2009年09月 アーカイブ

ブログの効用について。

 今、ブログはどうなっているのだろう?以前ほど芸能人のブログのヒット数がどうのとか、ブログ本がどうのこうのとは話題になっていないような気がしますし、ビジネスの現場でも「ブログを活用して~稼ぐ!」みたいなテンションも希薄になっているような気がします。一方、脳についての書籍やビジネス書が目につきますが、あまり「脳」というフレーズを温めすぎると足元がすくわれるような気がします。まず、その類の書籍を書店で手に取り、「はじめに」から「INDEX」に目を通し、気になる記事を数本立ち読みチェックするが、かなり、偏っている上に入口に入らせるために「~脳」っていうフレーズを連呼しておき、あとは、自分の世界観をプッシュしてくる感覚がある。この段階でその書籍は元の場所に戻すことになる。しかし、書籍選びはエンジン検索とは違い自分自身の指標が明確でなければ目的に到達できないので、結果、一連のチェックを無事クリアしてレジに持っていく書籍には、これらの「なんとか脳」や「お金をためる~」「成功のための~」などの書籍にはない質量がある。

 決して、エンジン検索結果が均一化される上、例え最新・最適なアルゴリズムで表示を決定している仕組みになってるとはいえ、それが、個々のニーズ全てに適用されるとは考えにくい。それが、クラウドコンピューティングという概念が浸透してデータの所在が不安定なパソコンからセキュアなサーバに置き換わったとしても根本的に何かが変わることはないだろう。これほど個人情報について慎重になっている時代においても、結果、コンピュータウイルスよりもたちの悪い人為的な漏えいが情報を大切なBOXからこぼしているいる現実。結局、そうなれば、そもそもの部分で一周回って、「個人情報」という概念やさらにアイディンティティという概念さえ、うすっぺらい存在に聞こえてします。全てが人為なら人為の仕組みには100%がないということになり、同位に0%もないことになる。

 で、ブログがウイルスのように蔓延していることは、さて、「文化」なのか「慣習」なのか「偏在」なのかをそろそろ見極める時期に入ってきているような気がします。「進化だ」「不可欠必須だ」「ビジネスツールだ」と言っているうちはまだまだ疑問や改善点もあるような・・・。

ケータイサイトのデザイン。

 やはりケータイサイトもPCと同様にリサーチすればするほど奥が深いというか裾野が広い。どこまでもどこまでも広がっているような感覚であり、同様に広い部分と高い部分があり、高い部分は多くは存在しないのですが頂が見えないほど高い世界のような気がします。感覚的に高いというか深いという感覚もあり、ではでは、クリエイターとして「登る」のか「掘る」のか、はたまた、草原を探すのか・・・?

 この感覚はビジネスに限らずあらゆる分野で起こっている現象であり、土着の地の利がビジネスを左右していた頃はなんとか組合やなんとか団体やなんとか協会に所属してこそみたいな意義がありましたが、それが、底が抜け、空が実は平面ではなく、無限の彼方だったことに気がついた太古の科学者たちのような感覚で、青い天井をグラグラの大地の上で見上げてるような構図イメージの専門家は多いのではないでしょうか。政治に限定したり宗教に限定したりすることではなく、確実に情報の網に包まれ地球は小さくなっているし宇宙に手が届く時代になったような感覚は昔のSFチックな部分からかなりリアリティーがあるように思う。

 で、携帯サイトのデザインがどこに向かうのかは不明であり、実際、インターネット文化・技術の一番先頭を走っている方たちは何を考えておられるのでしょう?どんなに技術や知識を持った方でも一番最初に動くための「incentive」は「気持ち」や「心」でしょうし・・・。確か何かの書籍でゲイツが「incentiveが大切」「incentiveがあらゆることを左右する」と言っていたのはその背景があるからでしょうね。

この弾け方!!!

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 この映画はあまり評判は・・・、だけど必見ですね、やはり。この弾け方は最高。

第4作目もマットで・・・。

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 第4作もぜひぜひ、マットでお願いしたいです。迫力あるのは間違いなく彼だからだ。

Webデザイナー白書2009

 意外と年一回のこの企画が楽しみで、今年で9年目とのことですが、専門誌「Web Designing」の企画「Webデザイナー白書2009」からコネタをひとつふたつみっつ。

 まず、昨今のWebデザイナーさんの年収となると400~499が一番多くて全体の26.3%でした。その下も上も100未満から2000以上まで多く散らばっているのですが、圧倒的にこの辺が年収の目安ということになっているようです。月収にして40というところなのでしょう。で、どこまでをWebデザイナーというかが問題ですがWebデザイン、コーディング、プログラム、マルチメディア、コピーライト、ビジュアル制作など多くのプロが関わる仕事だけにただ「Webデザイナーの年収」っても、Webプロダクションの社長と新卒のWebデザイナーさんを同じ畑で比較しても意味がない。そもそも、年収で比較することにあまり意味も意義もないのですが、まぁ、便宜上ということでしょう。

 二つ目、以外とMAC-OS Xがシェアを伸ばしているという事実。2007から2009の3年間を比較しても数%ですが伸ばしているという事実。これは少し驚きです。私の感覚では毎年グイグイとXPに侵食されているイメージでしたので。以外と頑張っているのですね。しかし、今さらXPからMACに変える意味はないと感じているので、このまましばらくはXPでどこかでSEVENが嫌になったら、MACに戻るかもしれませんが、今のところXPで問題ないように思います。この比較、2007からってのがミソかもしれませんね。この企画が9年目なら初年度からこの比較をすればいいのに。この業界、MACはSMAPなのか?!

