リンゴが教えてくれたこと。

 今、書籍「リンゴが教えてくれたこと。」を読んでいます。この書籍は「『リンゴが教えてくれたこと』 木村 秋則著、日経プレミアシリーズ、850円(税別) 」です。ずっと気になっていた書籍のひとつでやはり読みたくなって買いました。無農薬でリンゴを育てるということが農業の畑を全く理解していない私にしてみればそんなに困難な取り組みではないんじゃないだろうかという浅はかさも確かめたかったし、著者である木村さんがリンゴの木に話しかけるという節の部分も意外と常道から逸しているようなニュアンスを受けとても興味がありました。ほぼ80%読んだ段階で詳細はこのブログで書くことができませんが、やはり、この書籍はアタリでした。記述されている文脈はそれほど難解でもなく常に1人称で書かれているのでとても共感を得られる部分とこれはとてもついていけないだろうなぁ~という非常識な部分がとてもバランスよくライトダウンされ、リンゴの木と会話するというニュアンスというかフィーリングの部分が伝わってきました。

 で、そう思うと、あれ?自分の仕事場にはパソコンがある資料がある書籍がある。木村さんが大地の上でリンゴの木と向き合ってこられたように自分の仕事相手はこれらの道具であり書籍である。そして、目に見えないオンライン上の機能もそれに値するわけです。身体ひとつで仕事場に来てもデザインの仕事はできません。それこそスケッチブックやメモや鉛筆や筆やボールペーンや画材がなければ絵が描けません。農業と同じくデザインの仕事も身体ひとつでは何もできないのです。木村さんはこの書籍の中で米もリンゴも人間の身体に生るわけではありません。稲に米が生り、リンゴの木にリンゴが生ると。それを人間は勘違いしてすべて自分が中心になっていると思っているが、それは大きな誤解であり。人間ができることは自然と向き合い稲やリンゴの木の成長をただサポートするだけだと。まったくです。デザインの仕事もWEBの仕事も映像の仕事も人間が道具を使ってこそ。ならば、木村さんのリンゴと同じでしょう。たぶん、他の仕事でも同じなのではないでしょうか。

 そう言えば、仕事が上手くいっている時は朝仕事場に来てパソコンに「さぁ、今日もお願いします。」的な気持ちで声には出さないがそう言っている自分がいるし、イライラしている時はフリーズしたり動作が遅いように感じて目の前の画面に悪態をつく。それでツールがどうなるわけでもないのに。明らかにPCとは消耗品です。寿命も長くて8~10年でしょうし、昨今の新機種の乱れ打ち状況では、5年以上長く使っていると「そろそろ買い替え時期かなぁ~」と錯覚してしまいます。ハードやシステムが不調な時も修理に出しながら、寿命かなとあきらめることもあります。しかし、いいパソコンの医者に出会うとと新品状態で帰ってくる。そうなるとパソコンが生き物のように思えとても愛おしく思えたりします。元気に起動音と共に仕事を始められると心臓の音のように感じます。うるさかったファンの音も生き物の心臓の鼓動だと思えば愛おしい。これは考え方的にはちょっと常道を逸しているかもしれませんが、木村さんがリンゴの木に話しかけるようなテンションで言えば、正解のように思っています。

 「終了」メニューを選んでその日の終わりに消えた画面に「お疲れさん」と声をかけることは決して間違っていないような・・・。