春夏秋冬を「ひととせ」と読む。

 日本人の感覚の素敵な部分にその独特の解釈というか世界観があると思います。英語と漢字のニュアンスの違いが言わばそれぞれの文化圏のニュアンスの違いでありその根底に流れる精神的な部分をどう捉えるかでそこから生まれるいろいろな創造物の価値や方向性が存在する。四季があればこそ生まれる文化や慣習にはその地に暮らしてきた人々の叡智が含有されている。それらは否定でも肯定もなく確かに偏在している価値観であるから、それへのアプローチが「依存」でも「共鳴」でも「鵜呑み」でもなんでもいい、というかすでに存在している価値観へのリスペクトこそが今を生きている我々に与えられた有効な材料だと思います。そこへ向けて何を思い何を感じるかが見えてこそ、なのである。

 で、「ひととせ」という語彙は間違いなく4seasonsではない。春から夏、秋を経て冬という四季を「ひととせ」と最初に読んだ人の心意気こそが慣習や文化の原石であり、それを放置するか磨くかで創造者の目力(メジカラ)が試されているような。ひととせ・・・なんとも情緒があり深慮に値する感覚ではないだろうか。「ひととせに人は考え感じ時間の中でそれを繰り返している。」みたいな小説の書き出しはアリだと思う。いつの日かこの書き出して小説を書こう。