今週月曜日より朝食サービスにおにぎりと焼きたてパンを出しておられます。早速!?ご賞味ではなく、打ち合わせの際にモノホンをパチリ。ぴかぴかの銀シャリおにぎりと焼きたてパンの香ばしい香りがカフェに漂っていました。その隣に設置された「6種類のこだわりおにぎりの友」もまたこれがなんとも美味しいそうでした。他に旬の具材を使ったお味噌汁やホテル直営店のイチオシ料理(個人的に!?)「中嶋料理長のこだわりだしまき」も売り切り御免で置いてありました。朝から銀シャリおにぎりはちょっとたまりません。

何故?絵なのか。

 目的があり手法がある、しかし、絵が見えないという状況。これはいろいろなケースがあるので、特に限定してこれだっって絞り込むことが難しい。例えば、個展をしたいとある画家が思う。その理由は認知されたいという目的のためでもあり、自分は絵を描くことが好きでいつも絵画に接しているケースが多くその手法・手段を持っているという自身が少なからずあるからである。しかし、それだけの理由で個展をするとどうなるか・・・、そういう個展をよく見かけるし、なんとなくそういう匂いがプンプンする時、できるだけ思考の中から排除するようにしている。それは単純に好き嫌いかもしれないが、好き嫌いにもルールがあるわけですから、好き嫌いを軽んじてはいけない。やもすると世の中のほとんどのチョイスが好き嫌いで下された判断の集積かもしれないからである。
 100人の人間がいて、100人すべてに「好き」と言わせる絵は絶対に描けないことを絵を描く人は知っている。知っているというかそれが世の中のルールだと学ぶ機会を経てそうなるからである。この場合、好きと嫌いをベースに存在する世の中のルールとは何だろう?多くの賢者が集まりそれぞれの経験値を持ち寄りそのルールに対して一番いい結論を出すために集まったとする。しかし、左の脳では見えていても、右の脳でそれが見えない場合もある。勿論、その逆もあるのですが。その場合、左と右などと強引に分かったようなことを言ってはいるが、それも実証する術は人間にはなく、なんとなく、それこそ世の中のルールで左脳で考えてだめなら、たぶん、右脳の中に答はあるだろう・・・的な挑戦に過ぎない。左脳は文字で右脳は絵的な発想だと知識では知っているが、それは本当だろうか?たぶん、それは人間である以上、永遠に不明であるはずであり、突き止めた段階でたぶん左脳でも右脳でもどちらでもいいや!ってことになるはずである。
 そこで、文章表現的な着想パターンと絵画的な着想パターンの間にある違いだけにフォーカスすると、双方の特長が見えてくるように思います。つまり、見えたのです。ではなく、見えてくるように思いますですから、これもかなり緩い仮説である。しかし、緩くて何が悪いというひらきなおりは生産的ではないとは言い切れない。緩いテーマをいろいろな角度から眺めてその中にサインを見つけることができれば、それはそれで、前進できるように思います。だから、絵を描くということが生産的だと思える理由なんでしょうね。つまり、目の前のサインに対して肯定と否定を繰り返していると、そのどこかで、何かが生まれることがある。これが絵のような気がします。つまり、そういう個展をしたいと考えれば考えるほど、感じる力がしぼんでいくのです。個展はそういう意味で私には難しい存在なのです。絵は好きなのだけれど・・・。

議論の行方。

 本屋に行くとよく「あなたのWEBサイトのダメな理由は・・・」とか「これで売り上げX倍間違いなし!」とかいろいろなキャッチコピーに彩られた書籍や雑誌が目に入る。そして、チラミでどれどれというところまでは充分にその書籍や雑誌を手にとるという動機付けになる。しかし、書店で書籍を見つけて、もしくは、広告でその書籍を知り、WEBサイトで購入できるという段階になって、はたして、次の検討の段階になる「買うのか買わぬのか?」という選択をクリアするためにはどのような障壁があるのだろう。例えば前述しているようにに「ダメな理由」や「売り上げ倍増計画」というキーワードで興味を抱いても、そのほとんどがシリキレトンボ状態で、意味不明の主観の嵐であったり、「それはナイナイ」ってことになる場合がほとんど。さらに著名な方の書籍で、この人なら確かなことを言っているだろうと踏んでチラミしてみても、なかなか期待に応えてくれる書籍や雑誌は少ない。しかも、「コレは間違いなく買いだ!」と判断できる書籍はそう多くない。ダメな理由が相対的なのか絶対的なのかは別として、あまりにも、著者の経験から判断をくだされた主観の嵐にはお金を出す気持ちはないし、これで売り上げがX倍になるなら、今の日本はないはずである。以前は「勝ち組」「負け組」なんてキーワードがよく使われていたが、そのキーワードも旬を過ぎたのかあまり目にしなくなった。やっと、ユーザーが勝ちや負けに本当は興味がないことにやっと本を作る人、書く人が気づいたのか・・・。
 ということで、前置きが長くなってしまったのですが、あるひとつのテーマで議論する時に、皆さんは何を大切にしていますか?個性ですか?分析力ですか?洞察力ですか?知識と経験値ですか?正論と愚論の見分け方にパーソナリティーを乗算すると何になりがちだと思いますか?私は「時間の無駄」だと思います。議論とは行方が見えていない状態で、互いのポテンシャルとポテンシャルをバトルさせることです。その気がないなら、そこにいる必要はない。そういう人が特に最近、多いと思うのです。議会ではなく、それは報告会or発表会でしょう、みたいな。多分、一番上のその部屋でも同じことが起こっているのでしょうし、今頃、湖畔では「無駄な時間」が流れていることでしょう。

