知識人の功罪。

 明治時代に存在した「知識人」と現代の「知識人」の違いについて、ある書籍から面白い洞察を得た。なるほどなるほど、そいういう定義というか概念ってあるあるという感じ。情報時代が氾濫している時代に本当の知識とは何かを問いただしているわけですが、多様多様と言い切ってしまって放置するよりも、ひとつひとつその多様のパーツを手に届く場所に置いて吟味する。そして、その吟味したことを情報として記録する次の消化し活用する応用するこの「転換力」こそが「知識」「知恵」だとその著者は言っている。確かに情報の海を泳ぐ泳ぎ方は知っていても、どこへ向かうのか見当を目標を持たずに泳いでも仕方ない。そうこの著者は言いたいのであろう。もう少し、掘り下げて「知識人」については考察していきたいと思います。
 で、とてもとてもあのダメダメコメントを拝見するに、あの方たちが知識人だとは思えない。そんな人たちがこの国を動かしていると思うと悪寒が走る。あれらはもしかして何かの影絵かもしれないと・・・。