2009年03月 アーカイブ

豊公園の桜は・・・。

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 3月30日の夕方の段階での長浜豊公園の桜の状況です。まだ、5~10%ぐらいでしょうか。たぶん、来週中が見ごろになるのではないでしょうか。

春の予感。

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 まだまだ、長浜は肌寒い日が続いているのですが、ところどころに春の予感がチラリホラリ。

残念、カラス君。

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 2日前からゴソゴソと作り始めていた巣がようやく完成したので今朝撮影したのですが・・・、早速、人間様からクレームが然るべき業者に連絡入ったようで、早速、撤去。カラスの巣を撤去するのに、クレーン車が1台と、人員が3名。う~ん、これも雇用創出かな。カラス君、残念でした。

散歩している犬のように。

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 散歩中の犬君は飼い主よりも表情が豊かである。動いているって頭の中も動いているんですよね。散歩はほんとにいいものです。ちなみにこの犬はウチのチョップ君ではありません。

初春の琵琶湖湖畔。

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 まだまだ風は冷たいのですが、久々に琵琶湖がキラキラしていたので撮影しました。

Step by step.ですね。

 何事も一歩一歩進まなければいけないですよね。この場合の「何事も」の部分、いろいろあるのですが、お仕事で言えば、デザインとソフトウエアの関係です。ソフトが使えるからデザインが出来るではないのですが、デザインが出来るならソフトもできるでもない。また、ソフトが使えるとデザインが創れるも同位ではない。まずはデザインからということなのですが、自分自身、学校でデザインを学んだ期間はなく、最初(23歳の頃)に新宿の事務所でカレンダーの版下を修正したことが生まれて初めてのデザインの仕事。そこからいろいろな方やお客様にもまれてもまれてもまれてもまれてもまれて、そう、新茶のようにもまれて今日がある。そう思うとStep×928,6881,3362ぐらい。そして、例えばイラストレーターで言うなら小さい12インチぐらいのモニターに英語のマニュアルでモノクロ画面。そして、今ではビックリするようなツールボックの「ペン先」と「円形ツール」で禁煙マークを作成していたとこから、現在(CS4)に至るまで、どれだけの試行錯誤があったことか。しかし、デザインもイラレも何かひとつづづ整理して身についた感覚はない。それこそ、まだ本当に身についているのかさえ不明で未知数なのが実感。だから、正確には目標設定ができないまま、ただ、進んできたとしか表現できない。しかし、デザインもソフトウエアも数知れない失敗を繰り返し、次は失敗せずに効率よく、もっと、希望されているデザインを、もっと、希望されている以上のデザイナー・クリエイター・アーティストなりの仕事をしたいと繰り返してきたことが、小さい石ではあるが、礎に糧に経験値になっているような気がする。
 で、このWEBビジネスの世界からマルチメディア・クロスメディアの世界ででも、たぶん、どこにも最適なテキストなどないだろうから、一歩づつ、自分のスピードでいつもの感じでいろいろ失敗を繰り返し、ノウハウをチップスをギアを増やしていきたいと思っています。
 次は何が何でもRIAである。

雇用創出200万人!?

 雇用とはそもそも創出するものだったかもしれないが、それが意識的であれ無意識下であれ本来の経済母体の中に存在する「仕事」の意義を考えるなら、客観的に雇用を創出の対象にするのは自由だけれど、主観的にはそれで果たして「仕事」なのか?とモヤモヤ感が払拭できない。そもそもモヤモヤした国だったから、モヤモヤした政治が成立し、モヤモヤした経済で微妙なバランスをとっているのが実は日本なのかもしれないし、その母体はアメリカなのかもしれないと思考がループする。儀礼的な意味においていくつかのルーティーンを指して「仕事」とし、代価と意義の公式を誰かから受け取ることで生活が成立するならそれも経済。アンチステレオタイプに、自然への回帰に、精神的なよりどころに、意義を求めて代価なくとも崇高なIDを確保するのか?と突き放すののも経済。しかし、精神社会の構造とリアルな自然社会の輪廻をどこかで納得できうるレベルまで意識化しないと、それはもう混沌・混迷としか受け取れなくなってしまうレベルの状態だと思います。
 で、雇用創出で200万人の生活を確保することが、国策として優先されることなら、それも問題解決のルーティーンかもしれません。が、自分自身が創出された雇用に属しているという意識の方は、生活が確保されてはいるが、どこか不安定な状態で人生を過ごすことにならないだろうか?と言いつつも、自分自身が到底自立しているなどとは考えていません。やはり、この国のシステムに守られているわけですから、今回の不況とどう向き合うのかなどと荒唐無稽なことも言えない現実もあるわけです。そもそも意味など求めようとするから無意味に操られるわけで、「ふるまい」や偏在する数多のサインの中に自分自身の感覚とマッチするエレメントを組み合わせて「生活」とするしかないわけです。そこには意味も無意味も意義も価値もないはずなのです。食うために人間としての能力を生活するために適用して、心が思うことは自分流のプロセスでバランスを保つぐらいの安定感を持ちたいと・・・。

「絶対貧困」という書籍の意味。

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 何かと対比して自分の立ち位置・存在感を確認する。それは、人間の人間ならでは最も優れた能力のひとつであると思う。オンライン上に飽和した情報よりも、一冊の本が示す価値観や情報の本質がより明確になっていくように洞察します。つまり、現在の情報過多な時代は実はここへ辿りつくためのプロセスだったような、その本質が色あせず人の心に訴求するスピード感こそが情報の本質のように思います。それは、書籍の1ページ1ページを紐解きながら五感でイマジネーションを奮い立たせ、右から左へスクロールしていくような情報の上澄みではなく、カタチあるインフォメーションのリアリティーだと思います。

◎詳しくはこちら

久々のSHADE作品。

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 久々にSHADEでパースを作成しました。SHADEもどんどんバージョンアップしているんですが、まだ、古いけれど手に馴染んでいるバージョンで作成。なかなか、イメージを上げる工夫や雰囲気を作る部分で苦労しましたが、なんとか、部屋らしく、露天風呂らしくなったのではないかと・・・。こちらのホテル様は5月2日オープンなので、まだ、お部屋もお風呂も完成しておりません。でも、パースを作りながら、こんな部屋だったら気持ちいいだろうなぁ、こんな露天風呂だったら気持ちいいだろうなぁ~とイメージを膨らませてSHADEと獲得しました。7階の露天風呂付のスペシャルルームはかなりかなり最高だと思います。琵琶湖が一望ですから・・・。

ルパンとコナン!?

