2008年11月 アーカイブ

多種多様ありき。

 WEBサイトに関連する時代のスタイルについて考える時、何が本流なのだろうか?様々な概念が様々な形式で発信されそこにビジネスモデルが多く存在する。凄まじいスピードで新しいスタイルや技術が現れ、そして、同じサイクルで消えて淘汰されていく仕組み。その中で本流として残るスタイルを見極めなければ・・・と考えるが、と全力で取り組むのが「普通である」「標準である」「スタンダードである」と考えているが、はたしてそれはそれでいいのだろうか?と考える。とてつもない世界規模での破綻やビジネスモデルの崩壊をニュースで聞くたびに、このシステムはいた仕方なく崩壊したのか?いやいや、崩壊するべくしての現実なのか?と考えてしまう。こうなると、インターネット、デジタルコミュニケーション、オンラインサービスという項目のお話ではなくなるだろう。もっと、深く長いお話になりそうな気がします。古い価値観を見直す。新しい価値観を受け入れるということは、いったいその実態はどうであるべきなのか?もう、???の連続である。何をやっておけば、これを熟練していれば、あれを知識として保持していれば、という安泰とは対極にある何か大きなというか密度の濃い「英知」を持たなければいけないのかもしれない。しかし、0から何か新しいノウハウを創出するということはナンセンス。継続の上にある時代の万象をいかに自分へのサインとして捉えることができるかと端的にはこのような言葉に集約されるように思います。しかしながら、とてもその全容をフレーミングするだけの骨組みではないですが。
 で、どうしていくのか?「多種多様ありき」で器と視点を持てということなのかもしれない。なによりも言葉では簡単、行うは・・・である。

4匹の子猫。

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 仕事中に撮影したのでちょっと手ぶれてますが、建物の裏口に冷たい風を避けるように4匹が身体を寄せ合っている感じがなんとも可愛いかった。まだ、子猫のようで裏口から誰かが出てきても逃げることなくずっと4匹で寄り添っていました。

奥の深いスケールのお話。

 これまでは自由にひいていたスケール。感覚でキー上のスケールをひいていたのですが、ちょっとちゃんとスケールを知っておこうと遅ればせながらスケールの本や全コードの書籍や「ロック&ブルースのアドリブ」というような書籍を読んで練習しています。なかなかリードギターも奥が深い。音楽なんて聞くのは好きですが、学校の頃の授業としては興味の対象外だったので、音階や和音などはど・ど・独学です。独学などと言ってみても完成度の高さで言えば素人レベルの末端であることは否めません。しかし、楽しいバンド活動にするために、リードギターのパートをやらせていただくのですから、自由にひくだけではつまらないと思い、奥の深いスケールの世界に踏み込みました。
 で、どこまでできるかが自分自身でも興味があります。しかし、独学のレベルをたぶん超えることはできないだろうと思っていたら、なんと、凄く身近に凄いギタリストの存在があったのです。これがなければこんな気持ちになれなかったでしょう。その方を敬意を込めて「師匠」と呼ばせていただいているのですが、まぁ~凄い。その方のライブも実は12月20日(土)に長浜市内の某所で拝見できるという流れ。また、そのライブの風景などはこのブログで紹介いたします。素敵なクリスマスナイトになるでしょう。始めたばかりのバンド活動なので、海のものとも山のものとも状態なのですが、やはり音楽は自分が演奏するのが楽しいと思いますので、しっかりとレベルアップを目指したいと思います。

いよいよCS4がキタァ~!

 本日、朝一番のメールチェックにアドビからの「アドビライセンスサイトへようこそ」というメールが到着していた。ライセンス申請でアップグレード版を購入したので、そのお知らせの第1弾。早速、ログインするにも、申請時にランダムに発行されたPSWから、ログイン時に再度、セキュリティーのためにパスワードの新規登録を求められた。いつも使っているパスワを入れようと思ったら、どこかのクッキーに残っているのか、このパスワードは以前に使われている可能性がありますので、下記のパスワード作成事例を参照して新規でパスワードを再入力してくださいと出た。う~ん、厳重だ。とにかく最近はオンラインショップでもブログのダッシュボードでもオンラインサービスでも常に「ID」と「PSW」が必須項目ですから、PCの周辺やデスクのいたるところに「XXXXのIDとPSW」というメモがところ狭しと貼ってある。それらにはいくつかパターンがあり、いつも使っているIDは会社関連や個人で区別しているし、パスワードもできるだけ覚えやすいモノにしている。うっかり、メモを紛失してしまうと、どうにもこうにもならない場合があるからです。
 で、アドビライセンスサイトにログインするためのパスワードの作成方法とは、「8文字以上」「英文字、数字、記号を1文字づつ順不同に並べる」という条件だった。だから、これまで使っていたPSWではこれに適用されないので、言われるままにランダムに考えて無事ログイン。さすが、アドビだなぁ~と思いました。まだ、インストールメディアが到着していなので、まだ、試運転は先なのですが、リサーチしているだけで、あれとこれとあれとこれはすぐに試したいことがあり、ひさびさにこのCS4だけはガッツリと手に馴染むまで使おうと腹を括っています。
 どっぷり使い始めてから、また、このブログでそれぞれのソフトウエアの情報や使い方などの詳細を紹介させて頂きます。また、「CS4のこれが凄い!」という情報がありましたら、コメントを入れてください。よろしくお願いいたします。とにかく、「マスターコレクションCS4」なので、15種類のソフトウエアが入っていますので、かなり「慣らし」の期間が必要だと思っております。初めて起動するソフトも4つあるので、楽しみ楽しみ。いずれヒートアップしてきたら、カテゴリーを「CS4活用術日記」としてブログります。

夕刻の伊吹山。

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 この時期、なかなか雲のない空が少なく、ガスっている日も多いし、冬になると厚い雲がどこかにある。しかし、今日はとても空気も抜けていて夕方の光にちょっとオレンジになっている伊吹山。撮れそうでなかなか撮れない伊吹山です。

