新聞のキリヌキ。

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 「デザインの仕事は情報の収集が全てである。」と、東京時代のアートデレクションの師匠に若い頃言われた。それをずっと守っている。というかかなりエスカレートしている。時代時代によってその収集形態は異なるが、どの時代にも、仕事にとって有益な情報とそうでない情報がある。この目を養うためにも、意識下に置くためにも、アートデレクターがしなければいけないのは必要な情報の収集である。時には趣味趣向に片寄ることもあるが、それはそれとして自分自身のリアリティーとして生産的なベクトルに変換しなければいけない。特に情報化時代のデジタルコンテンツの恩恵は受けていますが、最後の最後で勝負を分けるのは自分自身にとってリアリティーのある情報(資料)である。無駄な情報はないという見方もあるが、無駄なモノを見切るチカラも必要なのである。若い経験値の浅いクリエイターはデザインの能力は自分自身の中から無限に湧き出てくると思っている。そして、結局、社会との接点を見失い精神的に孤立していく。孤立は時にダイナミックなドキュメントに展開されるケースがあるが、それを自分のスタイルとしてコントロールすることはかなりいろいろな意味でリスクが高く難しい。まぁ、「リスクありき」というスタイルに徹するならそれもスタイルですが、それは決してクリエイションとは呼ばない。その勘違いの境界線を自分の中に持っている方は最後の最後で「強い判断」をできると思います。私の場合、それは、以外と新聞のキリヌキだったりする。勿論、どっかに出た時に集めるパンフレットやチラシは膨大であり、それを整理することが自分自身の境界線を明確にする作業へと繋がっていると思う。ブラウザの中にある情報にリアリティーを感じにくいのはやはり人間ですから、五感が反応しない存在には脳も反応しないのでしょう。それを無理苦理情報だと認知させる訓練も時には必要かもしれませんが、それは、思っている以上に薄い。いつでもどこでもというが、PCのモニターの前にいるとこうことは一般的な方の日常生活においてかなり特殊な状況でり、モバイル端末がシェアを確保しつつあるが、それでもかなり特殊な状況だと言える。まず、PCもモバイルも「自然に見る」という意識で目に飛び込んでくる情報としてはかなり得意なケースしか存在しないように思います。ふと仕事場に来て、ふと自分の部屋に入っていつでも目に入ってくる場所に本当の情報はあり、それらの日常の中にある見慣れた情報こそが、無意識の中に蓄積してモノゴトの判断の際に趣味趣向として意識下に落ちてくるように思います。だから、キーを打たないといけない情報よりも、生活の中でいつでも目に留まる場所に貼ってあるチラシやメモの方が情報としてはリアリティーが高いと思いますね。
 また、情報は理解して消化されなければ、アウトプットできない。右から左なら猿でもしますから。この「消化」と「アウトプット」というプロセスこそが能力なわけですから、プロのクリエイターならこの部分が研ぎ澄まされていなければいけません。圧倒的にアマとプロの違いはこの部分。リアリティーのある情報を経験値の胃液で溶かし、伝えるべきターゲットに伝えるべきスタイルで伝えるタイミングでそれをアウトプットする。目の前にいくら数多の情報がスクロールしていても、そこからが勝負。
 以外と、新聞のキリヌキを見ているだけで、その瞬間のインスピレーションが蘇る。モニターのスクロールではなんかこの感覚が蘇らないのは何故でしょう?