2009年12月 アーカイブ

お土産の葉巻。

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 上海からのお土産の葉巻。たばこに対するアゲンストは強くなる一方でどこか不景気な日本経済の支援を喫煙者が担う結果になりつつある。まぁ、何もたばこの税金だけが・・・という部分はあるものの、海外のたばこの販売価格と比較すれば今回の値上げは国際的な標準値から言えば適正想定内ではあるが・・・「困ったときのたばこ税だのみ」という表現は否定と肯定が入り混じった微妙なニュアンスでもある。このことを喫煙者が喫煙エリアで煙を楽しみながらどう感じればいいのか、どう受け止めればいいのかという部分で複雑な気持ちです。

 「これを機会にたばこを辞めればいいのに・・・」と身体の健康を心配してくださる方の温かい言葉は嬉しいがひねくれた心が「この機会」をどう処理すればいいのかに迷っている。というか別に今回の値上げでたばこを辞めるつもりもなく、「ああ、上がるのか・・・。」程度が実のところ。

 新聞にはこれで12~15%の喫煙者がたばこから離れていくだろうという何の根拠もない希望的観測をさも的に物理定数パターンで出しているが、「だから?」という感じ。いつもそうでしょう、確率とか調査結果とか予算方針とか全部あなたたちのさじ加減ひとつでしょう?って感じです。だから辞めないとは決して言いませんが、それが美味しいと脳が感じているうちは、そして、おこずかいがそれを購入するに無理のない想定内ならたばこは辞められないですね。

 逆にニュースでたばこ税による税収の増加の数値を見ていると、不景気対策になっているならこの1本で日本の景気が少しでも補てんされるとしたら、たばこも美味しいというもの。ある側面の正論では決してない意見ではあるが、一喫煙者のただの独り言でした。

 美味しそうな葉巻をありがとう!!!

「容疑者Xの献身」か・・・。

 昨日テレビで「容疑者Xの献身」を観た。ずっとレンタルショップでDVDはチェックしていたのですが、なんとなくスルーしていた。東野さんの小説はガリレオブーム以前にも何冊か読んでいたのですが、テレビプログラムになりそちらでストーリーを先行して観てしまったことと、それが以外にも福山+柴咲というコンビネーションで印象が強かったので、テレビは本当に楽しく観れたのですが、映画となるとちょっとDVDには手が伸びなかった。が、昨日の展開はなかなかよかった。もしも映画になることで無意味にテンションが上がり余計なストイーリーの展開とは別の要素がチラチラしていたら嫌だなぁ~と予防線を張っていたのが見事に裏切られ、なかなか素敵な映画でした。福山+柴咲にプラスして堤真一さんが最高でした。ガリレオのテレビの面子にプラスの部分で堤真一さんの存在と犯人像の組み上げ方がなんとも充実していて終始に画面に引き込まれていました。最後の咆哮まであの緊張感はさすが。

 映画がいい感じで終わったその後、間髪入れず「アマルフィ」の映画の宣伝があった。ああ・・・なぜこうもうこのタイプはオーラがないのだろうか、「踊る~」も第3弾が決定したらしいが、ああ・・・なぜここまで心が踊らないのか。せっかく「容疑者X~」の余韻がぶち壊し。

 テレビプログラムで言えば、なぜキムタクではああなってしまい、フクヤマではこうなるのか。これほど仕上がりのクオリティーが対極になるのは何が一番の原因なのだろう。と考えてしまうほど、映画「容疑者Xの献身」は良かったですね。ということで早速原作をチェックしたいと考えております。歴代の文学作品以外にほんとに日本の作家で最近読むのは東野さんぐらいになってしまった。

 東野さんの小説を読んでいると中で海外の有名なSF作家の作品のプロットや作家についての感想が少し物語の中に自然と挿入されている場合が多い。それがなんともズバリなチョイスなのです。それって東野さんの作品を読みながら、海外の作家のテンションもいい感じで連動している気分になり、ちょっと得したような気分になります。ということで原作本が楽しみです。

パイレーツ(掠奪海域)著マイケル・クライトン

 昨日書店をうろうろしていたらマイケル・クライトンの遺作を発見。説明文を読めばなんと死去されてから彼のPCの中に発見された原稿からの書籍化だったそうで、すでに映画化が決定とのこと。なんとこの事実だけですでに小説が始まっている感覚である。結果、最後の作品「NEXT」もまだ読んでおらず「恐怖の存在」どまり。しかし、「NEXT」を次にしてもこの「パイレーツ」は先に読みたい作品ですね。一番最初は「ジュラシックパーク」の原作だったのですがそれからファンになり楽しませていただいた海外で好きな作家のひとりです。昨年の11月に他界された時は本当に残念でした。もうマイケル・クライトンの作品が読めなくなると思うとかなり悲しかったです。しかし、海賊をテーマにしたこんな作品があったなどとても嬉しい出来事です。この年末年始はガッツリと買い込んだ小説を読もうと気合いを入れているのですが、その中にこの1冊も入ってきそうです。