 三つ目、アンケートのタイトルが「習得したいものベスト3」ということで、これも2007年から3年連続で第1位が「Flashによるリッチコンテンツの作成」である。やはり、ここは不動でしょう。もっと細かく言えば今、漠然と「リッチコンテンツの作成」となっているが、この中は予想以上に多岐であり多様です。この分野で何をもってリッチとするかなど千差万別に近い振幅がありますから、第1位は不動としても、習得したいと考えているというこうとは習得の前段階なわけですから、ここにWEBに関わる人たちの興味やベクトルが向かっているとうことは、ニーズが反映されているという同位に考えられる。「リッチコンテンツ」とは「センス・アイディア・企画」と「デザイン力」と「データの構造(プログラム各種)」が三つ巴である必要があると思います。つまり、学校では学べないのですねこの「リッチ」という本当の意味が。ロッチじゃないですよ、「ちょっと待ってくださいよぉ~!」じゃないですよ。

進化するケータイサイト。

 PC上のWEBサイトの新しい技術に追随しながらの試行錯誤がすでにかなり苦しいのに、ケータイサイトの進化とは何?そういえばアップルもあんな感じですし、ソフトバンクも・・・。つまり、次から次へと新しいキャリアに移り変わりながら時代が進むという仕組みだろうか。いずれ追いかけられなくなる日も必ず来るだろうから、その日のために何か不動の技とテッパンの仕組みが欲しい。これさえ仕込んでおけば安泰みたいな・・・、うん、そんな仮想現実はゲーマーさんたちにお任せして、やはり、創る人は創る人たちで、歌う人は歌う人たちで、考える人は考える人たち同志でゴソゴソやろうじゃないですか!頭のいい人は頭のいい人たち同志でヒソヒソすればいいし、腹が黒い人は腹が黒い人たち同志でグリグリすればいいんじゃないでしょうか・・・。

 で、さて、自分は「何同志」かが見えていればいいのではないでしょうか。ケータイサイトがほんとに進化してるとしてさて、なぜそんなに進化進化進化と進化が全てみたいなニュアンスになるのでしょう。なんでもかんでも「進化」って言ったほうが勝ちみたいなことでしょ、たぶん。

だから、新書を読みなさい、か。

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 たぶん、この著者とはかなり気が合うことだろう。昨日夕方に購入して3時間で精読できた。この中にちりばめられた言葉のひとつひとつが身体の真ん中の部分でシンクロできる感覚。これはなかなか最近でいうと貴重な一冊です。この書籍は総括すると「情報を逆張り」してインプットすることで情報の荒海におぼれない水泳技術を養いましょう!というコンセプトであり、非常に「今」が記述されている。とはいえ、古い情報を捨てようというわけではなく、ちゃんと価値ある情報はリスペクトしている。が、やはり、書籍に関わる人であり、これも、この書籍の全体の構想上の便宜上の結論かもしれないが、WEBサイトの検索機能をしっかりと分析し、この方の言葉でしっかりと洞察している。この部分もとても共感できた。また、書籍文化の中においても「ベストセラー」とは何だろう?という分析を展開されている。確かに、私もベストセラーはあまり読む機会はなく、いつも、書籍の一番目立つところに置いてあるそれを観て、「ああ、10年後覚えていたらゆっくり読もう。」とスルーする。そして、35歳の頃にそう思ったであろう書籍を書店で探してみてもWEBで検索してもすでに絶版になっていることがあり、古本屋で探すほどその存在に興味はなく、そのままになることもしばしば。だから、ある一定期間「想い」を熟成させることは非常に意味があるということになる。この部分もこの著者と同感だった。そして、何かの書籍に書かれていた言葉で「家は借りて住め、本は買って読め。」という言葉が好きで、家については転々としているが、必ず、本は買うことで自分の一部になるような、それは本能の部分なのかもしれないし、精神衛生上の能力かもしれないが、ほぼ間違いなく借りた本は読まない。つまり、「READ」と「RESEARCH」は違うということでしょう。

 で、新書をあるテーマで3冊同時に買って読めとこの著者は言っているのですが、それは、ひとつのアプローチとしてやってみる価値はありそうですが、そんな乱暴な読み方はしたくないのが本心である。短い尺の目的のために大切な時間を使って本を読んでいるわけではないので、このやりかたはたぶんこの書籍の著者のように本に関わるプロのアプローチだと思いますね。が、これに近いことはやってなくもなく、私の仕事場や部屋には単行本、文庫本、新書、専門書、専門誌、図録、写真集などが一見なんの規則もなく棚に収まっている。カミさん曰く、「ちゃんと整理し~いや!どこに何があるか分らんやん!」と。が、分るのである。確かにしょもないメモをどこかにやってしまいイライラしながら探している時はカミさんの言葉が身体に突き刺さるのですが・・・。が、そんな風にほとんどの場合書籍は最後まで読むのですが、専門の学術書やソフトウエアのテキスト本などは完全に読み進め完了ではない種類の書籍なので自分のルールで本棚に置き読みたい時に読める距離を保つ。しかし、仕事場にも自分の部屋にも完全に途中まで読んで放置されている書籍はある。それがどのような内容でどこまで読んだかなど思い出せないぐらいなのですが、シオリを開けばそのページまで読んだことが一瞬で蘇る感覚が心地いいのでかなり複数の併読をすることが多い。だから、3冊限定で併読しろと言われても唯一この書籍の中で共感できなかった部分ではある。

 で、改めて「新書」というジャンルの書籍の効果を知ることができ、多くの共感を得られたこの書籍は2009年度のBOOKS-BEST20に入ってくるだろう。

 最後にこの書籍からの抜粋としていいフレーズがありましたので紹介します。他は買ってください。ネットを使えば情報はいくらでもという時代ですが、しかし、その一方でこんな現実があると著者は言っています。「自分の判断で情報を選び取り、自分の考えを作り上げることはとても難しくなっている。」と。いかに「情報の順張り」が偏ったアプローチかという警笛であり、否定か肯定かではなく、自分なりの軸を持ち、バランスのいい情報のインプットに心がけをしようと著者は言っているように思いますね。

U2はいいです。

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 いつ観てもU2はいいですね。全く。

寺西化学工業さんの新商品!

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 絵の苦手な人でも自分だけのオリジナルバックが作れる~というフレーズに反応する方は多いのではないでしょうか。実際絵を描く楽しさは完成品の品質よりも、自分で絵柄を構想しどんなイメージにするかを考える段階がまず楽しく、さらに、画材選びや描くモノ選びが楽しいと思います。しかし、まっ白い紙やキャンバスを目の前に手が止まってしまうというお話もよく聞きますし、そういう流れでスムーズに入口をクリアできればあとは自分の世界で自由に作品づくりができるとなれば商品の価値は高くなると思います。水性マーカーの発色は他の画材にない魅力があり、絵の具をパレットに出して混ぜたり薄めたりする必要もないわけですから、市場が反応すればこの商品は定着するのではないでしょうか。年配層や中年層に「油絵購入」が少しブームになっているらしい。絵に親しむ文化ってやはりデジタル文化には感じられない感情の豊かな振幅があると思います。一枚の絵が部屋にあるなしでライフスタイルに気持ち的なゆとりや精神的な安定感が得られるのも絵の効果ですし、「激しさ」や「強さ」を込められた絵に出会えば何か人生を変えるようなヒントになるかもしれない。「絵」を志していろいろな恩恵を得れたと思っているので、このような商品が世の中に出て自分の絵で自分のライフスタイルを演出したいという人が増えればいいなぁ~と思いますね。

◎詳しくはこちらを確認してみてください。

読まなくてはいけない本は読まなくていい!?

