情報交換の綾。

 そもそも、伝えたい人とそれを受ける人がいる場合、伝えたい人にもモノゴトを伝える際のルールがある。また、受ける人もモノゴトを受け取る際のルールがある。情報がどのようなカタチで量でディテールで伝わる際の摩擦や浸透率はすべてこの伝えたい側と受け取る側のルールに依存する。ではそのルールとは何か?情報が飽和していなかったと言われた時代なら、その量も質もスピードも複雑なルールを必要とせずある意味オートマチックにスムーズに流れていた。しかし、「ルールが複雑になりました」「ルールが多種多様になりました」「情報が飽和しています」と聞かされると、それだけで、実際の部分、現実がそうでなかったとしても、人は先入観でルールを改変する。この小さな誤差が蓄積して現代が流れ動いている。そんな時代の「情報交換」とはどうあるべきなのだろうか。受け手のルールとは「知識や学力」「先入観や固定観念」「生活習慣」などであるが、これも確固たる標準値を計測するモノサシは存在しないし、その上限も下限もなく、地獄と天国の高低差があるだろう。
 で、すなわちの部分、「情報」の交換とは「感情」の交換のニュアンスが強くなる。「感情」がなぜ「情報」なのかとなるが、実は伝えたい「情報」を利用して本当に伝えたいのは「感情」であることが多い。すると、飽和しているのは「情報」ではなく「感情」であるということになり、これを踏まえると、「感情を伝えるためには感情に訴求する必要がある。」ということになり、「情報」は形骸化し形式的なツールになっていく。だから、表面的には混沌のように見えるが、実はその本質を見極めれば自分自身の感情さえ臨機応変に対応すれば、有益と無益、正しいと正しくない、好きと嫌いをしっかりと判断できるのではないだろうか。これが情報交換の本質であるなら、さて、クリエイターは何をすればいい?なんとかビリティーのルールでクリエイトしてていいはずがないし、SEO対策に翻弄する必要もない。それは全て結果であるから、感情を伝える時代に原因やプロセスを度返しして結果だけをリスペクトする知恵は出来る限りリミッターで制御できれば・・・と考えています。一事が万事。