S.O.S.メンバーの皆様へ

 全国の情報紙S.O.S.マスターメンバーの皆様へ、今年は第26号へのご参画本当にありがとうございました。心から感謝しております。このMAX不景気な時期に貴重なお時間と貴重な参加費用と、そして何より貴重なアイディアを第26号にご提供いただきまして心から感謝いたしております。まだ今日現在、仕事モードなので本日あたりで仕事を納めて、またゆっくりと第26号を感じたいと思っております。「仮想現実」というキーワードで展開できたことが「不景気」や「政治不信」や「経済の沈滞」への分析手法になれば、また、アート・デザイン・クリエイティブ面でもあえての部分で「仮想」というアプローチが現在のふるまいに切り込める手法になればなどと壮大な目標値はありましたが、このテイのフリペで天井はこの程度ですが、ひとつS.O.S.活動の軌跡としては意義のある2009年のこだわりの想い出深い1冊になりました。これもひとえに参画いただいた皆様からのバイタリティーの賜物。この時期のこの場(ブログ)をお借りして心から感謝の気持ちを綴らせていただきました。本年はいろいろとご無理ばかり申し上げましてありがとうございました。2010年もどうぞよろしくお願いいたします。

 第27号(2010年3月号予定)のご案内については少しアナウンスさせていただいておりましたとおりにメインテーマは「なんでやねん!」でいきます。「なんでやねん!」とは関西のノリで漫才などのかけあいの部分でボケとツッコミの中で何かのテーマに対してボケ担当がボケた時にツッコミ担当が間髪入れずぶちかます一言でございます。これをS.O.S.第27号のメインテーマにします。しかし、そこは漫才でもいいのですが、クリエイティブ系で世の中のいろいろな万象に対してクリエイティブにツッコンでください。特にいつもどおりに制限はありません。ターゲットは無制限です。「なんでやねん!」と浜ちゃんのように、若ちゃんのように、上田さんのように、キレのあるツッコミをお願いします。2010年3月1日の完成を目指したいと考えておりますので、新年が明けたらボチボチと企画原稿依頼書を仕上げたいと考えております。2010年は例年どおりに28号(7月号)・29号(11月号)まで行きたいと考えております。

 また、28号・29号に設定してほしいテーマなどありましたらご連絡ください。また、皆様のお仕事のお仲間やビジネスパートナーの方でこのフリペに情報を提供していただける方がおられましたらぜひご参画をお願いできればと考えております。

 編集・企画的には僭越ですが、ずっとずっとモヤモヤしている部分で、しっかりとした「情報紙S.O.S.の公式WEBサイト」を構築しなければいけないと考えており、ネタ的には全26号分のネタがあり、これまで歴代の参加メンバーの皆様からの情報と連携して冊子とWEBでガチで情報発信・連携をしたいと構想だけは大きく膨らんでいる状態です(数年前から・・・)。しかしながら、自社のサイトも中途半端でなかなか2009年はそれに費やす時間が作れず結果12月29日にこのようなしょんぼりした振り返りしかできない始末。しかし、フリペのネタやWEBのネタ的にはそれ相当な量と質をため込んでいますので、ここら辺でガッツリ構築せねばとモチベを上げていこうと考えております。

 WEB上のネタについてもいろいろプールしているモノがありますので、それらをひとつひとつカタチにしていきたいと考えております。が、世の中WEB・WEB・WEBですが、そっち体重に偏ってもつまらないので、発信形態は紙であれWEBであれやはり「五感ありき」で構想していきたいと考えております。逆にオモロいネタがありましたらご連絡ください。よろしくお願いいたします。

「忘却の整理学」が出ました。

 「思考の整理学」の続編「忘却の整理学」が出版されました。これはこれはチェック。頭を働かせるには、まず忘れること。情報・知識でメタボになった頭脳を整理し、創造・思考の手助けをするのは、「忘却」なのだから・・・とこの書籍の広告のリードにある。まさにである。早速、入手の方向で。

すべらない話の条件。

 話術とはひとつの技術でありすべる・すべらないはその技術の優劣が「笑い」という結果へと導くレベルを左右する。ほんとうに「すべらない」ために必要な条件は何だろうといつも「すべらない話」をテレビやDVDで観ながら考える。が、演者の技量が上がれば上がるほどその見方ができなくなり、話の内容に引き込まれ技術のことやレベルのことなど関係なくただ「笑える」のである。歴代のチャンピオンがテーブルを囲みダイスがふられる。演者を決めるのはダイス。なんとスマートな手法だろうか。過去にこのステージでグズグズになってしまった演者も数名おられたがそれはこの場所の意味をよくよく理解してここで何をしなければいけないかということと、自分の技量への不安がプレッシャーになり、話を組みたてられずにアドリブも装飾できずに沈没していくパターン。落語や漫談などもカテゴ的にはこの手法と同じかもしれないが、そちらは、見るサイドもすでに心の中にこの演者がここに座り題目はこれだからたぶんこの流れでオチに向かうというパターンやシナリオが読めているという条件下で、あくまでも、ステージで演じる方の表現力を楽しんでいるだけという見方もある。つまり、松っちゃんの「すべらない話」の秀逸な部分はそれがダイスという乱数の上で演者を決め、演者は何を話してもいいという条件下で、ただ、自らのネタと話の構成力と表現力で「すべらない話」をアウトプットするという醍醐味が素晴らしい。このドキドキな感じは想定内の部分と想定外の微妙なニュアンスがあって成立する微妙なバランスなのである。

