2009年04月 アーカイブ

我師への恩。

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 先生ほど穏やかで先生ほど頑固で先生ほど大きい人はいない。「恩」ですべてを表現できるほど小さい存在ではない。現代芸術と教育の現場で先生のご活躍・ご功績を昨日のような場面で数多く聞かされるが、そのリアリティーは限りなく0に近い。私の中で先生はいつまでも高校時代の美術の先生であり、大阪芸大に合格でき、その報告に行った時に見せていただいたあの笑顔と同じ笑顔で昨日も笑っておられた。その存在感は唯一無二である。ご出版おめでとうございます。そして、これからも人に自然に世界に微笑みつづけてくださいとしか、若輩モノの私からは送る言葉が見つからない。あまりにも大きすぎる長谷光城という鏡の前に自信を持って立てるように、又、今日から勝負である。本当におめでとうございます。
 で、何より先生にこの丸坊主頭を撫で回していただけたことが嬉しいひとときでした。先生はニコニコしながらビール瓶を片手に「お前は出家したのか?」と、私は別に出家したわけではありませんので・・・。

グリーンホテルYes長浜みなと館さん5.2.OPEN!

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 5月2日(土)グランドオープンされるグリーンホテルYes長浜みなと館様の正面玄関のシンボル「くすの木」です。グリーンホテル=くすの木、このマッチングは人と自然が触れ合うことに回帰しようとする様々な風潮・時勢・概念にリンクしていくように思えるし、そんな、ややこしいことは考えずとも、大きな木の下でちっぽけな人間の考えることはひとつである。「生命力」を何かで感じられる瞬間、人間にとってデジタルインフラがどれだけ価値があるのかと幻想を解かれるような気になる。それほどの存在感がありました。木を見て森を見て、そして、木を見る時、この「くすの木」は何かを語ってくれそうでした。

◎詳細はhttp://www.gh-y.com/へ

「好き」という価値判断。

 「好き」という価値判断はもっとも根幹の部分である。実際、何か行動を起こす場合や何か判断をする際にこのモノサシが最終的なジャッジをしていると思う。
 例えば、議論しているテーマに対して「好き」というレベルが100の方と50の方では確実に真理は100の方から50の方へ流れる。しかし、当の50の方はそれを100だと認識していて、100の方は50だと認識していた場合、その格差は幅は実際25~200という結果になる。これが、日常レベルでもビジネスの現場でもありとあらゆる場面で起きていれば、そりゃ「多種多様」になるだろう。そして、「好き」という価値判断の基準は曖昧になり、マスや主義やイデオロギーにコントロールされて依存している方が楽になる。この誤差に個人の存在価値があると仮定すれば、主従が明確になりそうだが、そもそも、主従などという概念は便宜上の概念であるから、必ずしも「好きと嫌い」をジャッジできない。そして、そのまま時間が流れいつしかその澱が淵に蓄積し慣習になり文化になっている。そして、その歴史が繰り返されているから人は歴史から何も学ばないというネタが成立する。
 で、例えば、好きなCDを買ってレンタルして聞くという鑑賞行為において、好きなアーティストとは自分にとって何だろう?それを判断している一番大きな基準は何だろうと考えてみる。それは、以外と世の中のBEST10的なランキングの啓蒙による判断ではないことに気がつく。細かいディテールを分析すればキリがなく、収拾がつかない。別に結論を出すために好きな音楽を聴いているわけではないから。よく聞くお気に入りのアーティストとはそのアーティストの「声のタイプ」だった。声の質というか、歌声でどうやらCDをチョイスしているパターンが多い。で、映画となると、監督だとか物語だとか時代性だとかいろいろな規準がありますが、結局、誰が出ているかでDVDを買っているパターン。やはり、そこに「好き」の価値判断が起こっているようです。
 デザインも同じ。仕事としてそれに携わらせていただいている限り「自分の好き」と「お客様の好き」をしっかりと判断する能力と自分自身のクリエイターとしての価値判断と引き出しの質と絶対量を日々収集し練り上げる必要がある。結局、「好きこそものの・・・」なのである。

情報交換の綾。

 そもそも、伝えたい人とそれを受ける人がいる場合、伝えたい人にもモノゴトを伝える際のルールがある。また、受ける人もモノゴトを受け取る際のルールがある。情報がどのようなカタチで量でディテールで伝わる際の摩擦や浸透率はすべてこの伝えたい側と受け取る側のルールに依存する。ではそのルールとは何か?情報が飽和していなかったと言われた時代なら、その量も質もスピードも複雑なルールを必要とせずある意味オートマチックにスムーズに流れていた。しかし、「ルールが複雑になりました」「ルールが多種多様になりました」「情報が飽和しています」と聞かされると、それだけで、実際の部分、現実がそうでなかったとしても、人は先入観でルールを改変する。この小さな誤差が蓄積して現代が流れ動いている。そんな時代の「情報交換」とはどうあるべきなのだろうか。受け手のルールとは「知識や学力」「先入観や固定観念」「生活習慣」などであるが、これも確固たる標準値を計測するモノサシは存在しないし、その上限も下限もなく、地獄と天国の高低差があるだろう。
 で、すなわちの部分、「情報」の交換とは「感情」の交換のニュアンスが強くなる。「感情」がなぜ「情報」なのかとなるが、実は伝えたい「情報」を利用して本当に伝えたいのは「感情」であることが多い。すると、飽和しているのは「情報」ではなく「感情」であるということになり、これを踏まえると、「感情を伝えるためには感情に訴求する必要がある。」ということになり、「情報」は形骸化し形式的なツールになっていく。だから、表面的には混沌のように見えるが、実はその本質を見極めれば自分自身の感情さえ臨機応変に対応すれば、有益と無益、正しいと正しくない、好きと嫌いをしっかりと判断できるのではないだろうか。これが情報交換の本質であるなら、さて、クリエイターは何をすればいい?なんとかビリティーのルールでクリエイトしてていいはずがないし、SEO対策に翻弄する必要もない。それは全て結果であるから、感情を伝える時代に原因やプロセスを度返しして結果だけをリスペクトする知恵は出来る限りリミッターで制御できれば・・・と考えています。一事が万事。

FAQという手法。

 言わずもがな「Frequently Asked Questions」であるが、本来の目的は「WEBへのお客様に対するサービスを高めたい」や「問い合わせを減らしたい」という気持ちから企画・設置する入口が大半だと思いますが、実は、もっと深くつきつめれば、それは「サービスの本質を追及する」ことであり、「問い合わせ(制約率)を増やしたい」という目的であることに気がつく。電話やメールでの基本的な質問を列挙し時間的なコストを削減してイージーでライトな問い合わせから本質的なお問合せを自動選定できる仕組みのように思っていたが、実はそれは側面であり、正面はもっと本質的な部分だった。
 仮にメールや電話で対応した場合とFAQで対応した場合の決定的な違いをしっかりと理解した上で、WEBサイトというメディアの特性を活用する手法としてのFAQなのであると。常に正確にタイムリーに迅速に何事も対応したいと考えているが、人的な対応には限界がありむらがあり無駄も多く介在する。これはある側面では大切なリアリティーなのですが、インターネットによるコミュニケーションがこれほど浸透した社会構造において、FAQの意義や価値や利便性はとても大きい。具体的に構想・企画から実行まで、そして、その結果の分析における全体のフローのシステム化・プログラム化は言わばビジネスモデルの骨子にリンクしている。アクトもWEBサイトもリニューアルしようと構想を始めてから時間ばかりが経ってしまっていますが、このことを今一度吟味して弊社の仕組みを検討したいと思います。