 確かにその感覚はある。確かにWEBで検索して得られる情報は均一である。かなり均一で誰でも同じことをすれば同じ情報に辿り着くこの検索機能は素晴らしいツールではあるが、さてさて、WEBの中にある情報の均一化が今後ますます加速しこの膨大な情報の中にあることが検索という行為で得られる最大の獲物ならそれはどこでも誰でもいつでも得られる獲物だからそこに時間にかけるよりももっと別の大きな意義を得るためには、「読まなくてはいけない本は読まなくていい。」となるのでしょう。

 携帯小説などというなんともふわふわしたジャンルがあり一度も興味がないので触れたことはないが、携帯キャリアをひとつのツールと考えると情報発信の携帯としては一度触れておかないといけないと思うの部分も、キーワードで現れる上位のWEBサイトはエンジン対策を施しそれぞれのエンジンが最適と分析したアルゴリズムの結果だからこの位置にヒットしていることにはそれ相当の価値があると認識する部分も、結局、本質から離れている。まぁ、何が本質かなどと限定できるほど世界は単純ではないものの多くの書籍に触れれば触れるほどその中にある価値に何かを感じてきたはず。が、昨今のデジタルデバイスの中にある情報のディテールは均一化され過ぎて「情報の本質」など無視して絶対数でグイっと持って行かれているような感覚がある。だから、WEBサイトには利便性と独自性のバランスが調和が必要になってくる。いつでも同じモノには普遍の価値があるモノとただ風化を待つ価値があり、情報を発信したことでそれで満足する仕組みから、発信のディテールに独自性があり、不特定多数の情報の中から選ばれるためにも、そこから新しい繋がりを得るためにも、バランスよく可動範囲の広い情報であったり、発信先と受信先が何かで絡み合うリアリティーが必要なのだと思います。だんだん、均一化され便利さだけを数量感だけで押しきれないほど受け手の目が耳が感覚が肥えてきているような。

 で、どんな本を読めばいい?つまり、WEBも広告もペーパーアイテムも、引いてはいろいろな生活必需品も会社も経済も国も同じ。それぞれが「読みたい本」にならなければいけないのでしょう。誰かにすすめられる「読まなくてはいけない本」ほどつまらない本はない。ならば、他の数多の万象も同じだろうと思うわけです。素敵な書籍はいろいろな疑問を投げてくる。それはその書籍の著者であり、その著者が影響を受けて継承してきた多くの価値観の軸の上から降りてくる疑問であり、書籍の中に存在するそれらの価値に触れることは、驚くほどWEBの中にはない。これは今更ながらとても不思議な現象です。

能力の差と努力の差。

 あるお店に行くと「リーダーの条件」的な意味合いのパネルが掲示してあった。7つの言葉がそこに書かれていてなかなか組織の中におけるリーダーシップを発揮するために必要な七箇条だった。その7番目に書かれていた言葉が気になった。

 「能力の差は小さく、努力の差は大きい。」という言葉。人の経験値や知識・学力はそれほど差はないが、人間としての能力が大きく異なるのはその人の努力の結果であり、何に対して努力してきたかが言わばその人の存在感になるという意だろうと思う。才能やセンスのある方はたくさんいて大きなビジネスや偉業を達成する人もモノゴトの入口では普通の人だった。が、そこから結果を出し今も充実した時間を過ごしておられる方たちはやはりの部分で努力を積み重ねてこられたということは疑問の余地がなく、何か新しいことを始めようとする時に、この覚悟ができるかできないかがキモ。しかし、現代の経済がこれほど沈滞していると言われ続けている情勢の中で、何か新しいビジネスやさらなる拡張を設定するにはよほどの覚悟がいるように思います。

 実際、自分自身の高校時代や大学時代とは明らかに違う日本経済観があるということが、教育や企業の存在感に深く関連してこから社会に出ようとしている若者にどんな世界が待っているのだろうと考えてしまう。この時点ですでにかなりネガティブであるし、大志を頂くには大志の抱き方についても複雑になっているような気がします。

 で、能力と努力の違いは何だろう?また、そもそも能力とは何?努力とは何?ってことになる。よく「好きこそものの上手なれ。」という言葉を聞いたり書籍で読んだりするが、「好き」が「人生」になるのか、「人生」が結果「好きだった」になるのかこれはもうアインシュタインに聞かねばならない。たぶん、「格差」なんて便宜上の言葉に過ぎなくて、「好き」と「給与」の方程式があるとすれば、このお店でやらなけばいけない「努力」のベクトルも明確になるのでしょう。が、なかなか、この方程式は複雑です。とてもこの言葉に対しての結論的な分析は手に余ります。

買いたたきされない会社の3つの戦略。

 中経出版の書籍広告より抜粋。「取引先や発注元の過酷な「買いたたき」から御社を救う一冊!「買いたたかれない会社の3つの戦略:西田順生著:1,575円(税込)」 いま、中小企業を苦しめている買いたたき。ただでさえ苦しい・・・でも、応じないと、既存の仕事まで引き揚げられかねない・・・。この底なし沼から脱出するにはどうすればいいのでしょうか?答えは「安売りをしない」「科学的に原価を下げる」「販売数量を増やす」という3つの戦略を、御社が確実に実行できるかどうかにかかっています。言うのは簡単。でも、なかなかできない。その効果的なやり方、そっと教えます。」

 確かにこれだけ広告面に魅力的な文脈が記載されていて、根本的な解決方法がこの書籍の中にあり、それを実行することで社内の業務改善につながり、本質を変えられるようなヒントを発見することができればこの¥1,575(税込)は安い。それにこの著者が1回¥20,000で展開しているセミナーを受ければさらにその真髄に触れることができるのなら、この¥20,000も安い。が、少なくともこの広告に記載されている言葉の裏には「あたりまえのことをあたりまえにやっていてはダメですから、私の書いたこの書籍の中にあるヒントのヒントに出会い、自らも経営者や社員の視点でこの3つの戦略に取り組んでひとつでも多く成果を上げてください。そして、もしよろしければ私のセミナーに来ていただき具体例を拝聴いただければその具体性はより身近なモノになり、御社の業務を苦しめている根本的な買いたたきを逃れる体質になるかもしれません・・・」と受けてしまう。