 つまり、「ワクワク・ドキドキ」など予め用意はできるないが結論であり、それを論理や方法論で考えている段階でもうそれは「ワクワク・ドキドキ」とは無縁の産物であり、「ワクワク・ドキドキもどき」なのである。これが感受性の高いターゲットに対して、古いステレオタイプの人間達が何をどう思考しようが、リアリティーの欠片もなく、結論で言えば、表現とフレームを用意したら、あとはダイスに任せられるぐらいの器がなければ非常に非生産的なアンクリエイティブな代物にしか仕上がるはずがないのである。机の上でパソコンの前で何をどう思考しようがそれはただの打痕。

 それらのことが今この日本で起きているから、政治も教育も文化もすべっているのである。自分のポテンシャルのなさを枠で囲みはみ出ることを恐れ箱庭で確実に育てられる野菜だけを育てて何かを成し遂げたと思いたいだけなのである。本末転倒が3回ほどその場で子犬のように回っているイメージ。何何はこうあるべきでしょう!などと声を高める人に限り、手持ちのコマが貧弱な証拠。年齢や地位はあるのに完全にすべっている。

 それに比べ、このすべらない話に登場している演者の皆様の覚悟と日頃の情報収集能力たるや凄まじい努力量である。しかし、この場合それは「努力」ではないかもしれない。努力というメガネでインプットされたふるまいはアウトプットする時も同じ体裁で外に出るという法則があるからである。つまり、「笑い」という本能のベクトルで感覚的にインプットされたふるまい・万物でなければ、「笑い」というカタチでアウトプットされない自分の中の等価交換の法則があるように感じます。だから、政治家も教育者も推して知るべしなのである。不適切なコミュニケーションをしてくる人に対して、一番最初に感じることはその語彙のチョイスの貧弱さとボキャブラリーレベルの安直さではなく、その方の歴史の貧弱さと安直さを感じてしまう。これは自分に置き換えても同じことが言えるのでその緊張感は常に意識を努力している。コミュニケーション上、貧弱なボキャブラリーの方は間違いなくその方のポテンシャルの低さも関連しているが、一番近くにいた方からの信号が低かったのである。それが両親なのか恩師なのか特定はできないが、一番思うことは「ああ、この方の人生にはいい出会いがなかったのか・・・」と直感で感じてしまいます。しかし、その逆の場面も非常に多く、素晴らしいエネルギーとバイタリティーを保持している人の言葉は強い。全く揺るがない。そして何かを燃やせるほど熱量がある。そういう方とのコミュニケーションはほんとに心地よくこころからドキドキ・ワクワクする。ただの言葉として「ワクワク・ドキドキ」を考察・分析しようとしている輩とは対極にいる人達である。

 つまり、見えてない人では何も伝えられないし何も伝わらないのである。そんな残念な人も多いのが世の常でもある。つまり、つまりの部分で結果的に兵藤さんはそのベクトルの最高峰なのである。

小さい小さい・・・。

 いやいや、小さい小さいと痛感するばかり。何かテーマを与えられてそれに対する解答を用意しなければいけないという状況は何もこの仕事の現場だけではないのですが、長年培ったつもりでいる自分自身の経験がこれほど微力なのか、これほど無力なのかと痛感することが多い。仕事に対して自分なりにスタイルを持って取り組む中で固定観念を捨て先入観を捨て、いつでも目の前の課題に対してリセットしているつもりでも、全然リセットできずにいつものルーティーンで処理していしまおうとしてしまう。特に新しいアイディアや企画の構想が求められているのに、使い古しのアイディアにしがみつき全然リセットできずにその場その場でオタオタしてしまう。特にWEBやデザインの世界でこのアプローチを試みていると時に(いやいやけっこう頻繁に)何が正解か分からなくなる。ただ様々なアプローチのバリエーションだけ整えれば伝わるのかという安易な手法はストレスもなく技術的な背景も詳細まで追及する必要もなく「そこそこ・ボチボチレベル」でテーマを回していこうとしてしまう。これでは全然NG。

 常に新しい知識と柔軟な感覚で自己を活性化させる・・・とはよくあるビジネス書のくだりですが、まさにこれが真理。言うのは簡単、でも、実行動でこれを具現化することのハードルは想像以上に高い場合が多い。こんな心意気だから、伝えようとする時に焦り困惑し不適切な語彙をチョイスする。こんな状態で何が伝わるのかという話。これこそまさに本末転倒である。

