2009年08月 アーカイブ

印象派という美の装置。

 西洋美術の捉え方について日本への伝わり方は独特だった。それは大学の頃から気になっていてことあるごとにその道の書籍を読んだが、やはり、それは純粋な芸術の道からかなり逸れているような印象になってしまう。純粋にと言うがこの何を指して純粋であるかを限定することは非常に難しく、個として捉えるのか全体として捉えるのか、相対で捉えるのか絶対で捉えるのかと迷えば迷うほど答は手の届かない場所へ昇華する(そもそも芸術に対する答など手は届きませんが。)。だが、何かこんな仮にも情報化時代なのだから、そのきっかけになるようなヒントはどこかにないものかと常にそのテンションは持ち続けている。大学の時に「ドラゴンテール」という論文を構想したことがあるが、これが、今となっては、構想に構想を重ね、じっくりとまったりとワインのように芳醇になっていれば、いつか、どこかで、この構想をライトダウンしたものです。

 で、西洋美術、とりわけ印象派のお話ですが、これが、日本の既成概念とは比較にならないぐらいにディープでリアリティーがあります。それを、フィリップ・フック著の「印象派はこうして世界を征服した:白水社」という書籍で確かめたいと思っています。征服かぁ~、純粋はどこへやら。

グライダーの飛行能力。

 面白い本を発見した。著者 外山滋比古(とやま・しげひこ)氏の「思考整理学:ちくま文庫」という書籍である。¥520(税別)のこんなコンパクトな書籍の中にちりばめられた「知の源泉」である。まだ30%ですが、これがまた次から次へと素晴らしいフレーズの連続。そんな表面的な読み方ではないのですが、早く、次のセンテンスへということでちょっとななめになっています。

 で、最初のチャプターの最初のセンテンスが「グライダー」なんです。まぁ、詳しくは書籍を入手して読んでいただきたいのですが、いろいろな意味でいろいろな分野での「飛行能力」の出発点のお話です。といっても、実際、羽やプロペラやジェットエンジンを付けて~というお話ではありませんので、和歌山の社長その辺はあしからず。つまり、自力で飛べるか誰かからのきっかけありきで飛べるかというお話でした。これがまたまた、いろいろなモヤモヤを明確に洞察し気持ちのいい納得が押し寄せてきました。まだまだ、素敵なフレーズ(ゆるがない根底があるという意味で)がちりばめられているので、特に気にいった部分はこのブログで紹介させていただきます。

 そして、昨日の選挙結果を踏まえると、まぁ、どっちもどっちですが、やはり、本体がグライダーなんですね、これが。(木の葉丸かい!?)

世界で最も美しい女性。

 あるアンケートでこんな結果が出ていました。うん、私も納得。

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ネット通販の不満と満足。

 ある新聞のアンケートで面白い結果が出ていた。「あなたはネット通販で購入した商品で不満だった商品は?満足した商品は?」というアンケート。

 つまり、ブランドやWEBサイトの写真や情報で購入を決定したが実際の商品が手元に届きどう思ったかという基準である。私自身はネットで買うモノといえば、本とDVDと趣味の小物程度である。あまり大きな買い物はしないし、衣食住に関連するモノも購入した経験はありません。そもそも、衣食住に関してトルクが非常に低いのでネットショップorリアルショップでも大きな差はないのですが・・・。

 で、まず、不満だった商品は第1位「靴」、第2位「アクセサリー」、第3位「服」、第4位「バッグ」、第5位「インテリア・家具」となっていた。そして、満足度の高かった商品は第1位「書籍・CD・DVD」、第2位「水・ソフトドリンク」、第3位「化粧品」、第4位「酒類」、第5位「文具・雑貨」となっていた。まぁまぁ、「水」なんてネットで買う必要がそもそもないし、「化粧品」「酒類」はそもそも対象外である。となると、やはり、通常自分自身がネットショップで購入しているパターンと似ていることに気がついた。WEBサイトやネットショップづくりを仕事にしている人間が言うのも微妙ですが、特に「靴」や「アクセサリー」や「服」などは実際に自分の目や手で確認しなければ、そりゃ満足・不満の話以前だと思います。

 つまりのつまり、WEBサイトの臨界点がここにあるように思うのです。実際、明確に「満足と不満」というスケールで計測した結果、ある商品はディテールを掌握しにくいという結果。しかし、これをなんらかの方法で伝えられれば「不満リスト」の商品が「満足リスト」に組み込まれていくのでしょう。この部分がオンラインショップは勿論のこと、他の分野のビジネスシーンにおいてもWEBサイトの課題のように思います。「情報のディテール」がこの無機質な画面の中からどのように伝えられるのかという大きな課題ですね。

今日は選挙。

 今日は選挙。若い頃はほんとに100%無視していた選挙。少しだけ興味が出たもののさほど真意ではあの頃と変わってはいない。が、義務として一票を投じることには意義があると思うように努力していみるが、非常に微弱な権利である。とは言え肯定も否定もしていない。それが義務と権利なのかもしれないとは思います。誰かが何かのために創った言葉「義務と権利」。

 大阪人のノリで「なんでやねん!」というフレーズがある。これは英語に翻訳できないらしい。直訳なら「WHY?(何故?)」でいいように思えるが、微妙にニュアンスが異なるという訳。確かにニュアンスは違うような気がします。ユーモアに本質があるように、言語にも本質がありルールがある。「私はこう思うからあなたもこう思ってほしいけれど、それが無理ならば、また、このことを覚えておいていつか考えてくれると嬉しい。」このコニュニケーションのディテールには政治的なボキャブラリーで言うところの「共有」になるのだろうか?文脈が成立するステージが異なるとこうも真意がねじれるのだろうか。

 で、したり顔の党首がテレビのCMで何かを言っていた。特筆するようなことはなく、別段記憶に残ってはいない。ただ、こう思ったことだけは記憶に残っている。「なんでやねん!」