空腹状態。

 最近、メタボ対策で「断食」が少しブームになっているらしい。全く不思議な国である。高いカロリーを摂取してその一方ではなんとかダイエット。地球上の人口の1/3は1日1ドル以下で生活しているというのに・・・。脱毛したり植毛したり身体を削ったり何か入れたりほんとに不思議な国、日本である。
 で、断食について、健康を害してまで自分の身体を追い込むのは不自然ですが、適度な空腹感は実は身体にとてもいいらしい。胃や腸に食物がある段階では消化器系が全力でそれを消化してエネルギーに変えている状態だから、言わば、身体のバランス的には崩れている状態。しかし、胃に何もない状態で、一旦分解された栄養分が血液で全身を巡りそれぞれの臓器にそれぞれの形式で保存されたモノがバランス良く流動しはじめるのが空腹を感じている状態らしい。小腹が空いたと何かつまみ食いやおやつ系を摂取することは、バランスを崩していることになる。空腹感が満たされることは気分的にはいい状態ですが、実は身体は体内に入ってきた食物を消化することでかなりのエネルギーを消費しているし、摂取されたエネルギーを循環させるために適正な制御を維持しようとするから、ちょっとした分泌物や神経的な作用でバランスを崩す可能性があるらしい。だから、昼食前や夕食前に少しぐらい空腹でも何も身体に入れない方がかえってバランスが整う。そんな状態であれば高いカロリーを摂取せずとも身体は満足する。これをルーティーン化することは以外と難しいらしいが、なんとか、頑張って空腹状態をできるだけキープするようにしている。すると、一回の飯が美味しいし、睡眠のリズムも崩れずバランスを維持できるように思います。さすがに1日1ドルは厳しいが、飽和している時代だから、自制することもまた楽しい。時に無駄も必要だと思っていますが、欲求がすべて有益とは限らない。

紀里谷×江口×大沢対談。

 朝は比較的ゆっくりした気分でテレビを観れる。朝はいろいろその一日にやること考えることを準備している段階なので朝ゆったしていれば整理できる一日になるし、朝バタバタと忙しくしているとその一日がそのまま終わってしまうことにようやく40歳になった頃か気がつき早起きが板についた。早起きは・・・の徳と言われていた頃の人たちの価値観にシンクロしている気分。
 そこで映画「GOEMON」のPRだろう3名がどこかの料亭で対談をしていた。「おおっ!」とうことでしばし鑑賞する。紀里谷監督はあのキャシャーンの監督であり元ひかる様のご主人。江口洋介さんと大沢たかおさんは今日本の俳優の中でも個性的で演技の幅も広いとても存在感のあるお二人であることは今更・・・の部分。その3名が気楽な感じでいろいろ「映画づくり」や「私生活」や「交友関係」についてとてもにフランクにしゃべっておられた。
 「映画づくり」について、興味を持った言葉として、「同じ年代で同じ価値観」を共有できるから監督と俳優という関係が現場でのワンシーンワンシーンにダイレクトな化学反応を起こしそれが今回の現場ではとても楽しくもあり緊張感もあったと江口さんと大沢さん。紀里谷監督はその逆で価値観を共有できるからこそ「依存」や「諦め」が自分の心の中で生まれてこないようにテンションを維持することがとても大変でしたとのこと。う~ん、この会話はとてもジャニーズの連中には決して踏み込めない領域・聖域だろうと思って聞いていた。同じことで、昨今のお笑いブームについても、ひとつのネタで笑える人と笑えない人が確実にあるように、「お笑い」も価値観の共有が発生しなければ「笑う」という結果にはならない。この3名だから「価値観の共有」という領域は言葉どおりに理解できるが、その向こうにある深みはその場にいた人しか共有と感じられない何か大きな違いがある。しかし、映画を観る立場の人たちはそれをスクリーンで感じようとすることが映画をより楽しい作品に変え、映画を鑑賞している時間に意義や価値が生まれるのだろう。だから映画が素晴らしいのだと思います。デザインや広告やWEBも同じなのだろうなぁ~。
 「私生活」については、朝、映画の打ち合わせや撮影の現場に向かう時、大沢さんがいつもこう考えていると言っておられた。「今日も撮影中や仕事中に何かの理由で死んでしまっても悔いが残らないような気持ちでやるぞ!」と毎朝気合を入れているそうです。でなければ、同じ映画のフィールドにおいての大先輩でもあるジェームス・ディーンたちに「お前!何やってんだ!」って怒られそうだからとのこと。う~ん、これも大沢さんだからってわけではなくカッコイイ。この緊張感がその一日を白にもするし黒にもするのだろう。合わせて最近のテレビや映画にはエネルギーが極端に少ない作品が多いとのこと。その理由はいろいろ経済事情や配給会社のモチベーションなどが深く関係しているかもしれないが、一番の理由はそれを作っている人のエネルギーの絶対量が減退しているのでは・・・?とのこと。やはり、エネルギーのお話になるのかと。つまり、映画を創るためにはたくさんのお金やたくさんの人の力が必要なのですが、それだけを指して「エネルギー」と言っているのではなく、もっと、根本的な熱量のお話だそうです。確かにそれが私生活レベルで意識下にある人がどれだけいるだろう。つまりのつまりで、今その瞬間エネルギーを発散できない人はそいういう昨日を過ごしてきた方であり、昨日エネルギーが無かったということはその前日、その前日、その前日となる。逆にエネルギーのある方の今があるのは、昨日以前からエネルギーがあった方なのである。情報時代、どれだけ「エネルギーのレシピ」を頭で理解できてもそれが身体に染み込んでいなければ、「知らない」に等しい。情報時代の綾の部分で、一番必要な情報は情報の本体ではなく、それをどのように自分のベクトルにフィットさせるかのノウハウの部分。このノウハウはそうちょっくらちょいでは獲得できなのである。時間とエネルギーが必要なんです。
 そして、「交友関係」について。江口さん以外は独身なので、最近41歳になって女の子にもてなくなった・・・とのこと。若い女優さんといると41歳だという変な意識が前にでて、無意味に「大人」を演じてしまうから、自分の中の「子ども」の部分が失われてしまったのかと愕然とすることが多いとのこと。これも深い話である。だから、交友関係と呼べる人は少なく、仕事仲間であれ、プライベイトの友人であれ、価値観を共有できて心が落ち着く人といつもその人の存在を心に思い浮かべるだけでエネルギーが溢れてくるような人を大切にしたいとのこと。う~ん、なんとも男前たちの男前なお話が続きました。

◎映画「GOEMON」についての詳細はhttp://www.goemonmovie.com/index.htmlへ

早速。

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 早速、本屋にあったので購入してきました。このご両名をはじめノーベル賞経済学者達が語る「資本主義」の今と未来がどうなっているのか・・・楽しみ楽しみ。

ゲイツとバフェット新しい資本主義を語る

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 それがどうなるのか?予見のサインはあるのか?ただの洞察と私見なのか???チェックチェック。

◎詳しくはこちらへ

絵になる女(ヒト)。

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 絵にも描けない・・・ではないですが、いつものことながら、Mihokoさんは素敵。愛車の上でのワンショット。この写真はMihokoさんのブログから抜粋させていただきました。Mihokoさんの公式ブログはこちらです。

◎Mihoko offical blog

16連休って!?

 世の中なんかおかしいんではないだろうか。今年のG.W.は確かにカレンダーどおりでも5連休だから「う~ん、長いなぁ~、でも、多分、仕事しているだろうなぁ~。」と思っていたのが、新聞やテレビで「今年のG.W.は16連休の企業も普通にあるらしい。」というニュースを知ると、「あ~あ、仕事がないんだろうなぁ~」とか「厳しい景気なんだろうけれど、だからって、休んでても仕事は生まれないのに・・・。」とか思ってしまう。が、それ以上に、普通に会社が普通に16日間連続休むということのこの部分がなんともなんとも普通ではないような気がします。それほど危機的な状態だろうという指標にはなりますが、でも、社員全員が16日も会社を休んで、17日目に「さぁ!仕事を頑張ろう!」というテンションになるだろうか?と人ごとながら不安である。ワークホリッキーな日本人根性がそれでいいのだろうか?日本人だから仕事が好き、人生=仕事なって感覚は持っていませんが、わざわざ創出していただいた雇用の中で自分の人生を送ることや、企業に依存して「は~い!明日から16連休で~す!」って言われて、16連休を楽しむポジジョンには自分は絶対にいたくないと願う。
 で、もし、今日から16連休だと言われたら、自分は何をするだろう???と想像してみたが、頭の中は真っ白だった。読書?読書は目的を持って読むわけだから、時間潰しに読書などしたことがないしこれも無理。旅行にもショッピングにも興味はない。映画を観る?古い名作は嫌いだし、片寄った映画の趣味なので、多分、1日も観たら借りるDVDはなくなるだろう。つまり、「にわとりとたまご的考察」をするとすれば、私の中で「16連休というモノは存在しない。」つまり、そうならないように努力しているから、そうならなないように日頃から危機感を持っていることが、結論としての今の状態がある。つまりのつまりで全て「原因と結果の法則」が適用されるというわけ。

