2008年09月 アーカイブ

Flashの活用方法。

 そこそこFlashの活用方法は知っているつもりですし、3.0のバージョンから使っているので、その機能については30%ぐらいは理解しているつもり。ただ、活用方法となると、どれだけ書籍を読んでもいい感じの発想になかなか繋がらない。それは、Flashの3.0を最初に動かした時のような気分なのである。単純にステージに描いた正方形が右から左に動くだけで感動だった。それが消えたり現れたりすることだけで何かとてつもないソフトウエアを使っているような気分になれた。オブジェクトを動かすという意識がそれまで使用していたソフトウエアではなかったので、1秒間に15フレームと言われても、その1秒という感覚が全然なかったので、どれぐらいの長さにすればどれぐらいの動きなるのかということだけで、いろいろ試行錯誤だった。それが、かれこれ2000年の10月である。そこからバージョンも8になり、実装される機能もえらいことになった。さらに上位のバージョンもあるがそれは手が出せないでいる。その間、世の中ではFlashを活用したWEBサイトが氾濫し、テクニカルにインタラクティブにアカデミックにエンタメにシックに楽しませてくれる。しかし、いざ、それを仕事で使うとなると、その効果や表現力の乏しさに我ながらあきれることが多い。素晴らしいWEBサイトを見すぎているから、そのレベルに技術的にクリアできても本質的にその着想レベルが出せないことがなんとももどかしい。Flash=複雑難解感覚的なWEBサイトでは決してないのですが、着想がとんでもないところから始まっているWEBサイトには舌を巻いてしまいます。どうしたらこの着想ができるのか?スクリプトやサーバプログラムで何かをするということはそれを記述すればプレイヤーは正直にそれを実行するだけだから、それほど難易度は高くない。しかし、着想や表現手法がキレているWEBサイトには舌を巻く。
 で、スタイルシートやCMSサイトも素敵だと思うが個人的にはやはり、FULLFLASHか部分FLASHに気持ちが向いてしまいます。それは、軽いからいい、重いから悪いという基準でも、エンジン対策がどうだからどうだみたいなアプローチではなく、それを訪問者の方は貴重な時間をさいて訪問してくださったのに、エンジン対策だからとか軽くスマートにだとかという発信側の勝手な意向で、楽しくないのはどうかと思ってしまうのである。ただ、動かしているから楽しんでくださいではなく、動きや見せ方や画面の転換に訪問していただけた「価値」を表現してFLASHはなんぼ。「FLASHは重くて動いているだけでストレスになるから使うべきではないですねぇ~」と言ってしまうWEBクリエイターは間違いなく、FLASHは使えない。情報は伝えるものだから、余計なことはせずにスタイルシートで見せることがWEBサイトの価値ですという考え方も正論だと思うが、そこはそこ、十人十色である。なんでも、自分が基準になってしまうので、どれだけ天邪鬼かがクリエイターの基準値の高低を決めると思っているので、世の中がスタイルシートならFULLFLASHで何かできなか・・・、逆にFLASHが熱いよといわれると、CMSでキレイなWEBサイトを創りたいと思ってしまう。
 で、で、FLASH最新バージョンを使ってゴリゴリクリエイトしたWEBサイトはあまり見ないなぁ~。きっと、皆さん、その波が来るまで爪を磨いでおられるのでしょうね。

TickTack(チックタック)と・・・。

 トキハカネナリという言葉がある。ヒト、モノ、コト、カネというファクターはすべて「トキ」の中で動いている。それは相対性な時であっても、生まれて死ぬまでであっても、意識が「トキ」というベクトルに向かっていれば、ヒトもモノもコトもカネも整理できると思います。だから、時こそが価値があり、それを表現する言葉として「金なり」という言葉が成立しているのだと思います。時計が刻む時間は太陽と地球の関係がありますが、この地球で生まれた生物の中にある体内時計の原点はすべて太陽と地球の自転に関係があり、進化の過程で必然として一日という単位が設定され365日という期間が設定された。四季も日本の場合は偏西風や自転の角度がすべての根本ですから、自然科学的にも「時」はすべてを支配していると言えなくない。逆にそれ以上何があるのだろう。
 で、大義名分や夢や思想は大切ですが、まぁ、それはさて置き人はTickTack(チックタック)と生きるべきなのだと思いますね。

長浜のまちづくりに湖北住民の声を 戦略会議が無料紙を創刊

現実という定義の揺らぎ。

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 「グーグル、ユーチューブ、SNSの先に何があるのか?」と表紙でこの書籍は読者に何かを問い正している。ティム・オライリーと読み解く「仮想世界」ということであるが、そもそも、仮想と現実の境界線の設定なんて強引な話で、もともと、仮想なんて表現は言葉を変えて存在していたし、現実についても多くの哲学や科学などの学問で定義されているわけだから、このキャッチコピーも強引と言えば強引なのである。しかし、「神々のWeb3.0」なんてタイトルで本が出てたら買ってしまう、読みたくなるのは自然な流れ(この部分も強引と言えば強引ではありますが)。「Web2.0」を提唱したのだから、3.0もあるでしょうね。でも、なんでもかんでもそう簡単にバージョンアップするのかな?しかし、ゴールがないと誰も走らないからそれをここですって設定されることは何事も大切なのでしょう。そういう意味でたぶん私たちは「Web3.0」というゴールをこれから目指すことになり、それを諦めた人はゴールインの達成感に浸れないのでしょう。映画や小説で「現実」が定義され様々な仮説が様々な表現で創造される。それをどう感じてどう取り入れてどう排泄するかというふるまいに興じているうちはいいが、その弊害も多い。「現実と仮想の区別はどこだ!?」と哲学者ぶるのも「所詮、現実も仮想も神も人間の想像物だから私の生活には関係ないですね」と今を生きるのかは自由ですが、「先に何があるのか?」と言われても、今、この瞬間に何があるのか、5年10年前に何があったのかも定かではないのに、そんな脈略は成立しないように思うのですが。
 で、この書籍を読み終わった時、この考え方はどう変わっているのか?その「何か」が理解できているのか?それが一番楽しみである。

