印象派という美の装置。

 西洋美術の捉え方について日本への伝わり方は独特だった。それは大学の頃から気になっていてことあるごとにその道の書籍を読んだが、やはり、それは純粋な芸術の道からかなり逸れているような印象になってしまう。純粋にと言うがこの何を指して純粋であるかを限定することは非常に難しく、個として捉えるのか全体として捉えるのか、相対で捉えるのか絶対で捉えるのかと迷えば迷うほど答は手の届かない場所へ昇華する(そもそも芸術に対する答など手は届きませんが。)。だが、何かこんな仮にも情報化時代なのだから、そのきっかけになるようなヒントはどこかにないものかと常にそのテンションは持ち続けている。大学の時に「ドラゴンテール」という論文を構想したことがあるが、これが、今となっては、構想に構想を重ね、じっくりとまったりとワインのように芳醇になっていれば、いつか、どこかで、この構想をライトダウンしたものです。

 で、西洋美術、とりわけ印象派のお話ですが、これが、日本の既成概念とは比較にならないぐらいにディープでリアリティーがあります。それを、フィリップ・フック著の「印象派はこうして世界を征服した:白水社」という書籍で確かめたいと思っています。征服かぁ~、純粋はどこへやら。