パストーンMother'sDay2009

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 パストーン「Mother's Day 2009」ページを更新いたしました。母の日にお花のプレゼントはいがでしょう?私も早速注文させて頂きました。素敵な香りと共に美しいオリジナルフラワーアレンジが原宿から発送されるのでしょう。皆様もぜひ!一度、ご覧くださいませませ。

◎詳しくはhttp://pasuto.mj-e.com/mother2009.html

「FITC」とは。

 「FITC」とは、2002年にカナダで始まり、今や世界最大級のFlashイベントへと発展し、これまでに8カ国30都市で開催されています。Flash、Flex、AIR、デザイン、インスピレーションといったテーマを扱い、世界の著名クリエイターがプレゼンテーターとして参加し、世界中から参加者が集まるFlashコミュニティ注目のイベント~だそうです。なんとも刺激的なイベントのようです。ここら辺(長浜)では「???」なflexのお話も最近東京から大阪に帰ってこられたある企業のサポート&エイギョウのプロフェッショナルの方も、「東京ではやはり「flexが熱いですね。」とのこと。ああ、やっぱそうなんだと少し感激していました。やはり、今後のWEBはひとつの成熟されたメディアとしてその地位や価値を確立させようとする人のエネルギーがさらに加速していくように感じています。いつまでも「情報を得るためだけのツール」ではないはずだと思うのです。より一層「FLASHとFLEX」そしてA.S.3.0が加速していくでしょうね。頑張ろう。この段階でかなりのハードルの高さがあるので、追いかけられない方もいるでしょう。それに、この畑はその技術を知っているからどうだってニュアンスではなく、バックボーンに何かを突き詰めようとする熱意がなければ失速は早い。ただ、プログラムに詳しい、デザインに詳しい、ソフトウエアに詳しい、お金を持っているだけでは、この畑に入らないほうがいいというレベルまで来ていると思います。何事も「熱意とタイミング」だと思います。99%の努力と1%のなんとかと言いますが、私は全て99%の熱意と1%のタイミングだと思います。99%はなんとかなるのですが、最後の1%がいつも高い・・・。

音を突き詰めるということ。

 その分野での仕事の能力やスキルを誰しも高めたいと思っている。それはどの分野でもより高いレベルへ進化・進歩したいと願うからである。では、その努力の度合いは何と比較して実感すればいいのでしょうか。頭で考える目標値やビジョンは想像力の限りどこまで設定できるが、それを実現レベルまで引き上げるためにやらなければならないことは?今現在、それを達成した人が多くのメディアに登場し書籍や講演の場でそのプロセスを語る場面はよく見かけるが、なかなか伝わってくることは少ない。「伝わっていない。」「伝わっている。」と思える規準にも何か独特のコツがあるのでしょうけれど、それが「伝え方」なのか「伝わり方」なのかは未だに不明ですが、出来る限り自分自身の中にある何かと、世の中に存在していた、存在している、存在するだろう多くのサインを貪欲にリサーチして自分の中にリアリティーとして組み込みたいと思っています。
 で、映画「wall・e」のサウンドクリエイターさんのお話。この映画を観て思うことは人それぞれかもしれませんが、あまりにも多くの「創り手の楽しみ方」が注ぎ込まれ組み込まれているこの映画にDVDを観て舌を巻いてしまった。「創ることは苦しいが楽しい。」と映画のあらゆるシーンを観ながら、本編のドキドキ感と合わせて、頭の感覚がいろいろなことを受信し過ぎて麻痺している感覚になった2回目の鑑賞だった。1回目は映画館、2回目はDVDだったが、これがこの作品との始まりになりそうである。たぶん、ブレードランナーより、羊たちの沈黙より、トイストーリーズよりたくさん観る結果になるだろう。物語や絵づくりやキャラづくりはさることながら、その音の効果の重要性に改めて2枚目の舌を巻く。音だからこれはこうであれはああでとは分析できないし、分析しても仕方ないと一鑑賞者だから考えてしまうが、それでは「苦しい」も「楽しい」も手に入らない。だから、聴覚と脳の間にあるルートをできるだけクリアにして感じたいと思いました。特典映像の中でこの映画のサウンドクリエイターの方が音づくりを突き詰めるということに対する自らのこだわりや熱意について語っておられたが、その言葉ひとつひとつとその表情のなんとも印象的なこと。表裏一体である。中にあるモノは外に出てくるし、外に現れているモノは必ず中にあるというごくごく当たり前のことが一番難しい。何かを自分のベクトルで突き詰めるならこうありたいものです。

草食か肉食か!?。

 ちまたでは何やら人格?キャラクター?存在感?を「草食動物系」と「肉食動物系」に分けている空気があるようです。特に深い意味などいつものことでないのだろうし、実際の草食動物と肉食動物のイメージでいろいろなタイプの人を分類しているだけのことだろう。そこで改めて「草食動物のイメージ」って何だろう?「肉食動物のイメージ」って何だろう?と考えてみると、たぶん、前者が「のんびり系の平和主義」で後者が「攻撃的なバトル思考」なのでしょう。ベジタリアンなどという語感も懐かしいですが、人間はどう転んでも本質的に肉食系だと思ってしまうのは、たぶん、どちらかと言われれば自分が肉食系になるのだろうと思っています。
 で、いつものことながら、何?って感じなのですが、分けることが好きな島国の慣習だろうなぁ~と思っているのですが、たぶん、アメリカではこんなことは別段注目もされないだろうし、ヨーロッパでもたぶん「なんだそりゃ状態」なのではないかな・・・。いつものことながら展開力が弱いこれらのブームに辟易である。あまりにもツコッミ入れるターゲットが緩すぎて緩すぎて。何事においても分類したいテンションやノリは分からなくもないですが、野菜も魚も肉もバランスよくいただきたいものです。まだまだ士農工商なのかなと・・・。

「WALL・E」DVD到着。

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 初回限定の2DISC到着。映画館では見逃したCGシーンをじっくりと穴があくまで・・・。

婚カツか・・・。

 昨日から月9で始まった「婚カツ」というテレビドラマ。テレビプログラムもかなり苦戦しているような印象を受けているのですが、やはり、月9となると密度が高い。面白げな設定で中居君もなんともつかみどころのないキャラで、脇を固める役者もいい感じである。この設定でどのように話が展開するのか非常に楽しみである。この4月はドラマ的には谷だと思っていたのですが、意外と山なのかもしれない。結局、中居君と彩ちゃんがうまい感じになると思うのですが、現在の日本の情勢を反映しているいろいろなネタがイジられていきそうで楽しみです。
 で、「婚カツ」ってかなりかなりシリアスな問題になっているのでしょうね。このドラマを楽しめるかシビアな気持ちなるのかは状況次第なのでしょう。しかし、中居君の緩い感じは天然でいい。

綾瀬はるかちゃん、素敵でした。

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 うんうん、この映画は綾瀬はるかちゃんありき。間違いない。ただただ、素敵でしたね。邦画を観たのは「百万円~」以来でした。邦画も主人公がいいと素敵。パコも良かったし、ほんとに最近はいい邦画が多いですね。とかって、映画がどうのこうのではなく、ただ、はるかちゃんが存在感がありとても素敵だったということだけなのかもしれませんが・・・。

http://wwws.warnerbros.co.jp/ichi/

親分かぃ!

