鳥と虫と魚。

 虫の目と鳥の目と魚の目というモノゴトの見方についてある原稿づくりのためにリサーチした。モノゴトを俯瞰で見るということはそれなりに取り組んできたつもりで、本来のそれとはレベル的には劣るかもしれないが自分なりに俯瞰でモノゴトを見るとい訓練と見えたモノに対する洞察は展開してきたと思っている。しかし、俯瞰で見ているだけはどうもモノゴトの本質の一側面でしかなく、もっと多面的にモノゴトを見なければいけないのではないだろうかという気持ちもどこかにありました。特に情報時代でPCの中にある情報をどう捉えることが自分自身にとって一番いいカタチなのか。そして、その情報をどのように処理して新しい展開に再構築するためには俯瞰的な見方だけではものたりないような気がしていました。で、俯瞰の他に対義語として「虫の目で見る(鳥瞰に対して虫瞰だったような・・・)」だけは知っていた。そこで、それについて適当なキーワードでグーグルを叩く。すると下記ようような情報がヒットした。
 「「虫の目」は近いところで、複眼をつかって様々な角度から注意深く見る目のこと。「鳥の目」は虫では見えない広い範囲を、高いところから俯瞰(ふかん)する目のこと。そして「魚の目」とは水の流れや潮の満ち干を、つまり世の中の流れを敏感に感じる目のことです。」という文章である。ここまで明確に整理は出来ていなかったが、同じようなことを考えているんだと思った。そうか、虫の目とはただ近くで見るという意味ではなく、複眼で多面的に分析するという見方だったのか。そして、「魚の目」というのを知る。世の中の流れと川の流れに比喩していた。なるほどなるほど、鳥や虫や魚たちの環境や特性はそれぞれ自らの生命を維持するために与えられた能力であり、それを人がどう考えるかは自由だけれど、自然の中の様々な基準でモノゴトを捉えるという入口にはとても理解しやすい表現である。
 で、ここまでのふるまいは偶然なのか必然なのかという見方をしてみると、偶然にも「鳥瞰」というサインから「魚の目」というキーワードがヒットし、これまでなんとも心の中の「モノゴトの見方」が整理できていなかったコトが少し整理できたような気持ちになれる。こんなことは疑問が浮かび、PCで検索して、目当ての情報がヒットしたら誰でも起こりうる偶然ですが、これを必然と捉えると、情報の本質が変化するように思うのです。偶然と必然で考えると、その場しのぎみたいになりますが、主観と客観という考え方で情報が捉えられていれば、目の前に現れた情報を平面的に処理する以外に多面的に立体的に自分の情報として心の健康の栄養にできればいいなぁ~と思うのです。便利ですが便利の次にあるモノゴトやサインを「鳥と虫と魚の目」で見ていきたい。