芸術と観光の連鎖。

 里山で開催される芸術祭。現代美術が過疎化した村落を変える、というのは成功事例をよく新聞や専門誌で見るがこの相関関係ははたして成立しているのだろうか。成立という言葉は適切ではないかもしれないのですが、芸術という感覚に触れたことのない方たちと芸術家が自らの作品でそんな方と触れ合い、里山の方たちは芸術作品を身近で感じられることで、新しいモチベーションに出会う。そこから先、何が生まれるのかが未知数な部分が感じられ、「成立しているのか?」という疑問が浮かんできてしまう。都市圏の大きな美術館でビックネームが海外からやって来て、いろいろな方たちが足を運ぶことは、逆に芸術家やその作品を世に知らしめるという志を持った方にしてみれば、いかなものかと思う。美術館への動員数が多ければいいのか?という疑問が浮かび、同様に「成立していのるか?」という疑問になってしまう。つまり、芸術がどのような状況で世の中へ浸透することが一番いいカタチなのだろうか?という根源的な疑問があるからです。大学の頃にもよくこのようなテーマで論文を書くためにいろいろな芸術論を読みましたが、結局、その時代時代に受け入れられる芸術とは思惑のレールの上に乗っているケースが多く、この状態が「にわとり」なのか「たまご」なのかと疑問のメガネがはずせない。

 で、昨今の芸術と観光の連鎖である。そもそも、連鎖する2物ではないはずのものを組み合わせようとするこころみというかセンスが素晴らしいのですが、どうも、水と油を透明なビーカーの中で一生懸命混ぜている絵が頭に浮かぶ。性質の異なる液体はいずれどれだけうまく混ぜ合わせようとしても、時間の経過と共に上下に分かれるんじゃないの・・・というメガネ。

 つまり、観光のディテールと芸術のディテールがインターネットやメディアクロスで一番本丸な質感を失ったものだから、頭で混ぜ合わせて素晴らしい液体、魔法の薬が完成したとでも思っているのか?シュミレーションの世界でゲーム感覚でこの2物を捉えている方は仮想現実から抜け出せないのではないだろうか。ずっとずっと、「仮想現実」について自分なりの答を出そうとしているのですが、それが見えない。この芸術と観光という連鎖にもそのことが思いのほか当てはまり、このことをしばらく考えることで自分自身にとっての「仮想現実」というテーマに対する答が出せそうな気がします。自分なりの解答が出ないのに、S.O.S.の皆様に「よろしくお願いします。」は決して言えない。

 芸術と観光の相関関係、メガネをはずして裸眼で見なければ・・・。