 車で長浜~彦根を走っていると、まぁ、いろいろな人がいる。たまに行く大阪や東京でも同じ。とにかく、「ボケ」か「ツッコミ」かと言われれば間違いなく「ツッコミ型」の私がひとり車の中でツッコんでいることをことや駅や街で出会った「ツッコみネタ」を記述していきます。あるあるなら共感ということで嬉しいですし、逆に同目線でツッコミネタがありましたら、コメントで返してください。

 時間に追われて車で急いでいる時はそうでもないのですが、比較的目的時間までに余裕がる時などは黄色の信号でも止まる場合が多いし、一旦停止も120%確実に停止しています。例えそこが横断歩道でもなくとも目の前に歩行者がいれば停止。
 長浜駅前のターミナル。巡回バスも止まっている。タクシーも止まっている。いろいろな車が駅前には停車していました。くれぐれもなのですが、そこは歩道ではありませんし、バスもタクシーも行き交っているエリア。が、その巨体はバスもタクシーもそして私の車も止めて駅の出口から目の前のデパートに向かっているのでしょう、のしのしと大手を振って歩いてくる。その後ろにはまるで子分のように70%サイズの同比率の子どもらしき物体が付いてく。その有様を出来る限り克明に記述すると、上から茶色い爆発パーマ、黒いコブクロサングラス、巨体を強調するかのようにな黒いピチピチのインナー、それはどこで売っているのかガラガラ模様のだぶだぶパンツ、スニーカーは以外と黒、そして、同じテカテカのジャンバーを羽織って、くわえタバコ。その煙が歩くスピードに合わせて揺れ後方に流れていく。そんな物体が目の前を闊歩していたので、思わず「親分かぃ!」と車の中でツッコむ。
 が、彼女が私の車の前を行き過ぎ、その大きな背中を見てヤラレタ。大きな背中には例の「BOSS」の文字。そうかそうか、彼女はボスなのか・・・。

Flashの活用術。

 WEBサイトコンテンツを作るためにいろいろなソフトウエアを日々リサーチしているのですが、今更ながらFlashというソフトウエアの価値は高いと感じています。これほどインターネットインフラの進化とシンクロしているソフトウエアは存在しないと思います。勿論、ベクトルデータや画像編集系のソフトウエアに特化した各種ソフトや映像動画3DCGに特化したソフトウエアはたくさん存在し、ビジネスソフトもそれこそたくさん存在する。その価格や機能の幅と言えばさすがの検索エンジンでリサーチしても一人の人間が理解して掌握するには限界をはるかに超えている絶対数が存在している。そんなソフトウエア時代においてその確固たる地位を示している「Flash」というソフトウエアは何者なのだろ?
 で、実際のWEBサイトを構築する際にこのFlashの技術や機能がどう使われるのか?全てをここで紹介するわけにはいきませんし、その全貌をあますことなく紹介できるほどFlashに精通しているわけでもないので、私なりの視点でその特化した「活用術」に対する考え方を紹介します。とはいえ、ひとつの活用術に至るまでには様々なケースバイケースがありますし、ある分野では価値があってもある分野では二束三文ということもあり、一概にその価値を価値としてピックアップはできないのですが・・・。
 テキストベースの伝達方法なら「スタイルシート」でWEBデザインレイアウトを統一してとか、CMSで更新をラクチンになどという方法もあり、最近は、ブラウザの中にログインしてASPでWEBサイトをお手軽に企画・運営しましょう的なアプローチもあるので、そのタイプのアプローチをするなら費用対効果を判断してどれかに取り組めばいい。が、そもそもの「伝えたい何か」を一から構想し起案し構築するという際に写真やイラストや動画やサウンドを完璧に制御できるツールはたぶんFlashしかないでしょう。ただの流しっぱなの動画ならそれほどハードルは高くなりませんが、そだけで、「伝えたい事」の100%が表現できるほど受け手サイドのハードルは低くない。だから、Flashなのである。
 で#02、昔、Flashの走りの頃はindex.htmにポツンとswfを置いてenter_btnという仕組みが見かけられたが今では見かけない。これはこれで5~8年前なら印象的だったかもしれないが、今ではよほどの仕組みを仕掛けない限り「ただ古い」と感じてしまうことが標準的だと思います。この「ただ古い」の詳細こそが一番のキモであり、「古いなぁ~」という印象の連鎖が恐ろしいのである。論理的には本体のコンテンツまでにワンクッションあることがストレスだと捉えることが一般の認識ですが、それ以上に最初のWEBサイトのとても大切な印象が「古い」でいいのかという価値判断である。通常ロード時間は5秒、コンテンツは15秒と言われている時代に、このタイムライン上によほどの表現と仕組みを盛り込むのは至難の技だからである。だから結果的にトップ(index)にswfだけというスタイルが過去の表現になってしまったのでしょう。今だに、トップがフルFlashの上下に文字をおしゃれに入れています的ないわゆるFlashサイトを見るがそれも同位である。シンプルなデザインが古いというのではなく、「工夫がない」ことが古いのである。そもそも温故知新という言葉を心から愛しているWEBマスターであるならそれはそれで何かを学びたいと思うが、このケースの場合、ただただ、リニューアル的な活性化がされていないという印象以上に何も感じない。言わばこのモヤモヤを解決する最適なソフトウエアがFlash何だと思います。確かに使いこなすにはかなり時間とエネルギーが必要ですが・・・。

何故、RIAなのか。

 インターネットバブルははじけたらしいが、そもそも、そんなモノはそれで自分の場所を確保したい人だけのエリアの価値観であり、それだけで何かを得ようとしている仕組みの人達ためだけのムーブメントであるから本質が見えている人にしてみれば、インターネットの本質を上手くシンクロしている人達には無関係なお話。そもそも、バブル自体もどこかで自分自身が恩恵を受けてきてはいたはずだが、いわゆるバブルを肌に感じて実感した記憶はない。それはそのようなモノだということなら、逆にどのようなものなのかを今更でいいので知りたい。
 で、WEBサイトの価値がこれほどになり、PCからモバイルから一般メディアに浸透するとなるともうこれは道具や手段という分類を超えてひとつの大きな偏在する文化だと言えるのではないでしょうか。文化なら文化としてどう継承されていくのかじっくりと見守りたい。が、テレビや新聞にビジネスチャンスを見つけた古人がそれに群がったように、インターネットにも多くの人が群がっている。そこには確かに新しい価値観や伝達手法があり、注目度が高いフィールドだから、人的エネルギーやコストや資本が注ぎ込まれるプロセスは理解できるが、それは伝導というよりも、対流のような気がします。そもそも、熱量の高い物質から低い分子運動が低い物質に熱量が伝わる法則のように、いつか二つの物質の熱量が均一になるように、どこかで熱を発生する仕組みを持たないと氷がとけ、山が崩れいつか地球の高低がなくなるように絶対の熱量が平均化・均一化された世界になり、それを共生・共存・理想と呼ぶかは自由ですが、いつかそうなるでしょう。地球内部コアとお話ができるならあとどれぐら?と聞きたい。そのバランスを崩せる存在とは常にエネルギーを内部から発生できる存在であり、仮想のブラックホールがあるならバランスは崩れないだろうが、それはあくまでも仮想レベルで何か違う理由で物質は熱量を消耗・消費しているのでしょう。何故かインターネットバブルのお話から太陽系のお話になってしまいましたが、短いサイクルで虫の目で見ているモノと高い位置から鳥の視点で見えているモノを常に比較したいというテンションのお話。
 で#02、WEB3.0の概念を知れば知るほどにRIAの意義が見えてくる。つまり、それはそれほど「RICH」でもないということ。技術的なお話はいつかこのブログにて。