夏の彦根城

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 梅雨明けしたのでしょうか?昨日も暑かったですが、今日熱いですね。国宝彦根城、昨年の400年祭から比較すると来場者数は例年どおりに戻ったのでしょうね。近くに住んでいながら、いつも仕事でその姿を見ない日はないぐらいですが、中に入ったのはこの10年間にたった1回だけ。桜の季節に写真を撮影しただけ。こんな近くにある国宝でさえゆっくりと観察する時間がないということですね。いつでも観れるモノってなかなか改めての動機づけがなくってスルーしてしまいますね。国宝なのに・・・。

長浜夏中さん

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 梅雨も明けた!?昨日は夏日です。長浜市内では夏中さんが開催されたくさんの人でにぎわっていました。花火大会も夏のイベントは、どこからこれだけの人が集まってくるのか!?ってぐらいの賑わいだったそうです。

ハコ展やってま~す。

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 本日から季の雲さんで「箱展」を開催しておられます。さっそく、選びに選んでこちらをゲット!ええ感じです~!ありがとうございました!!

「崖の上のポニョ」には何があるのでしょう?

 日本が創出するアニメ文化は世界の中において本当に一目置かれている存在か否かについては、実証する手法がありそうでなさそうなので、軸足の置き場に困ってしまうわけですが、当の日本人はアニメ文化について少なからず自負を抱いていることは確かに共通項として存在する。押井守さんが昨日いいともに出て新しい映画の宣伝活動をしておられたが、短い時間ではありましたが、監督の監督らしさという存在感はその仕草や飛行機への夢や犬についてのこだわりなどたくさんちりばめられていましたね。
 昨年の今頃、何かの番組で宮崎駿監督が「崖の上のポニョ」のイメージボードを描きながら映画を構想しておられる姿を構成したテレビプログラムを観た。宮崎監督は構想をまとめるために訪れた別荘のような建物の中とその近くの滞在先で、新しい映画のイメージボードを水彩画で次々に描き、それを、その別荘のような建物の壁一面に張り出して物語のワンシーンワンシーンを描き出しておられた。そのイメージボードがある程度固まった段階でジブリの精鋭の方たちがその別荘に召集され、宮崎監督から直接新しい映画についての構想案を聞かされるというプログラム。その監督へのインタビューがまた監督に対してあさってな質問ばかりして、監督がテレビの中でイライラしておられた。おいおい、インタービューアーさん、貴方はどこかの教授でしょう、事前に予習はしてきてるはずでしょう、なのに・・・。もしかして、純粋に緊張しているのですか?でも、その切り口と言葉のチョイスはないですよね。という茶番だった。まあ、それはおまけとして、宮崎監督は映画の始まりはこんな感じ、って、水彩絵の具で赤い小さな人魚を描いておられた。それは、まるで、少年が夏休に入り、開放感と緊張感の中、夏休みの絵日記の第1ページ目を描いているような表情だった。
 さて、その映画がもうすぐ公開。あの歌、あの表情、一回観たCMでもう釘付けです。さてさて、この映画にはどんなマジックを仕込まれたのか・・・。そして、この映画を観た日本の子どもたちは10年後、20年後、この国でこの映画を観たことをどう回想するのでしょう。とにかく、楽しみ意外の何ものでもない映画なのである。

「かたピー」な夏。

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 イケダオリジナルさん発の素敵な夏のアイテムのご紹介です。私自身は間違いなくこの商品を身につけることはないのですが、女性の皆様なら「浴衣の生地で気軽にワンピース感覚で着れるアイテムがあったらいいなぁ~」という方はおられるはず。そうです、つまり、そういう商品なのです。タイプも3タイプありますし、サイズもいくつかありますし、仮に極端!?な方でも御仕立ては自由自在。そんなこの時期にピッタリの商品なのです。WEBサイトを拝見して頂き、興味をもたれた方はぜひ、池田様までご連絡をしてあげてください。池田さんの「かたピーA・B・Cタイプ」のイメージは美人三姉妹向けをイメージしておられ、Aタイプがお姉さま、Bタイプが真ん中の次女、そして、Cタイプは三女に着てもらえたら・・・みたいなコンセプトだそうです。どうですか?親子でご姉妹でこの夏は「かたピーな夏」を過ごしてみられては・・・。