 昨日、実に奇妙なアニメをテレビで観た。それは、なんと、ルパンとコナンのコラボレーション。開いた口がふさがらない状態である。何故なのか?いろいろ考察してみたい。これはかなりの一大事である。
 まず、このプロジェクトがテレビの編成で起案された経緯はどうだったのか?この企画はコナンサイドから持ち上がったのだろうか?それともルパンサイドから持ち上がったのだろうか?それとも、コナンもルパンも表面的にしか知らない方がこのアイディアをここまで現実にしてしまったのだろうか?
 まず、コナンサイドならなぜもっと物語をコナンワールドにしなかったのか、設定や登場人物をリアルにしながら、コナン独特の世界観を通して伏線や登場人物のバックグラウンドをしっかりと設定しながら、魅力ある展開をできたはず。そして、どこかでルパンを絡めればいい。そして、ルパンサイドならもっとおしゃれにテンポよく脚本があったはず。ルパンの独特の登場人物とそれと対比させるような相手を設定した中でどこかにコナンを絡めてくればよかったのではないだろうか。どちら派でもない、思いつきプロデューサーなら、もっと、二つのキャラをどこかで思いっきりぶつければいい。50:50にするなら、コナンとルパンの個性をしっかりと把握して、ぶつける方向での脚本にしなければ、こうなっちゃいますよ。たぶん、よくあるゲームのなんとかキャラバトル的なノリで物語を作れば視聴率が稼げると踏んだのでしょうね。もう浅い浅い。この仕上がりでは、コナンファンもルパンファンもブーイングの嵐でしょう。というよりもこれはスルーモノ。このような取組みがあったことを早く忘れたい気分でした。ほんとに残念。
 で、やはり、テレビプログラムはどこか苦戦している感じがしますね。そして、お互いの名場面のワンフレーズを引用したり、名シーンをオマージュしたりで、なんなんだいこの仕上げは!という代物でした。どこを切っても何も出てこない不思議な時間を過ごしてしまった。もしやこれが狙いなら起案者の方の狙いどおりでしょうが、これを狙っていたなら、もっと、別のどうでもいいキャラでやってください。
 ルパンだけは、ルパンだけはこんなところに引きずり出さないでください。

太鼓の記念コンサート。

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 6月に福井県のおおい町で開催される太鼓保存会様の20周年記念コンサートの告知用ツールのために描いているペン画。ペンでの描画はここで仕上げです。あとは透明水彩を少し入れて仕上げる予定です。太鼓ならではの迫力あるチラシやポスターになってほしいと願いを込めてワンストローク・ワンストロークカリカリと・・・。

初春!?奥琵琶湖

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 打ち合わせで奥琵琶湖へ。特に琵琶湖の風景で奥琵琶湖は好きです。少し雨が降っていて山の稜線に低い雲がありました。なんとも素敵な風景でした。

Flexによるアプリの開発#001。

 さまざまな特長がある、Flexアプリなのですが、基本はFlashPlayerとの連携になるために、双方の知識が必要です。その効果は現在WEB上に展開されつつある様々な機能を包括できる上に、従来のFLASHの持つ表現力の部分と充分に連携できるメリットがクリエイターとしてはとても魅力だと感じています。しかし、この技術を専門家と連携するということは以前にも取り組んできているわけですが、それでは、全体の開発コストの部分とどうしても企画やデザイン的な表現の部分を専門家と組まなければいけないという条件下での開発作業となります。これは専門的なお話になるのですが、非常に時間と相互のコミュニケーションにエネルギーが必要な現実問題が存在します。これが以前なら「仕方ない」という部分でクリエイターがプログラムの知識や技術的な部分を掌握することよりも、専門家と組む方がスムースに開発できていた、というより、それしか選択の余地が無かったということが理由に挙げられます。しかし、それをアドビはクリエイターサイドでも取り組める環境を提供しているように思います。従来のデザインやコンテンツの表現力だけをクリエイターが創出し、機能面は専門のプログラマーにという流れから、クリエイターが仕事をハンドリングしているデレクターがそれを直接ソフトウエアを活用して構築できる段階になってきたのだと認識しています。これは、デザインの表現だけを試行錯誤していたデザイナーやクリエイターには非常にハードルが高い作業・取組みになるのですが、知識と知性の関係で、一旦その取組みを推し進めることができたなら、コストパフォーマンスにおいても、制作期間の短縮においても、何より表現の自由性においても、クライアント様が求めているコンテンツを作成することができると考えております。何よりもこれからの時代は「知識と情報」よりも「知性とセンス」の時代だと思うのです。
 で、聞きなれない専門用語にアレルギーのある方はまずこのハードルは越えられないでしょうし、目先の困難よりも、その先にある絶大なるビジネスプランを見据えているなら、このハードルは石にかじりついてでも越えなければいけないハードルだと思います。アドビが提唱するこれらのツール群は概念を理解できてもワークフローに落とし込まれる際に様々な障壁をトラップを置いています。つまり、最後の最後でより次元の高いクリエイティブワークに取り組むためにはひとつづづこのトラップを手探りで回避してくださいとアドビに言われているような気がします。それが地雷なのかダイヤの原石なのか、自分の手で土をはらい探るエネルギーが問われてるように感じています。

流石が3つ。

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 昨日、到着していたアドビからのDM。流石が3つある。このアイディア、CS4を「省エネ」と捉えていること、そして、地球温暖化に触れていないこと。う~ん、流石である。もう、CS4はすでに使っていますが・・・。

