音を突き詰めるということ。

 その分野での仕事の能力やスキルを誰しも高めたいと思っている。それはどの分野でもより高いレベルへ進化・進歩したいと願うからである。では、その努力の度合いは何と比較して実感すればいいのでしょうか。頭で考える目標値やビジョンは想像力の限りどこまで設定できるが、それを実現レベルまで引き上げるためにやらなければならないことは?今現在、それを達成した人が多くのメディアに登場し書籍や講演の場でそのプロセスを語る場面はよく見かけるが、なかなか伝わってくることは少ない。「伝わっていない。」「伝わっている。」と思える規準にも何か独特のコツがあるのでしょうけれど、それが「伝え方」なのか「伝わり方」なのかは未だに不明ですが、出来る限り自分自身の中にある何かと、世の中に存在していた、存在している、存在するだろう多くのサインを貪欲にリサーチして自分の中にリアリティーとして組み込みたいと思っています。
 で、映画「wall・e」のサウンドクリエイターさんのお話。この映画を観て思うことは人それぞれかもしれませんが、あまりにも多くの「創り手の楽しみ方」が注ぎ込まれ組み込まれているこの映画にDVDを観て舌を巻いてしまった。「創ることは苦しいが楽しい。」と映画のあらゆるシーンを観ながら、本編のドキドキ感と合わせて、頭の感覚がいろいろなことを受信し過ぎて麻痺している感覚になった2回目の鑑賞だった。1回目は映画館、2回目はDVDだったが、これがこの作品との始まりになりそうである。たぶん、ブレードランナーより、羊たちの沈黙より、トイストーリーズよりたくさん観る結果になるだろう。物語や絵づくりやキャラづくりはさることながら、その音の効果の重要性に改めて2枚目の舌を巻く。音だからこれはこうであれはああでとは分析できないし、分析しても仕方ないと一鑑賞者だから考えてしまうが、それでは「苦しい」も「楽しい」も手に入らない。だから、聴覚と脳の間にあるルートをできるだけクリアにして感じたいと思いました。特典映像の中でこの映画のサウンドクリエイターの方が音づくりを突き詰めるということに対する自らのこだわりや熱意について語っておられたが、その言葉ひとつひとつとその表情のなんとも印象的なこと。表裏一体である。中にあるモノは外に出てくるし、外に現れているモノは必ず中にあるというごくごく当たり前のことが一番難しい。何かを自分のベクトルで突き詰めるならこうありたいものです。