鳥居みゆきのリアリティー。

 イロモネア・ピンモネアという昨日のテレビプログラムの中のお話。漫才コンビやピン芸人さんたちがそれぞれに5つのジャンルを順番に選び会場にいる100人のお客様からランダムに選ばれた5名が笑うか笑わないかというレギュレーシヨンで5つのジャンルをクリアしていき、全てをクリアすれば100万円というゲーム。さすがスペシャルだけあった、めんどくさい人は出ていない。流石の面子。その中でも、1分間という限られた時間の中で設定以上の笑いを獲得するというのは、かなり限られた技を持っている人達だと思います。そんな妙な緊張感がこの番組のキモ。ランダムにセレクトされた観客を笑わせるということは例えそれが5人中3名の場合は60%の笑いを獲得する必要がるという計算になり、5名全員を笑わせるとなるとほぼ100%(100名)の笑いを獲得することになる。これは100万円の価値があり、それ以上にこのテレビプログラムのクオリティーに繋がる仕組みになっているのでしょう。
 で、「劇団ひとりさん」も100万円は獲得されましたが、強引な展開でそれに対してただ観客が反応しただけという、決して笑いという反応ではなく、かなり失笑に近い反応でした。
 が、鳥居みゆきさんの5つのステージはワールド全開で映画「CUBE」をイジるなんて素晴らしいと感激してしまいました。不思議キャラを突き抜けて暴走キャラと言われている鳥居みゆきさんのステージは一見そのように見えますが、そのネタの細部に目を向けると完全に計算された上で自分の乱数とセンスと直感を交えて完璧な「鳥居みゆきワールド」を完成させている。それが、熟練の漫才コンビのようなしゃべくりの完成度だけが高いという作品ではなく、彼女の個性や言動がこれほどシンクロしていながら他の演者には出せない独特の笑いに仕上がっていると思います。これだけお笑いブームでいろいろなタイプの笑いを日々テレビで見せられれば「ああこのネタ知ってる知ってる」「なんか教科書どおりにやってはるなぁ~」という感想になってしまうことが多いのに、鳥居みゆきさんは初めてエンタで観てから確実にネタのバリエーションを進化させ、トークにおいてもポテンシャルを120%発揮しておられる。時にどれだけ練りこんだネタでもタイミングやスピード感を誤るとただのポンコツになる。それが「笑いの神様」と言われている存在なのでしょう。山﨑邦正さんなどもうすでに神様なのかもしれない。他の歴代の重鎮達が一生懸命考えて練りこんだ熟練のキャラを作り上げているのに対して、山崎邦正さんは別格の存在感である。
 つまり、テレビプログラムにおいてか笑いという分野において最も求められていて価値の高いコンテンツの資質とはこれなのである。テレビの向こうの一般Pはそれが観たいのである。何もこのフレームは「お笑いの世界」だけのことではないはず。

「BANZAI」木村カエラという価値。

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 それは勿論ファンであること以上に深い意味はないのですが、その部分を冷静!?に考察してもやはり「元気のあるWEBサイト」、「元気のあるデザイン」を創りたいと願う。いつの頃かこのデザインという畑に入らせて頂き目指すところは「有名になる」とか「多くのお金を稼ぎたい」などから「自分らしいデザインを創りたい」に変化してきたことは否めない。「好きなことを仕事にしたい」という方向のベクトルがいつしか「この仕事しかできないだろう・・・」に変化していったように。つまり考えている時期はいろいろなことを一生懸命にベストを尽くしているつもりでも、考えて考えて努力して努力してても、それを自分自身に魔法のように呪文のように言い聞かせているだけで、実はそれほどリアリティーのない感覚だったように思います。何でも仕事は同じであるべきであるはずですが、いやいや、これだってことになるにはスタートラインで感じていたはず、見えていたはず。だから、最近思うことは特に長年この仕事をしているからと言って自分の中のセオリーやフォーマットや雛形をできるだけ崩そうと思って仕事に取り組んでいます。何でもそうでしょうけれど、自分のスタイルを尽きるめるほど簡単なアプローチはないですし、それは「こだわり」や「想い入れ」などという言葉で美化はできるだろうが、そうではないような気がしています。それはこの仕事に限ったことなのだろうか・・・。それさえもうどうでもいいこと。
 で、木村カエラちゃんのいろいろなテレビでの言動やアクションをはじめCDやDVDやBOOKSなどを見るに感じるにそれが確かにクリエイターを通して魅力が確実に増幅しているように感じるのです。そこにグラフィックデザイナーの大御所のひなびたオーラなど微塵もないし、どこかの図録にあるような「この図録のデザインはトッププラスですよ的なめんどくさいデザイン観」も存在しない。とにかく、元気になれるデザインが目につく。これがしたいとストレートに純粋にそう感じられる。このニューシングルのジャヤケシャもしかり。元気は理屈ではないが、感覚でもない。確かに存在する木村カエラという魅力的な存在感のリアリティーを増幅させている。そして、そこには無理がなく淀みも衒いもない。だから何かが伝わるのだろう。決して「こうであるべきだ」や「こうでなくっちゃいけない」などという痛い感じは微塵もない。

◎詳しくはhttp://kaela-web.com/discography.html

28.35~109.2が相場。

 WEBの専門誌(4月号)にある会社の広告が載っていた。「ブラウザでCMSを導入して自社のWEBをラクラク運用!」みたいなキャッチコピーのサービスである。東京の会社が専門誌に掲載してる情報だから、これを一つの規準値として捉えることができるのではないかと思う。このサービスの詳細はWEBサイトの中だけだから100%は理解できていませんが、サンプルを見る限り、「28.35~109.2万円の3つのプラン」は非常に値打ちなサービスのように思います。例えば、私自身がWEBの知識もなく、誰に自社のWEBサイトの企画や構築をお願いするべきかと悩んだ場合にこの広告を見たら興味を持つだろうと感じた。導入の部分での初期費用と考えると適正値のように思います。ただ、WEBを新規で運営するにも、更新作業などの運営面でも「CMS」と聞くと「簡単」「便利」「多機能」と思い込んでしまいますが、最後の最後でWEBの効果は運営面で左右するとは言え、フレームを作成しある程度のコンテンツを揃えるまでに必要なコストの標準値となると上記の数字が標準になるのでしょう。まぁ、この数値もピンキリであってないようなモノなのかもしれませんが、それでどう自社のビジネスを展開して広告も兼ねるためのツールを作成するとすれば、的を得た適正な数値になるのだと思います。
 で、高いか安いかはWEBの世界へ踏み込むか踏み込まないか次第。

散歩中に富士山へ登る人は・・・。

 確かにいい表現ですね。ある書籍よりの抜粋ですが、「散歩中に富士山へ登った人はいない。」か・・・。なるほどそうりゃそうです。多種多様な価値観が行き交い飽和している状態だから、何をもって一番になりいのか、何をもって充分とするのかという規準・モノサシが自分自身の中にあり、その設定値というか振幅の中で自分自身の目標を設定でき、日々努力を怠らないことが何よりも素晴らしい取り組み方だと言っているのでしょう。例えば「コミュニケーション」という言葉の定義についても様々な価値観やベクトルが存在するので、「コミュニケーションがとれている。orとれていない。」についても何をもって実感とするのかが先入観や固定観念に押し流れていると、とれているようでとれていない、とれていたのにつながりを放棄する、みたいな結果になるのでしょう。「あたりまえ」や「品格」など時代のキーワードもたくさん氾濫していますが、このニュアンスも同位。富士山に登るのにはそれなりの準備と苦労が必要であり、富士山に登るという達成感は散歩では決して味わえません。
 で、仕事も同じ。自分にとっての「デザイン」とは「紙メディア」とは「WEBサイト」とはという自分の中にある価値であり存在感を常に吟味して取り組み進化させなければ、決して、「富士山クラスの仕事」にはたどり着けないのでしょう。高いだけが富士山ではないはず、苦労の度合いだけが富士山ではないはず。って試行錯誤して試行錯誤していつかエベレストに登れないかと、いつか、月へ行けないかと願うばかり。

新聞を愛読していると言うが・・。

 IT(情報技術)企業のトップは新聞を読んでいる。なかでもインターネット企業は紙のメディアを対極にあると思われがちだが、新聞を愛読している経営者は実は多い。新聞の情報をどう活用しているのか、主要企業のトップたちに聞いた~とあるが、これは新聞の特集記事だからなんとなくそれほどテンションは上がらないし、書かれている文中のディテールもそれほど・・・程度。だから、どうせこのアプローチをするのなら、新聞だけに限らず紙のメディアとインターネットの情報の質の部分を比較して、どのような状況なら紙でどのような状況ならインターネットからの情報を活用しているかを比較してほしい。その上で新聞という紙メディアからの情報の質についてそれぞれのトップとしての立場からコメントを欲しかったような気がする。でも、これはあくまでも新聞の特集記事だから仕方ないか・・・。
 新聞を読まない人も増えているらしいですし、4大マスメディアの価値が崩壊しつつあるとも言われているが、実は紙からの情報はどれだけ端末やインフラが進化しようがなくなることはないと思います。が、これも言わば「思いますレベル」だから、インターネットが存在しなかった感覚には戻れないわけですし、まして、テレビやラジオが存在しなかった時代と比較するのもナンセンス。たぶん、全てが総じて「変わり方」の指標なんでしょうね。