テラビシアに架ける橋か・・・。

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 いい映画には理屈はいらないなぁ~。ほんとにいらない。

「テラビシアに架ける橋」公式WEBサイト

マゴリアムおじさん。

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 人間のイマジネーションがいつもこのベクトルなら世の中に澱なんて溜まらないのに・・・。

「マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋さん」公式WEBサイト

フリペ「TickTack」創刊。

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 長浜市のまちづくり情報を展開する「まちづくりフリーペーパーTickTack(チックタック)」が創刊されました。まちづくりとひとことで言ってもその全容や詳細はなかなか携わっている方たちでないと理解しにくい場合が多い。あるひとにぎりの人たちでこれまでの長浜のまちづくりは展開してこられたのですが、この時代はそれではダメ。もっと、いろいろな方たちとの日頃のコミュニケーションや情報交換があって、ひとつひとつのイベントや事業の爆発力や継続力が増すという考え方なのです。何かのアクションを行う場合、企業様であれば、社長様やご担当者(企画課など)がその企画やアイディアを構想されて、予算やコンセプトを検討され、実行に移されるが、これが、長浜市という規模になった場合に必然的にその規模や影響力は大きくなります。そのフレームや本体の軸を強くぶれなくするためにも、それらを吸引する概念が必要になります。それが現実か仮想かという問題は時代性と関連しているので、一概にどのスタイルがベストだとは言及しにくいですが、存在感としての「長浜力研究所(長浜まちづくり戦略会議)」があり、その波及・拡張・覚醒・認知度のためのツールとしてこの時代何がベターな手法なのかというプロセスを経て創刊されたのがこの「まちづくりフリーペーパーTickTack(チックタック)」だと認識しています。今後はどのよな編集企画で推進されるかを期待しながら、こうして自分のデザインが新聞のカラーに紹介されると、モチベーションは上がります。つまり、このモチベーションの素は何かということを紙媒体やWEBで噛み砕き展開していかなければいけないのでしょう。私はこのプロジェクトに関係させていただいたのでモチベーションが上がりましたが、長浜市民の皆様とこのモチベーションを共有できたらどれだけ素晴らしいことかと想像してしまいます。WEB長浜力研究所もあと数日で公開しますので、これもそんな関係者の皆様やこれからネットワークを繋げていっていただくポジションの方、皆様のモチベーションの素になればいいなぁ~と思うのです。

オブストラクト(abstract)。

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 抽象的な画面もいろいろありますが、さすがにappleはいい。appleのプロダクトがいい理由はいくつかありますが、考えて考えてこだわってこだわっておられるのでしょうけれど、それが、デザインやサービスになった場合に「重く」ならないのが素敵ですね。

絵も音楽もデザインも。

 常に判断の基準が3つあると思う。一つ目は好きか嫌いか。二つ目は正しいか悪いか。三つ目は価値があるかないのかである。それぞれに人は何かを判断する時この3本のモノサシで何かを推量・計測していると思う。さぁ~て、目の前にある存在やオブジェクトや出来事を判断しようとする時にごくごく自然に私たちは3つのモノサシを出してくる。しかし、何かをどうしてもひとつに決定しなければいけないという場面でこのモノサシのどの基準を最優先すればいいのかそれが判断つかない時も多々ある。そんなときは皆さんはどうしておられますか?好きだし正論だし、でも、価値はないなぁ~とか、嫌いだけど世の中一般的には悪いこと、でも、価値はありそうだなぁ~とか。
 で、「理屈」が登場する。この変幻自在のツールがなかなか自分の本意とそれていくことが多くないですか?「理屈」に頼っている人は自分の意見が極端に少なく、「自分の我をどこまでも通す」という人の「理屈」は言葉に責任感があるから相対的には信頼価値がある。しかし、絶対的に???という場合もある。つまり、今、目の前にある「理屈」を自分自身の3本のモノサシで計測するという作業が発生してくる。常日頃コミュニケーションをしている人ならば、「優しい理屈」を大きく捉えて、ひとつの意見として聞き入れ、自分の価値判断で消化できるのですが、コミュニケーションがしっかりととれていない方や、個人的にとりたくないと思ってしまう方に対しては、どんなに小さな理屈でも大きな壁となり、コミュニケーションを阻まれることが多い。だから、即物的なコミュニケーションや一方通行なコミュニケーションはどこかでボロが出て破綻をきたす場合が多い。にも関わらずそれがストレスになる人は何においてもストレスになる。それも悪いストレスになり、生産能力や整理する力に弊害をもたらす。
 しかし、本当は何かを判断するということについては、人の脳は素晴らしい機能があり、「第一印象」と「インスピレーション」という万能なモノサシがある。それは、3つの価値判断でも理屈でもなく、瞬時に判断する能力である。これを自覚できない方は精神的にメタボな方であり、この判断に自信を持っている方は大きく早く鋭い。前者の方との会話(コミュニケーション)は辛く長いが、後者の方との会話は心地いい。誰かとコミュニケーションをしている最中、自分の中の理屈が前に出ないようにすることは難しいが、後者の方なら、そんな理屈も会話の材料になってしまう。前者の方はよく1時間も2時間も長々と話題はつきないのですが、気がつけば、何を言いたかったのか???な場合が多い。
 絵も音楽もデザインもこの基準を試すいい実験材料なのである。実は。