絵のチカラ、音楽のチカラ。

 昨晩、久々にテレビ番組を見ていて涙が出てきた。それは、島田紳助さんの番組である。有名人から絵画を募りそれをオークションしてカンボジアに学校を建てようという企画番組である。この取組みは海外でも頻繁に行われている。そして、その趣旨に賛同する方は多い。それぞれに反響が予想以上に大きく今後もこの展開は世界のいたるところで大きな波なるだろう。
 ところで、この番組を日本の子どもたちはどういう気持ちで見ていたのだろう?この番組を日本の政治家達はどういう気持ちで見ていただろう?著名人の絵が幾らで落札されたかは関係ない。この世にただひとつの絵画作品がその場に参画された方の熱意で代価が支払われその方の手元に渡る。その代価がカンボジアの学校なのである。多少の演出はあるだろうし、これを企画した運営側に必要経費が流れることは当然の流れとしても、これだけの方がこれだけの熱意で何かアクションをおこされたということをテレビを通じて知れたことに感動した。心が確実に動かされた。
 環境問題も教育問題も経済問題に対するアクションもこれぐらい明確にしてほしい。考える前に行動できる人のエネルギーを知り、メディアをこれだけ活用された番組はそう存在しない。これでこそマスメディアである。これに賛同された著名人やアーティストの皆様は本当に素晴らしいと思います。こんな企画が成立する根底には絵や音楽の存在価値が必須条件である。なぜ、一枚の絵にそれほどの価値を注ぎ込めるのか、音楽が何故、こうも心を動かすのか。たぶん、理解できない方は多いだろうし、理屈や理論でそれを誇示しようとあがく方も多いはず。それが誰でそんな方たちが自分の無力さを否定するために権力に縋るのだろう。この仕組みは人間の文化の仕組みとしてこの世から消えないことは仕方ないとしても、何か感じたならひとりの人間として考える前に動いてほしいものです。とは言えひとりひとりにできることには限界があり、できないこととできることがあります。できないからしないのか、しないからできないのか。その都度その場所で真剣に自分の「できること」を確認して、なぜ、できなかを考える。絵やデザインに関わる人間として、「一枚の絵のチカラ」をこれほど魅力的にメディアで感じられたことに、この企画に賛同される心がテレビを通じて見る聞く知ることができて涙が出ました。死ぬまで絵にどこまでも関わっていきたいと思いました。漢字が読めなくてもいいですから、あなたはあなたの立場であなにできることを一生懸命やってくださいね。

ある店長さんの熱意。

 とてつもなく古いテレキャスター(エレキギター)を楽器屋さんに持ち込んだ。修理をお願いするためにである。持ち込んだ時はギターに詳しい女性のスタッフの方が対応していただき、さすが、楽器屋さんだと思ってこちらの修理のポイントを説明してまずは診断をお願いした。そして数日後、電話連絡が入った。このギターが制作されて販売された年代や開発された意思やモデルの特徴と現在のギターの状態についてとてつもなく細かい診断をしてくださった。そして、修理にかかる費用についても通常ここからここまでですと淀みなくお見積もり金額をご提示いただいた。できるだけ安価に修理できれば、復活すればいいなぁ~と何のギターの構造上の知識もないまま漠然と思っていたことに対して、その気持ちもすでにプロの視点で読み取られているように思えた。だから、その店長さんがおっしゃる言葉のひとつひとつをとても真剣に聞けた。このテレキャスを修理するという方法は価格帯によっていくつか選択肢があります。ここまで希望される場合はこれだけの費用、ここで妥協されるのでしたら費用はこれぐらい。しかし、その費用をかけてまで・・・とおっしゃるのなら、こことここを修理して弦だけはって部屋に鑑賞用として飾っておいてください。その方がこのギターが喜ぶでしょう。とまでの言葉を頂いた。そのまま引き取り「診断ありがとうございました。」で終われば、その楽器屋さんとしては売上げは0なのに。この熱意にはガツンなのでした。古いギターを診断する。適正な修理価格を提示する。お客様の希望に対して選択肢を提示する。ここまではプロとして当たり前なのですが、そこからの熱意とはもう、その方の中からしか出てこないと痛感した。
 で、逆の立場で同じことが企画・デザインを仕事にしている自分に出来ているだろうか自問自答した。やろうとは努力しているが、いつも中途半端に終わってはいなだろうかとか、知識や提案ばかりを並べ立ててお客さんの気持ちに踏み込み過ぎていないだろうかとか、熱意が空回りしていなだろうかとか。私みたいに古いギターを持ち込む者から、新品の楽器を求めてくる方もいるだろうし。楽器を買うということは演奏技術を高めたと考えるはずだから、その部分についてアプローチはされているはず。つまり、ひとつの商品を買っていただくということは、ただ、「どこよりも安く売る」ではNGなのである。たぶん、これからいろいろバンド活動をするにあたって、必要な備品や消耗品や、新しいギターはここでまず最優先で検討するだろうと思います。「顧客満足を目指そう!」と壁にかけているだけではだめなのである。仕事に対する熱意は自分の中から湧き上がってこないと、絶対にお客様一人ひとりには伝わらないということをリアルに感じさせていただけた店長さんだった。本当にいろいろお世話になりました。今後ともよきアドバイスをお願いします。となるのである。当然。

彼はきっと・・・。

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 朝の会社から撮影したカラス君。たぶん、彼はこちらを見ているだろう。

CRS(企業の社会的責任)について。

 2003年は「CSR元年」だったらしく、それから5年がたち、この概念は幅広く知られるようになったと日経新聞に書いてあった。さまざまな企業の不祥事がトリガーになり企業倫理の均一がどれだけ意識化にあり、実動がどれだけ伴っていたのかが問われた5年だったと記載されていた。また、環境問題についても同じ、闇雲にステレオタイプに弊社はなんとか運動に共鳴しています的なくくりで安心みたいな風潮が蔓延し、個々の意識の中には何も芽生えていない。という構図が否めない。とりあえずこの認証だけ取得しておけば、環境問題もセキュリティーも当面は大丈夫だろう・・・みたいな概念とは到底育成しきれていないレベルで安泰してしまうこの国の感覚が一番恐ろしい。つまり、お上に依存している文化と歴史の上にまだあぐらをかいている。勿論、この恩恵は大なり小なり受けていることに対してリスペクトしないわけではないし、コアな取組みや体温の高い方への共鳴は怠っていけないと思います。
 で、これは国や企業に対してのCRSというよりも、もしや、概念を持っている人との共鳴こそが一番大切な「企業の社会的責任」の核なのかもしれないと考えていた。だから、この記事の後半に展開されていた内容に心から呼応してしまった。その記事は「そのための需要な鍵は、事業の社会的意義を揚げた経営理念や経営哲学の真の浸透にあるのではないだろうか。そこにおいて、形式主義を超えたコンプライアンス、企業倫理とCRSが、従業員一人ひとりの中で改めて結びつくことになると思われる。」とっ括っている。つまり、不祥事もその発端はひとりの倫理なき個人であるはず。それが、倫理観のない誰かに伝達され、企業の総意となり、負の連鎖に発展したのだろう。つまり、一番大切なことは総意に対する個人ではなく、個人に対する総意でなければならない。総意になるまでの過程を無視し、ステレオタイプに論理を構築しようとするから「ひずみ」や「ねじれ」が発生する。時に「ひずみ」や「ねじれ」をも「共有」にしてしまうぐらいの「視野」というか「テーブル」というか「器」が今最も必要なのではないだろうかと考えてしまった。「サイズの異なるどんぐり」でも「長い釘」でも「101歩」でもいいから、まずは、自分の中の「Yes」と「No」を明確に持ちたいと思います。そこから、権利も責任も生まれるような気がするのですが・・・。ここですでにねじれているかもしれませんが。

で、サンタ。

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 で、昨日、お仕事で描いたイラストの一枚がこのサンタ。こんなイラストですが、いろいろ考えて描いて意います。ガリガリサンタよりも丸々サンタの方がなんとなくいっぱいお願いごとをかなえてくれるかな、プレゼントも奮発してくれるのではないかな・・・と。

