器用と不器用の話。

 ある職人畑の師匠的な立場の方が若い人を雇い入れる時にどのような基準で判断しているのかという話。その方の基準は「器用な人間よりも不器用な人間を採用する。」とのこと。その理由は自分は器用だと思って生きてきた人間はものごとの習得や技術レベルの学習能力は高いのですが、すぐに、飽きるタイプだとのこと。しかし、自分は不器用な人間だと思っている人間は粘り強く何ごとにも真剣に取り組みあせることなく自分の技術や感覚を磨くからだとのこと。この言葉がどうかということよりも、この師匠の人間性の側面がこの言葉でいくつか見えるような気がした。それは人生観とも呼べるのかもしれませんが、確実に自分の人生の歩幅を体感している言葉である。それもその歳になればいいかもしれませんが、それは一旦言葉にするとそれほどの価値がなくなる。それは誰にも語らず、言わば、妻にも子どもにもその言葉は語らずずっとその気持ちを自分の心の中だけに携え生きていかれたらいい話。一旦言葉にするとその品質が下がるように思います。世の中、指針はびっくりするぐらい多いから。
 で、器用な人と不器用な人って具体的にどうなのだろう?私的には間違いなく前者である。僭越ながら自分は器用だと思って生きてきたし生きていこうと思っている。だから、大成していないのだろうし、確かに何ごとにも飽きやすくひとつのことを何十年も同じテンションで取り組むことはできないし、そんなことをするぐらいならミグスのように舌を飲み込んでしまうかもしれない。が、ここまで言葉(文字)にした段階でこれはかなり不器用な人の言葉に聞こえてくる。客観的(そもそも客観という言葉は成立しないと思っているのですが・・・)に不器用で主観的に器用な人間が書く文章だなぁ~と3人目の自分がこれを読んでいるとも言えなくない。こうなるとビリーミシガンまで青天井かもしれない。まぁ多重なら多重でいいし、人間の性格がひとつだけなんてありえないとも思う。だから、器用だと信じてやまない自分と、不器用で粘り強くコツコツタイプの人間も取り込みながらでいいんじゃないかと思う。師を仰ぎ、弟子と共に継承の意味を意義を語るにはまだまだやらなければいけないことがあると思っています。