文章に親しむ。

 若い頃(20代)はデザインの勉強だと思って雑誌をたくさん買ってデザインを見たり写真やイラストを見たり文章を読んだりしていた。しかし、ここ数年はそう言えばあまりトレンド系の雑誌を買わなくなり見なくなった。興味がなくなったといえばそれまでなのですが、デザインやCGやWEBなどの雑誌や趣味ならゴルフ・バスフィッシング・美術・建築系の雑誌に限定されてきた。また、書籍の傾向も若いころは小説が国内・海外問わず多かったが、こちらも作家がかなり限定されてきた。とにかく、SFや展開が複雑な小説が好きだったのであまり国内の作家の小説は読まなくなり、海外の作家も10名ぐらいに限定されてきた。その代わりにビジネス書や心理学・哲学・科学・科学・宗教学・医学・法律・論文系などの書籍が増えて、そのジャンルの書籍でも著者が絞り込まれてきた。
 特にデザインやクリエイティブ系の書籍については、文章で何かを得るということよりもそのクリエイターの作品を見ることが大切だから、文章でデザインやクリエイティブの何かを吸収したいという視点がないからだろう。ということで文章に親しむことが、何か仕事でもライフワークでも文章的表現をアウトプットする時に役にたつ。絵やデザインもそうですが、誰かに向かってを想像して、何かを伝えるために創造するわけですから、文章もしかり。ターゲットを設定しながら、文章を書いているはずです。誰に何がどの程度伝わるかということを意識しても、ボキャブラリーや文章の構成力が乏しいと文章は崩れる。というほど文章にとても長けているとは言えない私なので、まして、文章を書くことのプロではないが、文章を読むことは好きだったことから、文章で何かを表現したり、誰かに向かって何かを伝える手法として絵やデザインの他に文章というギアは好きな手法である。「好きこそものの上手なれ」などとは言うが、もう何かを作るとき書き出すときに「上手に」とは考えなくなった。昔(学校の頃)は何事も上手にできるように努力していたような記憶があるが、上手に描いたり書いたりすることはある限られた時間の空間の条件の中で、優劣を設定したいがためだけのサイズで、本当は実際はそのサイズはあまり気にしなくてもいい。で、あまり雑誌を買わなくなった原因のひとつに、雑誌の中の文章が緩いということが原因としてある。ほんとにあえての部分なのでしょうけれど、雑誌の文章は緩い。広く多くの方に共感を得るための文章だから、あたりさわりのない言葉がチョイスされ、どうでも解釈できるような文脈になっていることがなんとも緩い。その雑誌のブランド力だけでそこにある記事がシンクロするような錯覚に陥ると大変なことになる。その雑誌ブランドとそこに掲載されている情報の本質はあまり関係がないように思える。それは、すべてその雑誌のライターの文章力に依存しているような。だから、雑誌はやはりビジュアルや写真を魅せる紙媒体であり、書籍は文章を読ませる紙媒体なんだと思う。明らかに違う媒体を混同しかけていたのだろう。
 そこで、WEBである。ブログ・メルマガ・コンテンツ中の文章はそのどちらだろうか?それともどちらでもない新しいアプローチが必要なのだろうか・・・。それについは仮説も暫定的な結論もまだ出せていない。皆様はどう思われますか?