Flash 3Dアニメーション

 ソフトウエアの表現力は上位バージョンになるにつれて確実に上がる。仕事で使用するソフトウエアもいろいろあるのですが、かなり下位のバージョンでも活用術次第で表現力は維持できるし、同じ表現を求めるのにも時間や仕上がりの品質にこだわりながら、書き出しの仕様(印刷やコンパイル)も視野に入れると、作業効率も考え、そこそこのマシンスペックのプラットフォームで下位のバージョンで組み上げて、細かい仕上げやパブリッシュの部分を上位のソフトウエアで連携させることで早くクオリティーの高いクリエイティブが作れるような気がします。そもそも、クリエティブの高さ加減は作り手のポテンシャルに95%ほど依存しているわけですから、どれだけ、高位なプラットフォームと最新のソフトウエアがあったとしても、ポテンシャルが低ければ必然的に着地点は低くなる。この部分が意外とスルーされていることが多く、クリエティブの品質をプラットフォームやソフトウエアのテンプレートに依存している方(まず、プロのクリエイターにはいない。)は書き出させる作品の品質を箱(ハード)の中に探すのですが、そもそもが空なのに箱の中にサプライズがあるはずもない。入れるモノが宝石の原石かそこら辺の石ころかで加工後の品質や価値観が大きくことなる。ただの石を宝石に変えるのもノウハウ、ダイヤの原石をただの石ころ以下に変えてしまうのもノウハウなのある。この緊張感が言わばこの仕事の醍醐味であり、この緊張感から逃れたいと考える人は、デザイン・クリエティブという仕事をこの箱の中ではできない人だろう。だから、「デザインで活用するWEBサイトづくりで活用するのソフトウエアを教えてください。」とよく言われるのですが、その5%をどうするかがデザインの醍醐味ではなく、そこに入れる原石を何にするかの95%の部分が一番本丸なので、そうそう95%を全てその方のために網羅することも時間的にもモチベーション的にも不可能なので、5%の中の1~2%が臨界点である。

 で、「Flash 3Dアニメーション」の向こうに何かありそうだと最近は考えています。それは、箱の中に入れたいと考えているモノ込で。すでに疑似的な2.5次元は理解しているし、仕事で活用している。また、3DCGにつていももう10年近く取り組んでいるので大丈夫なはず(この世界は、DTP・WEB・DTV ect...と安泰感には決して辿りつけない・・・。)ですが、さて、プログラムでコンパイルされた3Dとはどんなものなのかを早くこの手で実感したいと思っています。それと平行にFLEXがあるわけですから、Flash 3Dアニメーションの場合も同意のコンパイルで創るわけですから、向かう表現の出口は大きく違えどもプラットフォーム環境としてはけっこう手の内側でゴリゴリできそうな印象を抱いています。

 さて、仕事がひと段落(することはないのですが・・・)したら3Dでシンプルなインターフェイスを創ってみようかなと思っております。ほんとにA.S.3.0の可能性って凄いと思います。

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FLASHが担うコト。

 「WEBサイト」とは何かということを常に考えている。それは、グラフィックデザインを始めた時に、「書籍」とは何か?「ポスター・パンフレットとは何か?」を一生懸命考えていた感覚に近い。その頃と明らかに仕事を取り巻く環境は変わっているが、発信する側も受信する側も何か根本的に変わったとは思えないし、インフラや端末のスペックが上がることで、どこか、情報応用力が上がったように錯覚してしまうが、現実は、手法としての便利さが多様になり、結果、ニーズも多様になったように錯覚しているパーセンテージが大きいのではないだろうか。ということは、そんな情報を交換している現状においてWEBサイトが何の目的で開設・構築され、どのようなニーズを捉え、具体的にどんな結果を出し続けているのかの部分のリアリティーを想定することで冒頭の「WEBサイトとは何か?」の答のひとつが出せるように思っています。

 プライベイト・ブランドという不思議なニュアンスの言葉がある。プライベイトとブランドはある意味反意語に近いのに、どちらかがどちらを飲み込んでいるようなニュアンスを受ける。相対的に伝えたいニュアンスはわからなくもないが、かなり、勢いで設定した価値観のように思える。ここで何が起こっているのだろう。見解はいくつかありますが、結局、発信する側も受信する側も~の下りに帰着するように思います。

 で、FLASHというWEBサイトを構築するためのツール(ソフトウエア)があるのですが、このツールで何を創るのか、アドビはどのような今後の情報コミュニケーション時代を視野に入れ、このツールでどこへ向かわそうとしているのか、もしくは、大きな潮流はどこへ向かおうととしているのかが、昨今、非常にDEEPになっているような気がします。それについては、まだリサーチ中なので、これとこれというふうに言及はできないが、明らかに「WEBサイト」による、絶対的なコミュニケーションの構図を、もしくは、「WEBサイト」という価値観を、ワンランク上に押し上げようとしているような気がします。つまり、2.0とか3.0とかではなく、もっと、クラスやランクを意識した階層になるような。これは、差別化どころの感覚ではなく、もう、「分類」というニュアンスも含有するような。さてさて、どこまでついていけることやら・・・。

はんにゃの川島ワールド。

 一時のお笑いブームはどうやら落ち着いた感があるように感じています。このブームでかなり多くのお笑い芸人やコンビが世の中に出てきましたが、ここまで氾濫すると淘汰されるスピードも尋常ではない。まして、テレビ業界がこんな情勢ですから、政治の勢いとお笑いの勢いが反比例するとは言え、昨年のような動きは今年はなく、落ち着いていくように思います。昨今のテレビ番組のイージーさがお笑いタレントの皆様にかなり依存している雰囲気さえも沈静化しているような。ここ数年のM-1グランプリはそれなりに面白かったし、上位3組の実力は素晴らしいと思います。私は2008年はオードリーだと信じて疑わなかったのですが、ノンスタイルはダークホースでした。という感じで今年はどのコンビだろうと考えても浮かんで来ません。それほど沈静化している。

 お笑いのネタ番組のクオリティーもだんだん落ちてきているように思います。これが大きなリズムなのか、ただ単に枯渇なのかという見方ができると思うのですが、総じて明らかにテレビ番組が面白くなく、海外のドッキリ映像や昔懐かし映像などを流してそれなりの面子でコメントを並べてる創りにどうも飽きてきました。そんな中、やはり、存在感を示す方たちもいて、こんな下降の時期だから面白いのか、それとも孤高なのかと、その人たちを見守っています。

 そのひとりがはんにゃの川島氏である。この方のポテンシャルはかなり高い。「おバカタレント」隆盛とは言え、例のクイズ番組の「おバカ」の皆様は非常に紙一重である。テレビで演出する「面白い」なのか「ただのノープラン」なのかが紙一重。しかし、お笑いは計算してもダメでしょうし、その方の持っている何かが「面白く」で、それをさらにプロとしてコントロールされているからお笑いタレントとして魅力があるということになるわけですから、ただ、バカでは、ちょっと辛い。MCの方の手腕だけが目立ち、ちょっと、竜頭蛇尾である。それもテレビ業界の構図なのかもしれませんが・・・。

 と、とにかく、川島氏の一挙一足は目が離せません。だって、あのコントネタの流れで、「頭を取ったら、ハッピーバースデー!」ですから。ジャルジャルの「サイン、長っ!」以来。やられましたね。引いては鳥居みゆきさんの「桃栗3年、千葉8分。」以来。かなり心を持って行かれましたね。

カエラ5周年祭「GO!5!KAELAND」完全収録でDVDが出ます出ますです!