この用紙がベスト。

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 仕事で絵を描く時は仕事に合わせて画材を選ぶのですが、あまりソフトウエアでイラストは描かない。どうもずっと自分がマウスで描く絵が好きになれないからです。あと処理や修正はこれでもかってぐらいにソフトウエアを使用・活用するのですが。で、パステル以外の絵の具(透明水彩、アクリル、ガッシュ、ポスカラ、カラーインクなど)場合はやはり筆と水を使う。それぞれにこだわりがあるので、持っている筆はたぶん200本ぐらいはあるでしょう。でも、その時の気分で筆を買っているので、一回しか使わずずっと筆ケースに入れたままという筆もあります。特に水彩の場合、クリアな混色をしたいので、水の入れ物はガラス、パレットも白色の陶器は必須アイテムです。筆の太さも描くタッチや塗り込むエリアやイラストのサイズによって使い分けるのですが、筆はある限られた種類に落ち着いています。写真がそれです。また、水彩をペンで描く場合もあるので、いろいろなペン先もほぼ市販されいるモノはいつも予備も含めて手元に置いています。最近、あるイラストレーターの特集を雑誌で読み、改めてトライして感触が良かったのがこの写真の中のガラスペンです。存在は知っていたのですが、高価なイメージがあり、普通の金属のペン先が好きだったのであえてスルーしていました。しかし、新しい道具にはチャレンジしてみるもので、これがなかなかいい。技術的なことはさて置き、使いやすい。インクもにじみを狙う場合とビビリを狙う場合とシャープを狙う場合でいろいろあるので使い分けています。スーパーリアルタッチには向きませんが、感覚的な線にはかなり有効ですね。
 で、そんなこだわりの画材と道具と同じぐらいにこだわっているのが、この筆の下の用紙。筆についた絵の具の水分を適正にして画面に筆を入れる時、絵の具の量を適正にするためや新しい絵の具を入れ替える場合に拭うための用紙です。これが、様々な布や様々な紙を試してみたのですが、この用紙がベスト。乾いた布だと水を吸い込み過ぎ、濡れている布だと吸い込まない。紙だと吸い込み過ぎて紙のくずが筆先についてきて気になる。ちょっと強くこすりつけても紙の繊維が取れずに、一旦筆についた水分が吸い込み過ぎない用紙という点でこの用紙がベストなのです。この用紙はどこで手に入れているか・・・、はい、マックなどでおいてある紙ナプキンです。いろいろな店のナプキンをもらって来て使いましたが、ベストはマクドナルドの紙ナプキンです。一度、イラストを描く方は試してみてください。非常に優れた用紙です。

どういう意味だろう?

 「「いまどきのマックはウィンドウズも使えるんだって。」そんな安心感からMacの世界へ飛び込んでくる人たちが増えています。もちろん、今まで使っていたWindowsPCからMacへ移行する人もいれば、併用する人もいます。本誌は、そんな両側面を併せ持つ最強の「共有・共存・共栄」本です。」というメルマガが届いていた。あるパソコンの専門誌の編集局からの定期的なメルマガの中にである。この場合の「Macの世界」とは何を指しているのだろうか???とふと考えてしまいました。増えているということは以前は少なかったと認めている。移行する人と併用する人がいるということの利点をなぜ語る必要があるのだろうか?仮にWinの書籍でこの逆のお話はあまり聞かない。つまり、そういうことなのでしょうね。正確には「共有・共存・共栄」とはある一方の視点から見ると完全に「依存」である。企業が同じような言葉を使うが正確に「融合」などありえないのではないでしょうか。
 で、PCに関わるユーザーの皆様の考え方はどうなのだろう?「Macが好きです!」という方と「Winしか使ったことがないので・・・」という方の決定的な違いは何だろう?そもそも、私自身が最初にDTPを始めた時、アプリケーションがMacしかなく、PCでデザインをするにはMacしかなかったからMacを使っただけなのである。選択肢がなかった。しかし、Winが世の中に出て、一般的に活用されはじめた段階では特に興味はなかったのですが、WEBコンテンツを作成するようになってから、Winの底力を知ることになる。それから、言わば「共有・共存・共栄」型のスタイルになりました。この場合も、大袈裟な大意や決意はなく、自然と今のスタイルになりました。だから、あまり、MacとWinの特徴は?とか違いは?とかコンセプトとは?とか考えずに使いやすいと思う方を使ったらいいと思います。しかし、あのCMはかなりWinユーザーの憤慨を買っていたに違いない・・・。

ペンタトニックスケールか・・・。

 リードギターに適用されるスケールにはいろいろあることは知っていたが、それほど深く入ることはしなかったというか興味はあったけれど・・・というレベル。真剣にやろうと思わなかったからでしょう。しかし、最近、ある方(ギターの師匠)の影響でそれに取り組んでいます。しばらく指を動かしていなかったので、1週間前から毎晩2時間ほど運指をしているのですが、ギターの弦も張り替えてクリーンアップしてバンド活動の準備をしている状態です。指の先が柔らかくなっていて、最初は痛かったですが、ここ数日はいいポジションに指が入るので音もしっかり出始めている。生でしっかり音が出るようになり、ピッキングもアタックとストロークがスムーズに聞こえてきたら、次にアンプとエフェクターに通そうと思っています。とにかく長く本格的に弾いていなかったので準備が大変。曲練習に入るにはもうちょっと練習が必要だと思っております。
 で、まだ、アドリブの段階までいけないのですが、やはり、指が動く、右手が動くようになると、次はスケールをしっかり理解して指に覚え込ませる必要があります。で、運指の練習がてら「ペンタトニックスケール」をおしえてもらってそれを毎晩練習しているのです。これが、なかなか、いい感じのソロになるので、なんでも知っていないとできないことってあるんだなぁ~と小さい感動の毎日なのです。