 しかし、この仕事を23歳から始めて45歳に至るが、どの場面でも多かれ少なかれこのような日々の連続だったように思わず振り返ってしまう2009年の年末である。何か結果を経験値として獲得できたと言えば獲得できているが、何もしていないと言えばしていないように感じる。「小さい小さい・・・」と嘆くということは自分自身の振幅が見えている状態だから、決して悪い状態ではないと思いたいが、実態(本体)の心内は穏やかではない。確実にそれは傷になっている。しかしながら、その傷を治癒する方法があったからこそ、今でもこの世界でそれなりに取り組めている。つまり、デザインというリングでふらふらですが、立っていられる。たくさんの小さい傷が有効打になり、化膿し致命傷になりダウンするという状況もあったところを、なんとか全力で治癒して復活してこれたからこそ今があると思いたいし、それは、絶対の部分で自分自身の治癒能力だけでは復活できなかったとも振り返れる。それは仲間や厳しい言葉を投げてくれた皆様がいてくれたからこその部分で、何も、暖かいベットの上で薬で治療することだけが本当の回復へのアプローチではないみたいな。

 デザインやアートという分野は決して数値や論理で推し量れない。が、時にロジックとロジックをつなぎ合わせる接着剤の機能もあり、ある場面ではテーマを総括・包括する器になる場合もある。人が何かを見えて何かを感じるというこうとが前提である以上、数値や語彙の認識よりも、イメージや五感への訴求は物事の本質の一番近い場所にある場合もある。「表面的なデザインの話はいいとして、本質の部分でこの内容では何も完結しない。」とある側面からしか物事を捉えられない方とのお話はストレスがたまるが、これも実は真理である。そこまで大きく捉えられなかった、引き出しを用意できなかった自分が小さいだけなのである。

 2009年、気に入った草を見つけて牛のようにモグモグしてきたが、2010年は威厳高く闊歩するトラのように何毎にも大きくどっしりと構え、獲物を見つけた時には鋭い爪で獲得できるようにまたまた右往左往で試行錯誤である。まだまだ、2009年を総括するつもりはありませんが、独り言でした。

メルマガパワー。

 いろいろなサイトに登録している関係でいろいろなメルマガが到着します。ほんとにいろいろです。それこそ90%以上は瞬殺しているのですが、しかし、もしかしたらその中にもいい情報があるのではないかと結構貪欲に一読しているのですが、またか!というメルマガの中にもなかなかメッセージ力のある文章があったりすると、この角度でこうアプローチしてくるのか・・・とその巧みな文字表現に感心することもしばしばです。

 「≪急募≫当社の成長スピードを加速させるために、ぜひあなたの力を貸して下さい!」「ますます需要の高まるエネルギー改善サービスを担いませんか。」「0→1を生み出しているのは、営業です。」「楽しむことなら、誰もができるはず。オモシロコンテンツのデザインを福岡ではじめませんか?」「お客様に本気で向き合う仕事がここにあります。」とかなかなかのコピーライトです。実態を確認するまでには至らないものの、メルマガというツールを最大限に活用するためには、数と巧みなライティングですから、たぶんこの文面はメルマガライターさんが考えているということは想定して、いろいろな切り口があるものだなぁ~といつも感心しています。

 逆にアクトで何か情報を発信する場合も、体裁をきれいに整えたいというモードになり、そこそこの言葉しかチョイスできないだろう。もっと訴求力や効果を上げるためにどのような文章表現を試みるかという部分ではとても勉強になるメルマガ攻撃です。

 でもやはり一番心に響くのは素直に「◆27日まで限定◆先着50名様に特別クーポン発行、早い者勝ち!◆先着外の方にもEメール特別割引有!」ですが・・・。

鴨君達、元気に越冬中。

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 湖畔で餌を食べていたところ、望遠で狙っているのを察知して一旦琵琶湖への巻。

「ファイナルファンタジーXIII」ってスゴイ。

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 全くもってゲームには興味がない。とはいえゲームに接点がなかったというわけでもない。しかし、接点と言っても資料としてとか誰かからのオススメでとかのレベルで、自分から主体的にゲームに向かうベクトルになったことは一度もない。「トゥームレイダー」でさえ、リサーチレベルで「3へぇ~」ぐらいです。ですが、書店やいろいろなお店に行くたびにこれでもかってほどその告知のポスターやチラシを目にすると、こんな私でもそれに興味を抱いてしまいます、した。

 というよりも3DCGと販売ツールとしての魅力に反応しているだけだと思っていたのですが、それがそれが、こんな本を買ってしまうほどだったことに少し驚きです。そして、ファイナルファンタジーの設定ってどんなの?からスタートですから、逆にワンピースの主人公ルフィーがなぜゴム人間なのか?というレベルで、精通してのめりこんでいるテンションの方からすると、サブい感じなのでしょうが、それでも、ポスターやPOPでそれを知って、そのゲームの背景やキャラクターなどを見てそこそこドキドキ・ワクワクしてしまうのって、やはり、凄いことだと思いました。

 この3DCGはたぶん現在存在する最高の技術とセンスとテンションとノウハウが注ぎ込まれているはず。だから、ゲーム本体以上に何かどこか惹きつけられてしまうのでしょう。つまり、機能や先入観や慣習ではない、何か新しく大きな魅力をこの開発プロジェクトチームの皆様は創出したということなのでしょう。それが凄いと思います。たぶん、これを作成されたプロジェクトチームの中核の人達はこれの達成感はさて置き、すでに次のビジョンを頭に描いておられるのでしょう・・・。「止まらない力」「安心しない心」「ぶれない使命感」これらがこのような傑作を創るために必要な力でしょうね。