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 楽しみ楽しみ。行きたかったなぁ~。

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考え方、考える場所。

 よく散歩中にアイディアが浮かんだとか、車の運転中に面白い企画が浮かんだとかっていう話を聞くことが多く、書籍でもそんな風なことが書かれていることが気になります。自覚的には、確かに、じっくり机に向って白い紙に気持ちを集中すればするほど頭の中が真っ白になるという経験があり、仕事で締切が迫っているのにまだデザインのアイディアが浮かばない浮かばないで冷や汗感覚は若い頃にかなり体験しています。企画を考える方法や構想やデザインを考える場所についても、考えることを仕事にしている人は確かにこだわっているように思います。資料を用意して大きな会議室で、さぁ、皆さんでこのイベントの自社の販売促進プランのアイディアや構想プランを考えましょうっても絶対にいいアイディアなど出てくる道理はないと思う。だから、以前に勤めていた会社で会議会議会議となると、別の視点で会議をエンジョイしなければ非常に無駄な時間になってしまうことに気がつき、会議を回す人やそれに反応しない人などを観察して、自分の意見はお茶濁し程度。これが一番頭が回る会議への取り組み方だったような記憶があります。これも、自分のスタイルが見えていたから、木を見ず森を見る方法であり、時に鳥目線になり時に昆虫目線になることで、会議を生産的に完結できる、言わゆる逆療養的なアプローチ。が、これがあからさまにエンジョイしてしまうと怒ってしまうタイプの会議の進行役や反対ばかりされていると感情がどうしても言葉に表情に出てしまうタイプの人が会議にいる場合はそこを上手く回さなければいけない。会議を回す立場になった時でもこの視線がかなり有効に働いた。つまり複数のことを同時に走らせている状態の脳の活性率と、ひとつのことに集中しなさい的な立場に自らを置いても自分は活性しないということにいろいろな経験値から気がつかなければスタイルは生まれないということ。特に場所と毎日の生産性を上げなければいけない場所ってのは本の並べ方や書類や資料の置く場所にもこだわりたい。引いていは椅子や机の色やメモの貼り方など「気になる」ってことは絶対に何かの理由があるので自分の一番いい状態にするために、場所を創る必要がある。そして、どういう状態でだったら自分は何を考え、どんなシチュエイションの時にどんな発想が出てきたかなどもメモしたりノートに記録しておくとそのことで新しいアイディアや処理方法が発想できる場合がある。

 で、その逆で、日頃から大変お世話になっているが、PCの中には何もない。発想を産むためのディテールも脳を活性化させる質感がない。だから、今では昔ほどPCやインターネットやソフトウエアには期待していない。これらは決定的に何かを考えてから望めば使えばいいと考えています。キーボードやマウスを使う前に目と頭と手で何かを考えるべきであると思っています。

日本の配色

 「われわれの祖先は四季折々の彩りに恵まれた豊かな自然の中で、世界に類を見ない繊細な文化を育んできました。特に色彩に対する微妙な感覚には、精緻にして大胆、枯淡にして華麗と、独特な優美さがありました。本書ではそのような「色の美学」を、日本人がもっている独特の美意識である配色をテーマとして探ろうとするものです。艶やかでヴィヴィッドな「色の世界」を心ゆくまで堪能してください。文:佐野敬彦」~書籍「日本の配色」WEBページより抜粋~

 確かに、類を見ない文化圏だと思いますし、色彩に対する感覚は高いレベルだと感じています。これを学問として捉える前に生活レベルで何気なく目にする環境で育っていることが間違いなく色に対するポテンシャルを上げていることはこの文の通りでしょう。まぁ、暑い夏が過ぎてそろそろ初秋モードになりつつあるタイミングでこのような書籍の情報をいただけるとなんともタイミングがよく、ちょっと、日本の配色について改めてこの編集アプローチをじっくりと拝見したくなりますね。

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THAT WAS THAT.

 これはBEGINの「笑顔のまんま」の歌詞の中に出てくるフレーズで印象的でとても気になっています。調べると「それはそれで終わり」とか「チャンチャン」というニュアンスが正解のようですが、その意味とは別に「それのことはその時のことだけでいいじゃん!終わったことでクヨクヨせずに、新しいTHISに切り替えていきましょう!」的なニュアンスを歌詞の中で受けた。因果関係のベースは精神世界での自我がベースにあり、この文化は西洋から流れ比較的文化圏ではこの思想が浸透しているということと深く関係し、その他の世界観を文化や宗教としている地域ではこのフレーズはまた異なった解釈になるような気がします。つまり「その時」とは個人にとってどういう意味があるのか。相対性理論的には軸のお話になりながらもなし崩しに「存在感の仮設」が引いては自我の上に成立しているような。

 で、「THAT WAS THAT!」と言えるってことは、そのずっと先からのIDを示されているような・・・。そんなことをこの歌を聞きながら感じてしまいました。とてもいいフレーズです。「BE YOURSELF!」と同じく、素敵なフレーズです。どこか何かで使おう・・・。

映画「コンタクト」。

 『コンタクト』(Contact)は1997年のアメリカ映画。カール・セーガンによるSF小説の映画化作品。SETIプロジェクト、人類と宗教、科学、政治、地球外生命、などをテーマとする知的好奇心をくすぐる壮大な娯楽SF映画に仕上がっている。と、ウィキペディアより抜粋。カール・セーガンは好きなSF作家のひとりですから、原作も読み映画を観ています。いろいろなタイプのサイエンスフィクション映画がありますが、サイエンスの部分でこれほど追求したお話を映画にしたという意味ではこれ以上のSF映画は非常に非常に少ないと思います。娯楽という部分ではこれまた非常にたくさんの映画が存在しますが、どれもSFという体裁をとりながら、サイエンスの部分を疎かにしているような気がします。科学者ではないので、科学がなんたるかなどとても語ることなどできないですし、実際、科学の現場にいる方がどうこの映画を分析しておられるかなどについてもリサーチしているわけではないですが、海外のSF小説をそこそこよんできたというレベル内での見解ですが、この映画の完成度は非常に高いと思います。まして、J.フォスターが出ているということもその印象をグイグイと押し上げている。よくぞ、出られたと。