Photoshop CS4 Extendedの威力。

 最近リリースされたADOBEのCS4にはとてもたくさんのこれまでになかった新機能がそれぞれのソフトウエアに装備されている。FLASHや映像編集系のソフトウエアもさることながら、「Photoshop CS4 Extended」はかなり進化しているように感じます。実際、この威力を実感するのは、FLASHやAFTEREFECTSやPREMIERE PROなどと連携させて初めて実感できるとは思うのですが、これ単体でもかなりのインポートとエクスポートが可能であるとWEBには記載されていました。そもそも、ADOBE CS4のマスターコレクションが欲しいと思ったのは、CS3.3のマスターコレクションが欲しかったからなのですが、いろいろなWEBサイトの紹介文を読んでいると、やはり、「印刷、WEB、マルチメディア、3D、アニメーションなどのすべてのクリエーションを~」というアプローチになっている。勿論、DTPとWEBという連携はここ最近の必須項目ですし、ということは、勿論映像というクリエーションの畑も視野に入ってくる。逆にそれまで、それぞれの分野で特化していたノウハウやスキルが総合的にデザインビジネスとして展開されるということは今後主流になるはずであり、この機会というかこの入口を視野の狭い先入観や固定観念で閉ざしたくないと思うから、マスターコレクションが必要だと考えている。
 で、それぞれのソフトウエアを使っていてやはり感じることは、データの互換性である。平面ならちょっといいスキャナかハイスペックのデジカメでPCには入ってくるが、ビデオデバイスとなると様々な機種がありフォーマットがあるために、これらをストレスなくPCにいい状態で入れることがまずいいクリエーションの入口になり、また、アウトプット(EXPORT)する際にも、微調整でき多くの形式を選択できるのはうれしい。映像は奥が深く加工にはマシンスペックやソフトウエアの熟練度が必要ではあるが、以外と、いいコンテンツを創るために必要なコツはアイディアだったり完成形をより効率よく試行錯誤するノウハウだったりする。また、いろいろな機能が多いソフトウエアの場合は、自分が求めているクリエーションを明確に描けていないと、エンドレスになる危険性もあるし、変な段階で妥協してしまう結果に陥りやすい。これが一番いただけない。だから、多機能になりできることの数が増えることは勿論ですが、このCS4の進化の背景にそれぞれのデータの互換性を重視したと書かれている部分は実は一番魅力的な部分なのである。そこで、Photoshop CS4 Extendedに何ができるかということを考えれば、今回の進化は自分のモノにできると考えています。
 結局、デジタルコンテンツなのだから、同じモノを創るなら誰でも創れる。が、そうではクリエイティブとは呼べないし、かと言ってオリジナリティーの高いモノが必ずしもいいクリエティブとは限らない。ならば、「品質を上げるため。」と言葉にすれば安易ですが、この「品質」の中に含有されている要素・パーツは想像以上に多岐にわたる。これに対して腹を括れていないと、CS4はただの「PCの中の飾り」になってしまう。これが一番非生産的なアクションである。だから、知ることと考えること実際に使い込む気持ちを持ち、失敗や後悔やジレンマの上にある本質に手をのばす勇気を持ち続けたい。たぶん、アドビもそんな人を応援して意識してのCS4の展開だと思っています。楽しみです。

バンド活動開始!

 ゆっくりとですが、バンド活動を開始しました。部屋の飾りになっていたエレキでとにかく運指を開始。まだとうていリズムやリフを整える段階ではない。とにかく、右手と左手の準備をしなければいけない。ただ、そうプレッシャーもない。とにかくとにかくバンドができるという事実だけでワクワクが止まらない。が、ワクワクだけでは何でもそうですが、本当の「楽しい」には変わらないので、そこはちゃんと練習をして切り替えねばと思っています。どんな曲を練習するかはまたこのブログや他にバンド専用の公式ブログを開設する予定ですので、そちらで「おっさんバンド(仮称)」の近況などをブログっていこうと思いいます。
 で、モノを揃えないと始めれない人なので、古~い、テレキャスと今使っているレスポールと合わせて、3本目が欲しくなってきています。だから、違うタイプの3本目を昨日市内の楽器屋さんでチェック。とりあえず保護用のスプレーとピックいろいろを数枚購入。3本目が来たら、ちょっと細い弦をセットして、リード用に調整しょうかなと思っています。レスポールとテレキャスはバッキング用。3本目をリード用にしようかなと。これだけでかなりワクワクしているので、個人練習を経て全体練習という流れなのですが、これまた楽しくなるのでしょう。エフェクターが古くなっているので、これも、2~3個チェックしてきました。音楽を聞くのも楽しいですが、音楽は演奏する楽しさも格別。まずは、「black night」です。

留学のススメ。

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 現在、WEBサイトのリニューアルをさせていただいている東京の出版社(広告代理店)様のご担当者様から送っていただいたメディアの資料です。田舎(福井県)の小・中・高校だったので、「留学する」という意識は今思うと0%でした。が、自分自身この頃にヨーロッパとかアメリカに行って短期間でも留学していたら、多分、人生観は変わっていただろうと思います。ただ、外国語を勉強するという目的にしても、日本の義務教育の英語と向こうで学ぶ英語は別物。それをやわらかい頭の時にしみこませられる環境にいたら、ただ語学だけではなく、いろいろな社会や文化に対する視点が視野が多く広くなっていただろうと思います。しかし、担当者の方とお話をしていますと、現代では留学という考え方も日本の教育の現場や一般の意識の中に薄れかけているらしい。ある限られた方しか現実には留学をできない環境・社会の仕組みになっているとのこと。
 で、これから日本はどこに行くのか?という壮大なテーマに相対する時、「留学」というアプローチは有益にフィードバックしてくる時間的・費用的な投資だと思います。できるかできなかではなく、今だからこそ、こんな時代だからこそ「留学モード」は「ある」と思います。WEBサイトのリニューアルが完成したら、また、このブログでご紹介・ご案内させていただきます。

アンドリュー・ワイエス展in渋谷

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 なんとタイミングが合うことか。東京に行くたびにドンピシャで素敵な展示会が開催される。今回は「アンドリュー・ワイエス展」とにかく好きです。特に細かい理由はない。この感覚は「好き」としか表現ができない。特に今回は習作が展示されていた。もう、感激としか表現できない。東京の方もそうでない方も開催中にぜひ一度渋谷へ・・・。

http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/shosai_08wyeth.html

「長浜クリスマスマーケット2008」の秘密~その1~

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 この写真は昨年、クリスマスシーズンに長浜の黒壁界隈に現れたクラフトペーパアート。ヨーロッパテイストの家のオブジェの中に電球を仕掛けた作品です。ひとつひとつは確かにペーパークラフトなのですが、夜の街並みの中にライトで浮かび上がるシルエットはなかなかアートフル。これが今年のクリスマスシーズンにはさらにその数と配置エリアを広げてご鑑賞いただけるという仕掛け。それは、12月15日から10日間開催される「長浜クリスマスマーケット2008」のサプライズ企画のワンアイテムなのです。私も実物を鑑賞していないのですが、これからひとつひとつ創っていきます。また、黒壁界隈に並ぶクラフトペーパーアート以外にもいろんなサプライズを企画していますので、寒い季節で慌しい時期ではありますが、ちょっと、足を運んでみてはいかがでしょうか?どこかで美味しい暖かい楽しいサプライズもあるかもしれません・・・。

◎詳しくはこちらへ。

石のコレクション追加。

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 自動車にも貴金属にも洋服にも興味がない。全くない。が、カミさんに言わせると「妙なモノを集めすぎ!」そのひとつが石のコレクション。ある後輩から、こんなことを言われた。「どこかの石を持って帰るってことはあまりよくないことですよ。」と。それは、いろいろな意味があり、その地の魂というか霊を人間の勝手なエゴで移動するのはよくないらしい。確かに何故石を持って帰るという理由の中にその土地での記憶を持ち帰りたいという念が働いているかもしれない。でも、持ち帰りたい衝動には勝てない。だから、どこで拾ったかも分からないぐらいに妙な形の石が部屋や仕事場には氾濫している。
 この2個はブラジル産を東京で買ってきた。右がトルマリンの原石、そして、左が水晶の原石。トルマリンは説明書きにいろいろな効果が記載されていたが、まぁ、そんなことは関係ない。この黒い感じがいい。水晶も人間が考えたいろいろな理由はあるがそれもあまり関係ない。とにかく、この質感は美しい。だから、手元でいつも見ていたい。だから買ってしまう。じっと見ているだけで飽きないですね。