健康サンダル。

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 かみさんが今日健康サンダルを買ってきてくれた。秋から冬にかけてはいていた会社用のスリッパがぼろぼろになったからである。しかし、どうもこのボツボツが健康になるとは思えない私は「またこれ?」と言うと、「ごちゃごちゃ言わずに履く!」と一括。いつもそうなのですが、しぶしぶ1週間ほど履くのですが、どうしてもこのボツボツが気になって集中できない。だから、いつしか履かなくなりこのタイプのスリッパはトイレ用になる。確かに足つぼを刺激していることは理解できるが、「足つぼの刺激=健康」という構図が実感がなく、どうも納得できない。そして、刺激され(気になって)てどこか以前よりも「ああ~健康になったなぁ~!」いう実感があれば我慢して履き続けるのですが、多分、これもトイレ行きだろう。間違いなくかみさんには怒られるだろうが・・・。

900を超えた。

 このブログをはじめてもう少しで2年が経とうとしています。最初は毎月30投稿をしようと決意して書き始めたのが2年前でした。ペースアップする時は毎月30以上の投稿ができて昨日あたりで900個の投稿を達成しました。何を書いているのか緩い記事なんかもあるものの、そうそう内容も吟味して毎回ライトダウンするのもブログとして固いような気もするし、とは言え、公式ブログでお仕事やライフワークのことなども書きたくなるし、気に入った映画や書籍があると紹介したいし、テンションの上がるお仕事のことや日々取り組んでいるデザインやWEBや映像のことも記述したいし・・・と書き進めていくうちに、自分の仕事やライフワークや日々の考え方などが刻々と記録されアーカイブされるブログというモノに改めて不思議な感覚を味わいながらのこの2年間のブログへの取組みでした。
 ふと、1年前の今日、どんなことを考えていたのか?とか、この仕事の時はこんなモチベーションだったとか振り返る感覚はなかなかいい感じなのです。

新しい名刺デザイン。

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 ということで、新しい名刺が本日仕上がりました。アクトをはじめてかれこれ10回目(以上?)のリニューアルになります。いつも300~500枚単位で制作するのですが、だいたい1年ぐらいでなくなります。一度決定したデザインは変えないというスタイルもあると思うのですが、やはり、少なくとも自分の名刺へのこだわりが1年前と同じじゃクリエイターとしてなんとなく寂しい気もしますので、いろいろデザインも変幻自在でいいかなぁ~という緩いのかフレキシブルなのかはさて置きそいういうスタイルで毎回リニューアルしています。今回のテーマというかコンセプトは「両面カラーにしたい。」と「イラストを使って印象的にしたい。」という部分でリニューアルしました。イメージ的にはミニポストカードのような存在感が名刺で作れないかなぁ~とこだわりました。このイラストはブログでもお馴染みの5年前に情報紙S.O.S.用に描いたイラストです。何かと気にいってしまったので多用している次第です。雰囲気とか愛犬の元気さなんかが自分でとても気にいっていて、愛犬のあの貪欲なまでの無意味な(本人はそうではないだろうけれど・・・)までの元気さをエネルギーをもらえるようでこのイラストが気に入っています。
 裏面はいつも気が向けば撮影している琵琶湖の写真です。朝~昼~夕方~夜とカメラを持っていれば大好きな琵琶湖を一年中撮影しているので、その中でなんとなくゆったりとした気持ちになれる琵琶湖の写真をバックに配置しました。
 商売・ビジネスは「名刺に始まって名刺に終わる。」という言葉もあるほど、このデジタルコミュニケーション端末キャリア時代において、一枚の名刺という存在感・リアリティーこそ大切にしたいと思っております。名刺フォルダに入れていただいていても、「目立つ」「印象深い」「思い出してもらいやすい」「イラストを見て丸坊主頭を思い出して~」とかに繋がればいいなぁ~嬉しいなぁ~などと想いを込めて。

ハローワークで天職!?

 「ハローワーク」には行ったこともないし、そのシステムやサービスに対して具体的な不満があるわけでもありませんが、「ハローワークに天職を探す人たち」みたいなニュアンスの記事を読むと、この表現はもっと別の表現がいいような、いろいろな物事の定義や価値観が変わってきているとは言え、「天職」の定義や使われ方さえも変速しているような・・・。そもそも、この最悪最悪といわれている日本経済において、さらに削減がエスカレートする予兆があり、派遣社員さんやアルバイトの方が削減の対象になる段階から、正社員さえもその対象になっている現状があり、こっそりと現在の職場にはオフレコで正社員の方たちがより安定した職場を探してハローワークに殺到しているらしい。1名募集の枠に100名が集中するということはもう当たり前の状況であるらしい。なんとかなんとか踏ん張ってこの100名にならぬよう頑張らねば・・・。
 で、この場合の「天職」がほんとうにハローワークにあるのか?という疑問についてですが、神は信じないので「天からの声を聞いて今の仕事をしている。」というわけではないので、そもそものそもそも「天職」という語感も緩いのですが、この場合の「天職」とは、「自分の理想の職場」とか「自分自身が最もやりがいのある職場」という意味になると思うのですが、では、親の仕事を継いだ2代目や3代目が天職という場合もあるだろうし、継承するよりも、別に「理想の職場」や「やりがいのある職場」があれば変速は発生する。が、そこまではたしてこの100名の人たちは仕事に対して「天職」とは何か?まで考えているだろうか?という疑問がある。改めてハローワークには行ったこともお世話になったこともないし、これから、お世話になるかもしれなし、お仕事をいただけるかもしれないので、闇雲には否定できないのですが、「そこで天職を探すなよ、そこには絶対に天職なんてないだろう・・・。」と、思わずツッコんでしまった。もっともっと、そのような状態になる前に腹を括るポイントがあったはずじゃないのかと。大きな意味での原因と結果であり、よりパーソナルな原因と結果の末のような。釣り針にエビをつけて海に投げ込めば欲しいタイが釣れる時代ではなく、タイが欲しければ自分で海に潜って自分の手で一番いいタイを捕獲するぐらいのスキルが求められている時代のような気がします。泳げない私にこの表現はリアリティーがあまりないのですが・・・。

Q.テンプレート・素材集は活用しますか?

A.はい、勿論、活用します。が解答です。
ですが、「鵜呑み」はしません。よくあるケースで言うなら、何か自社のイベントや商品の販売促進をかけたいというケースで、チラシを作る場合など、文字だけでは寂しいからクリップアートや写真素材集から適当にデザインイメージにマッチしたテンプレや素材を配置・流用してチラシ完成となるケース。これはこれで流れとしては淀みがないが、実は完成しているのは「チラシのようなモノ」でしかない。本末転倒とまでは言及できないが、最初からこのような流れでチラシの完成形をイメージしてそれをゴールとしてインクの無駄遣いをするならそれでそのプロジェクトは完全に完結しているが、冒頭のケースを考慮すると「自社の商品を販売するため」や「イベント魅力的に告知し集客を目的とする」という一番チラシを作る場合に必要なソフトの部分である「商品の魅力」や「イベントの魅力」がデザインで表現されていないに等しい。「企画→検討→制作→実行→反省→」ループが存在する以上、プリントアウトして配布したら終わりでないから、ひとつの流れとして捉えるなら無駄ではないが、さほど効果的でもない。実際に完成したチラシのデザインのクオリティーが低いのが主因ではなく、そのようなテンプレートの使い方や素材の適用の仕方・手法に問題がある。全てのグラフィックデザイナーが同じようなプロセスをルーティーンしているかといえばそうでもないと思うが、まずは、「チラシを作る」の背景にどのような材料があるのかを確認してそれをチラシという変数に適用し、プログラムを記述するように、イベントを決定し、コンパイル(書き出す)必要がるのに、「らしい」モノで満足する意識と作り方こそを検討する必要がある。
 で、「デザインする。」というのは、深く考えると深くなり、シャローに打ち込むと限りなくシャローになる。時に濁った水なら、シャローにも40アップはいるが、それはあくまでも出会い頭の事故的な確率となるために、必ずしもある一定の生産性とクオリティーを求めることは難しい。やはり、テンプレも素材もそれ自体の原型が不明になるぐらい、手は入れたい。あくまでも、手を入れることがデザインではなく、どこにどのような気持ちで手を入れるかと判断することがデザインであることは意識化に置きたいものです。この判断こそが言わば「デザイン」のキモなのかもしれませんから。