 で、ここからこれ以前の科学についての映画表現についても、科学の進化と並走しているだけに、いろいろな宇宙科学や思想の部分での隆盛が深く関係しているとはいえ、特に地球外生物とのコンタクトというテーマを映画として表現する場合にとても科学的なアプローチが隙なく描かれていると思います。これに比べれば、宇宙空間での数多の戦争モノや空想の域から出きれない根拠や背景の緩い純粋な娯楽映画がSFとして定着している中、やっぱ、これが最後のSF映画だったような気がします。特にタイムマシンモノや生物学的なアプローチは全て空想の空想のような。マイケル・クライトン氏が他界された現在、SF映画として第1級の作品が今後どのような切り口で仕上がっていくのか心配です。映画が娯楽として映画館への動員やDVDのセールスばかり注視し反応する市場と比例する以上、SF映画文化やSF小説がF.O.していくとしたら非常に寂しい。

 余談ですが、今、楽しみにしている、「幸せの1ページ」ですが、J.フォスターの新作ということで期待しています。この映画の舞台は地球のようですが、精神世界と現実の世界を対比させながら、心の成長を~というアプローチも美しいのですが、別のアプローチもどこか期待しています。

 ひさびさにこの秋は、「乾きの海:アーサー C.クラーク」や「星を継ぐもの:ジェイムズ・P・ホーガン 」や「夏への扉:ロバート・A・ハインライン」などをもう一度じっくりと読み返してみたいと思っております。

悪意のあるソフトウエア!?

 最近になってIEの8をインストールした。他にもブラウザは4~5種を併用しているのですが、やはり、WEBやCMS確認用の中心はIEである。

 で、通常の流れでインストールダイアログ画面が表示され、完了までの流れが項目で表示された。「インルトールの準備をしています。」から「インストリーが完了しました。」までの確か5項目。その2番目の項目が「悪意あるソフトウエア」がインストールしていないかチェックしています。」と表示。この段階が想定以上に長いのでもしかすると・・・何かその対象になり、IEがインストールできないってことになるのではとドキドキしていたのです。仕事で使用しているソフトには全てシリアルがあるし、フリーソフトは関係ないし、一時話題なったメンドクサイソフトも入れてはいないし、セキュリティーも個人レベルで確立させているので何かのタイミングで入ってきているとも思えない。と、そのプロセスが無事終了して、「インストールが完了しました。」となった。

 しかし、その類のソフトウエアはマイクロソフトさん的には「悪意のあるソフトウエア」なんだと改めてびっくりした。それが個人消費であれビジネスモードであれソフトウエアを使うことに悪意と善意があったなんて。そういう存在を悪とここで公然と定義しているのがちょっと極端な表現だと感じてしまった。確かに不正に使用されているソフトウエアはたくさんあるでしょうし、不正か不正でないかを、何で判断しているのだろうか?と思ったことと、例えば、悪意のあるソフトウエアを使って悪意のあるビジネスを展開している人は悪人なわけでしょうから、この悪人は法律に対してどう対応しているのだろうか?そして、仮にこのチェック段階で「悪意あるソフトウエア発見!」となった場合、それを自動で排除するような仕組みになているのだろうか・・・などなど。ちょっとしばらくこのモヤモヤは頭の中のRAMに残りそう。

ラジオ体操あと1日。

 夏休みのラジオ体操があと1日となりました。今年は25日から2学期が始まるのであとラジオ体操は24日で終了です。2年前から参加するようになった近くの神社でのラジオ体操がここまではまるとは想定外。でも、毎朝、6時15分に起きて10分の緩いラジオ体操は頭も活性化されてとても体調もいい感じです。雨が多い今年の夏でしたが、無事、あと1日で皆勤です。

芸術と観光の連鎖。

 里山で開催される芸術祭。現代美術が過疎化した村落を変える、というのは成功事例をよく新聞や専門誌で見るがこの相関関係ははたして成立しているのだろうか。成立という言葉は適切ではないかもしれないのですが、芸術という感覚に触れたことのない方たちと芸術家が自らの作品でそんな方と触れ合い、里山の方たちは芸術作品を身近で感じられることで、新しいモチベーションに出会う。そこから先、何が生まれるのかが未知数な部分が感じられ、「成立しているのか?」という疑問が浮かんできてしまう。都市圏の大きな美術館でビックネームが海外からやって来て、いろいろな方たちが足を運ぶことは、逆に芸術家やその作品を世に知らしめるという志を持った方にしてみれば、いかなものかと思う。美術館への動員数が多ければいいのか?という疑問が浮かび、同様に「成立していのるか?」という疑問になってしまう。つまり、芸術がどのような状況で世の中へ浸透することが一番いいカタチなのだろうか?という根源的な疑問があるからです。大学の頃にもよくこのようなテーマで論文を書くためにいろいろな芸術論を読みましたが、結局、その時代時代に受け入れられる芸術とは思惑のレールの上に乗っているケースが多く、この状態が「にわとり」なのか「たまご」なのかと疑問のメガネがはずせない。

 で、昨今の芸術と観光の連鎖である。そもそも、連鎖する2物ではないはずのものを組み合わせようとするこころみというかセンスが素晴らしいのですが、どうも、水と油を透明なビーカーの中で一生懸命混ぜている絵が頭に浮かぶ。性質の異なる液体はいずれどれだけうまく混ぜ合わせようとしても、時間の経過と共に上下に分かれるんじゃないの・・・というメガネ。

 つまり、観光のディテールと芸術のディテールがインターネットやメディアクロスで一番本丸な質感を失ったものだから、頭で混ぜ合わせて素晴らしい液体、魔法の薬が完成したとでも思っているのか?シュミレーションの世界でゲーム感覚でこの2物を捉えている方は仮想現実から抜け出せないのではないだろうか。ずっとずっと、「仮想現実」について自分なりの答を出そうとしているのですが、それが見えない。この芸術と観光という連鎖にもそのことが思いのほか当てはまり、このことをしばらく考えることで自分自身にとっての「仮想現実」というテーマに対する答が出せそうな気がします。自分なりの解答が出ないのに、S.O.S.の皆様に「よろしくお願いします。」は決して言えない。