U2は最高。

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 シカゴのライブDVDを購入。ずっと気になっていたのですが、ちょっと高くて手が出なかった。たまたまアマゾンで確認したかなり価格が下がっていたのでBUY IT!
 で、どうだったのか・・・、勿論、直立不動で観てしまいました。

地下水の情緒。

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 東京や大阪で暮らしていた時はまず見かけなかった。ただ、毎日の生活の視野の中に見えなかっただけかもしれませんが、長浜で暮らすようになって、愛犬の散歩をしているとよく街の中で常に水が出ているこのような設備を見かけます。夏でも冬でも常に水が流れいる。夏などはビールや野菜が冷やしてあったり、冬はこの水を利用して雪を溶かしたり。また、地下水だから、夏は冷たく冬は暖かい。これって都会では感じられなかった感覚。とても情緒を感じてしまいます。愛犬などは夏の散歩中、3箇所ぐらいのこのような地下水の設備でのどを潤すのが習慣になっていて、たまに、愛犬のあとに手ですくって飲んでも全然大丈夫。これってとてもいい感じなのです。神社行けば水が常に出ていて、ひしゃくですくってそれを手に入れて飲む。夏休みの時なんかは毎朝、そこで手を洗い顔を洗う。これがなんとも気持ちいい。
 最近の住宅メーカーの家にはこんな設備がありませんが、何も都会と同じ方法論を地方の家にも強引に当てはめなくとも、その地域地域にマッチした家づくりをすればいいのにと思います。特にこの地下水が常時出て流れている設備の正式な名称は不明ですが、なんとも自然と一体な感じがいい感じなのです。

100年というサイクル。

 企画・デザイン・WEBという仕事を100年というスパンで考えたことがなかった。しかし、家を作っておられる企業様や会社様は常にそこで暮らす人の100年先の生活やライフスタイルのことを考えながら日々の仕事に取り組んでおられる。これはなかなか強烈でインパクトのあるお話だった。お聞きしているとすべてが「確かに確かに~」なのである。人間が家族で親、子、孫と暮らす家。環境や省エネや低コストや健康住宅も結構ですが、「家とは本来~」という部分にフォーカスするといずれもピントが合わないようなつじつまが合わないような気がしました。これは、何がよく何が悪いという問題ではないので、簡単に答なんて出すことができない取組みである。とにかく、その場で一番いい答を出すようなデザインという短いレスポンスを要求される仕事にも、どこかに、50年100年先を意識したテイストが展開ができないものだろうかと考えてしまった。

「Adobe Creative Suite 4」日本語版ついに発表

 「ついに」という感じでいいのかは別にして、アドビさんのコンセプトはこのカタチが新しいスタイルの提案へ向けての船出と紹介されている。デジタルコンテンツの進化と呼ばれている事象をクリエイターとしてどう捉えるかはまた別のお話なのですが、絶対として「多様複雑交差する情報をいかに直感的に処理して創造物に変換してアウトプットするのか」ということに対するアドビさんの答がこの「CS4」なのではないだろうか。マクロメディアとの連携間は下位のバージョンにも部分的に見られたが、ここで一括してさらにその連携感が強化されたのだろう。やはりこれがこのバージョンの一番の魅力だと思います。では「連携感」とは?みたいな部分についてはそれぞれのクリエイターがそれぞれの目的でソフトウエアを活用している。そして、いろいろなスキルやノウハウやセオリーをその経験値でクリエイティブに注いでいる構図が「連携する」とはどういうイメージだろうか。これがアナログの世界であれば、パステルでイラストレーションを描いていた方が同じ仕事というベクトルで陶芸をする場合は轆轤を使うだろうし、文筆活動も平行してとなると、便箋やペンという道具を使うだろう。「画材と絵筆」「土と轆轤」「便箋と万年筆」との連携感などは意識することはないが、ソフトウエアの場合は絶対に「連携感」がクリエイティブの効率や品質を左右する。という意味でこの「CS4」は道具としてのそれぞれのギアをしっかりとインターフェイス内で合致させ、書き出されるデータのタイプも連携を重視したモノになっているのでしょう。
 購入するとすれば、間違いなく「マスターコレクション」なので、アップグレードでの購入方法やライセンス購入での入手方法など吟味しています。美味しい情報がありましたらぜひ教えてください。
 この記事がとてもその全容を網羅していました。

http://journal.mycom.co.jp:80/news/2008/11/11/005/

下には下があるものです。

 PCを購入しようとする場合、DELLがいろいろな部分で特典もありスペックの割には割引率も高いので最近はずっとオンラインでDELLから購入していたのですが、最近、年末だからかもしれませんが、近くの量販店で同スペックで¥100,000という設定を発見した。う~ん、やはり、年末に向けての特価製品、目玉製品だとは思いますが、これまで、DELLでどこまでのスペックに引き上げようかと迷っていたのがなんだか馬鹿らしくなるほどの価格です。何故、PCはこれほど価格が変動するのでしょうか?いったい本当の原価というのはどれぐらいのなのでしょう?知る術はないのでしょうか?ただ製品の価格ということだけではなく扱っているロット数や新しい機種とのユーザーサイドの比較検討感をリサーチしてという複雑な関連性があるとは思いますし、また、オンラインの回線料との関係を月額で設定した場合に下手すると、携帯電話みたいに¥1というパソコンが出てたりする。こうなると何が原価で価格が分からない。そんな中で、G社のパソコンは値打ちでした。C2Quad2.66GHz、4GB、640GBのスペックで¥100,000はすさまじい安価だと思うのです。この下の設定がありましたら教えてください。

何故ピンとこないのか?

 あるイラストレーションの専門誌を読んだ。それには、ある日本のイラストレーション業界のトップの方のコメントが記載されていました。「イラストレーションは一種のエンターテイメント 何も決まりはない。イメージを自由に遊ばせて描くだけ。」この言葉にの中に、ここ15年のデジタルコンテンツのなんともしっくりとこない不可解な違和感に対する解決策が見えるように思えた。デジタルだからエンターテイメントではないし、アナログだからエンターテイメントだともの言えない。しかし、「イラストレーションは一種のエンターテイメント」だというアプローチはとても的を得ているように感じてしまいました。これだけデジタル仕上げのビジュアルに目が慣れてくると、その対極にあるアナログ(手描き)がリアリティーを帯びてくるのは当然の対比ですが、いやいや、それだけではない何かあるでしょう?とこの言葉の中には「何故かピンとこない」の「ピン」があるように感じました。
 で、いくらマウスを使ってもタブレットを使って描いてもピンとこなかったのは、「ああこれはソフトだなぁ~」とか「これはタブレットだなぁ~」とか感じられてしまうイラストレーションだからで、もしかすると、描き手はそれを狙っていて、アナログ表現では不可能な技術や色やカタチの構成を魅せたかったからデジタルという手法をとっているかもしれないし、道具が「ソフトウエア」でもいいものはいいんだから、最後は何を伝えたい。どう感じて欲しいという描き手のイマジネーション次第だともこの言葉は言っているように捉えられた。だから、描くことにリミッターをつけていた自分自身に憤慨したとも言えなくない。
 ソフトでも手描きでもようは「ピン」とくる作品であればいいのだと思いました。となるといろいろなイラストレーションの技法の中で自分のイマジネーションをアウトプットしてくれる手法を見つけることが肝心であり、それが見つかったら何をどうしてもそのイラストレーションは「ピン」とくる。という構図になります。でもでもでも、この「自分のイラストレーション」を見つけるのは至難の技。これまでに「これだ!」「これかなぁ~?」「これでええやん!」「もう、これでええわい!」と途方もない試行錯誤をしていますが、まだ分からない。もしかすると、自分自身がイラストレーションのことを何も理解していないのかもしれない・・・という被害妄想になる場合もありで、なんとも、イラストレーションの世界は奥が深く、恐ろしい世界である。
 また、このカテゴリーで画材やタッチや世界観のお話ができれば・・・と考えております。自分の絵を探している方、自分の絵が見つかった方、ピンとくる絵を見つけた方、ご連絡くださいませ。