3連休が・・・。

 世の中は昨日まで3連休でしたが、御多分にもれず淡い目論見も消え、しっかりと3連休は100%仕事でした。こんな親父だから、娘達もよくできている。「どこかへ連れてって!」ということにはならない。これではダメなんでしょうけれど、こればかりはショウガナイ。親父はどこまでもこの仕事が好きなのですから。3連休、充分に仕事ができたと、どちらかと言えば、満足しているぐらいなので・・・。
 で、昨日までの雨模様もすっかり晴。さぁ、頑張ろう、という感じの朝なのでした。「今日のワンコかい!」。

「一般的に」の解釈。

 どんな仕事でもよく打ち合わせやコミュニケーションしている際に出てくる便利な言葉「一般的に」について、あまり、深く分析することは、それこそ「一般的」に少ない。しかし、話題が「芸術」や「デザイン」や「WEB」や「クロスメディア」であった場合、また、スポーツや趣味や生活レベルの衣食住であっても常にいろいろな価値観が変動している時代だから、「自分の中の一般的」の軸をしっかりと持っていなければいけないと心がけています。
 例えば、年配の方が「一般的に印刷物というのは印刷枚数を増やせば単価が下がるから一枚あたりの価値が上がる。だからと言って無駄が出ないように枚数についてしっかりと吟味しなければいけない・・・。」と言われた場合、さて、まず、「印刷物」の定義の中にどの印刷形態を指しているのかが重要なポイントとなる。様々なニーズに向けて紙というメディアで情報を伝達する手法が印刷物に適用される価値観と言えるのですが、吟味する項目は枚数だけではない。枚数さえ検討すればそれを介して伝えようとする「情報」の内容やディテールがどうであれ、価値は同じとするのか、印刷枚数はひとつの規準で、内容やデザイン表現が劣る10万枚のチラシとターゲットを絞り込み、市場を吟味した企画情報を練りこみ、デザイン表現もブランド化を意識した上で、価値を高める工夫がされた1万枚のチラシと紙媒体としての価値はどちらが上だろう?まぁ、上か下かなどの規準を設定することは難しいが、同じ、100万円を適用して印刷物を作成する場合、同じコストで価値を高めるにはどのような方法があるのか?つまり、軸は複数存在するのに、過去の経験や「一般的」に守られた個人的なコンフォートゾーンで企画やデザインや印刷の仕様を吟味することはできない。この一般的が柔軟な方はやはり結果を出している視野が広く、見聞が広い方である。
 で、「今回な一般的な入札で」「この度の企画は一般的にデザインコンペで」という言葉に翻弄されている方もいる。この規準にはいくつか落とし穴があるのですが、実はそれもその方たちは予定調和だったりするから、「一般的」が実は「個人的」の意味だったりしてしまう。このような意識レベルの方には何も通じない。諦めて与えられた規準の中でモノゴトを進めるしか仕方ない。
 さらに、印刷物の管理をしている経理的な立場の方から、企画もデザインも印刷仕様も無視した「一般的な値段交渉」にはお互いの立場をわきまえた上で、ビジネスライクにコミュニケーションするのですが、同時にその方の存在意義までも意識しなければいけないケースもある。その方から例えば「一般的にデザインよりもやはりコストを重視で・・・」のような展開になった場合は、何をどこに規準を設定すればいいのか迷ってしまい、結果、適正値が見えないまま、混沌とした結果になる。そして、その軸で進められた企画やプロジェクトはやはり予定調和的な結果になり、絶対に副産物的な価値も創出しなければ、展開力・波及力・訴求力に欠ける仕事を世の中に出してしまう結果となることが多い。それはクリエイターとしてチカラもエネルギーもない私自身を叱咤する機会として捉えている。
 だから、何においてもどのタイミングでも自分の中にある「一般的な規準値」をモノヅクリとしてしっかりと持ち続けたいと思います。一番難しいですね、何においてもこの「一般的」という言葉は。

風のない風景。

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 この頃、自分は琵琶湖や山や鳥の写真を撮るケースが多いように感じている。これもブログを始めたことで再確認できたこと。絵を描く時のモチーフは絶対に人なのですが、写真を撮る時は風景や自然の場合が非常に多い。中でも比較的好きなシチュエーションが風のない日の煙突からの煙の写真。実際には少しづつ上にのぼっているのですが、なんとなく時間が止まったような気持ちなります。
 で、晴天よりも雨や雪の日が好きなのに、何故か風のない日の煙突の煙の写真には目がいってしまいます。理由は定かではありませんが・・・。

朝の風景。

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 早朝に車を走らせているといつも見慣れない風景に出会ったりすることが多い。まだ、午前5時30分頃にふと工場の入口を見ると作業服を着た方がド真剣のキャッチボール。何故?高速を降りて茨木市内、今朝はそう寒くもなかったのですが、小柄なおばあちゃんが古い自転車の前のかごの中に皮のバックに荷物をいっぱい入れて、フード付きの防寒具のような上着とこれがまた皮の指のない手袋。しかも、肩から同色のバックをかけて自転車には乗らずにゆっくりとゆっくりと歩道を歩いてらっしゃった。車の中で思わずツッコンでしまった。「エスキモーかい!」。
 また、味のあるエスキモー顔のかわいいおばあちゃんでした。
 で、休憩したサービスエリアでこの不思議な三角ガラス屋根の建物越しの日の出。今度はしっとりとした気持ちで「ルーブルかぁ!」と。
 余談ですが、夕食中にかみさんが何か言って「ウフフ」と、そう、明確に「ウフフ」と声に出して笑った。そこでひとこと。「サザエさんかぁ!」。娘達には思いのほかストライクだった。

朝の名神。

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 早朝の高速道路の上にて。釣りでもゴルフでもなく・・・、大阪のお得意先へ。

