2009年01月 アーカイブ

ブラピ&アンジー

 ヒルズに二人が現れたそうです。う~ん、行きたかった・・・。名実以上のこの二人の存在感。2008年は日本の映画好調で洋画が不調だったらしいですが、それはファンの質の問題でしょう。興行成績で映画の質は判断できるものではないとしても、だったら、日本映画に何があったの???私は「ポニョ」しか記憶にない。邦画と洋画。決定的に何が違うのか。それは全てなんでしょうけれど、明らかに監督と役者と映画ファンが違う。「邦画が凄い」と新聞で活字にしても凄くはならないでしょう。
 で、ブラピとアンジーはそういう意味で凄いとなる。他に追随が見つからないほど凄い。間違いない。

Adobeさん凄いなぁ~!

 天下のアドビさんなのに、なんと迅速な対応なことだろう。イラレとフォトショップとインデザインのセミナーだったのに、flashやコールドフュージョンやサーバアプリの質問を名刺交換して頂いた方にしたところ、3時間後に返信のメールが到着した。あ~あ、流石だ流石。まぁたぶん2~3日後に返信をいただけたらいいなぁ~と思っていたので、ちょっと感動でした。その内容もどこかのサーバ会社ではなく、当日お聞きしていてあれから東京のテクニカルと少しお話をしていたのですが~みたいな心あるコメントが添えられている。流石。アドビさんだから、いくらセミナーに来場していたとはいえ、一般からの質問メールにこうも的確に迅速な心意気を感じてしまうともう感激でした。やはり、デジタルコミュニケーションの基本はこれですよね。やっかいな質問をしているなぁ~と思いつつも、どうしようもない状態で問い合わせしているのに、「こちらをご覧ください。」ってFAQのURLを送ってくる奴は最悪。それが御社の対応のマニュアルかもしれませんが、それでは、もう二度とお問い合わせなんかするもんか状態です。それが狙いならそれでええわい!となる。しかし、あんたのところでもう何も頼まんわとなるのは正気の判断だと思うのですが、皆さんはいかがでしょう?
 で、「現在専門の部署の担当者に確認してご返信させていただきます。」とのこと。まぁ、最初から厄介な難しい質問をしているので、期待はしていないものの、心意気が嬉しい。デジタル玩具ばかりつくっているA社とは同じA社でも雲と泥の差ですな。パワーユーザー無視してお遊び思考だけを刺激しても絶対にロングテールにならないですから。また、その逆もしかりなので、あまり暴言は控えて、デジタルコミュニケーションにおける心意気の部分、アドビさんを見習いたいです。

滋賀県は第29位!?

 本日の日本経済新聞に「地域ブランド力 京都府全国2位」という記事がありました。地域名称や名産品などがどう認識されて、ブランド力を持っているかを調べたそうです。「2008年地域ブランド力調査」の結果です。
 で、その詳細というか実際にブランドとしての商品などはリサーチしていないのですが、第1位は2006年も2008年も北海道なのです。そして第2位が京都、第3位は沖縄と。我が滋賀県はといいますとかなり下の第29位なのです。このあたりは愛媛県、香川県、高知県となり、低いのは茨城県、栃木県、群馬県。この結果を見ると、日本の両端がブランド力があり都心に近い地域は別にブランド力がなくとも安泰だということが言えるように思いました。細かくリサーチしていくと、それぞれの地域でいろいろな特産品があるのだと思いますが、この中の下状態の滋賀県をさらにブランド力を上げるためには何をしなければいけないのでしょうか?京都や大阪などのブランド力のある地域から隣接しているような位置関係の滋賀なのに、他の四国地方や東北地方や九州地方よりも下って。2006年の調査で滋賀県は第38位だったのが上昇しているのはとてもいいことだと思うんですが、やはり、地域のブランド力という視点では低いとなるでしょう。元来その地域が持っている観光資源や特産品をどのようにブランド力にすることができるのかという部分ですが、これについては、滋賀県の観光資源に関わる人たちの創意工夫力の問題なのか、潜在能力(観光地や名産品や歴史など)の高い地域はそんな自発的な努力がそこそこでも、外的要因で注目度が上がり、自然とブランド化に繋がったのか。たぶん、この相乗効果が現時点でのこの調査結果になっていると思うのです。さて、それでも、この第29位を10位以内に引き上げていきたいと考える場合、まず、打つ手は何なのでしょう?海外からの観光客や海外とのビジネスモデルの展開が盛んな現代。やはり、情報網を広く展開し、すでに今存在する観光資源への光の当て方を吟味することでしか、その地域が持つ潜在能力を外部要因に対して反応させることは難しいように思います。滋賀県に来て15年、いろいろなお仕事に携わらせていただき、知識は増えましたが、さぁ、それを国内県外に海外に発信となった場合、整理するのは難しい。もしかすると「整理できていないことがブランド力を弱めている。」なのかもしれません。アプローチの手法で言うと創出ではなく、再発見なのかもしれません。しかし、時代に沿った新しい観光資源を創造するという視点もなくすことはできない。それぞれの地域で先人の方が築き上げてこられたことに対してしっかりとリスペクトした上で、新しいムーブメントを育成する人がいてはじめて「地域のブランド力」とは何かを語れるのかな・・・と感じています。さてさて、スタートラインはどこなのでしょう?

総勢140名あまり。

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 ということで、昨日は株式会社TOOさんのアドビクリエイティブスイーツCS4セミナーに参加してきたのですが、まず、セミナー開始までに正面中央に流れているデモビデオ。これが、さすが。もう、さすがとしか表現できない。たぶん、アドビの最新のソフトウエアを活用して作成されたプロモビデオなんでしょうけれど、デザインがいい、モーションがいい、素材がいい、音楽がいい、テンポがいい。結局、いつものことで早めに会場に入って、20分ほど会場に参加者ひとり状態でいたのですが、ずっと、そのデモビデオに見入ってしまい、音楽もいいので、全然、待ち時間を退屈しませんでした。ああ、これだな、デザインの力ってって思いました。
 で、午後2時にセミナー開始。株式会社TOOの方からのご挨拶があり、2時15分よりアドビの方のセミナー開始。冒頭に「今回のセミナーに参加された方への調査ではないのですが、それぞれ皆様のデザンワーク環境を掌握したいので、イラストレーターのバージョンはいくつですか?」という質問をされた。勿論、併用しているところが多いと思うので、あくまでもメインのバージョンは?という聞き方をされたのですが、まず、8は10名(私もメイン)ほど、9~10は同じく10名ほど、CS1・2はとなると、約半数、そして、CS3となるとこれも半数。で、最新のCS4を購入済みとなると5名(私も含む)ほどでした。これで驚いたのはやはり皆様CS1・2・3への移行はかなり浸透していると思いました。来場者の80%以上がすでにCS1・2・3に移行していることになます。確かにこのセミナーに参加希望される方たちだから、この数字はうなづけるわけですが、今だに8.0を使っているのは古い考え方なのかな・・・と感じました。
 そして、いろいろ、CS4の新機能紹介になるのですが、イラストレーター・フォトショップ・インデザインが中心だったので、ちょっと残念でした。しかし、会場に来られていた方はDTP関連の方が多かったように思います。できれば、同じCS4でWEBや映像系のこのようなセミナーもお願いしたいと思いました。

たまに京都。

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 駅前の活気もさることながら、それぞれのホテルや施設に入るとそこに配置されているチラシやパンフレットの数や種類に圧倒される。そして、ただ数や種類だけではなく、確かに明らかに地方とは質やコンセプトの異なる企画やイベントを展開しておられる。これも大都市だからという理由が大きく、人口総数や密度の関係が深いと思いつつも、これだけ情報化時代になり、ユビキタス社会ユビキタス社会と言いながらも実際はそれほどユビキタスでもないんじゃないの・・・と思ってします。それは極一部の熱心な方の中だけの感覚であって、一般的には「だから・・・」みたいな風潮が漂っているように思います。だから、地方と都市圏の人口密度の構図が、そこで展開される全ての経済や文化やビジネスに関連しているように思います。なにも京都に一回行ったぐらいで・・・このようなテンションになる必要もないのかもしれませんが、一事が万事とも言いますし。地方地方の時代だったって何に具体的にフォーカスして「地方なの?」となるし、まだまだ、中心のチカラは馬鹿にならないのではないでしょうか。
 で、このチラシの「アートオークション」って企画なのですが、詳細を確認すれば、しっかりと内容やイベントとして詳細がつめてあり、背景も組織もしっかりとしています。これも人口密度に関係しているのかもしれませんが、それより何より切り口がいい。楽しいイラストもさることながら、この切り口に多くの人が反応するかしないかが大きく影響していると思いました。これを滋賀・近江で展開するとしたら、さてさてどのような切り口(手法)となるのでしょうか・・・。

