地頭力が落ちている!?

 情報は氾濫しているが微弱な情報が多い傾向にあり、「知ること」が「情報を得た」と勘違いしてしまう傾向にあるらしい。そう言われるとそうかもしれない。だから、「共有」と「共感」の微妙な違いが誤認識が本来の経験値から養われる洞察力や分析能力を低下しているという仮説が存在するらしい。氾濫している情報をいつでもどこでも受信できるが鵜呑みは危険だという警笛だろう。そういう空気になってしまっているので発信側も「そこまで深く語らずともいいでしょう」という緩さ。受信側も「危険なニュアンスや裏がなさそうであればこの情報は有益だろうなぁ~」という緩さの共感が充満しているのでしょう。勿論、情報にはいろいろなランクがあるわけですから、入手・受信したモノをどのように判断するかは受信者のポテンシャルが有益にも無益にもすることには間違いがないので、だからと言って情報をシャットダウンしても生産的な行為とは言えない。そこで必要とされてくるのが「地頭力」ということになるのでしょう。非常に書籍の導入手法とすればセオリーな切り口である。この仮説を読んだだけでこの書籍への興味を持ってしまっているわけですから、さすが、「地頭力」を語る著者である。
 また、最近特に「~の心理学」という書籍のタイトルをよく目にしますが、興味本位で入手するとそれほど深い考察ではなく「心理学」という看板を書籍の入口に掲げているだけの場合もある。でも、なぜかこの時代「心理学」というキーワードにひきつけられてしまう傾斜感があるのは何故でしょう?「地頭力」と「心理学」の関係はとても密接なのでしょうね。また、何か気がついたらここで洞察らしき展開をしてみます。