イレモノをデザインするか・・・。

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 考えている人は本当に深い。浅いことは悪いことではないが、深いと感じる人には恥とか体裁とか外聞をかなぐり捨ててリスペクトしてしまう。また、リスペクトできる自分も浅い野郎ではリスペクトのベクトルも緩くなる。骨の棍棒と手で水を掬う器のねじれか・・・。イレモノという概念は決して義務教育でも専門学校でも4年生の大学のカリキュラムの中に存在しない。まぁ、存在できるはずもないが。しかし、近年、その取り組みがいろいろな場所で行われているらしい。つまり、教育者という免許を持っていない、現場のプロが教育の現場で学生たちと共に学びながら、教える学ぶという構図ではなく、相互のモチベーションを高めるエクササイズが展開されいるらしい。そもそも教育とは目的のための手法であったはずが、いつのころか手法が目的になり目的はどこかにジャンプしてしまった。ジャンプさせた連中は目的が必要ないとその時感じたからだろう。非常に浅い判断である。というより、それは別のチカラの影響下にあったからで、独自の判断ができない状態だったからだとは思う。そして、高度成長という殻づくりに翻弄して年月が経ってしまったということ。その間、イレモノの概念はどう変異したか。進化はしていないはずである。時代と共にカタチを変える殻こそが現代のシンボルのように思う。そして、デザインという行為の意義である。考えるということは創るということであり、モノトゴを鵜呑みにしないということであり、もしかすると破壊するということかもしれない。これは、こんなブログで語れるテーマではない。
 ただ、デザインという仕事に長年たずさわり、少しでもそのフォルムが見えてきたなら、手を伸ばすべきである。べきであるなどと非常に他人のふんどし的な言い草ですが、本当の主観のイレモノの中にあるデザインを整理する時期が一生の中であるとすればこの時期なのかなと思っています。