TOOさんのセミナーに。

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 ということで、昨日は午後2時から午後5時まで3時間、株式会社TOOさんのCS4セミナーに行ってきました。京都駅前の「キャンパスプラザ京都」という建物の4階でした。なかなか、いろいろなイベントの情報や設備のある施設でした。やっぱ、京都の駅前は違うなぁ~という感じ。今頃になって、駅前の掘り起こし工事をしているどこかの駅とは月となんだろう~?
 で、会場に行くとアドビの方が2名おられて、株式会社TOOの方が受付をされておられました。いつもお世話になっているK氏から予定をお聞きして会場内へ。で、頂いた資料の中のノベルティーがこれ。まぁまぁ、ベタなどこにでもある3色のボールペンですが、アドビのロゴが入っているだけで、う~ん、悔しいけれどなんか気持ちがちょっと上がる自分がいる。セミナーの冒頭で聞けばイラレのバージョン1.0が日本に入ってきたのが、1987年ですから、22年前。つ~ことは、22歳でイラレの英語版のマニュアルとモノクロのモニターと格闘していた時期だから、アドビの歴史の日本での最初の1ページから参加できているということになる。そう考えると22年の歴史は日本のDTP文化の歴史だと言ってもいい。そして、バージョンが14.0である。いろいろセミナー中に新機能を拝聴したが、とてつもない進化だと感じるのか相変わらず余計なものが増えたかと捉えるかはまだ自分の中で整理できていませんが、22年を歴史は日本のクリエイティブ業界に強烈な軌跡を残したと言って間違いないだろうと思う。その恩恵にどっぷりとつかっている私はやっぱり「アドビの子」なのかなと思う。だから、こんなベタなボールペンで心が動くのだろう。

「Adobe Records」がオモロ~!

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 「それは、アートマインドを刺激し、快適なクリエイティブ環境を演出する、クリエイターのためのコンビレーションアルバム。デザイン、Web、映像、フォトのトップクリエイターが、現場で実際に聴いている楽曲を一挙収録。これを聴けばあなたも、トップクリエイターのワークフローが体感できるはず。」とこの企画のパンフレットには記載されている。そして、キャッチコピーが「Now Creating...」なのである。これはかなりオモロ~!である。なにも「トップクリエイター」のワークフローを体感したいとは思わないが、いろいろなクリエイターがそれぞれの仕事の現場で聴いている楽曲にはとても興味がある。その楽曲を聴いて何をインスピレートするのかは未知数として、やはり、マンネリズムは活性化や能率化の障壁になっているはず。それを、緩和させるのか、リセットさせてくれるのか、そのアルバムの楽曲を聴いてみないことにはなんとも判断が下せない企画ではあるが、「アドビは魅力的な企画をやりよるなぁ~!」という印象です。で、この企画、ただアルバムを販売するということではなく・・・、まぁ、下記のサイトで興味のある方はリサーチしてみてください。
 で、こんな企画を打ち出してくるほどだから、今回の「CS4」の新商品群はかなりの自信作なのでしょうね。ところで「クリエイティブな楽曲」ってどんなイメージでしょうかね・・・。

◎詳しくはhttp://www.adobe-records.com/index.htmlへ

近江・新戦国絵巻#001

 海外に対して、観光資源を訴求しようとする場合に、日本全体を捉えた場合のアピールポイントとは何だろう?アメリカの国民にはニューヨークの場所を知らない国民がかなりの割合でいたそうです。逆に日本国内だけのお話であれば、一般的に情報は行き届いているものの、それぞれの観光地の観光資源について充分に一般の方に浸透しているかといえばそうでない現実もあるように感じます。つまり、観光事業やメディアを活用している方にしてみれば、ニューヨークにはどういう情報があり、どのような場所であるかは認知されていますが、知らない人、興味のない人はまだまだたくさんいるという現実もあるようです。ですから、情報時代とは言えこの温度差というか認知度のムラを無くす方法で新しい観光客になりうる可能性は秘めていると言えるのではないでしょうか。また、逆に温度の高い方、いつも新しい情報に敏感な方や関連業者の方に対しても、より魅力的な訴求力のある手法を講じなければ、多く存在する観光資源との地域的な差別化はされないと思います。つまり、「魅力的ですよ!」とどれだけその詳細を整理して伝えるよりも、ワンフレーズ「近江・新戦国絵巻」というようなキーワードを投げて、受ける方のポテンシャルに響くような発信をしなければ、し続けなければ、浸透率は低い。ロジカルに組み立て、イマジネーションに訴えるというある意味逆説的な手法が認知されやすい王道のように思います。
 で、「戦国絵巻」としてどのようなターゲットが描けるのか?必ずしも高齢の皆様だとは限らない。大河ドラマも若い層を獲得するためにいろいろな手法を講じています。たぶん同じベクトルで日本の観光資源の今後の情報としての発信方法も同じような気がします。地域内で捉えた近江のイメージと県外や海外に向けての滋賀・近江のイメージは見ている側面が異なるように思います。

出た出た!「岳(ガク)第8巻」!!!

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 待っておりました。なめるように読みたいです。

ボーン・スプレマシー

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 中古コーナーで安かったので思わず購入。あとはアルティメンタムを揃えていつでも3部作を観れる状態になります。最近の3部作ではやはり「ボーンシリーズ」が一番です。あと、ダイハードの4部作もかなりチェックしています。多分、適正価格になったら買うでしょう。

美しいノートの価値。

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 確かに、うんうん、確かにの連続。ペーパレス時代とか言ってなんでもかんでもデジタルに依存していると人間が空洞化しちゃいますよ!というメッセージが込められているような書籍でした。実際に東大生達のノートの写真なんか入っているのでかなりリアル。この歳から改めて美しいノートにこだわっても東大に入学できるわけではないけれど、ノートやメモ帳の活用術をこれにならって少しづつ実行していけば、何か自分の中のグレイな部分が白黒つくような気持ちにさせてくれた書籍でした。ノートは頭の中と同じらいしですね。

ネットショップ開店・運営バイブル

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 さすが、2009年1月15日初版だけに素晴らしい内容です。数年前に購入したこの手の書籍とは比べ物にならないぐらいのノウハウがググッと詰め込まれていますね。かなり多岐に渡る留意点や組織づくりや運営のノウハウ、どれをとっても納得納得のバイブルです。確かに。よくよく考えると頭で理解しているつもりがいろいろな言い訳を並べてできていない方や、ただただオンラインショップという仕組みだけを作れば、どこかのオンラインモールに出店すれば、次の日からガシガシ注文が殺到するだろうというテンションの方には残念な内容かもしれません。
 また、これはオンラインショップのバイルルなのですが、その心意気というか取組み姿勢については、何もオンラインショップの企画・運営に関係なく、全ての現代のビジネスモデルに適用されるような重要なポイントが記述されて整理されていました。なかなか素晴らしい書籍でした。

「削減」という文字。

 年末から新聞のキャッチコピーに一番多く登場した言葉ではないでしょうか。この「削減」という文字の使い方ですが、削減された人と削減した人がいから、この言葉が成立しているわけですが、正確にはどちらがどちらを削減したのでしょう・・・と思ってしまう。現状として削減されなかった人は心の底から安心してはいられないはずです。いつか自分の身にも・・・と考えない人はいないはず。この気持ちを削減した人は考えないはずはない。その人の上には多分自分にとって「削減」という文字は関係のない言葉だと思い込んでいる人がいるはず。「希望退職」との意味合いの説明もよく分かりませんが、結局、国の雇用対策でなんとかなるだろうと思っているから、「削減」という言葉が連呼されても、その部分について気にする人がいないのだと思います。だって、一緒に同じ目的で毎日働いていた人がある日突然「削減」されるんですよ。「ロボットが故障したから処分する。」みたいなニュアンスが嫌な感じ。「空洞化」から「削減」の嵐が吹き、やはりいつの日か「黒い雨」が降るのだろうか・・・。

マスターズ出場おめでとう!