 芸術と観光の相関関係、メガネをはずして裸眼で見なければ・・・。

頭の健康管理。

 健康管理と言えば一般的なニュアンスは体重とか体脂肪とか血圧とか脈拍などが管理対象で、食生活や適度な運動などやその他いろいろな療法・手法・処方があります。まぁ、45歳ともなればいろいろなところがガタガタなので、無理をしない適度な運動や食生活についてもテレビや雑誌で健康にいいと言われている食材を積極的に摂っています。それでも、ちょっと無理をしたり、ちょっと風邪ぎみだったりすると弱いところがいっきに持っていかれ、健康な状態(自覚の範疇)になるまでに、少なくとも若い頃よりは3倍の日数が必要なことも意識しています。「無理をしない」「気持ちに余裕を持つ」とは言葉にするのは簡単ですが、なかなかそれが・・・。

 で、身体はそんな感じですが、頭はどうだろうか?と考える。「頭の健康」となると、身体同様に年齢からくるいろいろな反応がやはり意識下に落ちてくる。それとどう向き合うかということが、引いては頭の健康にリンクしているし、頭が健康だってことは身体も健康ってことになり、最終的に健全な心=健全な人ということで概ね間違っていないよに思います。

 現代人の脳の活性が鈍っているということをテレビや新聞や雑誌で読むたびに何を基準に「鈍っている」と言っているのか確認するのですが、それは、ほとんどの場合限定されていないことが多い。つまり、「鈍っている」とカマをかけアバウトに仮設を設定して、「売りたい商品」がその裏に隠れている場合が多いのです。こんな商法はさておき、現代社会、特に仕事においてかなりの頻度、パソコンやインターネットを活用していることが、逆に依存になり、応用力や反応スピードやアレンジ力が低下しているらしい。確かに、テンプレート上にインターネット内のテキストを並べれば体裁は整いますから。つまり、視覚もトータルで麻痺しているということでしょう。頭の健康管理はそんな視力からという定説もあります。これからの時代、「見えている」か「見えていない」が健康の次のフェーズを左右するのでしょう。

平和の誓い。

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 現在の日本がどんな歴史の上に成立しているのかそれを実感できる貴重な場所でした。

舞鶴港にて

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 停泊している自衛隊の船。それはずっと永遠にシュミレーション上の愚行であって欲しい、永遠に。

映画「幸せの1ページ」について。

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 昔は映画を観に行く時とか、新しい映画については、原作を読んだり雑誌でリサーチをそこそこしてから観に行くケースが多かった。そして、そのリサーチと実際の映画に対する感想の相違点に対してのみああだのこうだのと想いを巡らせて、酒の肴にしていたような気がします。でも、実はそんな映画の観方・楽しみ方はつまらないと思ってから、リサーチは最少限にしています。映画館に行く時間もなくったことでもっぱらDVDが多くなったのですが、それでも、リサーチはしなくなりました。

 だから、当然「ハズレ」にぶち当たる確率も高くなり、映画開始1~2分で、「あ~あ、失敗かも・・・」というケースも多々あります。でも、それはそれでアリなのかもしれないと粘り強く最後まで観るようにしています。すると、バッチリその開始直前の直観が「ハズレ」だったりする。それは、目から鱗でもないのですが、なんか不思議な巡り合わせ感が漂い、それはそれで得した気分になれるのです。やっぱ、頭でいろいろ考えてるだけじゃダメなんだと。

 で、この映画のリサーチはこのWEBサイトのトップページだけしかまだ見ていません。この映画に魅かれる原因はひとつ。J.フォスターが出ているから。その条件とトップページにあるこの写真とキャッチコピーからどれだけこの映画を観るまでのイマジネーションをふくらませられるかが、これまた、映画の楽しみ方のひとつだと思っております。「ブレイブワン」は微妙な終わり方をしたので、今でもその感覚が頭の片隅に残っていますし、「フライトプラン」はいいお話だったのですが、スッキリし過ぎでちょっと物足りない感じでした。さてさて、「幸せの1ページ」はどうだろう。

◎こちらで確認してみてください。オフィシャルサイトです。

期待はしているけど。

 そもそもWEBとは何だろう?と考えていた頃があった。今でも勿論今なりの技術や環境の進化に伴ういろいろな変化をリサーチしながら仕事に活用してはいるのですが。広告として従来の4大メディアが隆盛の段階ではインターネットが広告媒体になるなど想定もしていなかった20年ほど前、それはただのオンラインを活用した情報の伝達手段だった。それが、ここまで浸透し新しいメディアとして確実に進化を遂げ今後もこの流れは進化し続けるでしょう。しかし、いつか、テレビやラジオのように成熟期を迎えてメディアとしてツールとしての存在が落ち着き、またまた、次のテクノロジーが出てくるのでしょう。そんなところまで想像もつきませんが、現在、こうして仕事やライフスタイルに必要不可欠になったインターネットについて、さて、改めてWEBとは何だろうと考えています。ソフトの面で言葉巧みなコンサルタントの皆様はメリットを整理して背景や展望を語り合う。それがひとつの側面だったとしても、企業であれ個人であれ、その言葉を信頼した共感した段階から始めてビジネスがスタートする。これが言わば、ソフトとしての極端な価値観の創出でしょう。

 一方、道具・ハードとして4大メディアに迫る勢いを支える、デバイスの充実度との相関関係についてですが、携帯端末やデスクトップ端末などが安価になればなるほど、そのスピード感は加速して今日に至り、さらに、その勢いは世界を凌駕するでしょうし、その時に本体としての人間がどう活用するのかが一番の課題なのではないでしょうか。言わば、人間もハードに属するわけで、まだまだ、未知なる存在であるにも関わらず、それに対して絶大な信頼を抱いている側面から言えば、これからのビジネスに絶対不可欠な存在となるのでしょう。確かに便利以上の存在感が時にそれへの依存度に危機感を感じることも否めませんし。

 で、共感と依存の構図にしても、どうあるべきかとどうあって欲しいかの間に何本のラインがあるのかをしっかりと意識下に置きたいと思います。いつのまにかそちら側からチョイスされないように。あくまでもどんな状況でもチョイスする立場でいたいものです。誰だってそうですよね。

「GReeeeN」を聞きながら。

 不朽の名作というのが映画でも舞台でも絵でも芸術の世界には存在する。その道を志すと必ずそれは歴史の1ページとして知ることになるのが常である。それは、確かに時代を超えて人の心を持っていく。その持って行き方が普遍であり強烈であり純粋であることでそれは不朽の名作と呼ばれ、そして、これからもずっと呼ばれ続けるのでしょう。音楽の歴史については美術やデザインと比べると浅いことを認識した上で、でも、音楽は芸術のひとつジャンルとして捉え続けてきたつもりなので、それなりレベルではありますが、自分なりの名作の条件を持っていると思っています。

