便利な時代の「取引コスト」と「裁定」。

 情報が氾濫していると言われて久しいが実際に情報が氾濫して何が起こっているのだろう?そもそもこの情報という存在を細分化して概念や論理に置き換えた場合、もしくは、既存のビジネスモデル・新しいビジネスモデルに置き換えた場合、また、日常レベルに触れ合っている情報として捉えた場合、その本質とは何だろうかと思う。地球が温暖化になるだとか、世界恐慌が深刻なるというのも世界レベルでの大切な情報だけれども、大きな情報と日々の生活レベルでの細かい情報との間を何かで推量するモノサシがないと間違った認識をしてその認識のままビジネススタイルや生活レベルが固定され、本質(本質というものがあるなら)から紐解いた時に発生する誤差をできるだけなくしたいと考えるのは間違っていないはず。そこで、生活に必要な商品やエネルギー費用について、もしくは、商売に必要な通信費用や燃料費用などについて同じような視点で考えてみることは、今の時代とても必要なことだと思います。コスト削減も大切ですが、価値を正しく推量しないままに削れば数値が下がるというような単純な意識・視点だと数値は下がるがビジネスの効率や品質が同時に下がれば、ビジネスも生活も人生も続かない。ある日突然解雇される方が増えていると毎日のようにテレビやニュースで報じているが、ある日突然その方がその会社に必要がなくなるということではないはず。原因があるから結果があると考えるべきだから、そもそも~の部分を問題視せずに、結果だけに対して水をかけ合っていても、お互い冷えるだけ。時には解決方法や折衷案に導けない問題もあるはずだから、いくら概念や根本を掘り起こしても何も出てこないだろう。よく正社員と契約社員の違いをらしく分析して必要か必要でないかを推量している記事を読むがこの場合も圧倒的に変数も関数も足りない。
 で、現代社会の流通システムにおける「取引コスト」の存在を価値を背景をもっともっとしっかりと分析する必要がありそうです。便利になったと言われいるが、さて、この「便利」とは何だろう?という次の疑問も浮上してきますし・・・。
 「愛」とは抵抗値か互いの熱量かなどというCMもいい変数であるし、「人間の関係は均等であることはなく、どちらかがどちかを追いかけている。が正しい。均等なバランスなどただの先入観である。」というある映画の台詞もなかなか的を得ている。