Builderというギア。

 10数年前「WEBデータを作成しよう!」と最初にアプローチしたのが、確か「ページミル」というアプリでした。それはHTMLを直接記述するエディタ機能をレイアウト優先でオペレイトしてアプリがHTMLを生成するという機能でした。次にHTML言語を知ったので、まさか、WEBがこんな複雑な(当時の感覚で)言語で構成されているなど知らずに、ワード感覚でWEBを作成していた。その頃は、FFFTPやFetchなどでFTPしていたが、なんだか新しい感覚でウキウキドキドキしていたような記憶があります。まだまだ、プログラムのことは基本がないのでオロオロ状態ですが、しかし、デザインとは違った、正確に記述すれば目的の機能を完成することができ、特に企画・構想から機能へ展開するイマジネーションと知識の合わせ技がクリアになった感覚は格別。デザインも同じようなプロセスでゴールに向かうのですが、また、違った頭を使うというか、脳の別の部分を使うような感覚です。
 で、最近のプラットフォームで言えば、「ホームページビルダー」というアプリがある。これも、ストレートなネーミングなのですが、要はHTMLをビルドする感じ。と同じように、現在、リサーチ・アプローチしているのが、A.S.3.0を活用するFLASHとFLEXの内の「FLEX」の方で、その言語を生成してデバックからコンパイルまでを用意されたコンポーネントで仕上げていくという流れのアプリである「Flex Builder 3」なのです。現在、それに関する書籍の2冊目にトライしているのですが、なかなか、HTMLの時よりも刺激的な言語です。完全にjavaはスルーしてしまいましたが、HTMLに取り組んでいる以上必要不可欠なので、そこはD.W.とF.W.とFLASHに完全に依存しています。しかし、A.S.3.0をFLASHで知り、FLEXを知ってしまった以上、この壁はHTMLビルダー同様クリアしたいと考えております。xmlでいろいろなRIAは作れるのは問題ないのですが、3.0のプログラムなアプリケーションな感じはやはり、FLEXかなと思っております。通常のプログラム系では難しい、動画や映像の制御やシンプルな制御文などの記述も盛り込めるとのこと。これは、クリエイターだから取り組めるってギアだと思うのです。たぶん、プログラム畑の方にしてみれば、デザイナー感覚で言うイラレ5.5程度の感覚なのでしょうけれど・・・。また、WEBなりAIRなりでアプリが完成したらこのブログで報告・紹介させていただきます。なによりもこのアプローチは「アイディア」や「センス」や「インスピレーション」ありきがいい。

景気の底辺感。

 日経新聞ではどうやら日本の不景気はボトムから抜け出し上昇し始めているという希望的観測結果!?がグラフで表現してあった。いろいろな政策が効果を出しているのか、もともと、不景気自体もバブルで実はただ単にそういうサイクルだったのか・・・?この1~3月のムードはかなり悲惨ではありましたが、逆にヒラキナオリ感とこの苦境を乗り越えてこそみたいなエネルギー感があったように思います。本物だけが残る流れみたいな、どこか、戦国時代のような、革命時代のような雰囲気も感じていました。が、それもバブルかもしれないし、ただの幻想かもしれない。「ITバブル」とかって適当な造語に一喜一憂するわけにはいきませんから、自分自身の中にある意味や意義としっかりした計画性だけを慎重に吟味しながら、時に大胆に挑戦するバランスだけに集中したいと考えております。
 で、日経新聞の少しだけ上昇していた折れ線グラフを見て気分が少しだけ上がったような気がしたのでした。視覚的効果というのは大きいですね。

竜二さんがんばれ!遼君も。

 個人的に今田竜二さんをとても応援しています。国内では圧倒的に遼君の応援がヒートアップしているようですが、わたし的には今田竜二さんに本気で上位を狙ってほしいと思っており、丸山さんの時もそうでしたが、いくら国内で賞金王になったところで、いつもいつも、日本人選手の悲しい結果をテレビで観てもう応援する気持ちが萎えてしまっています。が、遼君は未知数として、今田竜二さんは応援したい。というよりも、今田さんのプレイをテレビで観れるのが嬉しいだけなのかもしれません。
 で、「竜二さんがんばれ!遼君も。」という気持ちなのです。やはりやはり楽しみですマスターズ。

絵のような窓からの風景。

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 5月2日にグランドオープンされる長浜市のグリーンホテルYes長浜みなと館様の上階の正方形の窓から見た伊吹山。その部屋に入ると真正面に伊吹山など湖北の景色が一望できます。同階には露天風呂付のスペシャルルームもあり、屋上には素敵な庭園がありで、グランドオープンが楽しみです。

◎詳しくはこちらhttp://www.gh-y.com/

雲ひとつなく。

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 本日は桜も至るところで満開。とても気持ちのいい春の一日でした。対岸に沈む夕日もうっすらと霞がかかりなんとも絶景なサンセットでした。

豊公園の夜桜。

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 例年、豊公園の桜の季節は肌寒いのですが、昨日は、風もなく快適なお花見状態でした。

これこれ!

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 最近買った書籍「ActionScript3.0のドリル(ソシム/佐藤信正著)」。これは今後のWEBビジネスへのかなり生かせる、というか、この方向性が真だろうなぁ~ということの入口のテクを記載していると思います。それは、私がSEでないからかもしれませんが、プログラム畑ではない人間にとってこのアプローチはかなり冒険ではある。しかし、すでに若干の感触と危機感のベクトルがある状態では、この書籍の意義・価値は高い。逆にシステムエンジニアの方にないものは、企画や構想や販促物のリアリティーであり、ビジュアルやTIPSから手法を見出すアプローチがかなり欠如しているので、この部分がこのテクで少し融合すれば金棒に鬼なはず。せっかくプログラムの経験値や膨大なスキルを持った方がただただ雑多な畑を行き交っていることにもこのテクの意義があるように感じています。ただ、私はその畑は行き交っていないので実のところは想像の域を出ない。しかし、その畑の方とつっこんだお話をする度に感じることは、プログラムの方たちの知識は素晴らしい。そして、とてつもない時間をそのスキルアップに費やしておられる。これはもう尊敬の域に達する。しかしながら、そのテクをもてあましておられる感じもある。「私は絵が描けないので・・・」や「デザインや広告のことは・・・」とその畑の皆様はおっしゃいますが、そんな、絵なんて誰でも描けますよ。そんな、デザインなって感覚の産物ですから、オペレイトのスキルがあれば、誰でもデザイナーですよ。と言っているが、これはかなり本気トークなのである。明らかにプログラマーの方たちの取組みは尋常ではない。しかしながら、見えていない部分がかなり広いことも否めない。だから、仕事を通じていろいろな方とコミュニケーションしながら、いろいろなプロとチームを組み仕事のベクトルに変える作業が楽しい。時に自分の微力さを突きつけられることもしばしば、いや、かなりの頻度で辛い気持ちになるが、それも、それで、かなり刺激的でいい感じなのである。プロである以上、経験の長さや年齢の大きさではなく、そんな総合力で勝負したい。カミソリよりも鋼でありたいと願う。