 で、最近、やはり、ごく自然に「GReeeeN」を聞くようになりました。今の若い子の音楽は的な気持ちはできるだけOFFにするように心がけているからというわけではなく、確かに今の時代に生まれたアーティストの音楽の中にもこれからたぶん不朽の名作となるだろう、なって欲しいと願う音楽がある。

 聞いていて「よくテレビに出ている」とか「売り線の企画モノ」とか「チャートの上に在るから」とかという理由ではなく、ただ聞いていて、音楽性や歌詞の世界観も含めてのその作品の存在感にごく自然に心を持っていかれる作品となるとそう多くなく、その中でも、これはずっと心に残るだろう・・・と思える「GReeeeN」の作品なのである。確かにルーキーズで入ったのかもしれないが、それ以上の持って行き感がありますね。これが不朽の名作になるにはまだまだ時間が必要ですが、リアルタイムに「GReeeeN」と同じ時代に生きていれたことを心地よく思える4名ですね。

 最近の感じでは、RCの「わかってもらえるさ」「スローバラード」以来なのである。

歩くこと。

 昨日は朝から暑かった。ラジオ体操の段階でもう真っ青な空、そのまま気温は上昇して、湖岸道路の気温計は36~38度でした。これは暑い。基本的にクーラーが嫌いなので運転中も窓を全開で走っているので、足から腕から汗がタラタラ。昼飯を食って30分の昼寝で午後の仕事へ。定時!?(7時頃)に終わり飯を食ってから、チョップ君の散歩へ。夜の8時でも気温は昼間の余熱が残っているような暑さ。ほぼ40分ほど散歩して最後にちょっと走ったら・・・身体のいたるところから汗が噴き出す噴き出す。そのまま風呂へ。

 で、体重が1.5kgも減っていた。ということはこれをあと数日繰り返せば体重が50kg台に・・・はならないだろうけれど、ああ、水分を取り過ぎる傾向があるので、逆に1.5リットルの汗が出たと思うと感覚として身体がすこし軽くなった気がして熱帯夜にもかかわらずコテンでした。歩くというこは基本の基本の運動なので続けられるし工夫次第で付加も変えられるので、「愛犬散歩健康法」も今の身体の状態には非常にマッチしているような気がしています。「ラジオ体操と散歩」で十分な健康が維持できればなんと安上がりなことだろう。

ウチのアサガオ。

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 家の西向きにネットを張りあさがおが繁殖中。ようやくグリーンカーテンになりつつあります。今朝はラジオ体操終わりでチェックしたところ赤い花がたくさん咲いていました。このままあとから植えた3つのプランタンの連中もグイグイと来ていただきたい。こちらの株はいろいろな花が咲く予定なので楽しみです。うん、夏の朝はやはりアサガオはじまりかなと・・・。

震度6弱。

 長い梅雨、それも豪雨を伴う亜熱帯地方のような梅雨がようやく明けたと思ったら、いきなり台風が発生して、今日の朝は静岡で震度6の地震が発生。長浜でも早朝6~7秒揺れていました。滋賀県はまわりを山に囲まれた地形の特性上、ほんとに台風の被害が少ない。しかも豪雨の被害もあまり聞かないし河川が氾濫したというニュースも聞かない。ほんとに自然災害が少ない印象を受けます。これは本当にありがたいのです。いろいろな国内の災害のニュースを見ると、もし、自分の家族がこのような状況になったら・・・と想像すると事の甚大さを痛感します。やはりこれも温暖化の影響なのでしょうか。明確な対策や対応策を国やメディアは示してほしいものです。個人レベルで対応できることなどももっと情報として提供してほしいものです。

嘘臭い土下座。

 選挙運動が活発になってきました。長浜でもそれが慌ただしく走っています。テレビで駅前演説で土下座をしている候補者がいた。嘘臭い。なぜこうも彼らの存在は嘘臭いのか。また、それをテレビで批評している芸能人や専門家も嘘臭い。そもそも「党」って何?通り一辺倒の説明や背景はいい。それ自体の本質としての価値を問いたい、「党」って何?そもそも「支持率」ともなんぞやという感覚である。嘘臭い土下座パフォーマンスを見せられても心の針は動きませんが、これで動く人もいることがそもそもこのパフォーマンスの狙いであるなら、それを実行しているマリオネットの中に重い責任感や清らかな使命感や機知に富んだ判断力や共和の本質的な意味を実行と応用と波及に変えるチカラがあるとは決して思えない。思えないのに、テレビカメラが撮影した段階でそれが例え嘘臭くともニュースになるから、あとで意義を考えることでその場をやり過ごす。この繰り返しでメディアの嘘臭いループがトルクを上げる。これでは、何をして「政治」と言えばいいのか、何をして「国家」と言えばいいのか、何をして「資本主義」と言えばいいのかまったく不明である。まぁ、それ以前にリアリティーがないDSの中のゲームのような感覚ですね。それを狙っていたら、これら全ての演出サイドの人間はとても優秀と言わざるを得ない。そんな嘘臭い土下座シーンでした。

くまさん1個。

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 このくまさんです。

AEON MALLへ。

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 間違いなく滋賀県で1番大きいでしょうね。さすがさすが、ちょっと近隣のモールにはない品揃えに日頃買い物には全く興味のない私でも結構見入る品揃え。で、5時間いて何を買ったのか・・・。

風車が涼しげに。

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 今日は朝から湖岸を走って瀬田のイオンモールへショッピング。途中の琵琶湖博物館の風力発電の風車が涼しげにゆっくりと回っていました。