 それに引き替え「政権交代」で流行語になるのもいいけど、まさに「政権」が交代しただけだったことは残念。それに後退かもしれないし・・・。

XOOPS CUBEか・・・。

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 5年前の印象はモジュールが多いが重い、必要でない機能があるためにデザインの融通が利かない。みたいな印象があり、手軽なM.T.やWORDPRESSに走ったのですが、それはそれで正解だったのですが、やはり、WEBビジネスの進化と多様性の拡散の度合は広い。それに追随する、それを牽引するためにあらゆる方面でいろいろなプロジェクトが進行しているのですね。たまにそのベクトルになった時しか目的意識を持ってリサーチしないので、スルー気味だったモノがこうもブラッシュアップされているともう「驚き」としか表現できませんね。しっかりと開発プロジェクトの皆様はテクノロジーの先端あたりで試行錯誤しておられるのですね。まず、そのことがこの書籍を読んで最初に感じたことでした。

 技術的なことは読めば理解できることですし、汎用性の部分は自分自身のポテンシャルに依存しているわけですから、文脈どおりでいいとしても、開発された皆様のモチベーションは確かなカタチでこうしてパッケージ化されて世の中に出てしっかりとニーズを捕まえているあたりがさすが・・・でございます。

 こんなプロジェクトっていったい具体的にどんな作業から始めるのか想像もつきませんが、イメージしたことや問題の検証を繰り返し、最先端の技術者の方がトライ&エラーで日々試行錯誤されているかと思いうと、オープンソース文化が意外にWEBビジネスの根底の部分を支え、その恩恵を受けている方はどういう心意気でこれらを活用させていただいたらいいのか、という部分が明確に見えるような気がしますね。本当に素晴らしい取り組みです。しかしながら、一番肝心な「活用術」のノウハウの部分、具体的に何をどうすれば「活用」になるのかということがこれからのあらゆるビジネスモデルの波及力や訴求力を左右するのでしょう。つまり、作り手のポテンシャルが時に「月」になり、時に「スッポン」化するのでしょう。

 そういう意味でオープンソース文化にかかわる時に心しなければいけないもっとも重要なポイントは開発者の心意気を継承し、プロジェクトやコンテンツやノウハウに消化させなければいけない。胃液の弱い方は口にすべからず・・・なのでしょう。そうかそうかクリエティブ=胃液から鍛えなければいけないということ。

余呉の雪。

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 配達で余呉に行きました。しんしんと降る雪。長浜から車で40分ほどのところなのですが、長浜よりも積雪量は2倍ありました。その上、山間の風景に雪がとってもマッチしてキレイでした。

M-1グランプリ「ハライチさん」残念!

 昨日のM-1グランプリは見事パンクブーブーさんが第9代目のM-1チャンプに輝かれたのですが、一お笑いファンとしての順位はこうなります。

 優勝ハライチ、準優勝パンクブーブー、3位ナイツ、4位笑い飯、5位南海キャンディーズ、6位ノンスタイル、7位東京ダイナマイツ、8位モンスターエンジン、9位ハリセンボンとなります。

 9位のハリセンボンさんはかなり緊張されていた様子が伝わり、最初の1分間はとても微妙な時間帯でした、だんだん掛け合いがかみ合ってきて従来の二人のモードになったのですが、ネタ的に4分の尺に耐えられる構成ではなかったような印象です。それぞれのパーツはハリセンボンさんらしい仕上がりだったのですが、それが、それぞれの場面で連動していなくて起承転結っていう部分ではちょっと難しい仕上がりでした。

 8位のモンスターエンジンさんはツボに入ることができなかったと思います。いろいろな意味で狙いがずれていたようなネタのチョイスだったことがとても残念。お互いのボケとツッコの技術的には素晴らしかったのですが、ネタの盛り上がり方的にも起伏が少なくて残念でした。

 7位の東京ダイナマイツさんはいつもの感じでとくに新しいネタの展開でもなかったのが逆に面白かったです。しかし、他の決勝進出者と比べるとネタのテーマや二人のスピード感の部分で点数が低かったのではないでしょうか。

 6位のノンスタイルさんはさすが昨年のチャンプで、今年は敗者復活で決勝に進出されるという、なんとも底力を感じるワンシーンでしが、点数的には第3位という高得点でしたが、ネタの内容はさすがでしっかりと展開もあるのですが、審査員の方がコメントされていたように、ノンスタイルさんの展開になった時にそれが逆にあだになり中だるみ感があったように感じました。一瞬一瞬の表現力はさすがなのですが、それらが以外と予想できるボケだったりするので昨年のようなはじけ方をされていなかったような印象でした。

 5位の南海キャンディーズさんはやはり地肩が強いというか、二人のポテンシャルが高いので、ここまで登ってこられたことは全然不思議ではないのですが、ネタ的には想定ないであることと、山ちゃんの間は最高であり、ツッコミも最高なのですが、それだで4分間という尺の中で上位のコンビの完成度はなかったような印象でした。

