支持率と視聴率。

 「支持率」とは内閣への国民の期待度を示す数値であり、「視聴率」とは各テレビ局のプログラムがどれだけユーザーに見られているかを示す数値であるが、そのリサーチ方法とはどれだけ信憑性があるのだろうか?人間はとにかく物理定数に弱い。「12.8%」と言われて、もしかして12.7%じゃないの?と疑問を抱く人は少ない。そもそも物理定数を信じるのか信じないのかという議論はさて置き、これほどまでに一喜一憂する「支持率」と「視聴率」の錬金術(存在するとして)は誰がどのように管理しているのでしょう?その背景について興味がないし、関係もない(なくはないのですが・・・)ので、「へぇ~そうなんだ。上がったんだ、下がったんだ。」レベルの認識しかないのですが、毎日毎日、テレビや新聞で数字を仮定されると、さすがに興味がなくとも、頭の片隅に残る。この残!?感は何だろう???

 街頭で安易な文脈を恥ずかしくもなくスピーカーから流している演説の文脈には信頼とか不審とかというレベルではなく滑稽な###の王様以下のリアクションしか自分の中からは出てこない。でも、テレビや新聞で支持率XX%と知ると、ああ、そうんなんだ、けっこうある方なんだと、何の基準値も持たないくせに軽く反応している感覚が実はとても怖いような気がします。

 視聴率も実際はどうなんだろう?テレビ関係の人達はこれが全てだとよく言っているが、「全て」ってどこからどこまでを指して全てなんだろう。その方面の教育も受けていはいないし、情報も極端に少ないので、ああ、全てなんだぁ~と思うレベルで毎日スイッチを入れている。メディアの改革が進み、テレビなどの4大メディア(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌だったような)ばなれが久しいと専門誌やいろいろなメルマガで読むがそれもどこまで離れたら「離れた」とするのだろう?離れたと思っていいのだろうか?そのモノサシも見たことはない。でも、「4大メディアが危ない!」と書いてあると、ああ、危ないんだぁ~と緩く思って、じゃぁ、インターネットを中心にPCやモバイル端末やCATVや衛星放送などのレアフィールドが本丸に置き換わる時代が来るのかなぁ~とこれも緩く感じてしまう。

 で、いずれも、突き詰めないから緩い現実を打破できないのですが、緩い状態で「そこそこ」ならそれでいいという満足感が実はその全ての要因なのでしょう。いつの日かその「そこそこ」「ボチボチ」が成立しなくなったらそれこそ尻の火を消すために、真剣に一喜一憂するのでしょう。

 昨晩、テレビで片腕の剣士(剣道)が大きな大会で身長差20cm、体重差も大きな猛者と戦い、その相手に一本を左手一本で入れる瞬間の映像を観た。「片腕で剣道」。ハンデを感じさせないその戦いぶりに心が熱くなると同時に生きる上で一番大切なモノが見えたような気がしました。不屈の精神力とは簡単に言葉で言えますが、絶対に諦めない強い心はそう簡単に自分の中には入ってきません。彼が初めて片腕で竹刀を構えた時の心の震える音はいったいどんな音だったのだろう?巨体の猛者から大きな大会で一本を獲った時の心の叫び声はいったいどんな声だったのだろう?

 どう思われているか?どれだけ見られているか?は社会の中のメディアとしてコミュニティー文化として必要な指標ですが、そればかりそれだけを気にして、自分の中の「音」や「声」を無視したり黙殺したりしないようにしなければ・・・。