新聞のキリヌキ。

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 「デザインの仕事は情報の収集が全てである。」と、東京時代のアートデレクションの師匠に若い頃言われた。それをずっと守っている。というかかなりエスカレートしている。時代時代によってその収集形態は異なるが、どの時代にも、仕事にとって有益な情報とそうでない情報がある。この目を養うためにも、意識下に置くためにも、アートデレクターがしなければいけないのは必要な情報の収集である。時には趣味趣向に片寄ることもあるが、それはそれとして自分自身のリアリティーとして生産的なベクトルに変換しなければいけない。特に情報化時代のデジタルコンテンツの恩恵は受けていますが、最後の最後で勝負を分けるのは自分自身にとってリアリティーのある情報(資料)である。無駄な情報はないという見方もあるが、無駄なモノを見切るチカラも必要なのである。若い経験値の浅いクリエイターはデザインの能力は自分自身の中から無限に湧き出てくると思っている。そして、結局、社会との接点を見失い精神的に孤立していく。孤立は時にダイナミックなドキュメントに展開されるケースがあるが、それを自分のスタイルとしてコントロールすることはかなりいろいろな意味でリスクが高く難しい。まぁ、「リスクありき」というスタイルに徹するならそれもスタイルですが、それは決してクリエイションとは呼ばない。その勘違いの境界線を自分の中に持っている方は最後の最後で「強い判断」をできると思います。私の場合、それは、以外と新聞のキリヌキだったりする。勿論、どっかに出た時に集めるパンフレットやチラシは膨大であり、それを整理することが自分自身の境界線を明確にする作業へと繋がっていると思う。ブラウザの中にある情報にリアリティーを感じにくいのはやはり人間ですから、五感が反応しない存在には脳も反応しないのでしょう。それを無理苦理情報だと認知させる訓練も時には必要かもしれませんが、それは、思っている以上に薄い。いつでもどこでもというが、PCのモニターの前にいるとこうことは一般的な方の日常生活においてかなり特殊な状況でり、モバイル端末がシェアを確保しつつあるが、それでもかなり特殊な状況だと言える。まず、PCもモバイルも「自然に見る」という意識で目に飛び込んでくる情報としてはかなり得意なケースしか存在しないように思います。ふと仕事場に来て、ふと自分の部屋に入っていつでも目に入ってくる場所に本当の情報はあり、それらの日常の中にある見慣れた情報こそが、無意識の中に蓄積してモノゴトの判断の際に趣味趣向として意識下に落ちてくるように思います。だから、キーを打たないといけない情報よりも、生活の中でいつでも目に留まる場所に貼ってあるチラシやメモの方が情報としてはリアリティーが高いと思いますね。
 また、情報は理解して消化されなければ、アウトプットできない。右から左なら猿でもしますから。この「消化」と「アウトプット」というプロセスこそが能力なわけですから、プロのクリエイターならこの部分が研ぎ澄まされていなければいけません。圧倒的にアマとプロの違いはこの部分。リアリティーのある情報を経験値の胃液で溶かし、伝えるべきターゲットに伝えるべきスタイルで伝えるタイミングでそれをアウトプットする。目の前にいくら数多の情報がスクロールしていても、そこからが勝負。
 以外と、新聞のキリヌキを見ているだけで、その瞬間のインスピレーションが蘇る。モニターのスクロールではなんかこの感覚が蘇らないのは何故でしょう?

2色咲く。

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 5色分の色の花が咲く球根を植えて、現在2色が咲きました。

奈良の桜は満開でした。

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 たぶん、昨日の奈良公園の桜はベスト状態だったと思うほどのマッチング。少し雨が降っていたものの、訪れた人はかなりタイミング的には満足だったかもしれない。特に海外の方たちは日本の一番いい春の風景に出会えたのかもしれない。

ケンカ!?

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 ケンカしているのか?奈良の駅を降りると、プ~ンとその香りがする。花粉の季節も相まって、言わば「奈良に来ました~」的な気持ちになる。おとなしくせんべいを貰っている彼らの姿を見ていると、この雰囲気は奈良だけのオリジナルだなぁ~と思う。管理している人や糞を掃除する人の苦労は計り知れないが観光客が訪れて、なんともこの鹿たちの歓迎力!?は奈良ならでは。
 で、ふと、芝生を見るとケンカ!?している鹿が二頭。じゃれあっているようなケンカですが、人が注目している。こんな歓迎力は他の観光地ではないだろうなぁ~。また、いっぱいいる鹿達の中にも、社交的な奴がいたり、可愛い子どももいたり、とにかく、鹿せんべいな奴もいたり、外人のカメラに囲まれてもどっしりとポーズをとって動かないモデルになりきっている鹿・・・。奈良公園のいつも風景かもしれませんが、この地に集まる精神的な人間エネルギーを感じてしまいます。物議をかもし出した例のキャラクターも街の通りの随所に立っている。ああ~人間って慣れる動物だなぁ~とつくづく思う。

大仏さんの存在感。

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 しばし呆然である。その存在感を感じるのはその場所だけである。確かにそこには間違いない歴史とそれを暖かく見守る現在の人の心が存在すると感じられた。奈良が海外の人たちの心を奪う理由がその場所に立つと実感できる。日本の歴史はやはり重厚で厳粛で壮厳である。目先のイベントや小手先の歴史の諸事をつむぐ程度ではなんとも子ども騙し。日本の各地に観光客の集客のためにそのような小手先イベントが多く存在するが、それらのリアリティーはこの大仏の存在感と比べればなんと小さい。いや、小さい大きいの比較ではなく、有無と表現してもいいぐらいの存在感の差である。それとそれを管理する見守る人の心の絶対的な熱量というか心のエネルギーの差がこの圧倒的な差を生んでいるように感じました。たまにはこんな場所にゆったりとした気持ちで立つこともいい。

朝食風景。

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 散歩中と何か食べている時だけは元気ですね。ほんと。

イチゴの花。

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 同じく、イチゴの花が咲きはじめました。植えた時は元気に大きな葉を伸ばしていたのが、冬の雪にどんどん枯れていった。これはもしかしてカボチャの二の舞!?と少し希望を失いかけていたのですが、最近、ふと見ると、小さい白い花を咲かせていました。決して、大きな実は期待しませんので、なんとかなんとか1個でもいいので赤い実を実らせてほしい。

5色のチューリップが、

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 寒い冬を越して、5色のチューリップの花が咲こうとしています。楽しみです。

風見鶏!?

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 出勤(自宅のとなりへ)時にふと空を見ると鳥が家の屋根にとまっていました。今日は暖かくなりそう、風も温かい。気持ちよさそうに今日の風でも見ていたのだろうか・・・。

新しい名刺完成。

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 初めてのカラー名刺が完成です。ということでこのブログでもヘッダーに入れている2004年に描いたイラスト(ペンと透明水彩)を表面に、そして、裏面は大好きな琵琶湖を入れました。

クラウドコンピューティングという概念。

 いつの頃かアナログなツールやギアがデジタルになり、仮想現実という言葉と共にデジタルによる創造物が感覚を刺激しコミュニケーションを凌駕する時代になった。インターネットの浸透が情報の本質を変えようとしている。本来の五感が持つコミュニケーションと端末を介して交換される熱エネルギーの間の摩擦はどちらかが優位性を持ちながら微妙なバランスを保持している。そんな時代のように感じています。本来、全てがアナログだった時代において知識や情報やノウハウはすべて人間の頭脳や身体の感覚の中にあった。が、それを代用するかのごとく、サーバがそれに置き換わろうとしている。メディアはどこへ向かうのか、それを人間はコントロールできるのか?SF映画の混沌はもう現実に偏在している。その概念こそがたぶん「クラウドコンピューティング」なんだろう。雲に例えるか・・・グーグルの創始者も素晴らしいイマジネーションである。
 で、この概念をどう受け入れ、どう恩恵に授かるのかが一番問題であり、空を見え上げていつも形を変えている雲のようにそれは私たちの五感を心地よく刺激してくれ、時に優しい気持ちにしてくれるのか?暑い日には影となり、乾いた日には恵みの雨を降らせてくれるのか?たぶん、そこまでそれ以上のことをこの概念を構想した方は考えているはず。仮想現実と雲。ますますマトリックスの中のカオスに振り回されるような気がします。まぁ、「振り回される」と「依存する」は同義語かもしれませんから、五感に聞くしか方法はないように思います。が、その五感さえもサーバの雲の下、鈍くなっているようにも思います。あのブクブクに太ったウォーリーの宇宙船の人間はあながち・・・。私はできるなら何かに汚染された地球でゴミを集めて暮らしたいと思います。