◎電子メールはこちらです。

会議の目的。

 「会議とは手段なのか目的なのか?」会議のテーマや議論の方向性に対してフレーミングが最後まで機能し続けて、その場に居合わせることが重要で手段としてテーマを認識するために時間を費やす場合と、一旦テーマを机の真ん中に置き、それに対して参加しているいろいろな人のポテンシャルでそのテーマを分析・検証するという時間の活用方法をそれと呼ぶのか。それらは時に複合的に絡み合い、会議に参加する人の人間関係や知識や学歴やキャリアなどのが微妙に作用し合いながら時が過ぎる。「激しき議論」とは議題に対する本質的な分析・検証・意見・提案・アドバイスが活発に入り乱れることだと思いますが、「激しい」だけに感じるのは、会議に参加する方に共通言語がない場合、これは、本来の会議というスタイルの一番理想的なレベルを10とすると、1~2レベルであるように思います。ただこれも会議をレベルなんてモノサシで計測できなのですから、なぜこの会議が開催されているのかという理由と会議の後に次回の会議までにどうするべきか何をするべきかが参加した全員に胸中に認識されていればそれはそれで会議として成功だと思う。素晴らしい結論に導くことが出来なかったとしても、それは、会議として機能していると思います。会議の最中に革新的な結論が出され、それを参加した全員が賞賛の拍手で幕を閉じるというようなK会議やTサミットみたいな、ある意味、イベント化した会議は誰かがどこかで予算調整だけしていればいい。
 ひとりひとりの問題を全体の問題として考え、全体の問題をひとりひとりが同じベクトルとテンションで考えることができ、受けの姿勢から投げの姿勢に気持ちが変わる時、次への課題やテーマが見えてくる。答に強引に導こうとする会議は会議ではなく、ただの発表会である。幼稚園の発表会である。一生懸命練習した演技を与えられた時間、ステージに上がって元気に発表する。参加者は演技が終わったら拍手で終わり。こんな会議は会議ではない。時に人がある限られた場所に集まるということは、それだけで機会価値を提供していることになる。しかし、会議だと思ったモノがただの発表会だったりすると、価値があまり感じられない。だから、いつでもどこでもオンラインで意見を見て読んで、気軽に意見を発信できるオンラインでの会議ができなかと思っている。テーマを進行形で流動的に捉え、多面的に意見や感想や提案を集めるだけでは会議とは言えない。が、機会価値が発生しなければ、それだけ、意見や感想や提案のリミッターも緩くなる。なりすぎて2チャンネルになるとただの「エゴ」の網羅になるから注意したい。文化的な社会規範的や相対や絶対をどこかでリスペクトしている姿勢を失わず、それがこの中で展開されれば幸いです。一番怖いのはやはり何ごとも「無関心」ですね。

http://www.mirai-nagahama.com/blog04

マイケル・クライトン他界。

 マイケル・クライトンさんが他界された。66歳、ガンだったらしい。ほぼ、クライトンさんの原作は読んでいるし映画になった作品も観てきた。もう、読めない、観れないと思うと心の底から悲しい。久々に「ジュラシックパーク上・下」の初版を読んでみようかなと思っている。ご冥福を祈ります。

Rag-lag/ANYTIME ANYWHERR

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 「ジャズ、ボサノバをポップに奏でる。ありそうでなかったサウンド・・・。ラグ・ラグ待望のファーストアルバム」を今初めて聞いている。
 例えば音楽を聴いた感想を絵を描くことに例えるなら、白いキャンバスがある。何を描くか頭で考える。一筆一筆形を色を気持ちを筆で平面に閉じ込める。頭で描いたモノが手や筆や画材で絵というカタチになっていく。完成に向かって絵を描くと決して完成はしない。自分で自分の完成を決めてしまうことで苦い経験があるので、頭で描いた絵を再現しようと絵を描くと必ず失敗する。だから、「考え」と「目の前の絵」の間にできるだけできるだけ「余韻」や「願い」や「気分」や「感情」を出しながら、時に閉じ込めたモノを筆や画材で引き出しながら描くほうが絵がいい。しかし、いいと悪いで絵は描くことはしない。誰かに良かったとしても誰かに同じように絵は伝わらない。絶対に伝わらない。もう少し、踏み込むなら、伝えようとして描く絵も結果弱くなる。
 で、このラグ・ラグさんの音楽性はそれと同じことを感じてしまう。「こうだからこう考えて」とか、「これだけこれだけ思っていますからこう伝わって」と願う音楽には興味がない。だから、この音楽性は音楽が音楽であるべきベクトルを持っていると思います。初めて聞いた音楽なんだから、もっと、理由とか論理とか背景なんかを考えてしまうのが普通なのに、この音楽はいい。これで十分ですね。技術とかメッセージ性とか音質とか一切関係ない音楽が確かに8曲閉じ込められています。聞きたい方はこちらへコンタクトしてください。うん、いいですよ。今、2回目の4曲目です。
4枚をご好意で頂いたので、東京のあの人と大阪のあの人と沖縄のあの人に送ります。