 4位の笑い飯さんは連続決勝エントリーということや、なんと言っても「鳥人」の設定は新しい展開で最高得点はうなずけるステージ。しかし、2本目のネタはいい意味でも悪い意味でも笑い飯さんのいつものテンションになり、面白かったし安心して見れたのですが、M-1優勝決定というステージにはちょっと物足りなかったような印象です。

 3位のナイツさんは、1組目というなんともフワフワしたプレッシャーのかかる雰囲気の中であれほどのネタを組み込んで、しかも、いつものナイツさんのモードに4分間で引きこむあたりはもう最高レベルのステージでした。ボケとツッコミのバランスももう熟練のレベルで私はナイツさんが第3位でした。

 私の第2位は、チャンピオンのパンクブーブーさんです。最終審査で全員の審査員がパンクブーブーさんだったのはおどろきましたが、それは、他の2組の完成度が最初のステージより低かったためであり、それに引き替えパンクブーブーさんの2本のネタはやはり第9代目チャンピオンにふさわしい素晴らしいネタでした。しかし、個人的には準優勝でした。

 そして、私のグランプリはなんと言っても気合いを入れてこの2時間30分を観た中で、唯一心の腹の底から笑えたネタはハライチさんでした。非常にシンプルな構成なのですが、お二人の独特の展開力は圧巻。他のお笑い番組でも変わらず素晴らしいネタを展開してこられたのを観てきたので、私は決勝進出を確認して絶対にチャンピオンになってほしかったお二人。共に23歳という若手なのにあの完成された掛け合いと引出と表現力。これは昨年のオードリーのように2010年ブレイクするのでは・・・という期待感さえ強く感じました。

 ということで、第9回目のM-1グランプリは終了したのですが、よくよく考えてみると、このアワードを設定された島田紳助さんの狙いがふと頭をよぎります。漫才ブームが終わり、お笑いブームが来たわけですが、それは自然発生したわけでもなく、ちゃんと演出する方やシナリオがあったように感じました。その中心には紳助さんや松ちゃんらがいて、その回りに非常に厚い若手陣が次のチャンスを虎視眈々と狙える仕組みづくりをされた結果が現在のお笑いブームなのだと感じてしまいました。

 それを国に置き換えた時にそれを担う方のポテンシャルと手腕が現在の日本の現状に深く関連しているような・・・。いい土にこそいい作物が育つように。しかし、パンクブーブーさんはこれからたくさんの飛ぶ鳥を落としていかれることでしょうね。おめでとうございますという感じでした。

今年のM-1グランプリは?

 さてさて、今年のM-1グランプリは誰でしょう?新聞で確認できている決勝エントリーのコンビを確認した段階で、敗者復活がどのコンビかは不明ですが、チャンピオンになってほしいという目線と魅力的な二人だしサンドさんのようにこれからもいろいろなテレビ番組で観てみたいという期待も込めて・・・、「ハライチ」さんですね。あとはどう想定してもあの最高の舞台ではじけそうなネタがないような・・・。希望的観測でした。

雪だるま登場。

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 けっこう雪が降ったので、やっぱり、こうなっちゃいました。

我が家にも雪。

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 朝起きたら雪。今年の冬は雪が多いらしい。ひとり元気な愛犬チョップ君でした。

本日の長浜の雪景色02

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 なんとも寒い湖北の冬の風景です。

本日の長浜の雪景色01

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 いきなりドカンと降りました。昨日は夜まで梅田にいたのですが一番の冷たい風が吹いていました。で、翌日はこんな感じです。

バイタリティーという代物。

 45年も生きているといろいろな人に出会う。それなりに。出会いに貪欲な人はいい出会いがあり、淡白な人は出会いもそれなりになるというセオリーのようなものがあることもあながち・・・ではあるが、何も人の出会いにセオリーもプライオリティーもなく、一期一会的なニュアンスでいいと思う。しかし、その時の気分や様々な要因が人との出会いを大きく左右する。つまり、自分次第ということ。これはたぶん個人差はあるものの誰もが共感できるのではないでしょうか。目標は追いかければ逃げいていくし、諦めても絶対に届かない。ならばどうすればいいんだい!と開き直ってもさらに届かない。諦めるわけでも開き直るわけでも渇望するわでもなく、ただただ、自然体の平常心でいることで目標がある日突然舞い降りてくる。これもよく聞くお話。ここに何か方程式を見つけたいと考える、根っからの合理的な生物である人間はどうしても法則や傾向をルーティーン化したがる。しかし、必然でも偶然でもなくそれは本体には関係のないところで、しかしながら、何か大きな法則で出会えるという不思議。

 特にバイタリティーのある人との出会いは自分自身を再確認させる。その再確認後、どう考えて動くかでその人のパターンが大きく変わる。ドキッとしたのかヒヤリとしたのかサァ~だったのかをよくよく心で感じたら、それが必然だったと意識化に置き次の方向性を決めれば、まず、道には迷わないと思います。「熱意」という代物はやはり暖かい方から冷たい方に流れるようです。トルクを上げなければ・・・。