Web3.0か・・・。

 仮想現実における価値の追求が購買を動かし、経済を動かし、文化を動かし、世界を動かすのか。なるほどなるほどねぇ~。さまざなまなキャリアや端末から流れ出る価値の本質というよりも、その仕組みこそが狙いであり、創造者たる人々はすでにその終焉までシュミレーションできているのかもしれない。そのプロセスで私たちは仮説を実証しているにすぎないのかもしれない。狩猟民族が農業を覚えたように、石版からパピルスに移行したように、現実社会から仮想社会へ価値の本質が移行しているのかもしれない。が、それは、現実と仮想の境界線が存在するという仮説の元に成立する定義である。何もなかったところに価値という意義を創出した段階でそれはもしかすると「仮想」だったのかもしれな。つまり、入口が五感であれ端末であれ同じ。で、次のベクトルは何?という概念なのでしょうね。PCの保有率が世界で10位以下の日本。光ファイバーの価格は世界でダントツに安価で1位なのに。八百万の神がそれをさせていないのであろうか。

最後の原稿到着しました。

 情報紙S.O.S.第25号の原稿が昨日全て到着完了しました。かなり早めにご送信いただいた方にはいつものことながら、大変長らくお待ちいただいております。なんとかなんとか全ての原稿が揃いましたので、現在、編集の最終段階に進めております。広告をご提供いただいた方にページデザインの確認をしてその作業が完了した段階で入稿行程へ進めさせていただきます。まだ、途中なので、今回のテーマを総括する段階ではないですが、ほんとにたくさんの「カタルシス」が集まりました。広く狭く浅く深くの加減はいずれも紙一重。それが詰まりに詰まった第25号になるでしょう。
 9月末日には皆様のお手元へ発送する予定で進めさせていただきますので、ご参画いただいた皆様今しばらくお待ちください。前回のこのブログの中の記事で次回のテーマを「ヴィーナス(女神)」でいくと書いたのですが、ちょっと、それも迷っています。次回の発行のタイミングは2009年の2月頃になる予定ですので、第25号が完成したらもう少ししっかりと考えて、まずは、このブログでテーマについて考えていることを書いて、情報紙S.O.S.のマスターメンバーの皆様にご報告とさせていただければと考えております。過去23冊のバックナンバーを見ながら、いろいろなWEBや書籍やマガジンやテレビを見ながら何かピクンとくるキーワードを設定させていただきたいと考えております。今、気になっているキーワード的には「ヴィーナス」「手書き」「電子メール」「色の力」「予測不可能」「鳥と虫と魚の目」「五感と誤感」などです。この中からかまたは新しいサインが発見できたら、候補に入れて検討していきたいと考えております。また、皆様から今回のウエマリインさんのように、第26号のテーマとして「こんなのどうですか?」とか「xxxxxでやってみません?」とかございましたら、メールでもコメントでも入れてください。どうぞよろしくお願いいたします。
 今回から情報紙S.O.S.は札幌の三島様のご参画で北海道に渡りました。ということで、海外数ヶ国と国内の札幌から宜野湾まで行き渡ることにさせていただけたのですが、まだ、四国と九州の方がおられません。私もガツガツとアプローチはしていきたいと思っていますが、皆様のネットワークで四国と九州で元気に頑張っておられるクリエイターの方がおられましたら、ぜひ、ご紹介ください。友人や後輩でいないことはないですが、できれば、知っているというだけではなく、元気で前向きな方と紙面を共有したいので、そのような方がおられましたらご紹介ください。47都道府県を目標に頑張ります!

手書きの威力。

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 なんとなくそんな気がしていたんですが、デジタル時代の「手書きの威力」をこうも整理されると納得納得。確かに確かにの連続でした。電子メールやプリントアウトに何か心が動かないんだよなぁ~と思っていたらやはり、そういうことが起こっていたのか。確かに紙の歴史とデジタル文化の歴史の長さを比較したらその威力の違いは歴然。人間が便利な方向に順応するスピードと昔ながらの認知方法を何かに置き換えようとする時の摩擦みたいなモノは確かに現代頻繁に起こっているんでしょうね。特にデジタルコミュニケーションを仕事にしている以上、それ自体を否定してしまうことはできないが、それもツールと考えれば合わせ技でより効果的なツールになると考えられる。つまり、手書きがいい、デジタルが悪いという単純な解釈ではない。デジタルの便利さはこれまた歴然としているわけだから、活用する本体にそれを取捨選択するポテンシャルがあればいいということ。
 私も毛筆も硬筆も数段を持っているが、仕事で書く文字やメモに書いている文字はとても他人には読めない。わざと汚く書いているわけではないのですが、仕事中や面白いアイディアが浮かんだ時のスピード感って大切で、このメモは自分に対するメモだからまぁいいかといつでも殴り書き。たまに重要なメモが自分で読めずにイライラすることもある。なんのためもメモやねんということではさすがにメモの意味はないが、それでも、その時の気分やタイミングも殴り書きのメモには記録できるというメリットがある。人間は一日の中で起こるいろいろなことを次の日までどれだけ覚えているかという調査では、約70%は忘れているらしい。というか30%しか覚えることが現実とてしてできないらしい。では、メモがその補足になればいいということと、書くことでそれが重要なことだと脳に強く記憶させることができるらしい。たまに、そのメモがどこかにいってしまう場合はどうすればいいのか・・・?
 とにかく、何事もふるまいが大切で、五感を大切に、PCはただの道具ということ。

食事中!?