非常にヤバイ。

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 言わずと知れた「釣りキチ三平」が映画になる。これはかなりヤバイ。イロイロな意味でヤバイ。例え宇宙戦艦ヤマトがパチンコになろうがかまわない。目をつけた企業がたまたまパチンコ会社さんだったのだから、しかたない。ナルトやワンピースがゲームになろうが、これもしかたがない。時代の流れという奴で解釈・承認・納得できる。しかし、しかし、「釣りキチ三平」が映画になるとなるとこれは月とかスッポンとかというレベルではなくなる。あきらかに「釣り」をテーマにした物語が映画になるこは少ない。ワンシーンで「釣り」を描写する程度では、とても、世の中の太公望の皆様を1ミリも納得できる描写をしていないのはまだしも、完全に釣りのなんたるかを知らない監督の仕業だからだ。唯一、「釣り」を引用した映画で「リバラン」だけは秀逸であり、映画の完成度が高いから「釣り」というファクターもバランスを保てた。が、今回はストレートにあの「釣りキチ三平」である。鮎から始まったあの伝説の「三平」である。非常にヤバイ。比較にならない余談ですが、上記の理由から「釣りバカ~」は完全に釣りの映画ではない。あれはダメ。
 何故、今、「三平」なのかはさて置き、リアルタイムに矢口さんの描く三平の世界に心を躍らせていた少年は多いはず。絶対に、「釣りキチ三平2」「釣りキチ三平3」「釣りキチ三平4」も創るつもりで取り組んでほしい。そう願わずにはいられない。って、この時間に仕事終わりでテンションを上げている44歳もかなりヤバイかもしれない・・・。

◎詳しくはhttp://www.san-pei.com/

mixiさぼり気味!?

 一時ほどmixiに日記(ブログ)を書かなくなった。というよりも、全然最近投稿していない。その一時というのもほんとに一時で、このブログはけっこう時間もないのに時間をみつけてゴリゴリと書いているのですが、どうもmixiに書く気力が少なくなってきていることに気がついた。同じブログなのに、あちらはSNSで反応もあるし、コミュニティーも充実しているし、いろいろなネットワークサービスもあるのに・・・なぜだろう。そもそもなんでも飽きっぽい性質の私は、あれだけあこがれていた東京での生活が4年続かなかったし、前の職場もいい仕事ばかりさせていただいていたのに(かなりハードではありましたが・・・)もかかわらず同じく3年~4年で、「なんか違うぞ・・・」モードになってしまった。つまり、よく言われる石の上にも3年というのが悔しいが当てはまるような回帰をよくしてしまう。が、昔なら3年が今の時代はなんでもかんでもスピード時代だから、歯をどれだけ食いしばっても合わないベクトルは合わないと結構粘ることなく飽きてくることが多い時代とも言えるのではないでしょうか。多様になった多様になったと言いながら、実はハイリスクハイリターンの幻想を追いかけている!?変わらなければ時代に取り残される!?的なあやふやな危機感に唆されてるなどとも思うのですが、そんな時代だからこうあるべきだというポリシーは一滴もないので全然気にしていません主義のつもりが、実は結局とどのつまりが今に流されているのかもしれません。気がつけばmixiは5周年を迎えていた。それはそれでおめでとうではあるが、もう、あまり、私の中ではmixiだからヒートアップする感覚はない。
 で、そんな3年サイクルの末、何をどうやりたか。それはじっくりと自分と向き合いたいと思うようになり、お仕事でもお世話になっているお得意様と機会があるたびにじっくりといろいろなお話をしてみたいと考えております。忙しい不景気な時代にじっくりとお茶しながら、世間話も何なのでが、それでも、時間があれば、日頃考えていることなどを、手前みそにならぬように、そっとたずねてみたいと常々思っております。年間、いろいろなプレテばかりしていた時期はいかに短時間でいかにコンセプトを分かりやすく印象的に伝えようなどと若造が一生懸命に粋がっていたが、それも、いい糧になっているし、逆にゆっくりじっくりまったりとこの40代を過ごして、50歳の大台で大きなチャレンジをしたいとも考えている。何かの書籍で頭で思うことはすべて実現可能だと書かれていた「甘いささやき」を鵜呑みにしている。こんなベクトルのことも気楽に書けるこの個人ブログがなんとも心地いいのは何故だろう???
 mixiの「日記でマイミクシィに近況報告!」って言われても・・・、なんかめんどくさい。

春のサイン!?。

 このところ気温の変化が激しい。多分、気圧が冬型から春に変わろうとしているのでしょう。土曜日夜にはみぞれが降っていたのに、月曜日には黄砂が降っていました。雨が降ってきて見る見るうちに車のガラスが白い点々だらけ。これも春のおとずれのサインとしぶしぶ車の洗車。
 で、黄砂の情報。中国から季節風にのって砂塵が海を渡ってくるのが黄砂。しかし、昨今の中国の大気汚染や公害の情報からか、黄砂には中国の工場で排出された有毒な成分の化学物質が多く含まれ、中には同方位の国から化学兵器の微生物が混入され日本を・・・みたいな情報が日常レベルで行き交っている。確かにその可能性が0%ではないとは言い切れないが、マスコミの過剰な情報の脚色が一般的な日常会話から入ってくる情報にこうもリアルに伝達されていると思うと、いろいろな意味であなどれません。「情報の操作」はいつの時代も誰かがなんらかの目的で展開しているのでしょうけれど、あながちそんなこと言って「映画の観すぎ」と落胆できない現実もある。あるテレビ番組で日常レベルの自宅の水道の水が工場などの汚染物質で汚染されている水を飲んでいる人たちがこの地球に26億人いるとのこと。この物理定数をどう捉えればいいのか?その団体のリーダーは教育の問題だと言っていましたが、確かに、それもとても重要なデリケートな部分ですが、もっと別の誰かに問題があるように思います。これは巨大なボリュームのお話になってしまいますが、「ペリカン文書」は今日もどこかで書かれているはず。「負のバタフライ効果」もカオスと呼べるのでしょうか?

