散歩中に富士山へ登る人は・・・。

 確かにいい表現ですね。ある書籍よりの抜粋ですが、「散歩中に富士山へ登った人はいない。」か・・・。なるほどそうりゃそうです。多種多様な価値観が行き交い飽和している状態だから、何をもって一番になりいのか、何をもって充分とするのかという規準・モノサシが自分自身の中にあり、その設定値というか振幅の中で自分自身の目標を設定でき、日々努力を怠らないことが何よりも素晴らしい取り組み方だと言っているのでしょう。例えば「コミュニケーション」という言葉の定義についても様々な価値観やベクトルが存在するので、「コミュニケーションがとれている。orとれていない。」についても何をもって実感とするのかが先入観や固定観念に押し流れていると、とれているようでとれていない、とれていたのにつながりを放棄する、みたいな結果になるのでしょう。「あたりまえ」や「品格」など時代のキーワードもたくさん氾濫していますが、このニュアンスも同位。富士山に登るのにはそれなりの準備と苦労が必要であり、富士山に登るという達成感は散歩では決して味わえません。
 で、仕事も同じ。自分にとっての「デザイン」とは「紙メディア」とは「WEBサイト」とはという自分の中にある価値であり存在感を常に吟味して取り組み進化させなければ、決して、「富士山クラスの仕事」にはたどり着けないのでしょう。高いだけが富士山ではないはず、苦労の度合いだけが富士山ではないはず。って試行錯誤して試行錯誤していつかエベレストに登れないかと、いつか、月へ行けないかと願うばかり。