http://rag-lag.com/

5教科的な思考。

 昔懐かしい、「国語」「算数」「理科」「社会」「英語」という5教科に何故分かれていたのだろうかとふと考えることがありました。といいますのも、ある会議でひとつの言葉についての捉え方について「私はこう思う」「いや、それはそういう意味として捉えているのではなく・・・」「ならば、私の解釈が正しい・・・」「いやいや、この場合正しい正しくないの判断ではなく・・・」とゆずらず議論のループが始まるパターン。この場合はどこのボタンを掛け違えたのだろうか?この場合はこちらはこの意味でこちら的にはこの意味だから、ちょっと何を議論しているのか?何のための議論なのか分からなくなっていっているような空気。第三者として傍観している分には気楽に捉えられるが、当事者もしくは相手サイドなら、ぐっと、話のテンションは上がる。相手に言葉や語彙を理解してもらうために言葉を重ねるのですが、その説明もどうやら100%伝わったとは言いがたい。すると、本来伝えたかったことのために、その背景を説明して、その背景を説明するための言葉や比喩を説明して、最後の最後になぜ貴方にこのことを説明しているかを説明する。もう、食い違う時はとことんである。お互いに「まぁまぁ、この場はそうカタイことを言い合わずにこのあたりでなんとか鞘にお納めください。」とジャパニズムに折衷するのか、「私の説明が理解できないのなら、言葉として覚えておいてください。このことを。」とアメリカンにゴリ押しするのかは自由ですが、どうも、会話のボタンは掛け違えたくないと思います。
 で、「国語」「算数」「理科」「社会」「英語」なのですが、「理科」「社会」「英語」は得意だったのですが、どうも「国語」「算数」という教科は好きになるタイミングを逃した。だから、社会に出て「自分は国語の成績が悪かったから漢字知識や文章の読解力などは他人よりかなり低いだろうなぁ~。」「数学も高校の後半なんてドロップアウトしてたから、社会に出て働き出したら数字のお話は敬遠しよう。」とかなりコンプレックスがあったのですが、いやいや、テストの国語や数学なんて点数を取るためだけの問題だったから、興味もわかずに点数がとれなかっただけなんだ(ヒラキ感が漂っていますが~)とも思えた瞬間があり、別に数字や文章が嫌いなわけじゃないんだから、別段、社会生活において引け目を感じる必要はないなぁ~とボタンを掛けたものだから、もう、正しかったのか書け間違えたのかさえ分からなくなってしまっているが、仕方ないと諦めている。一方、理科(特に自然や天文学や化学反応や科学の仕組み)、社会(地理や西洋の歴史)、英語(全般)には興味がありそれと勉強のベクトルがあったので、それに比例して成績も良かった。では、このことを改めて一般教養と比較すると、何のために5教科の設定があり、それを実力テストとして競っていたのだろうか・・・。この場を借りてじっくり考察してみたい。

宮本武蔵という存在感。

 歴史的に偉業を残し名前が残っている人物像とは異質な存在の宮本武蔵。それは、国や世界を動かすような存在ではなかったのにもかかわらず。彼が歴史になった大きな理由はとにかく武道の道で強かったということだけらしい。その彼がその生涯に想い考えた思想的な思考をまとめたのが「五輪書」なのである。「五輪書は、剣豪・宮本武蔵がその晩年に書き記したもので、二天一流と称する自らの剣術と兵法について解説したものである。その考え方はあくまでも「勝つため」にこだわった非常に合理的なものであり、現代のビジネスに置き換えても参考となる部分が多い。ここでは、個としての兵法の解説に多くを割いてある「五輪書」に学び、ビジネスマンのあるべき姿を考察することにする。五輪書は五つの巻から構成されている。地・水・火・風・空の五巻である。」と検索すればすぐに出てくるほど。彼が生きて伝説を作った時代と今の時代では背景が違うとは言え、排他されずその書が現代にも息づいているということはなんらかの理由があるはずである。300年の日本の空白を憂うのか、歴史の中に存在する伝説の書の中に何かサインを見つけよう、そして、得たものを現代に活用しようとするか。武蔵が今でも生きていたら、この時代をどう定義するのか。もしかすると、それほど変わっていないのかもしれない。科学や医学や先進技術が進化・発展してもそれを活用する人の心には実はこの「五輪書」が有効なのかもしれない。武蔵はこの書の中で、「人生が見える瞬間がある。」と語っていたらしい。それはいったいどういう感覚なのだろう。この世に生を受け、両親の愛情に育まれた一人の人間が、モノ心を知り、世界感を広げ、友情を知り、愛情を知る。そして、自分自身の人生を知る瞬間があると言っているのだろうか。それは親になり、社会と関わることで、自然と身についた能力なのか。定説や論理や情報の向こうに何かがあるのだろうか。それはたぶんPCの中にはないのだろう。手から手へ、言葉から言葉へ、心から心へ伝わってきた「想」なのでしょう。¥480の書籍の中にそんな伝説が隠されている。書籍というメディアが人に受け入れられる理由がそこにあるように思う。リアリティーというかふるまいというか偏在する価値観や世界観に「OFF」はないと思う。

仙術。

 自然のエネルギーを身体の中、魂の中に取り込んで、己の気力や体力や技と融合させてさらなる力を手にする術とは今回の最新刊(NARUTO)で書かれているのです。どうしても、他の数多の漫画・コミックには同じようなことをソースに展開されていても、気持ちが入れないのに、「ナルト」と「ワンピース」だけはもう子どもの頃のように心が盛り上がるし、ちょっと信じられないぐらいのテンションで物語に入っていってしまいます。いい歳のおっさんがちょっとこれは実は「痛い」のかな・・・と抑えようとするのですが、難しい。とかくファンというものは視野がそのことに対して狭くなっているから、他の価値観や世界観が受け入れられず、自分がこう考えた感じた世界だけで道理を進めようとしてしまう。それが、自分の場合はどうやら「ナルト」と「ワンピース」のようなのです。過去に気持ちを入れて呼んだ物語とはあきらかに何かが違うと思ってしまう感じてしまいます。やはりそこに流れいる「友情」や「愛情」や「想う気持ち」の表現と漫画の中の非現実性が時に外部からの刺激へのフィルターになり、時に促進剤となり、読みたいと感じているベクトルに合わせていってくれるような物語なのかなと感じています。
 で、自然のエネルギーを身体に取り入れるという、ふと冷静に考えればナンセンスなことも、過去に続いてきた物語の背景があるから気持ちが入らざるを得ない、というか、素直に喜んで受け入れている。これが、自分自身の価値観とちょっとでもズレがあれば結果否定してしまうから、俯瞰で見ればかなり自分の中の構造とこの物語の世界観がマッチしていると感じています。
 もしかすると、この物語自体が「仙術」なのかなとも感じてしまいます。

SoundBoothCS4か・・・。

「Adobe Soundboothは、オーディオ制作のプロだけでなく、経験や知識があまりない人でも、直感的にオーディオの編集・制作ができるツールです。まずは、そのインターフェイスを見てください。

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図1 Adobe Soundbooth CS4のインターフェイス

右側にはクリップ(音素材)が周波数スペクトルで表示され、左側上部には利用するクリップのファイル名、左側下部にはクリップの編集・制作に利用するタスクやエフェクトなどの作業項目が並んでいます。ご覧の通り、非常にシンプルなインターフェイスで、直感的かつ効率的に作業が行えます。

たとえば、クリップの音量調整、フェードの追加、トラックの微調整、一部データのカット/コピー&ペーストといった作業は、周波数スペクトルを直接マウスで操作し、その効果を目で確認しながら行うことができます。また、左側の「タスク」タブにはノイズ除去/ピッチやタイミングの変更/ループ作成を行うためのコマンドが用意されており、パネル内の項目を選ぶだけで簡単に設定することが可能です。」とのこと。