3時間1,200円のマンガ道場。

 東京・秋葉原に開業した「クリエーターズカフェ 秋葉原制作所」にアマチュア漫画家向けの貸しスペース。20~30代の会社員がここに訪れて自分の趣味のマンガ制作をするらしい。そして、制作された作品は専門書店やネットを通じて全国の愛好家に販売されるらしい。これもなんともストレートなメディアだろうか。秋葉原だからできることかもしれないし、視点を変えれば、どこでも出来る展開である。愛好家はどこかにいて「つながり」や「ふれあい」を渇望している。それを捉えてのビジネスモデルだろう。しかし、3時間1,200円はそう大きなビジネスモデルとも言えないし、例え専門書店で販売するにしても、大きなマスにはなりにくいレアな世界である。しかし、このビジネスモデルの着眼点を持っている人は考えるだけでなく行動できる人だと思うし、組織ではなく、自分の判断でこの展開を着想して具体的な展開を起こされたように思える。私もマンガは大好きだし、もしも今でも東京で会社員をしていたら、仕事終わりで「つながり」を求めてここでマンガを描いているかもしれない。決して、大きな波は起きないもののこのタイプの展開は波及力があると思います。予算があるから短時間に人を集めるだけの工夫の無いイベントが氾濫しているが、その波及力や訴求力は薄い。危機感が伝わらない人に危機感の意味を持たせ「つながり」を期待しても意味や定義を理解してから、自分の血や肉になるには時間がかかる。意味や定義も身体に合わなければ消化できずに排出される。危機感の無い方はそれらのサインを輩出してきたから危機感の実態が理解できない。絶対の意味において自発である必要がある。
 で、マンガ道場がWEBサイトになったりしたらぜひ訪問したいと思っています。20区画3時間1,200円で成立するビジネスモデル。その可能性は以外と巨大かもしれない。素晴らしい着眼点だと思います。

やる気をオートマチックに。

 「やる気のスイッチ」という書籍を読んだ。なるほどなるほど、なかなかいつも流しているようなことが非常に整理してありとても核心に触れていることばかり。日常、いろいろな雑念に追われていると確かにそんなことは一瞬心をよぎるがそれを改めて認識するということはしない。が、このような書籍はそういう感覚を一旦文字で見せてくるからとても心を落ち着かせてくれるような気がしました。やる気が何処から来てどこへ行くのか。いやいやどこからも来ないし何処へもいってはいない。それはいつも自分という器の中にあり、それにスイッチをいれるのもいれないのも全て自分次第ということ。ならば、そのタイミングをコントロールできればいろいろなことに全身全霊で望める。しかし、やる気はとても気まぐれである。欲しい時に出てこない。どうでもいいときに絡まりをしてくれる。確かに・・・である。
 で、やる気をオートマチック化すればいいという意味のことも書かれていた。オートマッチクにやる気モードになるためには、訓練が必要だとも書いてあった。ようは何でも訓練だと。しかし、躁と鬱が来ることはどうすればいいのだろう。それも訓練でなんとかなるのか?意識の下と無意識の上の間に何か数値的なレンジがあったり、いくつかの階層があるなら、どこまでくれば鬱でどこからが躁なのかをコントロールできるのに。でも、それも難しい。自分を確かめる唯一の方法は自分以外のいろいろな存在するものとの間に何かのルールやサインやヒントを見つけることらしい。それもオートマチックになるのだろうか。やる気にあふれている人は常にこの状態を無意識にコントロールしている。それをオートマチックというならこれは禅とか至高の領域のように思える。偉人や達人はたぶんこの部分のコントロールをしながら、自分のまわりに引いては社会に影響の渦を巻き起こせるのだろう。う~ん、なかなか興味深いモノがある。巡りの悪い時にダウンせず、幸運が舞い降りた時も浮かれずということか・・・。仕事にぐらいこの「やる気」のスイッチが欲しい。
 何回読んでもいい本があるが、これもそのタイプでした。情報が溢れていると言われているが実はそれらもしっかり吟味しなければ、大切なやる気が奪われるのだろうと思います。

階段にて。

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 姫様へ、原画拝見してまいりました。なんとも雰囲気のあるスペースでしたね。アメ村のどまんななのに、ちょっと異次元空間のような。男性が一人受付・管理しておられました。また、この原画がどう動くのかを拝見させてください。入口では数名の黒人が叫んでいましたが、坊主頭の私を見て、前をあけてくれました。無言のコミュニケーション。たまにアメ村歩くのも気分が良かったです。

主語の認識が・・・。

 人間の脳はそれが自分が発した言葉であれ、他人の言葉であれ、主語を無視しようとするらしい。なるほどなるほど、以前、若い頃、友人の進めで「自分を発見しようセミナー」に儀で参加した。3日間である。かなりの友人だから実現したのですが、今なら普通にスルーなのですが、この時ばかりは熱心に進められたので了解した。で、そのセミナーで同じようなことを体験させていただいた記憶が蘇った。確かにそんなところはある。例えばまったく縁もゆかりも面識もない初めて、生まれて初めて会った方の前に座り、その方のことを分析して、言葉を投げかけるというセミナーの1プログラムなのである。ある意味いい経験ではあったが、空の上の自分はあきれてものも~状態でした。
 で、好き勝手に放つ言葉が全て実は自分に言っていることだった・・・ってのがオチなんですが、それは、医学的に脳の機能なのだろう。それは、人間が人間として進化するに必要不可欠だった、共存するために必要な機能なのかもしれない。つまり、「お前は馬鹿だなぁ~!」と言っても脳は「馬鹿だなぁ~!」としか理解していない。逆に「君の作品は素晴らしいですねぇ~!」と言葉を発することで脳は「作品は素晴らしいですねぇ~!」が「私の作品は素晴らしい!」と誤解するらしい。だから、自分のつばのお話と同じ。なんでもかんでも返ってくるんですね。主語なんて実は言語上の約束であって、本来言語を操る人間という生物は、動詞と目的語しか理解していなということになりますね。これって「なるほど」です。非常に抽象的であり、論理的。

ONE TO ONE.

