その道のふるまい。

 日経新聞より抜粋ですが、「その道に詳しければ当たり前のことなのだろうが、なるほどと感心したことがある。満開の桜の絵は盛りだけを見ても描けない。花も葉もない枝をしっかりと描いておく。それに花をのせていくのだと、日本画を趣味にする友人に教えられた~中略~ものの本質、骨格を骨法ということがある。きょうから3月。移ろいゆく自然界とは裏腹に、人の世はどっぷり冬景色に沈んだままのように思える。しかし、冬にしか見えない骨法がある。花も葉も実もない木の骨法をどれだけ正確にとらえられたか。いざ春や夏を描くとき、ものをいうのはそこなのだそうだ。」となっている。今日から3月。滋賀県長浜の冬は今年雪も少なく非常に過ごしやすい冬でしたが、確かに確か、人の世はしっかりと冷え込む日が続いている。絵を志す方なら必ず通る道として「鉛筆デッサン」がある。見たモノを描くという訓練の初歩のふるまいである。しかし、この道にゴールはない。はじめたから何かを達成したいと考えるのは自然なのかもしれないけれど、始めるとこうことは終わりがないということに気がつけば、春夏秋冬の気持ちになれる。巡る季節の中でその道の上で何かを見つけてこそそれが季節を生きるふるまいのコツに成り得る。しかし、何かを始めずにただ季節を過ごしてきた人も多い。「こんな時代だから新しい技術を身につけるためにその道のプロへトライ!」だとか「転職に有利な免許を取得するために、残業が減った時間で何かを身につけよう!」ってこともあるようですが、それで何が身につくだろう。
 で、「information」と「intelligence」の違いにこそふるまいがあるように思います。情報が氾濫している時代、PCや携帯キィアリから得られる情報は十二分に詰まっているが、「知る」ことと「身についている」ことの間にある感覚の違いがそのふるまいのベクトルを左右するように思います。話題・情報の豊富な人の言葉の中にその方の言葉を見つけるために、自分にその眼力があるをいつも確かめている。言葉は多い、論理が巧み、熱意がある、しかし、ふるまいがない。花が咲き誇るための枝を見ることがこの不透明な時代に一番必要な力だと思います。知識や情報をコントロールでき具現化できる知性を身につけたいと思う3月1日でした。