 ただ、この「直感的」という言葉には注意しなければいけない。クリエイターが使うソフトだから、「考えられて感覚に操作できるインターフェイスになっていますよぉ~」というニュアンスをこの「直感的」という言葉で表現したいと思っているのでしょうけれど、クリエイティブ系のソフトを「直感的」に使うにはかなりの熟練度が求めらる。それは、まったく、そのソフトエアを100%知らない方だったら、どれぐらいの期間が必要かと言うと(以外とよくある質問なのですが。)、正確には、「無理です。」が正解である。私が思うに、何かでクリエイティブ系のソフトを知り、ワードやエクセルを使っているので、同じようにクリエイティブ系のソフトウエアを直感的に使いたいと考えるのはとても自然なのですが、では、ワードやエクセルを直感的に使うということはできないし、ソフトウエアでなくとも、何かを直感的に作るということはどうだろうか?以外と難しいはずである。まして、映像やアニメや音楽を直感的に作れる人は1,000人プロのクリエイターがいたら、何人いるだろう。それほどこの「直感的」の背景は重い。
 例えば、flashでそれぞれのトラックとフレームレートを完成物のイメージとマッチさせるまでにどれぐらい期間が必要だったか。あくまでも自分の基準なのですが、flashが手に馴染むまでに、3年はかかりました。それをA.S.で制御しながらということになると、プラス2年。ようやく、思ったようにそれこそ直感的に何かを作れるようになったと思えば、「FLV」だの「ストリーミング」だの「ActiomScript3.0」だのという話になる。もう、「どんだけぇ~」なのである。まぁ、おい!やるのかやらないのかい!!となると、確実にやるつもりなので、こんなところで愚痴っていても仕方ない。
 で、SoundBoothCS3でまずは小手調べと思っています。

11月の絵「ゾディアック」。

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 映画「ゾディアック」のワンシーンです。なんともディープな映画でした。最近で言うと、「ノーカントリー」なんて映画もありましたが、「殺人鬼」というモチーフはいろいろな映画でいろいろなタイプとして描かれてきましたが、この2本はなかなかリアルだったと感じました。実際、今もどこかでまだ逮捕されていない殺人鬼はいるわけですから、恐ろしい話です。
 で、そろそろ、2009年のカレンダーの原画を描き始めているのですが、さてさて、今年の12本はどんな映画なのでしょうか。11月末頃には仕上げようと思っております。欲しいかたは無料ですので、気軽にメールください。

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パストーンさん11月のコレクション。

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 原宿のお花屋さんパストーンさんの11月のギフトセレクションです。オーナーの五十嵐淳子さんのお花に対するこだわりはとても素敵。言葉にするとこれぐらいの短い感じがとてもマッチする。なんとか流のお花のアレンジはアートフルで斬新で重いが、で?ということになる場合が多い。何かの式典やメモリアルな場に飾られるお花にはそれ相当の意味が必要だから、ああなるのでしょうけど、それって花でなくともいいんじゃないと思ってします。生命である花をアレンジするなら、宝石や貴金属をアレンジするのはと違う感覚が欲しいような気がします。いずれもその道に精通していない人間の勝手な考えなので、それほど奥はないのですが、お花ならお花らしく・・・と思うのです。と、日頃あまりお花に対する心意気が少ないこだわりの少ない私みたいな人間でさえ、お花のある暮らしについて考えてしまうほど、淳子さんとパストーン店長の櫻井さんからは「お花のある暮らし」というメッセージが伝わってきます。

http://pasuto.mj-e.com/

写真は強い。

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 「強い写真」を撮りたいと思う。「きれいな写真」「センスのある写真」「美しい構図の写真」「レンズワークの高い写真」には興味がない。なにげないけど、普通の風景や人物やモチーフだけど、それほど工夫やアイディアはないけど「強い写真」であればいいような気がします。手法に惑わされ「惑わし狙いの写真」ならそのヒラキナオリ感は逆に「強い」と思うが、裏ばかり読みすぎて何もなかった時の失望は大きい。だから、正直に誠実に淀まずに自信を持ってシャッターを押したいと思う。写真家の写真にあまり心が動かないのは「どうよ」感が漂い過ぎていて引いてしまうのかもしれません。
 で、この写真はあるラボの写真なのですが、なかなか、強いと思いました。

http://pro.corbis.com/creative/boutique/

クリスマスマーケットという文化。

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 ドイツではクリスマスシーズンには街の中にこのような小屋というか屋台がたくさん出現していろいろなクリスマスグッズを販売したり展示したりするらしい。日本のクリスマスといえば、デパートが赤と緑に染まり、金色のオブジェクトがディスプレイされていたら体裁は整いました・・・みたいな雰囲気があり。それは、商業ベースの狙いとそれに呼応するマテリアルな人たちの熱病のように見えてしまいがちですが、ドイツではそれほどきらびやかでもなく、本当にクリスマスという文化をリスペクトしているような演出で街の人々がそのシーズンを祝い楽しみ交流している。それが、12月長浜市の黒壁界隈に展開されるのですが、その絵づくりの資料として上記の写真を入手しました。こんな風景が12月長浜市内に現れて湖北の寒い冬、たくさんの人が集まり、暖かい空間ができればいいなぁ~と思います。イベントとしての詳細はまた公式WEBサイトで発信されてますので、こちらをたまにチェックしてください。お店でライブあり、ホットなドリンク&フードあり、素敵なクリスマスグッズあり、子どもたちが作るオリジナルツリーの展示ありで、ホットなクリスマスイベントになるでしょう。

PASHiA!(パシャ!)

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 素敵な手作りグッズのお店です。とにかく、イラストレーターかやのさんがプロデュースしておられるから、そのテイストがグッズに展開されててとてもとてもあたたかい。オンライン上の情報やコンテンツでこれから価値がさらに認知されるのは、大きな看板でも大きな予算をかけたプロジェクトではない。絶対に素敵な情報やコンテンツの軸には素敵な人の存在があるはず。フレームだけではもたない仕組みになっていくような気がします。だから、「開き方」というか「伝え方」のディテールが大切。そいういう意味でかやのさんプロデュースのこのお店の展開は未知数であると思う。

「PASHiA」公式WEBサイト

映画「ICHI」

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 最近で言えば、少し前の「座頭市」という映画がありましたが、特に、映画の公開もDVDも興味はなし。やはり、映画はその物語よりも脚本よりも監督よりも、どうしても、出ている人で選んでしまう傾向があり、よく、映画の好きな方には邪道だと言われる。「それじゃただの女優のファン目線じゃないか・・・」と。PVじゃないんだから、出ている役者で映画を選ぶのはどうかな・・・とよく言われる。でも、確実に輝いている。これから輝くであろう俳優さんや女優さんが主役をはっている映画には興味が湧く。興味が湧いたら物語に入れる。物語に入れたら映画を理解できた、ということにならないだろうか。というこの自論は映画関連のお仕事や映像の畑の人には冒涜に近い考え方らしいのであまり強く主張はできない。怖い怖い。
 で、とにかく、そのポスターを観てからというものの「ICHI」が気になって気になって仕方ない。明らかに、「タッチ」の実写とは異なると思うので・・・。

http://wwws.warnerbros.co.jp/ichi/