観光立国という勘違い。

 世界遺産があれば人は訪れるだろうし交通の利便性が確保されれば人の出入りが発生するでしょう。しかし、それは物流のお話であり(経済として複雑に連鎖しているでしょうけれど)観光地として世界的な立ち位置を確保したことにはならない。オリンピックや各種の万博的なイベントことで人はある一瞬そこに集中するがそれは長い目で見た場合の経済にも文化にも慣習にもならない。例え琵琶湖が世界遺産になったところで訪れる人が「世界遺産だから訪れる」のか「何故世界遺産かを考えて訪れる」のだろうかと考えた場合、今、日本の観光業全般に携わっている人たちは前者の理由で人が訪れると考えている傾向にあるように思います。日本の観光面の魅力はそこには薄いように思います。歴史的な事物をシンボル化してそれに付随するハードに人を呼び込むという反応が起きている層というかニーズに対してはそれで充分かもしれませんが、「あめ攻撃」もあめがなくなれば終わり。まぁ、このタイプの起案に落ち着く方っていうのは、長いサイクルで物事を考えてますって言葉で言いながら、実はびっくりするぐらい短いサイクルで物事に取り組んでいる方が多い。つまり、長いと感じておられることが、絶対的な規準値において非常に短い場合が多い。これではそこの地にしっかりと根付く「文化」や「慣習」にはならないから当然の如く「経済」にもならない。つまり、「教育」にも繋がらない。しかし、最後の開き直りで「人が訪れないより訪れる方がいいでしょう。」という自分自身の視野や見聞や英知の限界を超えようと努力しない人は「人が訪れる」ことが目的になり「何のために訪れる」のかの部分が希薄になる。
 で、観光なんとかという事業がいつものことながら目白押しですが、日本の四季の移ろいが映えるのは中途半端なハコモノでも、メディアにコントロールされた仮想シンボルでも、一昔前の歴史の澱への回帰でもないと思うのですが。日本人は本当に日本の良さを知らないと言われてても仕方ないと思います。小手先の付け刃ではぬかに傷跡は残せない。それよりも、しんしんと降る新雪の上に、広大な砂浜に残る風の軌跡を見て人それぞれが何かを想えるような魅力にフォーカスしてほしいものです。