「こんなイメージ」論#001

 「・・・なイメージのデザイン」「・・・なイメージのWEBサイト」「・・・なイメージのコセンプト」と何何にイメージという言葉はよく口にするし耳にする。自分自身が何かを伝えようとする時、それを表現する適切な言葉が浮かばない時にこんなコミュニケーションの方法をとっているし、人から何かを聞く場合もその人の言葉で伝えようとしておられることのフレームが見えない時、「それは・・・なイメージでしょうか?」と確認させていただく場合「・・・なイメージ」という表現を活用しています。これは、何かをコミュニケーションする時に非常に有効に機能する。「ほらほら、黒い重苦しい空から雨が降り、近未来風の巨大な建物が建ち、空飛ぶ自動車みたいな乗り物が行き交い、地上では傘を差した人が無国籍風のコスチウムを纏い闊歩している。雨は酸性雨でその街に暮らす人々は自分たちの未来に希望を抱いていない。今をただ生きているという実感だけで街が動いているような未来の映像」を、と伝えようとすると、「黒い雨?」「近未来風?」「空飛ぶ自動車?」「無国籍風?」とこれらのどれかひとつが理解できない、頭の中に描けていないと、最終的に伝えたい映像はかなりチグハグなモニになり伝わってしまう。しかし、一言「ブレードランナーのオープニングようなイメージの映像」で「はいはい、なるほどなるほど!ところどころで炎が噴出しているみたいな・・・」と100%その伝えようとする映像は伝わる。しかし、伝えようとする相手が「ブレードランナー」を観たことがない場合、やはり、「黒い重苦しい~」から始めなければならない。
 で、人と人がコニュミケーションするということはお互いのいろいろな条件がマッチしているとそのコミュニケーションはさらに覚醒されるのですが、スタートラインで温度差や既知に格差があったり経験値や一般知識・専門知識に格差があると最後まで交わらないコミュニケーションになり、繕うだけで終わる場合が多い。だから、その人が何のプロであり、どんなライフワークを展開して、どのような人間関係の中にいて、何を経験値として持ち、どんな自分の未来像を描いておられるかを知るためには感じるためには、こちらが広くも深くも何かを探求し続けていなければいけない。どれだけ厚い経験値があり、その時はクレバーでも今現在それをしていない人は「むかし話」でコミュニケーションが終わり、何かにコンプレックスを持ちそれをプラスのベクトルに変えられない人は「おとぎ話」で終わり、そのいずれでもない、何も自分自身の事や家族の事や社会の事や教育の事や地球の事や宇宙の事に興味のない人とは、どのアプローチを持ってしてもコミュニケーションをとることが難しい。というよりも、そのタッチの方とはコミュニケーションをとる必要がないのである。社会生活とは団体生活であり、共生共存とは言え、その方とは別にコミュニケーションしなくとも共生共存は成立する。一番、危機感を持たなければいけない最大のポイントはここである。存在価値とは難しい言葉になりますが、価値とは呼応することであるはずですから、そのために何を思っているを知るために、「・・・なイメージ」表現は便利でもありリスクもあるのです。
 「時は金なり」と言いますが、「ふるまいは人なり」と勝手な造語で「道草思想論「こんなイメージ」論#001」とさせていただきます。

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