 今朝のテレビでプロゴルファーの石川遼君がマスターズ委員会からの招待状をもらって・・・という記者会見的な放映がありました。マスターズに出場する最小年齢で歴代2位らしいですね。素晴らしいとしか表現しが思い浮かびません。昨年の遼君の活躍はゴルフファン以外にも認知されているはず。そして、賞金ランク第5位という素晴らしい結果、世界ランクが60位。もう、あと、世界中で遼君の上には59人しか対戦相手がいないということになる。これも素晴らしいが、なんといっても遼君の最大の魅力はあの落ち着きでしょうね。今週のスマップの番組でゲスト出演して、5人とテレビで絡んでいても、どっちが年上!?みたいな言葉のキャッチボール。ああ、これはあきらかに狭い世界で生きてきた芸能人と、広く多くの人にささえられながらも、本人の努力や試行錯誤やゴルフに対する熱意という時間を過ごしてきた人との差だなぁ~と感じてしまいました。5人を見ていてなんか辛い感じがしましたね。
 で、マスターズに向けて、3戦全米ツアーを戦ってから第4戦目がマスターズらしいのですが、暖かく日本国民全員で応援したくなる存在ですね。遼君も言って言っていましたが、今の段階では僕は結果をどうのこのうというレベルではないので、一人でも多くのアメリカのゴルフファンに僕の名前を覚えてもらいたい、そんな印象に残るようなプレイをしたいと言っておられました。この精神は今の日本の10代の皆様、どう受け止めていいるのでしょう?しかし、他の日本のプロゴルフ選手の皆様、頑張ってくださいね。もう、日本のゴルフ界、遼君一色じゃないですか。このまま、遼君がマスターズで結果出しちゃったら大変なことになりますよ・・・。

WEB DIRECTION 48Rules for Success

 何をもって成功とするのか難しい時代ですが、失敗より成功はいいから思わず梅田で買ってしまいまいした。必ずこの手の書籍でタイトル買いをして「ええっ~これ古いやん!」となる場合が多いので、初版の期日を確認。2007年8月???やばいかなぁ~と思ったのですが、どうしてもタイトルが気になったので、目次を拝見。そしたら、1年以上前のことではあるのですが、非常に48のルールのチョイスがいいし、ルール1を拝見したら、「ディレクションとは何をすることなのか?」の部分で、「制作前も制作中も、完成して公開したあとも、そのwebサイトがクライアントのビジネスにとって有効なものになっているかどうか、期待された役割を果たすものになっているかどうかを常に確認し、そのために必要な行動を取り続けることが、ディレクターのもっとも重要な役割です。~本文より抜粋~」との文面を拝見して、そのままレジへ。2日前に購入してほぼ読めたのですが、改めて重要な部分にラインを引いている段階です。まぁ、成功か失敗かという部分よりも、頭の中が整理できるという意味においてこの書籍の¥2,400は値打ちかなと思っております。詳しくはどこかで探して買って読んでください。他の47個のルールもとても良かったですよ。

地域が持つポテンシャルについて。

 日本国内でメジャーな観光地として誰でも思い描くエリアといろいろメディアで露出しているものの認知が上がらないエリア、そして、観光資源の創出を地域の方が心の底から望んでいるにも関わらず、条件やタイミングがマッチしないエリア。様々なエリアが存在すると思います。観光地としてのエネルギーや素養に乏しいエリアでも、第一次産業や商いが活発である街や美しい自然がありながらも認知度が低い、言わば素朴な何もないけれどそれが魅力的というニュアンスの場所や地域があります。それらの地域がそれぞれに現状をどう捉えてそれをどう変えていこうとしているのか、または、このまま変えないでおきたいと願うのか、これらは地域が持っている歴史や文化の特性も勿論関連していると思いますが、結局、どんなメジャーな観光地であっても、そこに注目する人が減少していけばどれだけ歴史資産があろうが衰退するはずでしょうし、素朴で素養や潜在能力が低くとも、注目する人の意識が多ければそこは魅力的な場所となる。情報化時代にこの地域が持つ潜在能力をどう分析して整理して実行(発信)すれば魅力的な地域となり(というか、注目度が高まり)、経済や文化が活性化され、素敵な観光地になるのでしょう?何もたくさんの人が訪れるからいい、過疎化が進行するような地域は悪いというモノサシではなく、そもそもその地域に暮らす人がその地域をどうしたいのか=そこでの暮らしをどのような理想形に近づけたいのかに全て集約されるように思います。つまり、内部的な要因と外部的な要因が相互に影響し合ってその地域の価値が形成れるのであれば、いずれの場合もその要因の根源はひとりの人だと考えることができると思います。決してその地域に君臨する殿様のような存在の方がそれらを担ってきたのか、ある意味ではそうかもしれませんが、それはただのシンボルであり、真実は意外と違うスタンスの方が種であり、その方は何故そうしようと考えたかの部分では、その前の世代から何かを継承してきてそういう考えに至ったのではないかと思います。
 で、「地域の魅力」を議論する時に目に見えやすい具象物や共通言語を何とかしようとするよりも、リアルな部分で「魅力ある人の想い」に誰かが反応してその波及が結果的に「地域」に波及して、例えば観光資源という価値に成長するのだと思います。だから、目的がどうであれ、何か新しいことを展開しようとする場合「フレームよりフレーズ」が大切だと思います。

44歳という実感。

 昨年の暮れ旧友が他界した。そして、昨日も。ご両名とも同学年だった。ご冥福を祈るとともに、想い出をありがとうと言いたい。まだ44歳、そして、私も44歳。44歳という年齢が急にリアルに感じられる。

ワイエス氏死去。

 16日、アメリカの「国民的画家」ともいわれているアンドリュー・ワイエス氏が他界された。91歳だったらしい。ワイエス氏の絵に出会ったのは東京でデザインの仕事をしていた頃だった。大阪芸大で油絵や銅版画を描いていた頃はまわりにいる同級生やデザイン学科のスタイルに翻弄されて、「自分のスタイル」とはの部分で表現的・手法的な表面的なことばかりが絵において大切だと錯覚してしまい、自分にとって絵とは何かを考える余裕がなかった。社会に出て、商業イラストレーションを描きながらグラフィックデザインに仕事として関わるようになり、よりその表現的な部分に気をとられてた頃、ワイエス氏の絵に出会った。そもそも、デザインにおけるイラストレーションの位置と本格的な絵画表現との違いはあるものの、ワイエス氏の絵のモチーフや表現手法はとにかくシンプルで力強さを感じ感銘を受けた。20代の頃の絵への関わりとはそういう意味で本当に表面的だったような記憶がある。そして、30代になり40代になり、たままた、仕事で東京に行った時に、渋谷でワイエス展があることを教えて頂き、再び、ワイエス氏の原画に触れることができた。仕事の都合があり、その会場には1時間もいることができなかったが、短い時間に昔、20代の頃受けた感銘が蘇る。あの頃感じた何かと同じモノがその会場の作品群に見つけることができた。また、それ以上の何かがさらに40歳になった自分に伝わってくるような感覚があった。それはまだこれだと言える程明確なことではないが、明らかに初めて出会った20代の頃とは違う感覚があった。それは、言葉で表現するなら、ワイエス氏の声が聞こえてきたような感覚だった。そんな感動をしながら会場を回ると、ひとつのコーナーに映像コーナーがあり、その映像にはワイエス氏の創作風景や家族とのシーンが映像で観ることができた。このままここにずっといて何回も何回もその絵の中にいたかった。しかし、仕事で会場を後にし、渋谷駅まで歩く中で、このタイミングでワイエス氏の絵に再会できたことがとてもドラマチックに思え、高揚している自分に気がついた。そして、再び油絵を描きたいと思い個展の構想を具体的に始めている。そんな中、本日の新聞にワイエス氏死去の訃報を知る。そうか、91歳だったのか・・・と。
 こんな人生を送りたい。ただ、そう思う。

ComicStudioと3DCGソフトでマンガ制作を始めよう!