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 たくさん川に集まって、交互に水の中にくちばしを突っ込んでいましたが、どうも、魚はとれていなかったような・・・。

長浜力か・・・。

 「なんとか力」という書籍にどうしても最近目がいってしまう。長浜力という力は何かと考える機会があり、これからの20年の長浜市をなんとかしようとする方とのガチの議論は熱い。熱いから議論なのか議論だから熱いものなのかということはさて置き、やはり、何かを創出しようする際にはエネルギーが一点に集中する必要がある。自然に生まれるモノには自然に生まれるべくしてのエネルギーが循環している。だから、新しいモノを創ると言っても科学や工学ではないのだから、そうそう新しい価値観など生まれるわけでもなく、新しいと感じてているけれど、それは、地球上のどこかで必ずすでにあるソースに対してちょっと色を変えたり形を変えての改めて観賞しているだけだとも思う。しかるに、原案はどこかの焼き直しでも新しい価値観とは格別に個性がある必要もなく、格段に内容が充実している必要もない。

 しかし、重要なポイントはその場所でその条件でその人の手によって何が生まれたかであり、「なんとか力」って書籍を読んでも結局そのパターンなのである。その言葉自体は何かと何かの組み合わせなのですが、その著者がこの時代に書籍として存在させたということに価値があるのである。それをまた読む人のタイミングが新しいタイミングを生み連鎖が起こることが、いわゆる「なんとか力」の認知度とよばれているだけ。

 で、それがもっとも重要なことであのだから、「長浜力」も「札幌力」でも「ドバイ力」でもないのでから、そこにアイディンティティがあればいいし、それこそがアイデンティティだと思って間違いないだろう。さて、それがどう認知されて、どう具現化するさせることができるかをこれからその「長浜力」で試すことになるのでしょう。方法も目的もすべて包括できてこそ、その場所が持つ力と言える。人の心が淀まずに同じ方向に向かった時のパワーは無敵である。淀まず怖気つかず諂わず歩を刻んでいきたい。長浜力研究所が起動する。

長浜力研究所公式WEBサイト

あと4名様です。

 なんとかあと4名様で情報紙S.O.S.第25号の原稿が到着いたします。この週末には完了する予定です。早くから原稿を提出していただいた皆様大変お待たせいたしております。なんとか、10月1日の発行にむけて追い込んでいきたいと考えております。今、しばらくおまちください。今回は札幌から宜野湾までの総勢22名の大作です。本日到着した表紙の澤村実希様の写真を1点掲載させていただきます。このルックスからは想像もできないぐらいのエネルギッシュでパワフルな女性です。お話をしていると物静かな方なのですが、ダンサーとしてもボーカリストとしても魅力的な上、さらに、ご自身で恵比寿にボーカルスクールを経営しておられるというなんともバイタリティーあふれる方なのです。情報紙S.O.S.を通じてほんとにいろいろなジャンルのクリエイターの方と情報交換をさせていただいているのですが、お若いのに才能のある方に出会うたびに、「おっさん!お前も頑張れよ!」と自分に喝を入れている次第。大きく強い人は自分の中にドデカイ発電所を持っていて、あらゆるモノを燃料に変換する消化力を持っていると思います。なんと言いますか、心の胃液が強いというか・・・。そんな魂の消化器官が優れている人は絶対にエネルギーが枯渇することなく、いつでも全力で走れるんだなぁ~と思います。ぶつぶつ言っていないで、目を凝らして心の胃を鍛えたいと思います。

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MIKI-MUSIC公式WEBサイト

カタルシスいろいろ。

 いよいよ情報紙S.O.S.第25号の編集・DTPが山場です。あと、和歌山の方と岡山の方と地元多賀の方と恵比寿の方からの原稿待ちの状態になりました。皆様、徹夜中だったり、打ち合わせ中だったり、出張中だったのに、催促の電話をとっていただきまして誠にありがとうございました。なんとか、あと数名になりようやく第25号の全容が見えてきました。
 しかし、「カタルシス」という一見難解なテーマもS.O.S.のマスターメンバーの皆様にかかるとこうも楽しく素敵になるのだなぁ~と編集長として嬉しい限りでございます。はやく、仕上げて皆様のお手元に届けるために、現在DTPの最終段階頑張っております。
 「魂の浄化」などというテーマをどこまで皆様が消化して排出・創出されたのか・・・。このブログを拝見された方で興味のある方はご連絡をください。ご郵送いたします。ということでやっと自分の作品の追い込みに着手できるという状態で、自分なりに「カタルシス」とガチで向き合い出した答えを作品にしてみました。それでは、4名様、よろしくお願いいたします。

二つの夢か・・・。

 ひとりで見る夢はただの夢、しかし、誰かといっしょに見る夢は現実か・・・。ヨーコ・オノ、いいことをおっしゃる。

あと9名様です。

 いつもお世話になっております。情報紙第25号を只今編集・DTP中でございます。原稿の締め切りは予定では9月15日頃だったのですが、本日18日の段階で原稿を送信いただいているメンバー様は10名様となっております。あと、9名様にはメールで昨日、ご案内をさせていただきました。また、個別に電話連絡を入れさせていただきたいと考えておりますので、皆様、よろしくお願いいたします。
 いつもメインテーマは私からの起案なのですが、今回は上球音(ウエマリイン)様からの起案でした。これを受けて皆様にはこの背景の説明をさせて頂き10名様からはなんとも素敵な「カタルシス」が到着しています。どうも「難解やでぇ~!」という感想が多かったのですが、いやいや、しっかりと浄化を表現いただきました。私自身も今回はマリイン様からのテーマを受けてあれやこれやといろいろ構想を広げました。結果、このテーマに対してガチで向かったことは当然ながら、さらに、この時代背景やクリエイティブの意味・価値・ふるまいを踏まえて、現代の「カタルシス」ってこうなのかな・・・というニュアンスで一枚の絵を描いております。それがどう伝わるかは未知数ですが精一杯考えた結果。いつものことながら、あとは野となれ山となれ状態です。
 まだ、制作中の皆様におかれましても、このテーマは難解の部類に属すると思います。ガチでもスルー気味でもどちらも正当な「カタルシス」だと思います。楽しみにお待ち申し上げておりますので、皆様よろしくお願いいたします。
 余談で突然ですが、次号のテーマは「ヴィーナス(女神)」でいこうと考えております。その背景や着想のきっかけはまたこのブログで紹介していきますので、ご確認くださいませ。

