雇用創出200万人!?

 雇用とはそもそも創出するものだったかもしれないが、それが意識的であれ無意識下であれ本来の経済母体の中に存在する「仕事」の意義を考えるなら、客観的に雇用を創出の対象にするのは自由だけれど、主観的にはそれで果たして「仕事」なのか?とモヤモヤ感が払拭できない。そもそもモヤモヤした国だったから、モヤモヤした政治が成立し、モヤモヤした経済で微妙なバランスをとっているのが実は日本なのかもしれないし、その母体はアメリカなのかもしれないと思考がループする。儀礼的な意味においていくつかのルーティーンを指して「仕事」とし、代価と意義の公式を誰かから受け取ることで生活が成立するならそれも経済。アンチステレオタイプに、自然への回帰に、精神的なよりどころに、意義を求めて代価なくとも崇高なIDを確保するのか?と突き放すののも経済。しかし、精神社会の構造とリアルな自然社会の輪廻をどこかで納得できうるレベルまで意識化しないと、それはもう混沌・混迷としか受け取れなくなってしまうレベルの状態だと思います。
 で、雇用創出で200万人の生活を確保することが、国策として優先されることなら、それも問題解決のルーティーンかもしれません。が、自分自身が創出された雇用に属しているという意識の方は、生活が確保されてはいるが、どこか不安定な状態で人生を過ごすことにならないだろうか?と言いつつも、自分自身が到底自立しているなどとは考えていません。やはり、この国のシステムに守られているわけですから、今回の不況とどう向き合うのかなどと荒唐無稽なことも言えない現実もあるわけです。そもそも意味など求めようとするから無意味に操られるわけで、「ふるまい」や偏在する数多のサインの中に自分自身の感覚とマッチするエレメントを組み合わせて「生活」とするしかないわけです。そこには意味も無意味も意義も価値もないはずなのです。食うために人間としての能力を生活するために適用して、心が思うことは自分流のプロセスでバランスを保つぐらいの安定感を持ちたいと・・・。