 たとえば、「安売りしない」と簡単に言いますが、安売りしなくてもお仕事がいただければ誰もしない。以前にこのテイのお話がある会議で議題として出された時、その中のある経営者の方がこう言っていた。地方が自立を考える時、大企業との様々な根本的な格差がありますが、その中でも一番根本的な部分は「ネットワーク力の微弱性」だと言っておられたのが思い出されます。すべてはすべてと深く関連づけられて今があり、原因と結果の連鎖であることは承知の事実なのですが、それでも、問題解決・現状改善のためにこの言葉はとても有効だと思えた

 つまり、ネットワークがないことで適正価格が不明になる。流通コストや人件費などの目に見える価格設定の内訳以外に実は適正価格を設定するモノサシの微弱性がこれらの上から下への買いたたき感覚になっている。誰しも¥1,000のモノを¥800で売りたいとは思わないがそうしなければ価格競争に勝てない商品だと思い込んでいるからだと。ならば、¥200下げれば売れるのか?どこからこの¥200という設定値が出されたのか?このことを科学的に情報社会的に算出しないと次の瞬間この¥200は¥300に変動してしまう。商品力のある会社であれば、逆の発想をしている今¥1,000で売っているモノの商品の品質を上げてなんとか企業努力して¥1,200で買ってもられるような商品を作ろう、サービスの本質を市場を踏まえしっかりと背景の理由のある¥1,200の商品を開発しようと努力していると思います。それが、大きな組織や大企業では予算も大きいがリスクも大きい。なかなか一人の決断や少ない予算で動けない本質があります。しかし、大きなコストやリスクを承知に開発されたクオリティーの高い商品はレスポンスも大きい。これらのことが都市圏やビックネームの企業の中で起こっていることを、中小企業はどのように連携して取り組めばいいのだろう?上とか下とかではなく、独自の情報ネットワーク力があれば、商品・サービスの本質や価格設定を見誤ることはないだろうと思います。

 しかし、パイが小さければ拡張性も訴求力も小さい。このジレンマをさてこの書籍は解決してくれる?「科学的な原価の検討」「販売数量を増やす具体例」これらがあてはまる器の絶対数はそれほど多くないように思えた。

 で、考える。この書籍は「買いなのか否か?」。つまり、この書籍(商品)はこの3つの戦略上にある商品であり、広告に上記のような文脈を並べそのことにリアリティーを付加しているのでしょう。WEBと書籍の微妙なバランスをコントロールできている個人・企業・団体はそういない。つまり、WEBは完全にターゲットが散るからである。書籍は絞れる。この「散ると絞るの関係」も踏まえると、あとは、もう、何をどうしたいかという個人レベルのポテンシャルが決め手になるような気がします。が、そんなに答はシンプルではない。つまり、複雑な不景気の仕組みにどう向き合うのか、これを利用している人は利用して存在価値を示しているはず、となれば、買いたたかれる原因が他にもあるかもしれないし・・・。

FLASH CS4について。

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 やはり、使っていれば新しい機能や活用術が分かってくる部分とそうでない部分がある。8からFLASH本体の機能についてはだいたい使う機能は理解したつもりでいたのですが、やはり、たまには基本から復習する必要があります。CS4をかなり使う頻度が高くなり細かいインターフェイスが素晴らしく改善されているので便利だぁ~と使っていても結局8の時の機能になり、たまに、見つけたフィルターや効果的な要素におどろく程度ですが、やはり、A.S.の3.0との連携や3D表現などもソフトをリサーチする時に知ったレベルから全然使いこなせていないことに気がつき、復習の意味でこの「逆引き~」を買って読んでいます。と、細かいところがやはり整理されCS4ならでは機能もこれだけあったのか状態です。モバイルの展開やプログラムとの連携、ビデオ、XMLなどの組み込みなどなど勉強になります。一度、FLASH検定というものの存在を知り受けてみようかと思ったのですが、基本と応用ということで検定の問題の傾向をリサーチしたところ、そんなことは仕事で使う?みたいな問題が多かったので受けませんでした。やはり、検定試験を受けて認定書をもらうことは無意味なことではないと思いますが、クリエイティブの仕事と離れていくようなこと分野に向けて集中して勉強する気になれませんでした。そんな時間があるぐらいなら、サンプルのスクリプトを改造して面白いサンプルデータを作る時間にあてたいと思っています。

 で、やはり、プログラムとの連携は必須ですし、ビデオ(FLV)との連携も今後、必須になってくると感じているのですが、やはり、目新しい印象的なクリエイティブに~となると3D表現が熱いように思います。いろいろなサンプルコードがオンラインで出回っているらしく、CS4から取り込めるそうなので、この分野でサンプルをひとつでも多く作りたいと思います。イラレ・P.S.との連携がほんとにCS4でスムーズになったので嬉しいし、A.E.CS4も早く手に馴染ませて仕事に活用したいと考えております。A.E.は6.5で止まっているので、FLASHと同様に使いこめばスルメだと知ることでしょう。

モノヅクリの難しさと・・・。

 昔(20年ほど)と今ではモノヅクリという視点で何か新しい造形物やメディアへの発信情報やデザイン関連などモノヅクリは難しくなったのか簡単になったのだろうかと考える。世の中の景気が落ち込んでいることはモノヅクリにかけられるコストに直接影響するのですが、そんな危機感のある時代だからモノヅクリの差別化力が結果を大きく左右する。作り手も受け手もそれをしっかりと理解しているから、テーマに対して、ターゲットに対して、価値のあるモノヅクリに集中しているのが常なんだろうと思います。新しい商品のアイディアや売り方やPRの手法などもインフラの整備がその形態を大きく変化させてきたような印象があります。その結果、作り手にしてみればデジタルツールで作る過程の表面的な部分を見れば誰でも簡単にいろいろなモノをアウトプットできる環境が整っているので、手軽に思いついた時に必要なモノを作り発信できるメリットがある。生活必需品もより便利で安価でお値打ちなモノが人気であるが、嗜好品と呼ばれる価格の割合の中に価値観の割合が比較的必需品などのカテゴリーよりも大きいモノはより取捨選択され市場に受け入れられたモノだけが展開を許される。衣服や娯楽の分野で言えばそのニーズはどうだろう?そこにもモノヅクリの人がいて、商品の開発に取り組んでおられる。市場の変化に対応して一歩でも半歩でも先を見据えモノを世に送り出している。

 で、デザインとかWEBサイトっていう分野ではいったい何が起こっているのだろう。コストの視点と価値の視点で言えば生活必需品と嗜好品のどちらの分野なのだろう?また、デジタルとアナログのニーズについてはどうだろう?必要性と芸術性とか生産性・機能性と拡張性・訴求力の間でここだというポイントを見極められないもどかしさが常に付きまとう。それが昔(20年ほど)前と比べてどう変化したのだろう?いろいろな場面でこのことは振り返りますが、未だ不明。今がよく分らないというのが正直なところです。が、逆にそれはそういうモノで未知数であることがある種の価値ならばこの苦悩は意味がないのかなぁ~とも考えます。その部分、デザインの現場のクリエイターの皆様どうでしょう?