世界の震撼。

 負のパラダイムシフトがプレートに蓄積されそれが何かのタイミングではじかれる時、大きな震動がやってくる。それがこれなんでしょうね。途方もない国際経済のプレートがこれだけの規模の巨大に地震を蒙るとそれはそれは一次災害もさることながら、二次、三次が怖い。この震動を実感するのは、ウチのような規模の会社の場合は3年後だったりするのでしょう。怖い怖い。海にいて急に潮が引き出したら高い場所に行けといいますが、どこがその高い場所だか。すでに高い場所に移動する時期なのかもしれないし・・・。ここは少しは高い場所なのかもしれなし・・・。何事も「Protect myself.」なのでしょうね。

鳥と虫と魚。

 虫の目と鳥の目と魚の目というモノゴトの見方についてある原稿づくりのためにリサーチした。モノゴトを俯瞰で見るということはそれなりに取り組んできたつもりで、本来のそれとはレベル的には劣るかもしれないが自分なりに俯瞰でモノゴトを見るとい訓練と見えたモノに対する洞察は展開してきたと思っている。しかし、俯瞰で見ているだけはどうもモノゴトの本質の一側面でしかなく、もっと多面的にモノゴトを見なければいけないのではないだろうかという気持ちもどこかにありました。特に情報時代でPCの中にある情報をどう捉えることが自分自身にとって一番いいカタチなのか。そして、その情報をどのように処理して新しい展開に再構築するためには俯瞰的な見方だけではものたりないような気がしていました。で、俯瞰の他に対義語として「虫の目で見る(鳥瞰に対して虫瞰だったような・・・)」だけは知っていた。そこで、それについて適当なキーワードでグーグルを叩く。すると下記ようような情報がヒットした。
 「「虫の目」は近いところで、複眼をつかって様々な角度から注意深く見る目のこと。「鳥の目」は虫では見えない広い範囲を、高いところから俯瞰(ふかん)する目のこと。そして「魚の目」とは水の流れや潮の満ち干を、つまり世の中の流れを敏感に感じる目のことです。」という文章である。ここまで明確に整理は出来ていなかったが、同じようなことを考えているんだと思った。そうか、虫の目とはただ近くで見るという意味ではなく、複眼で多面的に分析するという見方だったのか。そして、「魚の目」というのを知る。世の中の流れと川の流れに比喩していた。なるほどなるほど、鳥や虫や魚たちの環境や特性はそれぞれ自らの生命を維持するために与えられた能力であり、それを人がどう考えるかは自由だけれど、自然の中の様々な基準でモノゴトを捉えるという入口にはとても理解しやすい表現である。
 で、ここまでのふるまいは偶然なのか必然なのかという見方をしてみると、偶然にも「鳥瞰」というサインから「魚の目」というキーワードがヒットし、これまでなんとも心の中の「モノゴトの見方」が整理できていなかったコトが少し整理できたような気持ちになれる。こんなことは疑問が浮かび、PCで検索して、目当ての情報がヒットしたら誰でも起こりうる偶然ですが、これを必然と捉えると、情報の本質が変化するように思うのです。偶然と必然で考えると、その場しのぎみたいになりますが、主観と客観という考え方で情報が捉えられていれば、目の前に現れた情報を平面的に処理する以外に多面的に立体的に自分の情報として心の健康の栄養にできればいいなぁ~と思うのです。便利ですが便利の次にあるモノゴトやサインを「鳥と虫と魚の目」で見ていきたい。

ライブノアト。

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 中学校の頃、何も楽器のできなかったので、何かやりたいと思った。一番、最初に興味をもった楽器は「ウッドベース」だった。何をどう見てもカッコイイ。しかし、到底、ウッドベースなんてこづかいでは変えません。だから、エレキベースを譲って頂きそこから弦楽器に没頭した。流れでギターも覚えたが今では部屋の飾りになっている。しかし、この夜、ライブが終わりしばし呆然としていたのですが、どうしてもどうしてもこのウッドベースが気になり、スタッフの方にお願いして写真を撮影させてもらいました。古い味の出たウッドベース。演奏されていても、そこに置いてあってもカッコイイ。最初に興味を持った時の瞬間が蘇った。スポーツでも芸術でもビジネスでも本物はカッコイイ。心が動くというか震える。心が動くから本物なのか本物だから心が動くのかはさておいて、この夜に出会ったこの時は間違いなく本物だった。どこかウッドベースの中古を探そう・・・。いい悪いとか損だとか得だとか別にして心が動いたらそれはサインだと思って間違いない。

彦根でライブ。

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 ある印刷会社の社長様から電話を頂き、金曜日の夜は彦根でJAZZライブ。「JAZZでも聞きに来ませんか?」と気楽に誘っていただいたものだから、彦根の有志の方が集まり、ジャズをホールで演奏されるのだろうなぁ~、でも、たまにはライブもいいかなぁ~と思って~程度のモードだったのですが、いやいやいやいや、なになになに、これは超一流。最初から足も手もそのリズムに操られっぱな。なんとも素敵なひとときでした。こんなJAZZのライブなんて、もしかして、うまれて初めてかも・・・という感激・感動でした。最後に社長様が「やっぱ、本物を見ないと聞かないと・・・」とニコリ。まったくです。本当に素敵なライブに誘っていただきありがとうございました!第3回も必ず来ます。次は世界の日野さんらしい、世界のナベアツじゃないですよ。