イケダオリジナル公式WEBサイト

文章の裏読み。

 例えばこういう文章がある。「インターネットを取り巻く環境は、日々進化しつづけています。次々と新しい技術やテクニックが生まれ、通信インフラやパソコンのスペックもどんどん向上しています。これらの変化は、ホームページやWEBデザイナーにとって、よい方向に作用することもあればその逆もありますので、世の中の流れを見てうまく対応していきたいものです。この章では、200X年X月現在のインターネットを取り巻く状況を概観しながら、WEBデザイナーとして新しい技術や環境とうまく付き合っていく方法や心構えを、一緒に考えていきたいと思います。」ということは、通信環境やパソコンがどんどん進化して新しくなりますから、クリエイターの皆様はそれに付随して新しい技術やテクニックを会得しましょう。でなければ、悪い方向に作用することもあれば、その逆もありますで。私は新しい技術や環境とうまく付き合っていると思っているのですが、皆さんはどうお考えでしょうか?と言っているように読み取れなくもないですし、さらに、インターネット環境は新しい技術を会得するためには一緒に考えていきましょう!というふうに短くまとめられなくもない。
 しかし、意外とリアルな目線としては、「さらに、よい方向と悪い方向にふたつの選択があれば、皆さんは勿論、よい方向に進みたいと切磋琢磨されていることでしょう。しかし、クリエイトに良い方向と悪い方向などと「良い」と「悪い」と明確に識別できるような基準があるのでしょうか?あるとしたら、それは、すであるモノサシ、しかも、それほどたいしたことのないモノサシで何かを計測しているだけで、私はそれほど気にしていませんよ。まず、「良い」と「悪い」の区別などすることなく、全てを受け入れてとは言いませんが、お互いのコミュニケーション値を上げて、お互いの立場や考え方を得ることが「概観する」ということだと思うのですが・・・。」と論じられるかもしれない。
 って、書籍は面白いですね。ひとつの文章の裏にいくつもの応用編があるから。その設計図を見つけるのが書籍の楽しみ方のひとつだと思います。文字を絵のように読むということも楽しいですが・・・。

悲しい気持ちとありがとう・・・。

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 最近、公開させて頂いた長浜動物霊園「愛慈苑」様のWEBサイトです。飼っていた猫ちゃん2匹もお世話になっています。今、豆柴のチョップ君がウチにはいるわけですが、明らかに人間より寿命が短いペット君達。愛情を注げば注ぐほど、失った時の「悲しみ」と何かの縁で出逢いそして分かれるということに「ありがとう」という気持ちがこみ上げてくる。子どもの頃にもたくさんの動物を飼い可愛い時は何も感じないのですが、失ってその存在の大きさを改めて確認したりするものです。悲しい事件が多い時代です。命が命とも思えない扱いを受け、失われていく事件や事故を聞くたびに、できるだけ自分のまわりではそのようなことがないように、起こるとしても、できるだけ未来であってほしいと願うばかり。そんなことを考えながらのWEBサイトのリニューアルデザインを考えておりました。
 トップのビジュアルもオーナー様のご意向を踏まえ、具体的な構図やモチーフは私の方で構想を担当させていただき仕上げさせていただきました。天国と地獄を信じない私が「愛慈苑」様のトップページのために描いたイラストのシチュエイションは「限りなく普段どおりに続く現在(いま)」というテーマだったのかもしれません。

長浜動物霊園 愛慈苑公式WEBサイト

パワハラか・・・。

 パワーハラスメントという言葉をはじめて新聞で知った。へぇ~そんな言葉があるのかという感じ。パワハラとは上部から仕事のノルマを課せられてそのプレッシャーに精神的に追い込まれるというハラスメントであるらしい。ハラスメントとは「嫌がらせ」と言う意味で、「【名】苦しませること、迷惑、(繰り返し)悩ますこと、悩まされること、悩みの種、嫌がらせ」ということになるらしいのですが。「セクシャル」だったり「アカデミック」であったり、そのスタイルは様々。何々的な苦しみを与えられることで心がどう感じるかということを理解した上での立場や権威を利用した精神的な虐待をする人とされる人の関係に若干問題は感じるが、自分がそのような立場になった時何を考えるのだろうと新聞の記事を読みながら考えた。しかし、苦しみを与える人も問題視はできるが、苦しみを受ける人にも原因があるように思う。それが違った視点でバネになり、根性を鍛えることで、立場を逆転してやろうとは考えられなかったのかなと・・・。まぁ、現場はそんなに甘くないのでしょうけれど、意外とどこでも小さいハラスメントは起きているのでしょう。しかし、この記事の被害者側はそのパワハラを受けた本人が自殺してしまった。そして、パワハラを与えた会社や上部の人間を被害者側が訴えているという事件なのである。請求額は3.1千万である。この金額は高いの安いの?