新政権について。

 結果、日本をどう変えると言っても国民にできることは1票を投じることだけ。あとは依存しかない。小泉さんが麻生さんがとテレビや新聞は書き立てていますがそれで国内の潮流が民主党に置き換わったというわけではないでしょう。メディアの力は強いと思いますが、それだけでコントロールされるほど・・・みたいな期待感も無くしていないつもりですが、この部分も結果、依存するしかない。だから、マニフェストを羅列してもらっても「頑張ってください。」状態であることは否めない。それぞれの権限を州議会に依存し国家と連動する国のシステムならまた違ったモチベーションが国全体に生まれるのでしょうが。ニュースでは近隣の朝鮮や中国やアメリカとの政治背景の違いで比較されているが、もっと広く、ヨーロッパ諸国やアフリカなど全世界的にこの部分の動向や歴史ってどうなんでしょう?そして、現実的にどのような潮流がそれぞれの慣習エリアで起こっているのでしょう。アメリカは日本の今回の政権交代を「微弱」だとコメントしているようですが、外向上、何がどう微弱なのか?強いか弱いで国を測る時代がまだ続いていると言いたいのか、それとも・・・。深くならぬよう注意しながらの部分に入ってしまうので、さて置き、鳩山由紀夫総理の印象だけを捉えるならとても好感を抱いています。素直に好感を抱いています。様々な後背効果があるから正確には「好感」ではないのかもしれませんが、コメントの文脈に隙がないような印象です。隙だらけの比較対象が一番近くに存在したからかもしれませんが、たぶん、鳩山由紀夫総理のミラーニューロンがそれを避けたのでしょう。そして、そこから自己を覚醒されるチャンネルをお持ちなのでしょう。それだけでも期待する価値があるのではないだろうか。紡がれる日本の政治の綾に何か新しい軸を心から期待しています。そんな昨日の記者会見でした。蓋は今日開けられますが、例えその箱に何が入っているにせよ、少なくとも、今の段階で国民の皆様は今までにない大きな期待をそれぞれに抱いているのではないでしょうか・・・と想像させるテイの存在であることは間違いないように感じました。頑張っている人に頑張ってとは語弊がありますが、頑張ってほしいですね。

 で、JALの47,000人中の6,800人の人員削減は多いのか適正値なのだろうか?490円のランチはとても美味しそうでしたが・・・。

しのぶさんの一人旅。

 快走し続ける諸見里しのぶさん。昨日もさすがに難しい設定だけにヒヤヒヤする場面が2つありましたが、なんとも安定した逃げ切りで優勝でした。このペースは不動さんが年間10勝した時のペースと同じらしいですが、ほんとに女子ゴルフは面白いし花がある。昨日のメジャートーナメントも賞金額が昨年よりアップしている。このご時世に協賛企業もこの大会の意義を理解しているようです。ツアーが面白くなればお客さんや注目度があがりそれを応援するサポートする企業も頑張る。だから、主役たちが輝くというとてもいい関係が成立しているのですね。つまり、遼君以外の男子プロたちとは正反対。年間10勝よりも、やはり、年間メジャーのグランドスラムを達成してほしいですね。ちょっと、昨日の優勝をテレビで観ていてゴルフがしたくなりました。とてもいろいろな意味で花のある優勝風景でした。

カメラの北村さんプロだぁ~!

 なぜかマイカメラのニコンD70がエラー表示になりシャッターが落ちない。なぜ?午前中まで問題なかったのに・・・。何か振動も与えてしまったのか?買ってからずっとオーバーホールせずに使ってきたのでついに壊れたのか?どこか変な設定をしてしまったのか?分らない・・・。マニュアルを見ても分らない・・・。ああ、これは修理だと「カメラの北村」へGO!接客をしておられるいかにもいかにもカメラに詳しそうな方に相談する。「ちょっといいですか?」と手にとり、カシャン!「これで治りましたね。」治ってる。なんじゃこのレンズ。「このレンズはこのボディに接着するときは常にF22に設定しておかなければエラーになるんですね。」とひとことアドバイス。「たぶん、何かの小さな振動でロックが外れたか、F22以外の設定値になっていたんでしょう。もう、ロックしておきましたので問題ないと思います。」と。ものの5秒。う~ん、プロだぁ~!さすがさすが。ぜひ、次回はカメラの北村さんで後継機を買おうと思いました。

 どんなに「ぶ厚いマニュアル」より、どんなに「詳しいWEBサイト」より、「ひとりのプロフェッショナル」がやはり私は好きですね。私もそんな人になりたい。雨にも負けず風にも負けず・・・。

よけいなひと言。

 面白い本のを発見しました。それは吉本興業のマネージャをしておられた方のコニュニケーション・ガイドブック。中経出版様より出ている「よけいなひと言ハンドブック:大谷由里子著」(560円(税込))です。

 で、例えばどんな言葉が余計かと言えば、「とりあえず」「君のためを思って」「一所懸命やっているのに」「バタバタしていて」「なんでミスしたの?」「それでいいの?」「何がしたいんですか?」「大変だね」などなどである。確かにこの語感にはちょいキレな感じがするし、無関心なニュアンスもありますね。言葉って重ねたら重ねるだけ伝わるってモノじゃないんですね。気をつけよう・・・。

堂本剛君はとてもいい。

 子どもの頃からテレビが好きなので頭の中の情報(45歳分)のたぶん15%ぐらいはテレビからかもしれない。それほどのテレビの中から特に音楽番組について。たぶん、最初の記憶は紅白歌合戦からだと思うが、そこから、ヒットスタジオやベストテンなどがあるわけですが、中学の頃だったと思います。初めて「ジャニーズ事務所の~」みたいな系のタレントが出てきた頃。クネクネ踊りながらイケメンたちがなんとも不思議なダンスを披露する歌?歌は七の次。そんなジャヤニーズの歴史の中で「ダンスが上手い男」はいたが「アーティストとしての歌を歌う男」がいただろうか?どんなにイケメンでダンスが上手とは言え、歌唱力というかアーティストとしての表現力も含めた存在感が上中下の3ランクで中に入る男はいなかった。増して、上など0だったように思います。歌以外の話題でタレントとして芸能人としてなんとか成立している男たちばかり。「人気」とは何であるかをこのオフィスの創設者はビジネスとしてしっかりとモノにしていることは間違いないが、名実共にその論法の上で踊っている男たちの存在感は「下ランク」の中の3段階のいずれか。が、それに反比例して「人気」があることでその極端なバランスを一定のレベルでキープさせるオフィスのチカラ。しかし、堂本剛君は違う。あきらかに違う男である。