運動会の季節。

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 さすが、中学生の運動会は小学生の行事色が少ないです。競技色というか応援も競技もピリッとしまっていますね。運営する先生方やPTAの皆様のご尽力の賜物でしょうね。確かに記憶を辿れば自分自身もそんな記憶があります。小学校の頃はお弁当だけが楽しみでしたが、中学校では、最後の色別対抗代表リレーに勝つことしか頭になかったような・・・。
 ただ、元気な中学生を応援しているとこちらもエネルギーを貰えるというか、元気いっぱいの競技を観ているだけでこちらも元気になりますね。つまり、元気は伝わるんですね。元気のないひとを見ているとと元気は出てきませんが、いつでも溌剌としている人には元気を頂ける。これは体裁とか論理とか損得ではない一番身体が素直に取り込めるチカラなんだと思います。だから、最低、どんなに気分がダウン気味でも体調がダウン気味でも得にも価値がなくとも、元気だけは失いたくないです。どうもこういう仕事を長年していても絶対にPCから元気を頂けることは少ない。だから、元気がなくなったらPCを消して昼でも夜でも外に出た方がいい。そして、元気な人に会うのが一番。

めだかの孵化準備。

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 この中で今卵が数個孵化を待っている。その為の緩いろ過装置。いきなり卵を産むものだからびっくりしましたが、孵化してくるめだかのための環境づくりというわけです。さて、産まれるのでしょうか。結構劣悪な環境でもめだかは孵化するのですが、成長する際に弱い強いが分かれ、強い奴はどんな環境でも成長して卵を産むらしい。生まれながらに弱い奴は死ぬらしいです。う~ん、自然の摂理とは厳しい。ちょうど同じことが今この地球でも起こっているのでしょうね。

宇宙旅行か・・・。

 201X年宇宙旅行スタートか・・・。予約制で2,000万円か・・・。行きたい。

身体は正直モノ。

 学生の頃は陸上も硬式野球もとにかくイチに練習、ニに練習、サンシも練習練習・・・だったが、ケガもしたし走れなくなるまで筋肉をいじめていた。それがスポーツだみたいな空気もあったし、それを疑うこともせずにコーチや監督の言われるままに練習を繰り返した。とにかくどんなスポーツをするにも私の場合は「センス」というものが自分の身体の中にないことに気がつくのにそれほど時間がかからなかった。自分にセンスがないことは、センスのある友人や先輩や後輩を見れば一目瞭然だった。しかし、それでは悔しい。センスがないからレギュラーになれない。センスがないから100mを走れないのは悔しかった。つまり、スポーツで覚えたことは「現実を知り悔しい思いをしても諦めればそれで終わり。だけど、あきらめずしぶとく練習をまじめに取り組めば目はある。」ということであり、それだけのような気がします。そんな学生時代だったから、試合に出るために針にマッサージに整体にと今思えば何のためにそんなことをしていたのだろうと思うが、それも、経験値としては役にたっている。これだけやれば身体のここが壊れるということを確実に学んだからである。それが社会に出てどう役にたっているかは???ですが、限界点を知るためには何ごとも粘るということは身についている。
 さて、身体は正直モノで、確かに20代のように無理は出来なくなったし、30代のような無茶も出来ない現実がある。しかし、40歳になったところでいろいろ身体の変調に苦しみながら、心から健康の大切さを知った。ダラダラと夜更かしをせず、常に気持ちと身体のバランスを考え、いろいろな意味で無謀なジャッジはしなくなった。しかし、その分、準備とあとかがづけはしっかりとしている。それは、仕事も健康も同じ。続けるためには続ける工夫が必要だと思う。毎日の積み重ねなんて年寄りの軽口だと思っていたが絶対にそうではない。それは何ごとにも精通している真実なのである。それは歩幅ひとつ、呼吸ひとつ、考え方ひとつなのである。それを会得することが実は一番難しく、それさえ会得したら何ごとも成せるはずなのであると思っている。

この時間は辛い・・・。

 比較的いつも10時頃に寝て、午前6時過ぎに起きるというパターンでいたので、さすがにこの時間は辛い。が、もう少しするとそれはそれでハイになる場合もある。20代の頃は無茶苦茶だったがさすがに44歳になるとこのパターンは辛い。今日は6時半から仕事をしているので、ほぼ、もうすぐ18時間仕事をしていた計算になる。あともって1時間だろう・・・。今でも東京や大阪の広告代理店の皆様やそちら関係の制作会社さんではこの時間でも打ち合わせや会議をしているのでしょうね。「頑張れニッポン!」という歌が流行り悲壮感といういう歌が流行ってしまうこの不思議な国。いやいや、この国の頑張っている人はかなり頑張っていると思います。逆に頑張っていない人はなんか寂しい感じがしますね。もう少し頑張ろう。

健康のために・・・。

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 まさか、健康のために毎朝飲んでいたのに、こうも簡単に偽装がばれて自主回収とのこと。しかし、もう全部飲んでしまった方にはどういう対応をしていただけるのでしょう?まさか、こういう広告方法ではないですよね?注目度を集めるために仕組んでいるフェイクじゃないですよね?ゴシップを表現手法として活用しているだけじゃないでしょうな?レモン一年分を頂ければこの気持ちは納まるところに納まるという問題もないですから、まぁ、もうばれたんだから、全部全部ばらしてスッキリしてください。健康を害するような症状が出た場合は本社に伺いますので。でも、そんなニュースはまだ出ていないということは健康に害はなさそうですね。別の同商品もなんか疑わしくなってきましたね。健康のために飲んでいたモノが・・・。

模様替え。

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 数年ぶりに仕事場を模様替えしました。あと1台、winが欲しいのですが、これまでの配置ではその余裕がありませんでした。そこで、思い切っていろいろ整理したら広くなるなる。やはり仕事場も頭の中もたまにはリセットしなければいけません。さて、次はアレかな・・・。

