「一般的に」の解釈。

 どんな仕事でもよく打ち合わせやコミュニケーションしている際に出てくる便利な言葉「一般的に」について、あまり、深く分析することは、それこそ「一般的」に少ない。しかし、話題が「芸術」や「デザイン」や「WEB」や「クロスメディア」であった場合、また、スポーツや趣味や生活レベルの衣食住であっても常にいろいろな価値観が変動している時代だから、「自分の中の一般的」の軸をしっかりと持っていなければいけないと心がけています。
 例えば、年配の方が「一般的に印刷物というのは印刷枚数を増やせば単価が下がるから一枚あたりの価値が上がる。だからと言って無駄が出ないように枚数についてしっかりと吟味しなければいけない・・・。」と言われた場合、さて、まず、「印刷物」の定義の中にどの印刷形態を指しているのかが重要なポイントとなる。様々なニーズに向けて紙というメディアで情報を伝達する手法が印刷物に適用される価値観と言えるのですが、吟味する項目は枚数だけではない。枚数さえ検討すればそれを介して伝えようとする「情報」の内容やディテールがどうであれ、価値は同じとするのか、印刷枚数はひとつの規準で、内容やデザイン表現が劣る10万枚のチラシとターゲットを絞り込み、市場を吟味した企画情報を練りこみ、デザイン表現もブランド化を意識した上で、価値を高める工夫がされた1万枚のチラシと紙媒体としての価値はどちらが上だろう?まぁ、上か下かなどの規準を設定することは難しいが、同じ、100万円を適用して印刷物を作成する場合、同じコストで価値を高めるにはどのような方法があるのか?つまり、軸は複数存在するのに、過去の経験や「一般的」に守られた個人的なコンフォートゾーンで企画やデザインや印刷の仕様を吟味することはできない。この一般的が柔軟な方はやはり結果を出している視野が広く、見聞が広い方である。
 で、「今回な一般的な入札で」「この度の企画は一般的にデザインコンペで」という言葉に翻弄されている方もいる。この規準にはいくつか落とし穴があるのですが、実はそれもその方たちは予定調和だったりするから、「一般的」が実は「個人的」の意味だったりしてしまう。このような意識レベルの方には何も通じない。諦めて与えられた規準の中でモノゴトを進めるしか仕方ない。
 さらに、印刷物の管理をしている経理的な立場の方から、企画もデザインも印刷仕様も無視した「一般的な値段交渉」にはお互いの立場をわきまえた上で、ビジネスライクにコミュニケーションするのですが、同時にその方の存在意義までも意識しなければいけないケースもある。その方から例えば「一般的にデザインよりもやはりコストを重視で・・・」のような展開になった場合は、何をどこに規準を設定すればいいのか迷ってしまい、結果、適正値が見えないまま、混沌とした結果になる。そして、その軸で進められた企画やプロジェクトはやはり予定調和的な結果になり、絶対に副産物的な価値も創出しなければ、展開力・波及力・訴求力に欠ける仕事を世の中に出してしまう結果となることが多い。それはクリエイターとしてチカラもエネルギーもない私自身を叱咤する機会として捉えている。
 だから、何においてもどのタイミングでも自分の中にある「一般的な規準値」をモノヅクリとしてしっかりと持ち続けたいと思います。一番難しいですね、何においてもこの「一般的」という言葉は。