 イーフロストアでは、コンピューターでのマンガ制作の定番ソフト「ComicStudio」シリーズを数量限定の大特価でご用意いたしました。ComicStudioは、マンガを描くことはもちろん、マンガ制作をトータルにサポートするソフト。ShadeやPoser、Vueなどの3DCGソフトで作成した形状や画像を元にComicStudioでマンガを作れば、簡単に美しい背景やキャラクターを作成することができます。もちろん手書きでのマンガ制作に必要な機能も満載!特別キャンペーンは2009年1月26日(月)までです。ぜひこの機会にマンガ制作に挑戦してみてはいかがでしょう。というメルマガが本日到着しました。上記のいずれのソフトウエアも手元にあるために、この趣旨はとても理解ができる。何回かこのニュアンスの作品を作ろうとトライしたがまだ中途半端な状態である。しかし、この手法はいずれどこかで大きな成功例に出会えるだろうから、個人としてもこの手法の情報やサンプルはクリエティブギアとしてリサーチしていきたいと考えています。
 で、実際のリアルな部分で「マンガ制作」ということになると、それはとてつもない予備知識と画面構成とストーリー性が求められることが意外とスルーされて、同人誌レベルのコミュニティーワークレベルならこの二つのギアを中心に展開は十分に手が届く。が、前述したように、「マンガ制作」は想像以上にはハードルが高い。書店に行けば数多のごとくコミックスが氾濫し、漫画・アニメ文化は百花繚乱状態ですが、その中に存在する「本物」の比率はかなり低いと感じている。アニメ的なキャラクターが特異な設定で「愛」だの「戦争」だの「夢」だの「未来」だのを語っても結局お茶を濁したような実写の映画作品になって終わり。もしくは、テレビ番組に吸収されてはいちゃんちゃん。ドラマが終われば終わりという短命なサイクルで終焉する。これが絶対に「マンガ文化」だとは思いたくないので、このメルマガライターの方も簡単に「マンガ制作を始めよう!」とは言ってほしくない気持ちがある。もう、3DCGだからという理由だけで「マンガ」は成立しないと思います。手法や仕組みだけがデジタル化で利便化されても、ソフトな概念がそれらを牽引しなければ、存在価値がなく、「作品」と呼べるクリエイトにはならない。たくさん書店にならぶコミックスを無作為に手にして、「あれ?これええやん!」といえる作品があるだろうか。結構貪欲にリサーチしているつもりでも、そんな作品に出会えるケースは皆無に等しい。だからこそ追求する価値があるとも思う。だから、いい作品に出会えた時の感動は大きい。20年前にマンガ作品をアナログで描いていた時から技術や道具は進化しましたが、さて、今、自分がまた「マンガ作品」に挑戦しようとする時、一番大変なのはその理由付け。理由なんてと強引に進めることは安易ですが、やはり、スタイルや潮流に流されると、頭がないまま沈むと思います。全てに言えることなのかもしれませんが、やはり、「何故それを創るのか」という原因が創り手・描き手の中にしっかりと存在しないと、フワフワモヤモヤした作品にしかなりませんよね。

CS4セミナーin京都

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 年が明けてからいろいなソフトメーカーやデザイン系のメルマがに「ADOBE CS4セミナー」という内容が増えてきました。東京でもごっついイベントがあり、そこには世界のクリエイターの講師がセミナーを展開されるらしい。全てを活用するということはかなり難しいとは思いますが、イラレなりP.S.なり深く追求するのか、広く浅く追及するのか、欲張りなことばかり考えてしまうのですが、CS4についてのノウハウ・テキスト本もまだ書店には並んでいないので、やはり、こういう機会には現場に行き、短い時間で広く全体像を頭に入れる必要があると思います。かなり昔、インデザインの国内初のセミナーに行き、インデザインの機能や仕事への活用術をインプットしてきましたが、結局、インデザインは利用していません。していませんが、インデザインとはなんぞやということをリアルにセミナーで聞けたことで、その後の仕事の振り分けや東京や大阪の印刷関係の会社様とのコミュニケーションも比較的スムースに進められたと思っております。まずは、使う使わないってことよりも、全体像を掌握するということで、細部を見るタイミングや位置が見えてくると思います。熱狂的なソフトウエア本体に対するファンではないので、どのバージョンであれやりたいことができればいいと思っています。が、なぜ、この時代にCS4なのかということはできるだけ早い段階で知覚しておく必要があると思います。また、関係者のいろいろな意見や現場の問題点などの現状も聞けたりできますし、さらに、つっこんだ質問もしたいと思っておりますので、そういう意味でこのようなセミナーはとても有効です。楽しみです。
◎詳しくはhttp://www.too.com/event/2009/cs4/

Rich Internet Applications.

 「目的」「表現」「手法」「成果」を「情報」に置き換える時、デザインの作業が発生する。それは、目に見えないモノであったり、様々な価値として存在する商品や企業のイメージを目に見えるモノとして創出するためである。これを総じてクリエティブと読んでいるわけですが、目にするという意味で書籍や雑誌やパンフレットやポスターなどの紙へのデザイン、グラフィックデザインと。自動車や家なども含めたプロダクツデザインが一般的に「デザイン」の全貌であったと思う(服飾や家電などもプロダクツの中に含まれます。)。そこで、インターネットである。WEBサイトへの情報の流出が認知度を上げる過程では、さほど、この手法に対する「デザイン」の訴求というはボトムアップはされていなかった。しかし、ここ数年の展開はその価値と同じぐらいに目に見えて、それ以上にこれまでのデザインの対象物であった変数とぶつかり合いながら、時に、融合しながら、従来のマスメディアと呼ばれる電波メディアと混在している。そこにさらに「デザイン」である。既存のソフトウエアのような機能と効果を兼ね備えたWEB上のコンテンツ。さて、そのデザインとなるとどうなのだろう?というよりもどう考える?どう構想する?どう企画する?と、まさに「どうどう」が巡る巡る巡る。もう、にわとりでも卵でもどちらが先でもいいので早く食べましょう!みたいな時代に、待て待て、卵を産むまで待つのか、卵が孵るまで待つのか。早く食べたいが時に待つことも「デザイン」なのかもしれないし、いかに誰よりも早く食べ始めることが「デザイン」なのかもしれない。う~ん、このお話は気楽に始めてしまいましたが、かなり長くなりそう・・・。またいつか。

便利な時代の「取引コスト」と「裁定」。

 情報が氾濫していると言われて久しいが実際に情報が氾濫して何が起こっているのだろう?そもそもこの情報という存在を細分化して概念や論理に置き換えた場合、もしくは、既存のビジネスモデル・新しいビジネスモデルに置き換えた場合、また、日常レベルに触れ合っている情報として捉えた場合、その本質とは何だろうかと思う。地球が温暖化になるだとか、世界恐慌が深刻なるというのも世界レベルでの大切な情報だけれども、大きな情報と日々の生活レベルでの細かい情報との間を何かで推量するモノサシがないと間違った認識をしてその認識のままビジネススタイルや生活レベルが固定され、本質(本質というものがあるなら)から紐解いた時に発生する誤差をできるだけなくしたいと考えるのは間違っていないはず。そこで、生活に必要な商品やエネルギー費用について、もしくは、商売に必要な通信費用や燃料費用などについて同じような視点で考えてみることは、今の時代とても必要なことだと思います。コスト削減も大切ですが、価値を正しく推量しないままに削れば数値が下がるというような単純な意識・視点だと数値は下がるがビジネスの効率や品質が同時に下がれば、ビジネスも生活も人生も続かない。ある日突然解雇される方が増えていると毎日のようにテレビやニュースで報じているが、ある日突然その方がその会社に必要がなくなるということではないはず。原因があるから結果があると考えるべきだから、そもそも~の部分を問題視せずに、結果だけに対して水をかけ合っていても、お互い冷えるだけ。時には解決方法や折衷案に導けない問題もあるはずだから、いくら概念や根本を掘り起こしても何も出てこないだろう。よく正社員と契約社員の違いをらしく分析して必要か必要でないかを推量している記事を読むがこの場合も圧倒的に変数も関数も足りない。
 で、現代社会の流通システムにおける「取引コスト」の存在を価値を背景をもっともっとしっかりと分析する必要がありそうです。便利になったと言われいるが、さて、この「便利」とは何だろう?という次の疑問も浮上してきますし・・・。
 「愛」とは抵抗値か互いの熱量かなどというCMもいい変数であるし、「人間の関係は均等であることはなく、どちらかがどちかを追いかけている。が正しい。均等なバランスなどただの先入観である。」というある映画の台詞もなかなか的を得ている。

