「悩む力」について。

 著者の姜尚中(カンサンジュン)氏は早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。東京大学大学院情報環境教授で、専攻は政治学・政治思想史。著書には「マックス・ウェーバーと近代」など多数。集英社新書から出ている書籍が「悩む力」なのです。想定も原研哉さんで¥680ですからなかなか値打ちな書籍。私が書店で発見した時はすでに30万部だったのが、すでに短期間で75万部ということですから、この勢いは素晴らしい。もっとこの数字はのびるでしょう。つまり、この不透明な時代において漠然と悩むことがよりその本質を不透明にしていると言わんばかりに、この時代の「悩み」の本質を考察している。3ページにワンフレーズと素晴らしい珠玉の言の葉がちりばめられているのですが、中でも、著者は「確信するまで悩むしかない」と言っています。「~そして、かく言う私も、自分を信じるしかない、「一人一宗教」的に自分の知性を信じるしかないと思っています。自分でこれだと確信できるものが得られるまで悩みつづける。あるいは、それしか方法はないということを信じる。それは「不可知論だ」と言う人もいるでしょう。でも、中途でやめてしまったら、それこそ何も信じられなくなるのではないかと思います。「信じる者は救われる」というのは、究極的には、そいういう意味なのではないでしょうか。何か超越的な存在に恃(たの)むという他力本願のことではない、と思います。」というフレーズがある。まさに!だと思います。これほどの経歴と視野と頭脳明晰な努力家がそう言っているのだから、そうだろう、そうで間違いないと思える面と、このことをここまで言い切れる人の「力」はやはり本物だと思います。だから、説得力があるし、言わんとすることに無駄と無理がない。伝えようとしている衝動(適切な言葉ではないかもしれませんが)がダイレクトに伝わってくる。これが本来何かを伝えようとしている人の力のように思います。スピリチュアルなことはそれはそれとしてもうすでに偏在することだから、肯定も否定もしませんが、前世がどうのとか、他人に自分の大切な部分を依存して寄生して渇望するのは可能な限りやめたい。自分で確信が持てるまで~とは漠然とした表現かもしれませんが、この著者が言うところの「確信」が「確信」でなければ、何が「確信」だってぐらい心に伝わってくる書籍でした。つまり、「悩み方」を誤ると悩んでいないということになるのでしょうね。