クリエイティブ力を発揮して、新規WEBサイトの~。

 「クリエイティブ力を発揮して、新規WEBサイトの企画・制作を~」というメルマガ広告がよく到着する。それは以前にアンケートしたり新規で登録したりしたクリエイティブ人材系の運営会社から到着する。そして、オンライン上の広告出稿の依頼などもよく来る。なかなか規模的にというかモチベ的にすんなり飲み込むタイプではないために、あまり、この手の誘導にはNOな場合が多いのですが、中には、いろいろなタイプがあり、「けっこう考えてはるなぁ~」とか「このアプローチなら一回ホームサイトを閲覧してみようかなぁ~」と心の腰が浮く場合もたまにある。サイトをリサーチしたが、期待していたよりは???というケースも多いし、クリエイティブ!クリエイティブ!と連呼しておきながら、WEBサイトはクリエイティブとは無縁のような業務的なデザインだったりインターフェイスだったりするとそこには二度と訪れない以上にブラックリスト入りとなる。が、逆にこれでもかってレベルで「私たちはクリエイター集団です!頑張っています!こだわっています!」的なWEBサイトは意外とメンドクサイ場合が多い。

 で、あるメルマガやたまにエンジンでヒットした情報を手繰る時にこれらの右往左往が非常に頻繁に発生している現実があり、たまにいい会社やサイトやクリエイターに出会うとほんとにリアルの世界で素敵な人に出会うのと同じ感動がある。つまり、インターネットでも現実社会でも同じようなことが起きているように思います。ただ、インターネットは最後の最後で気に入ったとしても、顔が見えないというか、人が見えてこない不安がどうしてもあるため、何か販売促進のため、ブランド化のため、教育・啓蒙のため、メディア展開のためなどなど、さまざまな展開をする際の注意点は、ほどよくその会社のテイが企画やデザインに適用されている上で、人のニュアンスやフィーリングがインターネットとは言え「ふるまい」として表現・展開・運営されているかがもっとも重要なポイントだと思います。

 だから簡単に安易に「クリエイティブ力を発揮して!」なんてメルマガで書いちゃうと、クリエイティブ力が感じられない結果になりがちのような気がします。う~ん、残念。だから、デザインは難しい・・・。最後は非言語のコミュニケーション手法であることを理解していないければ、言葉にすれば理論的に語れば伝わるだろう・・・と何の根拠もない慣習に甘んじてしまい本末の転倒となる。絵で魅せる、デザインで魅せる、音で聴かせる、触感で伝える、味覚に訴える。これらのアクションがいかにツールで展開できるかがクリエイティブ力が本来担う仕事であるから、結果、その人のポテンシャル次第みたいなところがいい意味でも悪い意味でもありますから、喜劇であり悲劇であり、またそれが「よきかな・・・」でもある。

「JIN-仁-」がいいっすねぇ~!

 なんともTBSのテレビドラマ「JIN-仁-」がいいですねぇ!ええ、テレビに大沢たかおさんって確かめてからの第1回目から第10回目までなんとも贅沢な俳優陣・女優陣でしょう。しかも、お話もいいってことで、毎回、はずさずにひさびさにテレビドラマを見ています。しかし、大沢たかおさんがいいのは分かっていても、なんでしょう、あのよさは。それくらべ他のテレビドラマの貧弱なこと貧弱なこと。そう考えるとテレビドラマが陳腐化するのは、テレビ局の製作コストの問題とかではなく、やはり、その番組に登場する役者さんのポテンシャルが一番大きな影響を及ぼしている関係しているのだと改めて確認できますね。どうやら、踊る~の第3弾が発表されましたが、たぶん、「JIN-仁-」が星5つなら、「踊る~」は3つ合わせて星0.3ぐらいでしょうね。この0.3ってのはすべて「いかりや長介さん」の功績ですが。

 で、次は80分に拡大しての最終回。一気に物語の結論がでそうな第10回目でしたから、なぞが解決するのでしょうね。と、物語の展開の満足度もさることながら、この10回分の大沢たかおさん、中谷美紀さん、綾瀬はるかさん、小出恵介さん、その他の脇役の皆様の映像をテレビでなんとも贅沢に10回分観れたということは他のどのテレビ番組にもない充実レベルだったので、例え(いやいやそんなことはないない・・・。)最終回のオチが貧弱でもこのドラマ「JIN-仁-」は今年の最高のテレビプロジェクトのひとつでした。

 だって、普通の神社で大沢たかおさんと綾瀬はるかさんが演技しているだけですよ。なのに、あの場面の臨場感というか物語感というか吸引力というかもうテレビ枠を超えたクオリティーでした。