ジョディーはそれを選ぶのか・・・。

 映画の宣伝でJ.フォスターが来日していた、いる!?で、SMAPの番組のコーナーに登場。そのコーナーは鶴太郎先生が「墨水画」を5名に伝授して、それぞれに同じモチーフ「いわし」をそのタッチで描くというコーナーで、さらに、その5名の作品の中でJ.フォスターが一番好きだと思った作品をオモチカエリというパターンでした。さすがに鶴太郎さんの絵はスキがなく拡がりがあり慣れている感じ。その技術やセンスもさることながら、鶴太郎さんは絵とか書が本当に好きなんだろうなぁ~と描いている姿を見て思った。コント用のふざけた衣装をかつらを着用しておられたが、画面の中のいわしはとても素敵でした。そして、5名がその手順に沿ってそれぞれにいわしを描画された。中居君は「絵は苦手です~」といいながらもとても楽しんでいる様子。木村君はいつもながら何にでも真剣な態度でしっかりといわしを描いておられる。吾郎さんは「僕はこういうのダメだなぁ~」といいながら、ぎこちなく筆を走らせておられ、剛君も木村君と同じ様子で真剣。そして、真吾ちゃんはかなり楽しい雰囲気で筆を走らせておられた。
 で、5名のいわしが完成。金色のクレヨンで仕上げて、さらににかわで金粉をつけるという仕上げだから、いずれもテレビ的にはいい仕上がりになっています。それぞれの朱印も押されてさぁジャッジ。J.フォスターが出てきて、5枚の絵を眺める。一瞬で「決まり!」。早かったなぁ~。まぁ、テレビですから、脚本はあったにせよ、5枚の絵の中から1枚の絵を決めるという行為に本来時間がかかるのはおかしいから、J.フォスターが一瞬で決定したのも自然といえば自然だと思った。
 5名の絵については、中居君は楽しい感じは出ているが、やはり、技術的に構図的にぎこちない雰囲気が残っていました。木村君は非常に立体的に構図も安定してしっかりと描かれていて、いわゆる優等生的ないわし。吾郎ちゃんは迷っている感じですが、それはそれでご本人のテイストが表現されているというか世界観があるというか素敵ないわし。剛君は大胆な構図で他の方との差別を試みておられたがあの構図はかなり不安定だった。最後の真吾ちゃんはいわしを描くということと鶴太郎さんが言っておられた技術的な表現的な部分を消化した上で、絵を楽しんだという痕跡が残っていた。
 勿論、J.フォスター選んだのは真吾ちゃんの絵。これは、いろんな場面であてはまる手法だと思った。本来、何も語ることのない一枚の絵が同じ条件で掲示された場合、描いた人の心や気持ちや技術やセンスを語りはじめる。それを判断するために時間はそれほど必要なく、それは一瞬で伝わるんだなぁ~と。デザインも同じである。どれだけ思いや心を込めても何も語らないデザインがあり、ある瞬間ふっと力が抜けた時に自分の気持ちがデザインになるとそれは永遠に語り続ける。これが何かを創るという行為の醍醐味である。これを一回でも経験した人はもうこの世界から離れることはない。私もあの場で6人目としていわしを描いていたらJ.フォスターに何かが伝わり選んでもらえたのだろうか・・・。自分ならどんないわしにしたのだろうか・・・?

画面情報の緩さ。

 アナログ情報とデジタル情報の決定的な差はその存在感であるが、デジタルはデジタルで「リアル感」を追求し情報にディテールを負荷しようとしている。しかし、もうそろそろ技術進化も限界なのではないでしょうか。求めれば変わるという幻想もいつか技術的な障壁が現れてそこでストップするように思う。それは、情報の受信側が五感を持っているからでしょう。「見る」という受信形態を分析しても、見ているには実はさまざまななチャンネルがあり、ただ、平面的なモニターの中で2次元的に展開する絵柄を見るだけということは非常にディテールに欠けている。欠けているからこそのメリットの部分は多くあるのですが、情報のディテールが今後いろいろな分野で求められ差別化されようとすると、このドローがない薄い面で目がどこまでディテールをイマジネーションを核心を抽出できるか疑問である。ふと気がついたこのお話は意外に展開できるかもしれないので、また、時間があるときに書き出してみます。
 で、それを仕事にしていながらなのですが、3Dにどこか違和感があり、作品づくりに没頭てきない理由は上記のことが大きな理由のようですね。角度の変わらない、調整可能なこのモニターと呼ばれているキャンバスはどこがどう進化しようが、このままだろう・・・ということです。だってそれがモニターじゃんと言ってしまえればいいのですが、やはり、モノヅクリだからディテールが欲しい。例えブラウザの中でモチーフが回転しようが、映像で世界いろいろな場所に行けようが、物語の展開をリアルに演出しようが、操作バーを振り回そうが、弾丸を避けられようが・・・。

めだかの卵!

 夏休の前あたりから稚魚のめだかをご近所様から頂いて、小さい水槽で育てています。めだからしくなってきたし、えさもよく食べる食べる。おいおい、こいつは食いすぎと思っていたら、どうやらそいつはメスで産卵まじかということ。あわてて、水草を買ってきて水槽に入れたら・・・、なんと、水草の中にたまごを産んだのです。これにはちょっと感動。そこから、大きいのを別の水槽に移し変えて、卵の孵化を待っています。高価な熱帯魚系でもないので、水槽などの設備もそこそこ、えさなんてみみかき一杯ぐらいだけで元気に食べて大きくなっていくのです。なんと、えさのタイミングを知ってか本能か、えさのケースを水槽に近づけると、それを見て集まってくるんです。すごいすごい。で、元気に育ってくれるめだか達。なんとも可愛いく逞しい奴らです。人間もこうありたいですね。