 で、何がどう違うか。例えば「アーティストとしての表現力も含めた存在感」としてのモノサシとして同年代を探しても適正な男が見えないのですが、女性で言えば絢香さんがいるが、歌詞の世界観とか歌唱力とか楽曲のクオリティーとかも含めての「アーティストとしての表現力も含めた存在感」は同位だと思います。もちろん、この位置に他のジャニーズの男たちはいない。確かにキャラでいうと光一君と比較すればボケのような存在ではあるが、ピンでマイクに向かう時にはバグツンになる。つまり、これだけテレビが好きな一般のおっさんが観ても堂本剛君の世界観は圧倒的でした。テレビでいいものを観たっていうのはこういう瞬間ですね。それにくらべ、4~6人、もしくは14人もカメラの前でクネクネクネクネ、メッセージもスタイルもない楽曲をあれだけシャラシャラと歌える男たちの才能って逆にスゴイのかもしれないですが・・・。人気を得るためには高レベルの「勘違い力」が必要であることはそれらの映像を観ながら感じさせていただける、これもまた「テレビを256倍楽しむ方法」のひとつですね。

8年前、9.11

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 ちょうど8年前の7月に情報紙S.O.S.を創刊した。大阪や東京でお世話なった先輩や後輩の皆様や芸大の頃の同級生の皆様に声をかけさせて頂き、クリエイターのための~と題して毎号ひとつのテーマを設定して皆様に自由に自分のスタイルで作品を作成してメッセージを作成して頂き編集している。時代時代にいろいろなテーマがありますが、僭越ながら編集長という立場で思いつくテーマを皆様に投げて原稿を集めて現在第25号まで来ている。そして、只今ということで、第26号を「仮想現実」というテーマで企画・編集を始めている段階です。それが、情報紙S.O.S.なのですが、この写真はその第2号の中面の私の作品の一部です。ちょうど第2号(2001年10月号)を編集して自分自身の作品を作っている時でした。この作品はSHADEとPHOTOSHOPで作成したのですが、最初はCUBEの6面に立っている自分をSHADEで作成してそれが宇宙空間に浮いているというイメージで作成していました。第2号のテーマが「私の仕事場」というテーマだったので、それをイメージしてSHADEで作っていたような記憶があります。

 ちょうど、モデリングをしている時、夕方でした。カミさんが「ニュースを見てみ!アメリカでえらいことが起こったで!!」と会社に駆け込んできた。あわててテレビを観るとちょうど飛行機がビルに突っ込む映像だった。それがあの自爆テロだった。そこで、急遽、自分の作品の中にビルを描き、突っ込む飛行機をモデリングしたのがこちらの写真の中の第2号なのです。

 あれから、8年、アメリカも変わり、日本も変わった。が、良くなっているのか悪くなっているのかまったく測れない現実がある。悪くなっているとは言え、もしかすると濾過されいるような。濾過が淘汰になると御幣があるが、大自然の中では常に淘汰が繰り返され、大きなルーティーンがある。輪廻転生と人間は憂うが地球の新陳代謝と生物の新陳代謝の関係はまだ明確なルーティーンが見極められていないだろう。たぶん、永遠に見極めることなどできないでしょう。そんなことを思う9月11日でした。

WEBデザインとGデザイン。

 Gデザインとはグラフィック・デザインなのですが、こちらはポスターやパンフレトや紙媒体、そして、看板やディスプレイなど視覚的な効果を得るためのデザインを指しています。東京でデザインの仕事を始めた頃が23歳だったのですが、この段階で、勿論、DTPという言葉もMACという言葉もなく、グラフィックデザインに仕事として取り組むためには、いろいろな技術を会得していろいろな道具を使いこなす必要がありました。大学でこれらのことを学ばず実践もしなかったので、最初のデザイン事務所(四谷)では0スタートだったので、見るものすべてが新鮮で、当時版下と呼ばれる印刷製版のための原版づくりをアナログなデザインツールで作っていた記憶があります。手先の器用さで言えばまず自負していたのですが、やはり、それらの道具が手に馴染み、仕上げレベルも合格点をいただくまでにはやはり、半年ぐらいはかかりました。そんなアナログツールの鍛練を経て、東京で数年してマッキントッシュに出会うわけですが、その段階でこんな作り方があるのなら、これまで一生懸命練習して仕上げレベルを上げる苦労は何だったのだろうとショックでした。これがDTPとの出会いになるわけですが、ここからキーボードとマウスを駆使したソフトウエアとの勝負(修練)が始まりました。

 で、かなり途中を割愛しますが、WEBデザインの時代になり、同じくそれを仕事として作成するためのソフトウエアと適正なプラットフォームの活用が始まったわけですが、アナログのグラフィックデザインからデザインの仕事を始めて、DTPに出会い、WEBデザインに取り組んでいる人はいったいどれぐらい国内だけでおられるのでしょう?という疑問がふと頭に浮かびました。つまり、Gデザインを経て、WEBデザインに携わるというプロセスが自分的には自然の流れなのですが、Gデザインを仕事として展開しているが、WEBデザインはどうも・・・という方もおられたりすると、さらに、WEBデザインのルート上にあるだろう(勝手な解釈かもしれませんが)FLASHや各種プログラム、そして、映像表現の部分などなどが、根本に紙メディアのデザインに関わることと、どれぐらい「デザインを創る」というフィールドの中で軸や位置の違いが生じているのだろうかと?私の中では一本の路の上なのですが・・・。

 WEBデザインを考える時にGデザインを考える頭とそれ以外のことを注意しなければいけないという頭が時にぶつかり時に融合しながら、「いい仕事」にしたいと願うばかりに、さぁ、どっちなんだい!と自問自答した時に自分の中でチョイスする判断の基準が、デジタルチックなモノとアナログチックなモノ、2次元的な展開か、3次元的な空間と時間軸みたいな展開かなどなど、双方の経験値があるばかりに迷いに迷うことがしばしば。でも、何回となく反芻していると、どちらも同じでいいジャン!という結論に達っしている今日この頃なのですが、これってさてさて「妥協」なのか?「純化」なのか?と考えてしまいます。

 クリエイターの皆様、このあたりどうですか?