Andrew Wyeth

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 こちらがWEBサイトに公開されているワイエスの代表作品です。最初にワイエスの作品に出会ったのは東京の古本屋で画集を見つけた時だったように記憶していますが、それから、ワイエスの作品にはずっと心を奪われています。20代に見た作品の印象と30代と40代の印象が違う。あまり絵画を観賞するときに「何故?」とか「どうして?」などという印象が浮かぶ時、極力抑えながら感じよう感じようとするのですが、ワイエスの作品については、画集を見ている時は常に「なんでこれだけ心が動くのだろう」と考えてしまいます。考えさせる何かがあるからなのでしょう。ワイエスとヴィルヘルム・ハンマースホイの比較もまたオツなモノです・・・。

Vilhelm_Hammershoi

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 ヴィルヘルム・ハンマースホイという画家の絵が最近気になっています。あれ?ワイエスかな?と思って目に止まった絵だったのでですが、その記事を読むと、彼もワイエスに影響を受けたとか与えたとかというお話があり、あ~あ、なるほどなるほど、同じ思想が感じられた訳だとなんとなくですが、納得してしまいました。これが絵画である。どうですかすごいでしょ!この絵の作者はこれこれあれあれで、彼が幼少の時代の背景がこれこれあれあれで、オークションではこれぐらいの価値があり、すでに世界のコレクターが・・・のような蛇足は必要がない絵である。観ればわかるじゅん!この絵が何故素晴らしいかなんて理由を頭の中に並べる前にとにかく見ることです。とことんまで観るということに集中したら頭の中に自然と浮かんできたことがこの絵と貴方を結びつける一番大切な理由なんですから。新聞のカラーページでこのヴィルヘルム・ハンマースホイの絵を観た以上、どこかで画集を入手して、いつか近いうちにモノホンを観る必要がありそうな画家です。モニターの絵を観て観たつもりでいるなら大きなミステイク。ヴィルヘルム・ハンマースホイについてのかくかくしかじかをブラウザで読んで納得しているならそれも大きなミステイク。絵に画家に一番近づける場所はそれが展示されている美術館なのですから。しかし、それ以上その画家に近づける術はないわけですから、絵とはなんと優れたメディアなんだろうと思うわけです。だから、新聞もインターネットも入口に過ぎないことを忘れてはいけませんいけません。

CHANGEの行方。

 朝倉啓太が国会に帰って来た。もう一度神林先生を信じるという結論を持って。政治のDEEPな部分を一手に担当している神林先生こと寺尾聰さん。なんとも深い存在です。お話の流れ的にはどんどん味方を増やしている朝倉啓太に対して、孤立しはじめている神林先生の構図が否めませんが、実は、これも神林先生のプラン上のような気がします。あのような罷免の記者会見もたぶん理由があるはず。これまで「CHANGE」を観てきたかぎり、「政治」を遂行するためには「理由」が必要だということを、短い限られた放送枠の中で伝えようとしているような気がします。キムタクが出てる月9だからという理由もCHANGEを観る大きな理由づけですが、このプロジェクトに関わっている方の中心の方は、日本のリアルな政治の捉え方とフィクションのお話の接点を「理由」に置いているように思いました。派閥だとか対立だとかどこでもある話ですし、ゴシップもリークもすべてありきで、「真実は何?」なんて絵に描いた餅よりももっと大切にしなければいけないものがありますよ的なメッセージに持っていこうとしているように思うのです。それはたぶんこのような結論のような・・・。
 朝倉啓太が政治に引っ張り込まれた「理由」は突然の父と兄の死。支持率を上げるためにドラマチック一本路線に見えた朝倉啓太の選挙当選の「理由」。そして、総理大臣になれた「理由」。それは、神林先生と今は無き朝倉啓太の父との間にあった大きな「理由」の上に成立するような。だから、変わるのは日本の政治でも国民でもなく、朝倉啓太自身の「CHANGE」を描いたドラマではないのだろうかと憶測が頭の中で飛び交っていました。どうですか?皆さんの予想は?
 原作本も前情報も何もない状態での推測なので、根拠のない一ファンのこんなオチならいいなぁ~的な願望なのかもしれませんが。