魑魅魍魎跳梁跋扈と。

 山林の異気から生ずる怪物が勢力をふるい好き勝手に振舞っていることの意ではあるが、なんとも日本には素敵な表現があるものです。人間の醜い部分を何きっかけで山林の異気と合わせてこう表現しあたのだろうかと考えてしまう。で、時代はコンクリートとアスファルト。同じように異気があるとすれば、それは今どこで蠢いているのでしょう。情報化とデジタル文化のマッチングで人の心がどう変化した?変化しなければ、進化進化と言われれば誰も取り残されぬようにと危機感を煽られるいるように感じるのですが、昔の人のイマジネーションが創り上げた魍魎たちがこの時代どんな姿でどこに潜んでいることやら。あるアーティストの友人が山には精霊がいて彼らと会話するための作品があり、会話することとは人間にとって自分自身を確かめる唯一の手法。創ることでそれが実感でき、作品がその気持ちをそれを観た人に伝える流れにおいて、作品は作品として存在感の覇気を放ち始めるとのこと。この感覚がデジタルコミュニケーションにおいてはどうなっているのかがとてもとても気になる。デジタルな作品に感じられる作家・アーティスト・クリエイターの心はどのように伝わるべきなのか・・・?伝わっているようで伝わっていない部分。伝わっていないようで伝わっている部分。相対ではなく絶対のこの感覚をひとつひとつ確かめておかないと「記憶」が「記憶」としてのみ蓄積され、「情報」と「知識」のある間にある腱が微弱になる。いつもパンパンにテンションをかけておきたいから、「情報」の中にあるサインをしっかりと見極めないと。
 情報が飽和したこの現代に跳梁跋扈する魑魅魍魎に惑わされぬように。