キングの短編集最新作。

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 文春文庫から2009年9月10日初版の文庫本「スティーブンキング・夕暮れをすぎて/Just After Sunset」白石朗ほか/訳¥638(税別)を日曜日に書店で発見。早速、短編のひとつひとつをじっくりと楽しんでいます。ひさびさの短編集のような印象があり、この序文が2008年2月なので原作が出て翻訳されるのに約1年半となるわけですから、ほんとに最新作と言ってもいいのではないでしょうか。ここ数年、比較的長編~複数巻の展開が多かった印象があります。キング様について振り返ると、キャリー以前にショーシャンク~をバックマンで読んでいた頃からすると、シャイニングやミザリーが映画になり、そこから、破竹の勢いだったが、長編になるあたりであまり短編を見かけなくなった。そんな印象だったので、もちろん、1冊もしくは上下の読み切りも読みたいが、キングの長編となるとちょっと触手が伸びなかった。で、この短編集はとても嬉しかった。

 序文とショートを2本読んだ段階ですが、やはり、この感じはイイ。

農業のノウハウは深い。

 テレビ番組でパイナップルを育てようというプログラムを観た。そのプログラムは昨年の5月からすでにスタートしているプログラムで結果この夏にパイナップルが実り美味しく頂くという番組だったのですが、観る側からするとたった1時間の番組の中の40分程度の映像なのですが、これに関わった時間と費用はとてつもなく大きいと感じ、それ以上にその映像から伝わってくるリアリティーの質量たるや、政権交代についてしたり顔の専門家(何の!?)のコメントで潰される1時間や適当なグルメ料理を単価の安い芸能人たちがワサワサと食べて適当なコメントを並べているだけの1時間とは明らかに質量が違う。というか違う質量を感じた。つまり、テレビの中の情報が第2次的な情報であるとして、それを観る側がどう価値を感じるか(楽しんだり有益だったりと感じること)については、やはり、このディテール感というか質量の違いがそれに関わった(テレビ局関連の人やそれをスポンサードしている企業)方たちの「見えているか見えていないか・・・」の違いになり、引いては企業イメージやテレビ局の雌雄を決するような気がしていました。

 で、パイナップルってやはり南国のフルーツなので、成熟するまでにそれを育てる気温(室温)は15度をキープしなければいけない。そして、その環境を作りながら、土も南国の赤土を使用する。そして、苗を植える。ここからがパイナップルづくりの真骨頂である。まず、生育が芳しくないということから、剪定を吟味する。葉の色が調子が悪いというこから、オリジナルの肥料を作成する。日光が足りないのではないかということから、白いシートを敷き、土の温度を下げないために黒いビニールを敷く。さらに、発芽を促進するために、ジャガイモの新芽から出されているというなんとかなんとかというガスをパイナップルに吸収させるために、新芽の出かけたジャガイモを苗のそばにちりばめる。このノウハウは凄まじい。たった40分程度の番組の中、パイナップルを育てようという目的のために、ここまでするのか・・・。そして、小ぶりではあるが、ひとつの実が成熟し無事収穫。そして、包丁が入れられ、タレントが食べる。この場面でタレントが発する「美味しい」は間違いなく本物である。グルメ番組の安直な「美味しい」とは明らかな言葉の質量が異なる。ほんとに美味しいだろうと伝わった感じがなんとも素敵なテレビを観ている40分間でした。

 職を失った人たちが安易に農業に携わろうとしているらしいですが、この農業の深さが見えているでしょうか。こんな苦労してこれだけのノウハウが蓄積されて1個のパイナップルが実っていると思うと、スーパーで見かける野菜や果物が輝いて見えてきます。うん、農業って深いです。

17歳!?

 すごい、すごすぎる17歳。3勝目おめでとう!ほんとに他の日本の男子プロと違って花がありますねぇ~遼くんは。もう王子様どころのさわぎではなく、17歳の王様が見えてくるとかこないとか・・・。

新型インフルエンザという理由。

 第一期(今年の6月頃?)の新型インフルエンザの時は世界的になんだかザワザワしていました。感染が世界に広がり国内だけではないいろいろなニュースにその感染経路や感染状況が克明に伝えられこのまま感染力が上がりいろいろな国にこれが広がればもしや人類滅亡・・・ぐらいの勢いがあったように思います。このリアリティーが上がれば上がるほどその情報を知った人達の間でインフルエンザ以上に感染していった意識というか感覚があるように思います。それは、当然のことで、原因に対する結果であると捉えるならそれも摂理と言え、だからって肯定的にも否定的にも捉えているということではなく、狙っているわけではなく、自然とという部分で・・・。それは、「新型インフルエンザに感染しない対処方法として」の部分でもあるのですが、「新型インフルエンザ」という大義名分を利用して結果直接人が触れ合う集う語り合う場を避けられた・・・ような。これは極端な仮説かもしれませんが、PC・モバイルをメタファに「考えの接点」が確実にFACE TO FACEでなくなっている現実・現代があります。書籍がそのテイをなしていた段階で、情報や知識や考察は一冊の手の中に質量のある情報としてのディテールで知覚されていた。そして、お互いの情報を共有している感覚が大きなムーブメントになる、大きな実績になる、伝説になるという仕組みがあった。これは、ある種、限られた世界に流れている共通言語を共に得ているという所有欲が適度に満たされた状態だった。しかし、間接的なツールから得られる情報の氾濫で、端末の中にしか出会いを求められず、その中に自己を探す結果になり、価値観や時間の感覚や引いては人生観までも誤解してしまい質量のない喜びに保護されてOKみたいなことになっているように思うのです。こんな現代においてこの「新型インフルエンザ」はうってつけの理由のように感じてしまいます。そもそも、幼児や年配で持病を患っておられる方って免疫力が低下しているわけですから、別に「新型インフルエンザ」だけが目の敵ではないはず。なのに、ワクチンが少ないから優先順位で議論が沸騰したり、世界が終ってしまうテイでの不穏さはなんともナンセンス。