タイムボックスという思考。

 和歌山のおいさんへ、タイムボカンではないですから・・・。
 様々なフィールドのプロフェッショナルの方とお話をすると、「プロ意識」とは具体的に何だろうかと考えた場合に、私の中では3つあるように思います。ひとつは「その仕事を楽しむ」ということ、そして、二つ目は「考えず感じている」ということ、この二つについては、いつかまたこのブログで気が向いた時に(これまでもこの展開は何回となくあったのですが、なかなか、気が向くことは少ない・・・)展開いたします。
 で、三つ目は「制約・条件の中でのMAX」ができる人だと思う。例えば、最高のPCを持ってありとあらゆるソフトウエアを持っていてお金も持っていて自由な時間もあるという方が、そのパソコンを最大限活用して素晴らしいクリエイティブを展開しているかと言えば決してそうではなく、むしろ、その逆であったりする場合が多い。パソコンのコレクターならそれでいいが、私の感覚ではかんなやのこぎりやのみなら、その形状は美しく壁にかけてあっても観賞るす価値はあると思うし、道具としてもそれらは素晴らしいと思う。しかし、パソコンの外見なんて、最近、アップルも緩くなってきたので、パソコンは私の場合絶対に観賞対象ではないので、活用してなんぼ、ソフトが手に馴染んでいなければ、ただのパソコンのアクセサリーだと思っている。つまり、いいパソコンスペックを求めることは大切でそのためにいい仕事をして、よりハイスペックなプラットフォームを手に入れたいという願望は正しいと思うが、それが、本末転倒にならぬように注意したい(と言っても、予算が潤滑にあったことは私の記憶では1回もないので、好きなパソコンを買ってもいいよと言われたらそれはそれで自分を見失うような気がします。)が、そんな幸運は絶対にないだろう。
 また、いい感じの方は「忙しい」を確実にコントロールしている。決して、悪いストレスになったり、まして、ユウとウツの間を行ったり来たりはしない。現代病だとか言っているが、これは完全に贅沢ボケである。何かしなければ、命がなくなる。家族の生活が危機にさらされると感じた人間は本能で生き抜く判断をするはずである。うつだか精神の病だか知りませんが、それは平和で贅沢で無知な毎日に脳が反応をサボっているだけでしょう。あまり、強い語調はブログとしてタブーですし、そんな存在に熱くなってもその価値がない。しかし、「忙しい忙しい」の本質は「どんどんなんでも来い!」に変換できるように思いますが、いつもいつも忙しい忙しいという方はちょっと信頼感が薄れる場合もある。自分で自分の人生をコントロールできてねぇな~と思う反面、セルフコントロールしすぎて、されすぎて、この人の器はだんだん萎縮していくんじゃない?とも感じてします。まぁ、自分がそうならぬよう留意はしたい。
 そんな条件がたくさん在る中で、コストや環境などいろいろな条件があるが、中でも、誰にでも均等に与えられている「時間」についてプロフェッショナルでない方はとても緩い。時間が与えられているという感覚もなく、問題意識も欠如していると、時間の感覚が麻痺してモチベーションがコントロールできなくなるような気がします。いつまでにを自分で目標値を設定したらなんとかやる。もしくは、「それは無理!」と諦める。という判断ができないとナニゴトもプロと呼べないような気がする9月4日でした。

7cmのモップ!?

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 北海道札幌市の「空沼工房」さんはとてもすてきなWEBショップを展開しておられる。仕事で結構いろいろなWEBサイトを日々確認しているし、WEBショップも自分の趣味の範疇ですが、かなり、たくさんの商品をチェックしているつもり(高級品や旅行やブランド商品や貴金属などには全く興味がなく、逆にその価格設定の価値を感じたことが1回もないのでチェックしていると言ってもアイディア商品や自然派商品や映画やパソコン・ソフトウエア関係や書籍などなのですが・・・。)ですが、なかなかそうそう、いい感じのオブジェクトはヒットしない。特に何かお探そうと思ってサーフしていない場合は特に目の前で切り替えている画面だけを見ているに過ぎない。しかし、SEEがLOOKに変わる瞬間がある。それは、特に明確な理由が先に浮かばず理論とか理屈ではなく、「あれ、これいいなぁ~!」と直感で素直に思える時である。
 何を言いたいのか、この私のCUBEの上にのっている7cmのモップはそれだったということ。他にもいろいろあるんですよぉ~これが。こちらをぜひ一度、ご確認くださいませ。

空沼工房様の公式WEBサイト 

ワンピース第51巻!!!

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 出ました出ました51巻。ジャンプは買っていないのでこの3ヶ月のサイクルが長い長い。しかし、驚きはそのキャラのイマジネーション。尾田氏の才能はそこにある。それがどれも魅力だらけ。そこにはウジウジネトネトした日本人のキャラが微塵もない。唯一、ゾロが和風ではあるが、グレイなイメージはなく、尾田さんが考える「武士」のイメージがしっかりとルフィー海賊団のナンバー2として鼓動している。もう、この「キャラ力」がこの物語の一番のベースにあることは疑いようのない事実だろう。映画やテレビになるマンガの原作ははじめから最終目的はそれなんでしょう?みたいなフィールドの狭い物語が多い中、決して、そこに流れないマンガ文化の本流を太く激しく流れている。デュバルは最高でした。

夕焼けと雲。

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 そして、帰り道。とてもドラマチックな夕焼けた雲。

気持ちのいい空でした。

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 撮影現場に到着。とても気持ちのいい空でした。

撮影準備風景。

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 料理写真は光のまわしが命。だから、テストテストテスト。

時代を象徴している!?

 辞任か・・・。計画上の確信犯のようなその冷静なコメントがすべてこの国の緩さを象徴しているように思えた。メディアもそれほど大袈裟に取上げるべきことでもないように思う。去るものを追い、来るものを拒む国民性が総じてこのような大きな仕組みを作り上げたのだろう。ねじれていようがいまいが、先に進むしかないでしょう。時代の一場面に一喜一憂している暇はないはずである。