高いけど安いか・・・。

 日本って難しいと思いますが、逆にニュアンスの部分でいいベクトルに広がる場合もたくさんあると思います。言い切るからいいのか、言い切らないからいいのかということなのですが、この不透明な不景気な時代、「安かろう悪かろう」などという言葉が氾濫している。何がなんでもコストはかけたくないから、安くなければ、安くて当然という風潮において、だったら、モノが悪くても仕方ないか・・・みたいなニュアンスなのだけれど、この語感にはかなり「妥協」が入っている。「こんな不景気な時代から、高い買い物は控えてとにかくどこよりも安いモノで我慢我慢。」というタイプは悪くとも納得というベクトル。ただ、この「安い」という基準にも、「悪い」という基準にも、正確なモノサシは存在しない。世の中で一番安い数値は¥0ですし、極端な「悪いモノ」を¥0で入手するのかと言えばそうではなく、「安かろう悪かろう」なりに、そこそこ感を期待している感じ。そこにもしっかりと基準のようなモノサシがあり、ここまで安ければここまで悪くても仕方ないというモノサシがある。情報が飽和している時代だから、価格の吟味は以前よりも数段リサーチできる。しかし、その情報の中にその価格と実態を吟味できるだけのディテールがあるかとなると???となるはずである。デジタルコミュニケーションの落とし穴はここである。比較はできるのですが、実態を100%掌握・認知しているかの部分が緩い。ではより多くの検討指数の中からひとつを選ぶ出すという%がその情報の実態かと言われるとそうでもない。ならば、その価値を正確に判断するのは何だろう?イメージやデザインもその価値判断に大きく影響しているだろうし、機能や構造や品質も判断材料である。また、その時の気分も大きく判断のクオリティーを左右している。
 で、「高いけど安い・・・」という言葉。この言葉にはこれらの判断基準の一番いい部分だけが反映・適用されているように思います。この日本語はなかなかいい。「高い買い物をしてしまったのだけれど、実際にそれを自分の目で見たり手で触れたり道具として使ったりした結果、このリアリティーなら安かった・・・。」があって初めてこの言葉につながっていると思います。で、言えば、商品の価値とは代価と交換して初めて自分の中の価値基準と融合して正しい感触になるということなのだろうか。それを、代価と交換する前に妥協して「安い悪い」で判断している人は結局、見えていないということになる。これが氾濫している市場にどんな商品を出せばいいのか?教科書に沿って「ターゲットを設定しましょう!」とは言ったものの、本当のターゲットは反面なんとかでそれを売ろうとしている自分自身の中にあるように感じた言葉でした。