オンラインとオフライン。

 オンラインとはインターネット内の言わば「クラウド」的な概念でありそのままそれは雲のようにどこかに所在があるがあたかも偏在する知能のように時間のように存在している何かと何かの間を行き交う価値観。このことは仮想現実とも言える確かにあるのだけれど質感のないデジタルデバイスへのインアウトで得られる1と0である。ここにディテールがないのが何故だろうとずっと考えているが、これは逆に理由が要らないから必然なのかもしれない。一方、オフラインとはオンラインネットワークでは行き交うことが難しい、実際の目や耳や鼻で得れらるインアウトである。この質感には何が存在するのだろうかと考えるとそれは言葉にすればリアリティーと表現できるのではないでしょうか。正確にはオンとオフではないのかもしれないが、便宜上、オンラインとオフラインを人間の知覚は驚くほど区別していると思う。これが昨今のデジタルコミュニケーションの弊害としていろいろ物議を醸し出しながらも進化進歩とその隆盛は疑う余地がないほど波及浸透昇華している。これに五感がどう反応しているかについて、やはり、デザインやWEB、広告・販売促進の仕事をしている以上、また、アートの世界に魅せられている以上、突き詰めて自分なりの答を探究し続けたいと考えています。たぶん、ゴールはないだろうけれど、探究することがこの世界に関わっている最低限のリスクであり最大限のメリットではないだろうか。まだ、このことをこと細かく分析できないが、ただ、紙面の色や文字や写真を組み合わせることがデザインではないと思うし、ソフトウエアが書き出す画像やHTMLがWEBの本質ではないと思っています。このかなり抽象度の高い考えがただの「迷い」なのか、それとも「至高」なのか・・・。できれば、後者であってほしいと願っている。

 というのも、「ミラーニューロンの発見」という書籍を読んでから、ひとつひとつの自分の思考を反芻したいと考えるようになりました。それだけを考え続けても別段生産的だとも言えないリアリティーも予見できるのですが、そんな思考パターンがあり、世界のどこかでそんな思考で万象を捉えて研究対象としている人を知った以上、せめてその意味や意義を自分自身の仕事に適用してみたい、適用できないかと考えています。

 で、こんな言葉が常に頭を巡り改めてこの書籍をチョイスして良かったと思うのです。いろいろ質感のある言葉がちりばめられていたのですが、中でもこの言葉には痺れました。それは、「人の言語とはその真意を隠すための最適な手段である。」と。

8月6日に思うこと。

 数日前、新聞で広島に原爆を投下した飛行機のパイロットがコメントをしていた。今、何を思っているかは別にどうでもいいことだけれど、一応、後悔はしていたような体裁での語り口調が、ああ、ワンパターンだなぁ~と。アメリカについてこんなブログで語る気持ちにはなれないが、多くの人が今でもその被害で苦しんでいる現実とどう個人として向き合うのかではあるのですが、本当にどの歴史を見ても人間の愚かな側面は本当に醜い。昨日は長浜では花火大会で夜空に上がる花火をぼぉ~と見上げていたのですが、明日は8月6日だと思うと、何千発の花火の火も重く思えた。

 「痛みと憎しみと悲しみの上にしか人は幸福を感じられない。」とある物語の登場人物が言っていたが、それも真理である。幸福の条件は共鳴することだけなのかもしれない。どんな技術もどんな文化もどんなに大きな経済力も=幸福ではないのだと思います。8月6日に思うことでした。

DTPからWEBへ。

 そもそも、すべてのくくりがグラフィックデザインの上に成立していると思いますが、DTPからデザインへ入った人やWEBからデザインに入った人にしてみれば、グラフィックデザインという考え方は何か必然に迫られてDTPやWEBを仕事にするために一通り通らなければいけないルート、基礎知識、チュートリアルのように捉えている傾向があり、例えば、専門学校も大学もそちら系(アートやデザイン系)を通ってきていない方は現場でソフトウエアを覚えた地点で「私はデザインをしている。」と思っておられる。これはある意味正しいのですが、その経験値と努力だけで必ずしも応用力のある発想力のあるデザイナーもしくはクリエイターだとは僭越なのですが言いにくい現実があります。「私はデザインのことに若い頃興味があり、自分でも時間に余裕がある時はイラストを描いたりするんです。」という方は、こちらも僭越なのですが、プロのグラフィックデザイナーでもクリエイターには属さない。そのタイプの方は「デザインが好きな人」「イラストが好きな人」なのである。では、専門学校や大学を経ている人とそうでない人との決定的な差は何か?それは、知識や経験や技術やセンスではない。それは「これに賭けてきた時間へのプライドと他の誰よりもいいデザインを創ろうとするガッツ」だけが違うのである。これは何もデザインに関してだけのお話ではなく他の仕事でも同じ。

 で、だから、同じ大学を出て、同じ経験をしてるのに、プライドやガッツのない人間がクリエティブの世界を離れ、その理由が何であれ、へらへらと金儲けをしてるのを見ると空しい寂しいを通り越して殴りたくなる。つまり、共に学んだあの時間や共に話をしたあの期間は何の意味があったのだと・・・。と、まぁ、20・30代ならこんなことも考えて、実際、手が出たこともありましたが、40も半ばになるとそんな奴のことはどうでもよくなる。そんな無駄なことに時間を費やしている暇は1秒もないからである。

 話がいつもようにずれてしまいましたが、グラフィックデザインを知っている人は意外と少ない。そのルートを踏んできた方でもどちらかと言えばソフトウエアでできることがグラフィックデザインになったり、FLASHでできることがWEBデザインになっている場合が多く、特に、視覚伝達について基礎の下りでもかじっている人はどんなメディアでも自分のスタイルを追求でき、やはり、出発点が偏っていると歩けるルートも細くなる。まぁ、これも他の仕事でも同じだろう。DTPからWEBへと同じベクトルでいろいろな分野の仕事も変革を求められてるが、全てを捨て全てを一新させる必要はないと思います。逆に「取り込む気合い」だけそのタイミングを間違えなければ、それで充分に変革と言えるように思います。だから、DTPでもWEBでもメディアでも「プライドとガッツ」があればいいと思います。あくまでもあくまでも私の場合。

模倣と学習の関係。

 書籍「ミラーニューロンの発見」がとてもとても面白い。「物まね細胞」が明かす驚きの科学~というサブタイトルのニュアンスで本体もとても面白い。ほんとにいろいろな脳生理学の書籍を読みあさってきましたが、どれも、概念的で仮説がほとんど。どれも人間の脳に近づいていく感覚が感じられないままずっとモヤモヤしていたのが、この書籍を新聞広告で発見して、「これはいいかも!」と入手したのですが、これがなかなかいい感じです。大きな意味ではこれも発見と言っても100%実証されているような感覚ではないのですが、ここから根本的な脳に対するアプローチのフレームが実は最適なように思え、非常に1ページ1ページ、まるで、自分の感覚の中に踏み込むような気持ちで読み進めています。イタリアの神経学者なので事例が世界的すぎるので確かにピンとくるというところまでなかなか瞬時に行けない辛さがある(自分の無知に起因していることは現実として・・・)のですが、それでも面白い。