映画「ハプニング」。

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 これほど期待を裏切らない映画監督はD.フィンチャー以外にいない。DVDレンタル開始からチェックしてようやく昨日レンタルできた映画「ハプニング」。確かに「ミスト」はS.キングのテイストが楽しめし、あのエンディングはなんともキングらしくとても素晴らしかった。しかし、どうも現実とかなりかけ離れた「異次元」というファクターがどうしても最後の最後まで気になった。それが、この「ハプニング」ではそんなことを考えさせるスキなく、最後の最後まで物語への集中力をグイグイと引っ張っていってくれた。その素晴らしい仕上がりにエンドロールが完全に終了してから、思わず「やられた。」と言葉に出てしまった。何もああだのこうだのと言う必要がない。ただ「やられた。」という映画である。自らの命を自ら絶つ能力を持ち合わせた地球上で唯一の生物「人間」への警告なのか、未知なる大自然からの最終勧告なのか、頭の中でいろいろな渦が巻き始め、かなりの時間眠れなかった。

◎詳しくはhttp://movies.foxjapan.com/happening/

映画「WALL・E」の伝え方。

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 最近はあまり映画館に行くことがなくなりDVDでしか映画を観なくなりました。そんな中でも映画館で観たいと思う作品はアニメーションが多くなりました。その理由は定かではありませんが、スタジオジブリやピクサーの映画を映画館で観たいという気持ちになるのですが、どれだけ大作であろうが、好きな俳優や女優が出演していようが、実写はDVDでいいかな・・・、でも、アニメーションだけは映画館で観ておきたいという気持ち。と言うよりも、手軽にDVDで観るという行為よりも、好きなアニメーション映画は映画館というシチュエイションで鑑賞するという見方をしたいというこだわりなのかもしれません。とは言え、ジブリとピクサー以外の映画は観ない。全く興味がない。DVDでもチェックはなし。ということは、自分の中でジブリの宮崎さんの作品とピクサーの映画作品だけが特別の存在のようです。その新作「ポニョ」と「WALL・E」は必見でした。
 で、夏に観た「ポニョ」は2年越しの待望の待望だったので、最初に宮崎さんの「ポニョの制作日記」的なテレビ番組を2年前に観てからずっと期待していた以上の映画だったわけで、改めて改めて「期待を裏切らない」宮崎アニメの真髄の1本でした。
 そして、「WALL・E」である。確か「ニモ」のDVDか何かの映画を観た時の予告で次のピクサーの映画は~みたいな告知で「WALL・E」を知った。そのインパクトはこれまで観てきた映画のどれとも違い、期待感が甚大ではなかった。ちょっと「レイミー~」が残念だっただけに、大きく膨れるだけ膨れた期待感が逆に心配だったほどで、映画「WALL・E」が始まるまでできるだけその期待感を抑えつつ開演。しかし、その心配も開始数秒で狼狽となる。そこから終わりまでこの2年ほど「WALL・E」に対して描いていたイメージが実際のスクリーンで見れたという実感とそれ以上の映像を見せられてしまったという感覚でもうひとりの子ども目線で登場するキャラクターや場面や物語にスッポリと入り込んでしまった。映画のことをここで細かく記述するようなナンセンスなことはしたくないので、一切にそのディテールは記述しませんが、個人的な感想として、SF映画としてなら、「2001年宇宙の旅」を超えましたし、アニメーション映画としてなら、私の最高峰である「となりのトトロ」を超えました。そして、CG関連ではいろいろ名作がありますし、物語やメッセージ性なら数多の映画が存在しますが、それらの中のいずれと比較しても夢がありメッセージがあり心があり、間違いなくそれらの名作のひとつとして心に刻まれた作品でした。あまり内容には触れたくないのですが、映画が始まってしばらくはセリフ(会話)なしですから・・・。もうそれだけで「ああ・・・、やられた・・・。」ということになりますね。さぁさぁ、DVDはいつだろう?
 つまり、映画作品とは予算総額でも登場する人物でも物語の特異性でも脚本でもなく、監督が何をどのように伝えたいかの「伝え方」こそがその本質だと改めて痛感させられたという作品でした。

初詣。

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 遅い初詣。何を願うって「家族の健康」と「商売繁盛」。政治の空回りや凶暴な事件や沈滞する景気のニュースを年末年始にかけてテレビや新聞で見ていると、お笑いのテレビを見て能天気に笑っている場合ではない。不景気な時はお笑いブームが来るという相関関係もまんざら的を得ているのかもしれない。しかし、自分の身の回りのことに目を向ければ解雇されたり、凶暴な事件に巻き込まれたりしている方はおられない。ほんとうにありがたい。しかし、同じ時代に生きている以上、いつ何時そんな事件に自分自身や家族や知り合いがその当事者にならないとも言い切れない。どれだけ警戒し自己防衛をしていていも火の粉を避け切れない場合もあるでしょう。紙一重で巻き込まれるのか、免れるのか、現代とはそんな社会のようです。それは、多かれ少なかれいつの時代も起こっていたことかもしれませんが、新聞で「世界恐慌」という文字を見るたびに、その深刻度は高いと感じて間違いないと思います。だからと言って「神様」に何をお願いしてもどうなるものでもありませんが、両手を合わせて願うということはそれすなわち自分自身の気持ちや心に対して正直に向かうということ。そいう意味において「神様」は確かにひとりひとりの心の中に魂の中にいるのでしょうね。正月休みは仕事で神前の前で手を合わせられなかったのですが、なんとか遅い初詣。両手を合わせて願ってまいりました。

青葉山。

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 田舎(高浜)で子どもの頃、毎日のように見ていた青葉山。たまに帰り雪景色を見るととても新鮮です。暖かくなったら今更ながら頂上に登ってみようと思います。山登りの魅力について20・30代の頃はそれほど興味がなかったのですが最近なんとなく気になります。

flashCS4でオリジナルアプリケーション。

 ボチボチとですが、FLASHのCS4にてWEBアプリケーションが作れないかと構想と設計図を描きはじめています。というのも、ようやくACTIONSCRIPT1.0~2.0と3.0の違いが理解できてきたからです。これまでもACTIONSCRIPTとCGIやPHPを組み合わせたり、サーバプログラムと連携させるというようなサンプルをいろいろ研究してきて、何かググッとくるリッチコンテンツができないかと考えていました。が、やはり、今からCGIやPHPやサーバプログラムを覚え使いこなすのはかなりハードルが高いと感じていたのですが、このACTIONSCRIPT3.0なら、簡単な仕組みからなら、オリジナルを作れそうな気がしてきています。どうも、プログラム系のASPを見ていてパッとしないのは何故だろう?と感じていろいろリサーチしているとやはり、現場の方に言わせると、機能やユーザビリティーを優先するばかりにデザイン的な部分まで十分に吟味できなかったり、プログラムの分野の方にデザイン的に魅せるという視点というかこだわりがなかったことが起因しているようでした。また、デザインの現場の方は面白い魅せ方やデザイン的なこだわりがあったとしても「楽しく」「スッキリと」「センスよく」は心得ているが、さて、それとプログラムをどう組み合わせるかという部分で融合が難しかったという背景があるようです。この部分をすべて包括したような「ググっとくるWEBアプリケーション」が作れるとしたら、それは、もう、FLASH-CS4であれ、マスターコレクションCS4しかないということ。そもそも、そんな市場になってきたから、アドビもこのシリーズを出したという背景もあるらしい。全てのメディアに精通できる最高のショートカットがやはりこのアドビマスコレCS4なんですね。まだまだ、これについてのテキスト本も書店には並んでいないが、いずれ、どこかから出版されるでしょう。しかし、専門雑誌となると、DTPだけ、WEBだけ、映像だけ、CGだけという雑誌ばかりですから、マスターコレクションを大きく捉えるようなテキスト本は実際難しいとも感じています。ならば、当分はゴリゴリと試行錯誤しなければいけない。そして、同じベクトルで取り組んでいるネットワークで活用術を会得する必要がある。
 で、FLASHとACTIONSCRIPT3.0の活用術にトライしておられる方、オフレコでご連絡ください。現在、自分自身がCS4でできることを盛り込んだWEBサイトを自社(アクト)のWEBサイトで挑戦しようと構想しています。たぶん、映像やアプリケーションサンプルを盛り込みながらも楽しく何かを伝えることができるようなWEBサイトに仕上げたいと、時に綿密に、時に遊び心を失わずに設計図を描いております。また、そんな面白いWEBサイトをご存知でしたら、これまたオフレコで教えてください。英語版も作らねば・・・。とにかく「ググっとくる便利で機能的なリッチコンテンツ」を創りたい。

