宮本武蔵という存在感。

 歴史的に偉業を残し名前が残っている人物像とは異質な存在の宮本武蔵。それは、国や世界を動かすような存在ではなかったのにもかかわらず。彼が歴史になった大きな理由はとにかく武道の道で強かったということだけらしい。その彼がその生涯に想い考えた思想的な思考をまとめたのが「五輪書」なのである。「五輪書は、剣豪・宮本武蔵がその晩年に書き記したもので、二天一流と称する自らの剣術と兵法について解説したものである。その考え方はあくまでも「勝つため」にこだわった非常に合理的なものであり、現代のビジネスに置き換えても参考となる部分が多い。ここでは、個としての兵法の解説に多くを割いてある「五輪書」に学び、ビジネスマンのあるべき姿を考察することにする。五輪書は五つの巻から構成されている。地・水・火・風・空の五巻である。」と検索すればすぐに出てくるほど。彼が生きて伝説を作った時代と今の時代では背景が違うとは言え、排他されずその書が現代にも息づいているということはなんらかの理由があるはずである。300年の日本の空白を憂うのか、歴史の中に存在する伝説の書の中に何かサインを見つけよう、そして、得たものを現代に活用しようとするか。武蔵が今でも生きていたら、この時代をどう定義するのか。もしかすると、それほど変わっていないのかもしれない。科学や医学や先進技術が進化・発展してもそれを活用する人の心には実はこの「五輪書」が有効なのかもしれない。武蔵はこの書の中で、「人生が見える瞬間がある。」と語っていたらしい。それはいったいどういう感覚なのだろう。この世に生を受け、両親の愛情に育まれた一人の人間が、モノ心を知り、世界感を広げ、友情を知り、愛情を知る。そして、自分自身の人生を知る瞬間があると言っているのだろうか。それは親になり、社会と関わることで、自然と身についた能力なのか。定説や論理や情報の向こうに何かがあるのだろうか。それはたぶんPCの中にはないのだろう。手から手へ、言葉から言葉へ、心から心へ伝わってきた「想」なのでしょう。¥480の書籍の中にそんな伝説が隠されている。書籍というメディアが人に受け入れられる理由がそこにあるように思う。リアリティーというかふるまいというか偏在する価値観や世界観に「OFF」はないと思う。