 いつの頃か「BtoB」が「BtoC」になり、究極は「ONE to ONE」という鞘に納まる刀がある。広告代理店の神話が崩れ、4大メディア(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌)の牙城も揺らいでいる。つまりマスコミュニケーションがコミュニケーションしにくい時代。テレビ局の皆さんも新聞社の印刷機械もこれまでよく頑張った。一時代を築いてきたマスコミュニケーションのギア達。たぶん「地デジ」は所謂国の施策ですから、細かいディテールなどないし、これはこれで低いシェアと共に国策のシンボルとして当分浸透していくでしょうが、もう、クロスメディアの精鋭達はそこを見ていない。多言語を行き交うコミュニケーションのサインに目を向けている。「ONE to ONE」こそが理想のコミニュケーションなのだと実感できる。
 だから、「OPEN(One Person Expots Next.)」なのである。悲しいかな人は言語で思考するんです。イメージや抽象的な表現では脳は答を出しにくいんだと思います。

リアルイラスト。

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 これは図鑑だったか、何かのパンフレットだったか忘れたのですが、印刷物用に描いたイラスト作品です。15年以上前に描いた作品だと思います。う~ん、一生懸命描いていた感じがひしひしと、でも、若い・・・。

いきなり車の前に。

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 仕事でたまたま止まった駐車場。車の前にある低木にいきなりとまりどっしりと休憩中。ちょっと雨も降っていたので寒かったのか・・・。しかし、この距離で逃げないとは神経の図太い野鳥です。

この高さからの露天風呂は・・・。

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 四季折々、この眺望と露天風呂のマッチングは最高でしょうね。5月のグランドオープンがとても楽しみです。

きれいな琵琶湖でした。

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 現在、建設中の長浜のホテル様の建築現場からの琵琶湖のワンショット。とてもキレイでした琵琶湖。

マスコミが恐竜!?

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 なるほどなるほど間違いなくマスコミュニケーションという巨大な恐竜時代は終わったようです。クロスメディアの本質を身体に馴染ませたいと考える前にそのことを冒頭で記述されると、とても鎮痛効果がありますね。テレビも新聞もマスな時代に決別して自分自身の改造改変をしているというわけ。その最たる最後の恐竜が「地デジ」なのかもしれませんね。これからしばらくこの書籍がいろいろな意味でバイブルになりそう・・・。

パコの絵本。

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 飛び出す絵本のどの部分が魔法なのか・・・?誰かの心にいるということは、よくよく考えてみれば、「魔法」と表現するのが一番しっくりくるような気になれる不思議な物語でした。
 妻夫木聡さんの快演・怪演が必見!!!

ボア・ハンコックという設定。

 これまでもコミック「ワンピース」の中には数多の登場人物が現れて、ルフィを中心にとてつもないワールドを展開してきた。そこには何事に対しても「信じる力」の素晴らしさがこれでもかってぐらい絵に物語に刻印されいる。だから、この物語が伝説になっているのでしょう。その部分に疑いの余地はない。私の中では歴々のコミックスの中でもベスト3に鎮座している。他の2つは何かについてはまたどこかで。
 で、今回の新刊に登場した「ボア・ハンコック」がまたいい。もう購入して毎晩寝る前に読んでいるのですが、この登場人物はちょっとこれまでワンピースには登場してこなかった人物だと思うのです。これまでもいろいろな登場人物には影というか闇の部分があったのですが、これまでのキャラクターは個性的で能力的にもダイナミックでしたが、このボア・ハンコックは言わばルフィと対極にある設定のように感じるのです。ここでこのキャラを登場させるか尾田さん的な、かなりかなりアタタメテこられたキャラのように感じています。物語の中に登場してきた多くの「友情」よりも、今回のボア・ハンコックを動かしているのはルフィに対する「恋愛感」。もう、読んでいてホォ~そう来るのか・・・と、さらにさらに、ワンピースの魅力に引き込まれる44歳のおっさんひとり。いつの時代も「恋はいつでもハリケーン」なんですね。
 で、赤犬は誰だ?

「悩む力」について。

 著者の姜尚中(カンサンジュン)氏は早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。東京大学大学院情報環境教授で、専攻は政治学・政治思想史。著書には「マックス・ウェーバーと近代」など多数。集英社新書から出ている書籍が「悩む力」なのです。想定も原研哉さんで¥680ですからなかなか値打ちな書籍。私が書店で発見した時はすでに30万部だったのが、すでに短期間で75万部ということですから、この勢いは素晴らしい。もっとこの数字はのびるでしょう。つまり、この不透明な時代において漠然と悩むことがよりその本質を不透明にしていると言わんばかりに、この時代の「悩み」の本質を考察している。3ページにワンフレーズと素晴らしい珠玉の言の葉がちりばめられているのですが、中でも、著者は「確信するまで悩むしかない」と言っています。「~そして、かく言う私も、自分を信じるしかない、「一人一宗教」的に自分の知性を信じるしかないと思っています。自分でこれだと確信できるものが得られるまで悩みつづける。あるいは、それしか方法はないということを信じる。それは「不可知論だ」と言う人もいるでしょう。でも、中途でやめてしまったら、それこそ何も信じられなくなるのではないかと思います。「信じる者は救われる」というのは、究極的には、そいういう意味なのではないでしょうか。何か超越的な存在に恃(たの)むという他力本願のことではない、と思います。」というフレーズがある。まさに!だと思います。これほどの経歴と視野と頭脳明晰な努力家がそう言っているのだから、そうだろう、そうで間違いないと思える面と、このことをここまで言い切れる人の「力」はやはり本物だと思います。だから、説得力があるし、言わんとすることに無駄と無理がない。伝えようとしている衝動(適切な言葉ではないかもしれませんが)がダイレクトに伝わってくる。これが本来何かを伝えようとしている人の力のように思います。スピリチュアルなことはそれはそれとしてもうすでに偏在することだから、肯定も否定もしませんが、前世がどうのとか、他人に自分の大切な部分を依存して寄生して渇望するのは可能な限りやめたい。自分で確信が持てるまで~とは漠然とした表現かもしれませんが、この著者が言うところの「確信」が「確信」でなければ、何が「確信」だってぐらい心に伝わってくる書籍でした。つまり、「悩み方」を誤ると悩んでいないということになるのでしょうね。