強い写真です。

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 いい写真は何も一切語る必要がない。そんな写真ですね。そんなデザインを創りたいものです。

新製品「Adobe CS4 Web Premium」は・・・。

 「2008年12月に発売開始された新製品 Adobe Creative Suite 4 Web Premiumは、Web制作者および、Web業界参入を検討しているデザイナー、デベロッパー、企業の皆様にとって作業効率・生産性向上を実感いただける機能が揃ってます。当セミナーでは、その新機能をデモを交えて紹介いたします。また、来場者には当セミナー講師が利用するデモ素材とAdobe Creative Suite 4 Web Premium(体験版)も提供予定ですので「見て・体感して・実践できる」充実したセミナー内容となっております。 あなたのこれからを変える一日です。是非、ご参加いただき「最高傑作へのショートカット」を手に入れてください。」と本日、アドビからメルマガが到着。とても東京のセミナーにエントリーはできないので、これはスルーなんですが、このタッチの新春セミナーを聞くたびにweb業界はガッツリとCS4モードになりつつあるのかなと思ってしまいますね。確かに、まだ、使ってはいない段階でCS4はかなり整理されたし、かなり新機能が追加されている。これは、市場のニーズをアドビが受けて開発しているわけですから、理に適った新製品だと考えて間違いない。まだ、これを使っている人を見たことがないので、どれだけの操作性があり新機能がどれだけ仕事として強力なツールになっているのか実感はできませんが、ひとつひとつCS4のソフトを活用していきたいと思います。しかし、旧バージョンのソフトウエアが無効になるかというとそうでもないと思われ、「新しいソフトで新しいことはできるがさてさて仕事にどこまで活用できる?」という疑問と「市場が求めたバージョンアップなのだから、取り組んでいくことで新しい展開が必ずあるはず!」という期待をしっかりと自分の中で調整しながら、新しいソフトウエアを手に馴染ませる必要がある。確かにそこへのショートカットは上記のようなセミナーに参加するのが一番近道である。が、それだけに東京や福岡へは行けない。この部分がリアルなところ。長浜や滋賀県でCS4のマスターコレクションの活用術セミナーを期待しても、多分無理だろうから、せめてこの大阪あたりでCS4のセミナーにエントリーできれば・・・と考えております。
 で、CS4を活用したWEBサイトの今を実例で早く見てみたい。何がどうなのか・・・?を。表現力が上がったとしても本質が伴っていなければと考えがちですが、クリエイターのイマジネーションを自由自在にカタチに表現できるギアになっていると信じたいから、やはりの部分で「クリエイターのイマジネーション」だけはしっかり持って取り組む必要がありそうですね。手法や表現に依存して本質のない薄いクリエイトにならないように注意・吟味したいものです。何ができるかではなく、何がしたいのかが肝心要。

ActionScript3.0への展開。

 広告・PRなどの販売促進ツールとしてのWEBサイトの価値と合わせて、様々な展開についてそろそろ成熟期を迎えようとしているのではないだろうか。例えば、FLASHの進化とWEBコンテンツの動向だけを捉えて考察・分析してもその趣きが否めないように思います。ブログやSNSなどのコミュニケーションツールとしてのWEBサイト、企業紹介としてのコーポレイトサイト、また、学術的なアーカイブ機能としてのWEBサイト、そして、エンターテイメント性に特化したゲームやオンラインサービスを展開するWEBサイト。それぞれが、目的を共有しなががら、他のメディアと複雑に交差しながら、大きな潮流がうねってきた。が、それも「世界恐慌」という壁にぶち当たっている。本体・本質が振動している状態で、遠い未来を描くことよりも、目先の障壁をどうクリアすることにフォーカスしているのがまさに2009年の今のように思います。あらゆる業種において世界恐慌の波は押し寄せて、その基礎の部分、地面の部分を振動させている。雨が降り地が固まる前に大地が大きな痛手を受けてしまえば、もう、エンタメだのオンラインサービスだのとは言っていられない。消費が沈滞する経済状態でいったいどんな情報が有益なのだろうと考えてしまう。嗜好品よりもより生活レベルに密着した物品や価値の吟味がなされ、巨大な企業のこれまでの展開は大きなシフトチェンジを余儀なくされるでしょう。その余波を受けて中小企業や小さなビジネスモデルが影響を少なからず受けてしまう構造は否めないとしても、そんな時代にも独自のスタイルと経験値を生かしながら逞しく自社の自己のスタイルを展開している企業様、商品、個人様が必ず存在する。つまり、マスメディアがその価値を失い崩れ始めている今、何が生き残るために必要なセンスなのだろう?「サバイバビリティー」という言葉をニュースや新聞で目にするが、まさにである。しかし、商売とはいつの時代も「サバイバビリティー」だと思って取り組んでこられた方にしてみると、これは、本末転倒であるとも言えなくない。今更・・・みたいな感覚を持っておられる方こそが、時代を牽引されるのでしょうね。そうなりたい。
 そのために、新しい取組みをと頑張っている。「ActionScript3.0への展開」がそんな強い存在へ繋がることを期待しています。

仮想空間ビジネスの破綻。

 実際、「センカンドライフ」というシステムはどこまで未来像が描けるのかと思っていた。この中でこのスタイルでビジネスがスムーズに展開できるならかなり大きな未来像を描くことができるだろうと。しかし、どうやらそれは夢に終わったような雰囲気である。仮想空間で仮想の通貨を使用して暮らしビジネスを展開しエンジョイするということだったようですが、絵に描いた餅だったようです。次次にセカンドライフ関連のベンチャー企業が撤退しているらしい。熱狂的なモノはやはり人の常として冷めるのも迅速である。仮想なのに空洞化という不思議な現状である。何が原因だかはまだまだこの事例を分析する記事を読まないとまったく知らない興味のないお話なので自分自身にしてみれば「流れ星」のような存在の「セカンドライフ」なのです。3回も願い事を唱える時間がなかった・・・。
 で、この事例は何もセカンドライフという仮想空間サービスだけのお話ではないと思う。WEBサイトビジネスもいつかこのような状態にならないとも限らない。仮想と言えば仮想であるし、リアルだと言えばリアルではありますが。だって、リアル社会でさえいろいろなモノが破綻しているわけですから、そりゃ、マトリックスの中も破綻します。しかし、だからと言って「仮想現実=バブル」だと決定付けてしまうのもどうかと思います。そもそも「仮想」とは何か?「創造物」なら意図や意味や意義があるはず。通貨でさえ、言わば創造物なわけですから、その文化や歴史が時代と共に変遷を繰り返してきたとはいえ、人の現実社会にしっかりと流通しているモノ。ならば、「デジタル仮想社会」と「アナログ仮想社会」で区分はできないものだろうか、「具体的な仮想空間」と「抽象・イメージ的な仮想空間」で区分はできないだろうか?という試みを情報紙S.O.S.の第26号では取り上げていきたいと思っております。
 そもそも「仮想」とは何なのでしょう?情報紙S.O.S.マスターメンバーの皆様よろしくお願いいたします。別に救世主が誰かとかザイオンがあるのかないのかということではなく、きな臭いお話をクリエイティブに料理してもらってもいいですし、独自のイデオロギーをクリエイトしてもらってもOKです。なんでもかんでも仮想仮想と言っている方の背景を洞察してもらってもいいです。こんな第26号にしたいと考えております。どうですか?オズさん???

