現実という定義の揺らぎ。

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 「グーグル、ユーチューブ、SNSの先に何があるのか?」と表紙でこの書籍は読者に何かを問い正している。ティム・オライリーと読み解く「仮想世界」ということであるが、そもそも、仮想と現実の境界線の設定なんて強引な話で、もともと、仮想なんて表現は言葉を変えて存在していたし、現実についても多くの哲学や科学などの学問で定義されているわけだから、このキャッチコピーも強引と言えば強引なのである。しかし、「神々のWeb3.0」なんてタイトルで本が出てたら買ってしまう、読みたくなるのは自然な流れ(この部分も強引と言えば強引ではありますが)。「Web2.0」を提唱したのだから、3.0もあるでしょうね。でも、なんでもかんでもそう簡単にバージョンアップするのかな?しかし、ゴールがないと誰も走らないからそれをここですって設定されることは何事も大切なのでしょう。そういう意味でたぶん私たちは「Web3.0」というゴールをこれから目指すことになり、それを諦めた人はゴールインの達成感に浸れないのでしょう。映画や小説で「現実」が定義され様々な仮説が様々な表現で創造される。それをどう感じてどう取り入れてどう排泄するかというふるまいに興じているうちはいいが、その弊害も多い。「現実と仮想の区別はどこだ!?」と哲学者ぶるのも「所詮、現実も仮想も神も人間の想像物だから私の生活には関係ないですね」と今を生きるのかは自由ですが、「先に何があるのか?」と言われても、今、この瞬間に何があるのか、5年10年前に何があったのかも定かではないのに、そんな脈略は成立しないように思うのですが。
 で、この書籍を読み終わった時、この考え方はどう変わっているのか?その「何か」が理解できているのか?それが一番楽しみである。