画商の真贋か。

 講談社から出ている「画商の「眼」力」という書籍がとても気になっています。なぜ、今、この時代に「画商」の眼力を考察するのか?それが一番興味がある。画商という分野の人たちの目ジカラはたぶん絵を分析する力だけではないはず。相対と絶対を観ているはずだから、それをどう書籍にまとめているのかがとても興味がありますね。「真贋(しんがん)をいかにして見抜くのか」なんて、耳ざわりのいい言葉は以外を薄い場合が多いので、注意しなければいけないのですが、でも、やはり、「画商」という語感に惹かれてしまう書籍ですね。これが、「株」とかだったら間違いなくスルーですね。

クロスメディアガイドブックがついに。

 確かに、「一つのメディアだけでコミュニケーションする時代はすでに終わりを告げ、複数のメディアを組み合わせて効率的かつ効果的なコミュニケーションをとることが、もはや当たり前の時代となりました。そこで求められるのは、統一された世界観やイメージ、デザイン、インターフェイスの構築と、それらを効率よく制作することのできる優れたデザインツールです。2008年12月に発売されたADOBE CREATIVE SUITE4は、各アプリケーションの機能強化はもちろんのこと、各アプリケーション間の連携がさらにスムーズになりました。プリント、WEB、ビデオ、モバイルのデザインがシームレスに行える、まさにクロスメディア制作に最適なデザインツールとなっています。」と言われれば、へぇ~そうんなんだと思ってしまうし、WEBというメディアがここまで浸透すると、従来の電波と紙媒体の間にあった不思議な溝がとても自然に融合してしまっていると実感できる。洪水のような情報があふれているとは何を読んでもそう書かれていますから、こちらも、へぇ~そうんなんだ的に捉えることが自然。しかし、一つのメディアだけでコミュニケーションする時代が終わったと言っても、メディアのクロス(融合)など新しいメディアが浸透するたびに起きてきた事ですし、今更、クロスメディアなんて言われなくともと、クロスする必要があればいつでもクリエイティブの最前線の人達はクロスしてきたはず。クロスしているから~の部分がこの商品を販売するに都合が良いからそう言っているだけの部分で言えば、ひとつの危機感として捉えクリエイターとしてこのギアに取り組まねば・・・と考えます。しかし、そもそも、クリエイティブとは何かと何かをクロスすることが「ありき」なわけですし、イマジネーションも時代が変わっても新しい波がうねるためには、基本の基本がベースにあるわけで、赤いカプセルと青いカプセルを飲んだから何か新しい発想が生まれるってほどご都合構造ではない。ただ、インスピレーションをスタイルとして定着さえ、発信するためには道具(ギア)が必要な訳ですから、「クロスメディアガイドブック」が必要なのですね。そろそろ、「CS4」ってバージョンの書籍がチラホラなので、どこかでこの類の書籍が出てもいい頃かなぁ~と思っていたので、これは早速購入です。地デジの普及とともに、自分が作ったWEBを自宅のテレビで観る時代がくるでしょうから、そりゃ気合が入りますね。いずれiPhone的なモバイルキャリアが浸透すれば、自分が作った映像作品がD.L.してどこでも観れるのですから、さらに気合が入ります。
 で、結果、ADOBEさんはやりよったなぁ~ということになる。やはり、他のアプリは何かと未完成ですし、何より道具としてインターフェイスが辛い。また、クロスメディアガイドブックの詳細やTIPSはこのブログで紹介させて頂きます。

魑魅魍魎跳梁跋扈と。

 山林の異気から生ずる怪物が勢力をふるい好き勝手に振舞っていることの意ではあるが、なんとも日本には素敵な表現があるものです。人間の醜い部分を何きっかけで山林の異気と合わせてこう表現しあたのだろうかと考えてしまう。で、時代はコンクリートとアスファルト。同じように異気があるとすれば、それは今どこで蠢いているのでしょう。情報化とデジタル文化のマッチングで人の心がどう変化した?変化しなければ、進化進化と言われれば誰も取り残されぬようにと危機感を煽られるいるように感じるのですが、昔の人のイマジネーションが創り上げた魍魎たちがこの時代どんな姿でどこに潜んでいることやら。あるアーティストの友人が山には精霊がいて彼らと会話するための作品があり、会話することとは人間にとって自分自身を確かめる唯一の手法。創ることでそれが実感でき、作品がその気持ちをそれを観た人に伝える流れにおいて、作品は作品として存在感の覇気を放ち始めるとのこと。この感覚がデジタルコミュニケーションにおいてはどうなっているのかがとてもとても気になる。デジタルな作品に感じられる作家・アーティスト・クリエイターの心はどのように伝わるべきなのか・・・?伝わっているようで伝わっていない部分。伝わっていないようで伝わっている部分。相対ではなく絶対のこの感覚をひとつひとつ確かめておかないと「記憶」が「記憶」としてのみ蓄積され、「情報」と「知識」のある間にある腱が微弱になる。いつもパンパンにテンションをかけておきたいから、「情報」の中にあるサインをしっかりと見極めないと。
 情報が飽和したこの現代に跳梁跋扈する魑魅魍魎に惑わされぬように。

悩む力か・・・。

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 今、一番、自分の中で熱い2冊です。いずれも絶品ですね。