ブランドモノのレンタル!?

 高級ブランドバックをレンタルするって!?何故?何故?何故?購入したら55万円のバックだから、1週間レンタルして2万円って、なんだそりゃ?高級外車も数千万の車が1日レンタルして5万円って!なんじゃそりゃ!その話題をまじめな顔して公共の電波を使って給料もらってカメラの前でしゃべっている方。あたたの存在はレコーダーかっ、と思わず朝のテレビでツッコミを入れてしまいました。どう考えてもブランドモノに心の針が1mmも動かない私はそもそもその価値が何色をしているのか見えたことがない。こんな人生は寂しい人生なのかもしれませんが、それはそれでいい。逆にブランド志向に対するアンチな考えしか浮かばない。確かに中国製のゴルフクラブより、中国製のエレキギターより、ブランドロゴが入っているモノを手元に置きたいという気持ちは分かるが。それと、高級車や高級アイテムのお話とはちょっとベクトルが違うように思いました。
 で、次のニュースが職を失った人の大移動の映像。その中の若者が現在所持金なんとかカード¥1000で路頭に迷っている。しかし、それほど悲壮感は漂っていない。パートや派遣社員や契約社員の問題が年末から話題になっていますが、それについて賛否両論ですが、私自身思うことは、そうならないために、一生懸命、仕事やライフワークに精進することしかできないので、肯定も否定もできないというのが正直なところでしょう。ただ、所持金がなんとかカード¥1000でどうすんのだろうか?そして、このテレビ局はこの絵を朝イチにテレビで見せて何を視聴者に感じてほしいのだろうか?まず、デレクターやプロデューサーの思惑が見えないですね。
 「ブランドグッズのレンタル」と「所持金¥1000」の比較を見て日本の今がよくよく理解できたような気になりました。日経新聞には今後日本経済全般に「レンタル型」の社会になるだろうとの考察が書かれていた。何をレンタルするのだろうか?全て???まぁ、それも真理であり本質かもしれません。所持しているなんて実は大きな人間の間違いで、そもそも只の先入観ですものね。

結局。

 結局、年末に購入したアドビのマスターコレクションCS4はインストールできなかった。なんとも残念な年末年始(でもないのですが。)。残念と言ってもやりたことができなかったという意味で残念であり、年末年始も追いかけていただけるような仕事を頂いたお得意様に心から感謝の気持ちがちゃんと背景にあることは事実として、この部分で高揚する以上に自分の仕事の調整力が今更ながらふらふら状態であったことに残念と思うだけなのである。年々、物忘れが激しくなる。これまでここまでは覚えていただろう・・・的な部分が10だとすると、完全にその50%は一瞬で忘却の彼方へ吹っ飛んでいくリアル。このリアルにイライラがつのりそもそも生産性も効率も落ちてきているにも関わらずこの始末であるからなんともストレス。もう、末期だなぁ~と思うのは、歳と共に大切な事柄や覚えておかなければいけないことをメモしなければとありとあらゆるモノにメモをして、ソフトウエアやプログラムや仕事の企画・構想をノートに、必要な資料のWEBサイトはお気に入りにとメモして保存してメモして保存。しかし、整理力が伴っていないことに最近気がつく。だから、どのフォルダに仕舞い込んだのか?どのノートに記述したのか?メモは何処に置いたのか?これで平気で1時間が経過する。人間の脳は忘れるという能力に優れていると何かで読んだのですが、これは、どうなの?という感じ。確かにイライラしたことや悲しいことをいつまでも覚えていたら生きていくのにはマイナス。適度に忘れて適度に新しい情報に感激・感動していかねば心が持たないということらしい。が、こうも忘れることが多いと結局どう立ち振る舞えばいいのかという方法論を求めたくなる。忘れたことを思い出そうとする時、人間の脳には普段の思考状態のエネルギーの数倍を使うらしい。そして、それを繰り返しているとハードディスクではないが、脳が劣化するらしい。でも、強引に記憶を辿って忘れていたことが思い出された快感はコタエラレナイ。にも関わらず忘れて忘れて・・・のループは確かに疲れる。それだけ情報量が多いとも思えないのですが、PCに依存しているようでデジタル情報飽和時代に脳は十分に反応しきれていないのかもしれない。だからと言ってもう人間はPCから離れて暮らせない。暮らせるかもしれないが仕事に活用している以上離れることはできない運命共同体である。ならば、忘れるのも予定調和と忘れ続けていけばいいとも開き直れない。このジレンマはパソコン開発者たちは予想したのだろうか?いやいや彼らもたぶんどこかで同じことを考えているだろう。結局の結局、人の思考は緩い流れを受け入れ激流を遠ざけるのかもしれない。
 で、皆さんどうですか?最近のご自身の記憶力?
 と、すでに、CS4への取組みのことを記述しようとして書き始めたブログがただの愚痴になる始末。

予期せぬトラブル。

 昨日(3日)、突然、イラストレーターの作業中、G4DUALの電源が落ちた。メインスイッチを押してもライトがつかない起動しない何も音がしない。完全にチーンである。う~ん、正月休みなど関係ねぇ~!と年末年始作っていたデータが入っているのに・・・。もう、あきれてただ呆然。何回かこの目は食らっているので、大切なデータは全て外付HDの中だが、この正月休み中のデータはこの中だけ。もう、最悪のスタートになった。いつもこんな時の救急病院のスペシャリストに早速110番である。タイミングよく正月休み中にも関わらず電話に出ていただけ、「ああ、それは、電源系統の交換で直りますね。」と即答。なんと、素晴らしい。真っ暗な気持ちでいた昨晩までの気持ちに光がさしてきました。ありがたいありがたい。さっそく、仮死状態のDUALを車で搬送。そして、中身を開け、壊れた部品の代わりに新品の部品をとりあえず外部から接続したら復活!息を吹き返し、作成中のデータをフラメに頂き引き続き作業開始。そして、休み中に無事作業を終了することができたというお話。なんともヘビーな予期せぬトラブル。修理費用はかかりましたが、ロジックもチェックして掃除もして故障部品も交換されて、あさって退院予定です。ほんとにほんとにほんとにMacは手間がかかるPCです。まぁ、もう仕事用に新しいMacを買うことはないので、このご老体(7年選手)をだましだまし使うように、できるだけ延命に心がけたいと思います。今回のことで改めて「仕事のPCはWin、趣味ならMac。」という構図が私の心の中で決定打となりました。さよならMacよ!という感じですね。今後の展開はたぶん期待できないでしょうから、これから、新しいシェアを獲得したいなら、APPLEさんも腹を括ってくださいね。中途半端な高価なブランド志向は誰も仕事のプラットフォームに求めていませんから、極一部の嗜好品派だけに、削り出しを創ったところで、パワーユーザーは見極めていきますよ。まだまだ、ブランドで走れるうちはいいですが、そうそうMacの費用対効果を擁護できる人は増えていきませんよ。次世代のOSや筐体もそろそろ市場に出てきますよ。全てがサーバ思考になり、ソフトウエアが走ればOSは必要なくなる時代が来た時にまだ高級家電思考に依存していると、クリエイターの視野からMacは消えていると思いますよ。

