散歩中の考察。

 最近はエコのためか健康のためか気分転換のためか、買物やちょっと本屋に自転車で行っている。ガソリン代も日々の積み重ねでバカにならないことも意識の中にある。愛犬の散歩では約30~40分の散歩エリアだからそれほど道々に季節のバリエーションはないが、自転車で20~30分となると日頃車で見過ごしているモノがよく見える。車の運転は免許を取得したのが27歳と遅めだったこともあり、あまり好きでもないし、ほんとに移動手段でしかない。いい車に乗ることに対する熱意を他のベクトルに変えたい、というよりも、いろいろな思考の中で車への愛着は0に等しい。雨の日は濡れずに移動ができる便利な移動手段というそれ以下それ以上の何ものでもない。でも、その便利も仕事の時ならいざしらずだんだんだんだん便利が身体に沁み込んで「ちょっとタバコ」「ちょっと本を」でガソリンを使ってしまう。その便利さと引き換えに足力の衰えを獲得してしまった。愕然とする時があったことも自転車を再発見したきっかけ。東京や大阪で暮らしていた時は車に乗ることはなかったし、駅からの移動は徒歩だし、気分がのってきたら、地下鉄の5駅ぐらいは歩いていたのに、ここ数年、都会に行くと前半戦でもう足の筋肉が張ってくる。これはあかんあかんと万歩計を買って1ヶ月ほど計っていたら、都会に行った日はかるく20,000歩を歩いているのに、長浜にいたら2,500歩程度。この差が積み重なって貧弱な足になってしまったのだろう。そして、歩かない=考えないということにも気がついた。人間、考えようとして考えることは難しく。考える状況を無理苦理作ると自然と五感が動き出し本当の「考える」状態なる。この考えるとは「感じる」という意味が強いようにも思います。つまり、全てが負の連鎖で「便利」が「思考」を奪い、「ガソリン」が「健康」を奪うという公式になる。時間に余裕がある時はという思考ではなく、時間に余裕を作り歩く(たまに自転車)ことが素敵な考察を生む。考察は仮説を生み思考・構想が始まる。あとは、やるのかやらないのか。しかし、健康な身体はそんなことを迷うことなく、自然とやってくれるのである。生産的な連鎖がさらに生産的な連鎖を引き出すという構図。だから、健康を手に入れるための唯一の方法は健康について深く難解に考えることをしない状態にするということだろう。散歩中に大きな電気屋さんの駐車エリアに入って出て入って出て入ったおばさんの軽自動車を見た。おばさんはまだ納得いかない表情で車をあとにしてお店に入っていった。さて、このおばさんは神経質なのかそうでないのか?