 結果、引きこもり系やIT推進系が正解だったみたいなことに持って行こうとしてるんじゃない。とは言え、マスクや入口での消毒はルールですからちゃんと処置しなければいけないし、実際、7月に風邪をこじらせて高熱が出て救急で別室に呼ばれ、インフルエンザチェックをされた時はドキドキでしたから、やはり、日頃の健康管理は大切だと思っております。が、何ごとも「過ぎたるは及ばざるがごとし」。何ごとも何ごとも適度ないいライン(レベル)を見つけたいものです。

映画「ルーキーズ」84.2億円。

 今期(2009年)に公開されたテレビ局制作の映画の興行成績が発表された。第一位は「ルーキーズ」で興行成績がなんと84.2億円との発表。これが映画会社や洋画のジャンルになるとどうなるのだろう?2008年の結果としては、「崖の上のポニョ:155億」「花より男子ファイナル:77.5億」「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国:57.1億」「レッドクリフPart1:50.5億」「容疑者Xの献身:49.2億」となっているわけですから、まだ、2009年のテレビ局制作以外の邦画・洋画の状況は分りませんが、「ルーキーズ」の84.2億円は大きな数字だと思います。で、その系列で第2位が「ごくせん」、第3位が「アマルフィー」となっているのですが、この状況はいかなものかと。ヒットの原動力は視聴率の競争で培った番組作りの手法だとのことですが、さてこれもいかなものか2。テレビの延長に映画があること自体、映画に何を求めているというアプローチが完全にシフトしている感覚。テレビ関係者はテレビの存在感がメディアとして揺らいだ結果、そのベクトルを映画に向けてテレビのダイジェスト版を映画にしているように思える。これも時代の流れであると言ってしまえばそれまでですが、それでもこの現状はいかなものか3。

 映画に求められているものは「芸術性」よりも、「観客が求めているもの」を徹底して優先することらしい。ふ~んという感じ。これが映画作りのセオリーになり、次から次へと「花より男子」「ごくせん」「アマルイフィー」のような映画になれば、もしかすると映画表現とはの部分さえ根底から変わりつつあるのかなと感じています。「テレビ番組」と「映画」は違う質感が欲しいの(そもそも違うモノ)に、ただただ、視聴率を興行成績に変えるための「サラリーマン映画」のオンパレード。ただ、映画「ルーキーズ」に限り、映画は映画館で観るつもりはありませんが、DVDではチェックしようと思っています。他の映画に関してはテレビでさえスルーしているので、映画館でもDVDでもスルー。期待度が0以下なだけに、何かのきかっけで観ることがあれば、0ぐらいにはなるかもしれないが、0を期待してDVDを借りる「何かのきっかけ」ってそうないない。つまり、永久に観ることのない作品群。しかし、84.2億円が回収されているこの市場は、さてさて、いかなものか・・・4。

 ただ、「芸術性の追求よりも観客の満足度優先」としても、このフレーズに隠された意味は意外と深い。かなりかなり、この観客としている皆様の満足の度合が、「芸術」という言葉と対極にあってもいいと考えているということありきの言葉である。では、満足度の中身は何?この現状が何を意味しているかについて深く考える必要はなく、この事実だけをどう取り込むかという部分にフォーカスすればそれでこのことは洞察・分析・リサーチしなくともいいことなのかもしれませんが、映画が「芸術性」から離れていっていいと言ってしまうことだけが腑に落ちない。つまり、口の中には一旦入れるけど飲み込めず体内の臓器には落としたくないという感覚。味わう前に吐き捨てるのも食わず嫌いかもしれないが、色や形や作り方を見れば料理って分らない?ってお話。でもでも、食文化がシフトしているなら、この国のベクトルがシフトしていなるなら、それはそれで仕方のないお話なのかもしれません。

 で、映画関係者はどう思っているか?「やがて飽きる時が来る。空疎な作品を作って観客を失望させると、中長期的には映画市場全体を縮小させてしまう。」とイエローカードなコメントも新聞の紙面には存在することも事実。時代のスピード感が加速するということは、薄い新しいボードをたくさん次から次へと並べるイメージ。まるで日本の家のようです。とりあえず安く手身近に住めればいいがライフスタイルとして定着しているから、暮らしの質感が薄い。もっと、どっしりとした質感のある分厚い作品を360度回転していつまでも時代を超えて鑑賞できるような映画が私は好き。ペラペッラな原作・俳優・監督らがドミノのように並んでいる。一番先頭のドミノを誰かがつつくまでどこまで並べるんだい!って感じ。

ワンピース第55巻!!!

 出ました出ました。ついに出ました。ワンピース第55巻。書店にチェックに行き、さっさとレジへ。すでにレジには一番前に高校生の男子、その次に中学生の女子、そして、私。3名とも手には「ワンピース第55巻」を握りしめていました。う~ん、素敵です。さぁ、読もう。

この3冊でした。

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 普段から、とりとめもなくいろいろなジャンルの書籍を読むのですが、その中で、この3冊は「仮想現実」のテーマを考えるヒントをいっぱいいただけました。この中からいくつか第26号の原稿依頼書に添付させていただきたいと考えております。ずっと「仮想現実」って何だろうと頭の中で整理したかったのですが、なかなか手ごわかったです。しかし、この3冊の中にあるいろいろな文脈でかなり具象化でき純化したようになっています。この勢いが萎えないうちに第26号を仕上げたいと思っております。関が切れた感覚で進めさえていただければと考えております。皆様、よろしくお願いいたします。

「仮想現実」答が出ました。

 情報紙S.O.S.のマスターメンバーの皆様へ。ずっとずっと答が出なかった「仮想現実」についての答がなんとか出せました。この件で、かなりの書籍を読み自分なりに「仮想現実」の答が出るまで第26号の企画・編集に踏み切れなったのですが、最近読んだ3冊の書籍の中に答が見つかったような気がしています。詳細はまたこのブログでご案内し、通常通りの原稿依頼書にはその資料を添付させていただく予定です。何げなしに浮かんだテーマがかれこれ1年間も構想にかかるとは思っていませんでしたがこのことで頭がスッキリしたことも事実。このスッキリ感をどこまで皆様にお伝えできるか未知数ですが、頑張って、原稿依頼書にライトダウンしたいと思っております。

 前号の「カタルシス」がとても自分なりに純化された答を出せたことが、逆にネックになり、やはり、勢いではなく、自分なりの答を納得し推敲・反芻してと腹を括って1年間。とても有意義でした。たかが「仮想現実」、されど「仮想現実」でした。原稿依頼書を作成し皆様に郵送させて頂いてから、皆様にそれぞれメールやお電話でご連絡を差し上げようと思っております。また、第26号「仮想現実」お付き合いの程よろしくお願いいたします。編集長:スギノヨシカズ