ミラーニューロンの今。

 ウィキペディアでは、「ミラーニューロンは霊長類などの動物が自ら行動する時と、その行動と同じ行動を他の同種の個体が行っているのを観察している時の両方で活動電位を発生させる神経細胞である。したがって、他の個体の行動に対して、まるで自身が同じ行動をしているかのように"鏡"のような活動をする。このようなニューロンは、マカクザルで直接観察され、ヒトやいくつかの鳥類においてその存在が信じられている。ヒトにおいては、前運動野と下頭頂葉においてミラーニューロンと一致した脳活動が観測されている。ミラーニューロンは、神経科学におけるこの10年で最も重要な発見の1つであると考える研究者も存在する。その中でも、ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドランは模倣が言語獲得において重要な役割を持つと考えている。しかし、その分野での認知度にも関わらず、ミラーニューロンの活動が模倣などの認知活動において、どのような役割を果たすのかという疑問に答える神経モデルや計算モデルは、現時点では存在しない。加えて、1つの神経細胞がある現象を引き起こすとは一般的には考えられていない。むしろ、神経細胞のネットワーク全体が、ある活動を行う際に活性化していると考えられている。」とある。そもそも、小学校の頃、美術の時間に「マネはいけない、個性的に。」と言われ続けてきたが、小学生なりに、何か変だなぁ~とは漠然と感じていたような記憶がある。なぜ、マネがいけないのか、そこから、大阪芸大に入るまでこのジレンマがあった。絵の勉強を芸大で本格的(これも語弊があるが・・・)始めるようになってからもずっとずっと「オリジナリティーを」と言われてきた。「自分の絵」を探しなさいと、とおり一辺倒の教授陣の言葉にやはり、小学校の頃感じた変な感じが否めなかった。決して懐疑的な思考ではなかったものの、常に「何故、マネがいけないのか?」が頭の中でモヤモヤしていた。デザインの仕事を始めるようになっても、また、「オリジナリティー」という言葉にぶつかる。そのデザインは何々風でいいけど、君は君のデザインをしていかなければモノホンではないですよ的な助言を頂くたびに、「ああ、またか・・・。」みたいな感覚。イラストレーション表現も「個性的な絵」のスタイルが嫌いだったのもそれが大きく影響している。「上手い絵=リアルな絵」という考えがコアにあるために、抽象画やオリジナリティーもどきのイラストレーションを否定してきた。今でも否定している。しかし、芸大で芸用心理学や社会心理学の講義に出会ってから、なぜ否定してしまうのかという心の部分の本質を見極めたいという視点を頂き、それにことあるごとに没頭するようになる。専門的な研究はできないまでも、個人的なレベルで「人の考える仕組み」に対する答を出せないものかと。その中で「マネぶ=学ぶ」というキーワードに出会えた。そこから波及する日本の義務教育の澱についても、絵画・芸術一般についての海外・日本の歴史についても個人的にリサーチをしてきた。そこまでの背景があり、このミラーニューロンの研究がここ10年のお話であることを知ると、まだまだの部分があったんだと納得してしまった。そして、最近、心のお話が書籍やテレビに取り上げられるごとにけっこう見入っている。
 で、やはり、「全ての芸術は模倣から始まる。」という言葉がかなり自分自身の心の中で色彩を帯びてくる。やっぱりね、という感じ。だってそうでしょう、芸術の歴史の中で、絵画の昔と今を体系的に分解しても、絵はそもそもただの伝達方法ですから。そこにどう価値が付加されるかは放し飼い状態であれ、根本は何かを伝える手法であるなら、それを継承する作業が絵を描くことの根底に流れているはず。それを見誤って「個性」だの「オリジナリティー」だの「情操教育」だの「心理分析」だのと言ってもそれはただの「お茶のにごり」だと思いますね。この根本を理解させる教育体系をどこかで見誤ったから、あんな総理大臣が国を動かしている国になってしまうのでしょうね(かなり強引な結論ですが。)。じゃあ、どうなるべきかという部分ですが、それは、それが見えている人がどう立ち振る舞うかだけですね。つまり、最後の最後は、誰かの頭の中にあるヴィジョンや考察が渦になり時代を作ると言っても言いすぎではないでしょう。最後の最後で、頭の中のミラーニューロンがどう反応してどんな信号を出力中枢に出すか・・・だけ。まぁ、この考察はこんなブログでは無理ですから、また、改めて執筆してそれが書籍になった時にどこかで同じ考えを読んだ時、あなたのミラーニューロンで吸い込んでください。年頭にあたり、道草思想論第一筆でした。この考察に対するご意見をぜひください。「肯定否定」ではなく、「正しい悪い」でもなく、「価値があるない」でもない、フラットな考察をよろしくお願いします。RONINさんどうですか?

Mr.M.M.氏に捧ぐ。

 このエントリーが775個目のエントリー(投稿)になります。つまりあと2個で記念すべき!?777個目のエントリーが完了する。これがおめでたいことなのかそうでもないことなのかは、パチンコ台に座らなくなってほぼ15年ぐらいが経とうとしているので、そのドキドキはもう記憶でしかなく、実感としてうるさい空間のタバコ臭い場面のリアリティーしか想い出せない。あと777個目は何にしようか考えているのですが、多分、本日777個目は書くでしょう。
 さて、そんな予想以上に頑張って書いているブログ「スギノのノギス」なのですが、よくある無料ブログのように「ログ解析」もMIXIのような「足あとチェック」も一切していないので、オンライン上でのアクセス解析は全くしていません。だから、誰に読んでもらえてとか何件ヒットしているかなどはまったくスルーしています。芸能人のブログのヒット数がギネスに載ったとか、誰かのブログ本が出たとかは、完全に予定調和であり、芸能人のブログをたまに読むが、その内容の薄さというか質量の軽さに驚く。この文章だったらそりゃたくさんの人がストレスなく読める仕組みになっていると思います。本来、文章を記述するということをどう捉えているかは別として、安易にブームだからブログに書いているだけが、ブログでいいなら、見る側もそこでブログの満足感が達成できるのであれば、それはそれでいい。しかし、その反面タブーもあるのでしょうね。誹謗中傷もデジタルコミュニケーションのルールを無視して横行しているし、オンラインコンテンツの中にある、公序良俗の琴線に触れることの義務と権利も明確にするべきでしょうね。それが、どうも、総意と本意の間に溝が大きく複雑な日本人は棚上げする傾向にあり。リアルタイムでそれを疑問視しないケースが多い。それが言わばブログの功罪のように思います。
 で、Mr.M.M.氏のお話。44年生きてきてそうそう心の中からリスペクトできる方は少ない。私の心の中には7名の恩師がおられ、常にその存在をどんな場面でも感じられる強烈な恩師なのですが、それ以外にいっしょに仕事をしたりとか、今でもお世話になってとかの部分でリスペクトしている方を想い描くとかなり限られてきます。どういう方をリスペクトするかもその人によって様々で、モノサシは明確ではない。そして、過ごした時間の長さでもなければ、与えてもらった恩恵の質量でもない。その存在感というか言葉ひとつひとつ表情のひとつひとつ、へなちょこボールの1球1球が忘れられない・・・などの部分でリスペクトしているのだと思う。元気そうで何より何よりです。

新年明けましておめでとうございます。

 新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。旧年中はほんとにたくさんの方にお世話になりまして、お仕事のこと、人生のこと、ライフワークのこと、いろいろなアドバイスをたくさんいただけたと思います。確かに日本の景気はどう考えてもいい状態ではないと思います。しかし、テレビや新聞で目にする耳にするほど人間は悲観視していないように思います。たくさんの人に支えられながら自分があり家族があり会社があるということをしっかりと自分の中に整理できていれば、権利ばかりを主張して義務を怠るということもできるはずがありません。また、個性の時代個性の時代と申しますが、一人一人の個性などよくよく分析してみれば、多くの方に支えられて成立している訳です。だから、この部分さえしっかりと肝にさえ銘じておけば決して軸がぶれるようなことになはならないと思います。軸がぶれている方の論理をよくよくお聞きすれば、どこかおかしい背景や論理が存在します。複雑多様な時代ですから、自分を見失うような壁や谷に落ちることもあると思いますが、それでこそ誰かに手を差し伸べてもらえたり、ちょっとした心ある一言で復活できることが多いと思います。デジタルコミュニケーションの時代だからこそ、最新の技術ばかりがクローズアップされてその手法や技術にばかり目が行ってしまいがちですが、本体の部分、本質の部分をしっかりと見極めて本来の人と人との関係性を何より重視し心と心でコミュニケートしていけば、必ずその道こそが歩む道だと思っていい、信じていいと思います。2008年も振り返ればただ一生懸命で光陰矢のごとしでした。こうして、2009年の初ブログを書きながらでもたぶん2009年も同じように時間が過ぎていくのだと思います。そんな時間をどれだけ自分自身や家族や会社にとって、そして、お世話になっているお得意様や仕事仲間と質量のある時間を過ごせるかに今年も終始し意義のある価値のある時間を過ごしていきたいと思っております。本年もどうぞよろしくお願いいたします。スギノヨシカズ