 例えば、これは本文からの抜粋なのですが、「人間は好きなことをしていいとなったら、たいていお互いの真似をしだす。」とあります。これは、エリック・ホッファーの言葉らしいのですが、ここから、ミラーニューロンを洞察していく下りは圧巻です。これを何かの企画書や仕事のプランニングに活用したいと考える以上に社会心理としてのこのアプローチはあらゆることに関連づけられ、目からうろこレベルのリアリティーを超越したところで何か新しい創作に活用できないかと・・・。逆にこれを意識し過ぎてノイローゼにならないように注意注意。しかし、時に無知で楽天なタイプはこの程度では鬱にならない特性があり、鬱を逆に楽しむようなストレスジャンキーなところで適度にミラーニューロンについてリサーチをしているていなのです。

 で、模倣と学習の関係は非常に面白かったので、また、このブログで紹介します。

梅雨が明けたようです。

 昨日は暑かった。もやもやしたり突然の豪雨という7月の雨の空ではなく、夏らしい熱い一日でした。たぶんこれで梅雨が明けたのだろうと思っていたらやはり関西は梅雨明け宣言が出た。記録上、7月の降雨量は観測史上最多だったそうである。またまたこの結果を踏まえて「温暖化対策モード」が加速するでしょう。ひとつひとつの事象に対して的確なジャッジができ然るべきプランが構想され実動・発動すれば例え結果がどうであれ「やりました感」的には満足。これが意味があるのかないのかということで立ち止まるよりも動いた方がよしと考えるタイプが=人間のようですから、何もしないより何かしなければ・・・であとは野となれ山となるである部分はそれでいいのでしょう。けれど、壊れたら直せばいいだけでは「学び」の絶対数が寂しいような気がします。

 これが、集客というベクトルになった場合、人が集まれば中身がなくとも楽しければいいじゃん的なイベントと、今後いろいろな波及や訴求の可能性を見越してレアでディープな人に対して何かのアクションをという選択肢に迫られた時に迷いに迷ってとりあえず前者へ、というパターンが比較的多い。この場合目的はたくさん人を集めるということなので目に見える利点や期間がイベント当日であるから、まずは、目標値をその瞬間に設定できるという安易さもあるのではないだろうか。しかし、継続性という点でこの取組は断続的過ぎ結果が出て目に見える達成感には彩られるがそこから先は「また来年」なのである。これがそれなりに昇華したカタチが数多の祭りごとなのでしょう。祭りを否定するわけではなく、瞬間風速を心地よさとする経験値が乏しいからこう考えてしまうのかもしれませんが、どうも、そのあたりのベクトルに心底、骨身を削る気にはなれない。梅雨が明け、祭りの季節夏。いい汗もかきたい気はするが、自分の立ち位置も気にしたい。

 で、基礎体力維持と夏バテ防止にと毎朝のラジオ体操を頑張っています。昨日と今日はたった10分の体操でうっすら汗をかいた。ささっとシャワーをあび朝食をゆっくりとって仕事開始。この状態でこの頭が何を感じて何を考えるのかと、しっかりキャッチボールしたいと思っています。

 藍ちゃん3位、残念。

夏の空。

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 長浜は今日は朝から夏の感じです。空も重いグレイな雲もなく、雨の気配もなし。夏の雲がモコモモと。車で湖岸を走っていると気温が35度まで上がっていましたが、日差し的にはもっとありそうな感覚。やっと、8月になり夏の1日という感じです。このまま変な亜熱帯のような豪雨モードはなくなるのでしょうか、なくなってほしいものです。きれいな夏の空でした。

「ウェブデザイン見本帳」オブスキュアインクス著

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 DTPからWEBへテクノロジーが変化し新しいメディアと呼ばれ何か根本的に価値観が変化したように思えるがそれはただのかげろうである。WEBという薬でふわふわしたいならたぶんこの書籍は必要ないだろうし、コンサルティングやエンジニアの論理や方法論をただステレオタイプに具現化するならふわふわした抽象度の高さで勝負した方がメディアとして成立するだろう。空間を演出したり、伝えたいことを整理するためには、何ごとにおいても「基本と応用」の視点が不可欠である。非常に仕事に有益で活用度合が高い以上に編集の品質が高い。この手の書籍にはいつも反応できずに書店の棚に戻しているが、この書籍は非常に根本的な部分を理解してWEBに対してアプローチしていると感じられた。内容も印象も品質もとても「美しい」書籍ですね。

「ミラーニューロンの発見」マルコ・イアコボーニ著

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 「模倣は「言語や文化、他人の心を理解する能力など、ほとんど人間にしか見られない特有の知性に根本的に結びついた稀有な能力」」であるとこの著者は語っている。この意識がどれだけ自己の世界を整理し拡張し安定させるか計り知れない。それは、時に目的であったとしても手法だったとしても、そこに議論の意味・意義はなく、ディテールや質感や印象の裏にある人間の真理が見てみたいと思う。思ったからこの書籍をリサーチし日本人著者のアプローチではなく翻訳本にした。難解な表現が多いがその分ディテールがある。面白いアプローチです。

Perfumeというアプローチ。

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 若い頃、おじさんやおばさんが「イマドキの若者の音楽はどれも同じ~」みたいなコメントを聞く機会で、いえいえ、同じではないですよと突き撥ねていたが、さて、45歳になり、現在の売れ線の音楽をどう捉えるているかがとても自分自身気になる。アラウンドXX的なコンプリートアルバムは一切聞かないし、企画CDやカバーCDも聞かない。そこには雰囲気しかないからである。聞きたいのはそのアーティストが発信している、もしくは、そのアーティストに関連している作り手の何かだからである。企画商品に心が動かないのはそのような理由からです。

 で、Perfumeのセカンドアルバムが出た。このクオリティーはとても高い。アイドルには心が動かないので、一切聞かないが、アルバムを買うレンタルするという基準で言うなら、今も昔も自分の軸は同じだと思っている。古き良き懐かしい音楽もストーンズやRCサクセッションなども聞くが、やはり、新しいベクトルの音楽はいい。

 テクノというジャンルについてはさほど思い入れはないのですが、他の緩いタレントCDや企画ネタとは比較の対象ではない。心地いい完成度の高い音楽が詰め込まれている作品です。まぁ、テレビ的にこの3人はキャラが前に出ていますが、いやいや、それはただの「ツカミ」のようですね。

◎こちらで確認してみてください。オフィシャルサイトです。