After Effects CS4のインターフェイス。

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 ずっと使っているバージョンが6.0と6.5だったので、CS4ってことは8になるのか?9になるのか?定かではないので、さて置き、この最新バージョンは確実に機能も向上して、画面も整理せれてカッコイイ。画面がカッコよくっても作るモノがカッコよくなければ「ぶたの真珠」なのですが、まぁ、それもさて置き。やはり、道具にこだわることは大切だと思う。映像ならA.E.とPRが最高峰だと思っているし、WEBならやはりD.W.だと思っている。しかし、一般的には安価なソフトがたくさん存在する。どれも深く長く使ったことがないので、使い勝手は不明なのですが、やはり、気分の部分で使う気になれない。しかし、デザインとかWEBって作る人も見る人もかなりの部分で「気分」を大切にしていると思います。だから、アップルはそのスタイルに固執してニッチもサッチも状態なのだと思いますが、それにしても、iPHONEは一石を投じていると思いますし、まだまだ、Mac信者は多いから生命線は切れていないようです。これが例えば「薬剤」を作るプロなら、「気分」で作られては困るし「気分」ではたぶん作れないだろう。また、「家」も同じでデザイン重視とは言え、「気分」で楽しく作られても困る。が、デザインだけは最高の管理下の元、その技術や知識や経験値や知名度があるクリエイターが作れるモノとソフトウエアの知識さえあれば作れるモノの差に確固たる規準はないに等しい。有名デザイナーが作るのは実際に作るモノにかなりの先入観を組み込まれて・・・という部分がある。必ずしもそれだけではない大家のデザインはさすがの部分があるものの、それも、どこか先入観が何%入ってのお話。つまり、「気分=先入観=大家」という構図も否めない部分もあると思います。
 で、アドビのソフトのインターフェイスを見ていると「気分がいい」。これでさぁ何かを作ろうという気になるのである。少なからずこれも先入観ではありますが、でも、気分がいいのです。A.E.を使っている方ならご存知でしょうが、起動毎にいろいろソフトウエアの使い方のTIPSを紹介してくれる。それが、なかなか的を得ているのです。これも気分がいい。さて、この気分のまま、式典映像を作ろう。

愛犬の散歩中に。

 平日は時間がないので、愛犬の散歩は夜になる。しかし、休日は仕事をする前に必ず愛犬の散歩の時間を作っている。こんな主人だから愛犬に充分な散歩の時間を作ってあげることができなことはちょっと可哀そうだと思うが、こんな主人に出会ってしまったのだから運命とあきらめてほしいと思っている。しかし、時間がある時はお互いにへとへとになるまで歩いている。今日もほぼ自宅の近所を1時間ほど散歩した。愛犬の気の向くまま歩く。今年はじめてのつくしを発見。雪の少ない冬だったから、そろそろ、春の予兆が大地に現れていた。
 近くの中学校のグランドが近づいてきた時、元気な声がたくさん聞こえてきた。たぶん、早朝から部活をしている部員の声だろう。グランドが見えてくると、女子のソフトボール部員が10名ほど、そして、グランドの反対面には男子の野球部員が5名ほどいた。まだ、練習は開始されていない雰囲気で、自由にキャッチボールをしている。私が愛犬と彼ら野球部員の近くを通った時、彼らが、私の方に一斉に向きなおして「ちわ~!」と帽子を脱いで挨拶をしてくれた。驚きながら、こちらも、毛糸の帽子を脱いで彼らに頭を下げた。たぶん、監督から言われて誰にでも挨拶をするということが彼らの中で徹底されているから、ごくごく自然に初めて会う愛犬の散歩をしているおっさんに朝の挨拶ができるのだろう。
 朝の散歩もなかなかいい。見知らぬ方でも、同じ犬の散歩中に挨拶をしくれるとグイッと体温が上がる気がする。挨拶、散歩、笑顔。あたりまえの日常的なことがやはり一番、心に響く朝でした。

その道のふるまい。

 日経新聞より抜粋ですが、「その道に詳しければ当たり前のことなのだろうが、なるほどと感心したことがある。満開の桜の絵は盛りだけを見ても描けない。花も葉もない枝をしっかりと描いておく。それに花をのせていくのだと、日本画を趣味にする友人に教えられた~中略~ものの本質、骨格を骨法ということがある。きょうから3月。移ろいゆく自然界とは裏腹に、人の世はどっぷり冬景色に沈んだままのように思える。しかし、冬にしか見えない骨法がある。花も葉も実もない木の骨法をどれだけ正確にとらえられたか。いざ春や夏を描くとき、ものをいうのはそこなのだそうだ。」となっている。今日から3月。滋賀県長浜の冬は今年雪も少なく非常に過ごしやすい冬でしたが、確かに確か、人の世はしっかりと冷え込む日が続いている。絵を志す方なら必ず通る道として「鉛筆デッサン」がある。見たモノを描くという訓練の初歩のふるまいである。しかし、この道にゴールはない。はじめたから何かを達成したいと考えるのは自然なのかもしれないけれど、始めるとこうことは終わりがないということに気がつけば、春夏秋冬の気持ちになれる。巡る季節の中でその道の上で何かを見つけてこそそれが季節を生きるふるまいのコツに成り得る。しかし、何かを始めずにただ季節を過ごしてきた人も多い。「こんな時代だから新しい技術を身につけるためにその道のプロへトライ!」だとか「転職に有利な免許を取得するために、残業が減った時間で何かを身につけよう!」ってこともあるようですが、それで何が身につくだろう。
 で、「information」と「intelligence」の違いにこそふるまいがあるように思います。情報が氾濫している時代、PCや携帯キィアリから得られる情報は十二分に詰まっているが、「知る」ことと「身についている」ことの間にある感覚の違いがそのふるまいのベクトルを左右するように思います。話題・情報の豊富な人の言葉の中にその方の言葉を見つけるために、自分にその眼力があるをいつも確かめている。言葉は多い、論理が巧み、熱意がある、しかし、ふるまいがない。花が咲き誇るための枝を見ることがこの不透明な時代に一番必要な力だと思います。知識や情報をコントロールでき具現化できる知性を身につけたいと思う3月1日でした。