新型インフルエンザという理由。

 第一期(今年の6月頃?)の新型インフルエンザの時は世界的になんだかザワザワしていました。感染が世界に広がり国内だけではないいろいろなニュースにその感染経路や感染状況が克明に伝えられこのまま感染力が上がりいろいろな国にこれが広がればもしや人類滅亡・・・ぐらいの勢いがあったように思います。このリアリティーが上がれば上がるほどその情報を知った人達の間でインフルエンザ以上に感染していった意識というか感覚があるように思います。それは、当然のことで、原因に対する結果であると捉えるならそれも摂理と言え、だからって肯定的にも否定的にも捉えているということではなく、狙っているわけではなく、自然とという部分で・・・。それは、「新型インフルエンザに感染しない対処方法として」の部分でもあるのですが、「新型インフルエンザ」という大義名分を利用して結果直接人が触れ合う集う語り合う場を避けられた・・・ような。これは極端な仮説かもしれませんが、PC・モバイルをメタファに「考えの接点」が確実にFACE TO FACEでなくなっている現実・現代があります。書籍がそのテイをなしていた段階で、情報や知識や考察は一冊の手の中に質量のある情報としてのディテールで知覚されていた。そして、お互いの情報を共有している感覚が大きなムーブメントになる、大きな実績になる、伝説になるという仕組みがあった。これは、ある種、限られた世界に流れている共通言語を共に得ているという所有欲が適度に満たされた状態だった。しかし、間接的なツールから得られる情報の氾濫で、端末の中にしか出会いを求められず、その中に自己を探す結果になり、価値観や時間の感覚や引いては人生観までも誤解してしまい質量のない喜びに保護されてOKみたいなことになっているように思うのです。こんな現代においてこの「新型インフルエンザ」はうってつけの理由のように感じてしまいます。そもそも、幼児や年配で持病を患っておられる方って免疫力が低下しているわけですから、別に「新型インフルエンザ」だけが目の敵ではないはず。なのに、ワクチンが少ないから優先順位で議論が沸騰したり、世界が終ってしまうテイでの不穏さはなんともナンセンス。

 結果、引きこもり系やIT推進系が正解だったみたいなことに持って行こうとしてるんじゃない。とは言え、マスクや入口での消毒はルールですからちゃんと処置しなければいけないし、実際、7月に風邪をこじらせて高熱が出て救急で別室に呼ばれ、インフルエンザチェックをされた時はドキドキでしたから、やはり、日頃の健康管理は大切だと思っております。が、何ごとも「過ぎたるは及ばざるがごとし」。何ごとも何ごとも適度ないいライン(レベル)を見つけたいものです。