明日から雪。

 どうやら非常に強い寒気団が来ているらしく、もう北海道では雪マーク。で、明日ぐらいから滋賀北部長浜も雪が降り始めるらしい。急きょ、昨日はタイヤをスタッドレスに入れ替え、オイルも新しくしてバッテリィーも交換してもらい冬支度をした愛車なのでした。あと、ガソリンタンクの水抜きとかウォッシャー液の凍結防止などいろいろ車も大変です。日頃、あまり、全然、全く愛車のケアには神経が行かないテイの私でもこの時期は車が止まってしまったり、レッカーを呼ぶはめになったりだけはしない程度のケアをしなければと昨日は集中ケアでした。エンジンも一発でかかるようになったし、なんとなく、アクセルと加速の連動感もいいような・・・。世の中にはエンジン系が好きな方が多く凄まじいこだわりを語っていただける場合が多いのですが、それに十分に反応できない人間なので、お話がいもないだろうなぁ~と思いながら拝聴しています。もうすでに17万キロを超えているのですが、とてもとても気に入っているのでできるだけ長くこの方に乗りたいという程度の愛着はあるようです。

絵を残すということ。

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 日経新聞より抜粋~「小磯は何人ものモデルを描くより気に入ったモデルを何回も描いた。口数は極端に少なく、神経の多くは、とりわけ顔を描くのに費やされた。着物の柄や背景は省略しても、顔はどこまでも執着した。気に入った顔を描くこと自体に最大の興味があった。小磯が信徒として所属した神戸教会の元牧師、岩井健作は小磯との初対面を思い起こす。牧師として神戸へ赴任し、小磯宅を夫婦で訪問した。応接室で70代半ばの小磯はあいさつもせず無言のまま岩井夫人を凝視する。頭頂部からあご先へ、視線は熱すら帯びていたように思う。「ようこそいらっしゃいました」と、小磯が穏やかな表情を見せるまでほんの3秒ほど。張り詰めた空気が何倍もの長さに思わせた。描きたい顔のイメージは明確だった。額が広く、髪の生え際が整っている。目元は涼しげ。ややうりざね顔。色白で着物がよく似合う。何より清楚な印象。髪は後ろで一つに束ねているのが良い。パーマをかけたモデルを2度と呼ばなかったこともある。「T嬢の像」以降、何かをひたすら追い求めるかのように、こうした趣味は変わらなかった。女優なら八千草薫、富士真奈美、出たてのころの沢口靖子。気に入らない顔の女性は描かなかった。60年、実際に八千草を描いた「婦人像」。「映画の撮影日だったと思います」。八千草は懐かしそうに思い出す。東京・成城のスタジオを抜け出し、神奈川県の逗子にあった小磯のアトリエへ。作品は半日で完成した。伏し目がちだが、きりっと結んだ眉。奥ゆかしさと芯の強さを同時に感じさせる。これは八千草が多くの映画で演じた、一途で健気な日本女性そのものだ。八千草は大阪出身。同じ関西人でも無口の小磯とは、期待したほど会話も盛り上がらないままアトリエを辞した。すでに高名だった小磯を前に緊張もした。後日、小磯から連絡が。「もう一枚、あなたのために描いて差し上げます」。今度は小磯が世田谷の八千草宅へ。洋装の八千草は前回よりかなりリラックスし、画中の人となった。作品を残し、小磯はそそくさと去る。描かれたのは、心持ち正面からとえた穏やかな表情。なぜ小磯はわざわざ2枚目を描きたかったのかと問うと、八千草は意味ありげにくすりと笑った。1枚目はいわば女優としての八千草薫。「2枚目が本当の自分だと思います」と話す彼女は今も自宅の居間にこの作品を飾っている。
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 画家が人の本質を描くのか、描いた本質に人が気づかされるのか。考えたくなる深みが小磯の人物画にはある。岩井の知る実業家が長年の念願かない、晩年の小磯の肖像画を描いてもらったことがある。だが完成した作品が実業家はどうも気に入らない。「画家が見たあなたの顔はこれですよ」とだけ小磯は言った。「そんなものか」と、岩井は思った。数年後、実業家は亡くなった。小磯はすでに世を去っていた。牧師として駆けつけた岩井は死の床で実業家の顔を見た。死に顔に虚飾は無い。「あの絵の顔だ」。岩井は驚き、死者のために祈った。」とある。

 絵は自分自身にとって特別の存在である。それはたぶん物心がついた時にすでに心の中心に存在していたと思う。学校の図工の時間以外にも絵は自分にとって特別の存在だった。絵を志し絵の道の途中で小磯良平氏の絵に出会うが、その瞬間の記憶はとても鮮明である。どうも、日本の教育現場の美術に対する考え方は飲みめない味がする。が、飲み込まないと美術ではないと教えられるがそのセオリーは飲みこめなかった。が、芸大の頃、小磯良平氏の絵を見た瞬間、素直に心の口にその作品は入れることができた。というより、入れる入れないの感覚ではなく、心の一番真ん中に居座ってしまった。それから、日本の歴代の画家、新進気鋭の画家、いろいろ観てきたが、どれもNG。そして、今でも小磯良平氏の絵は心の真ん中の部屋に居座っている。つまり、絵とはそういうモノであるべきであると思っている。

 顔に集中する気持ち、画家が目に力を求める気持ち、女性象に対するこだわりが自分の中にある絵を具現化する気持ち。すべて何の淀みもなく分かる気がしている。画家がどのようなケースであれ絵を残すということは概念として、蛇が殻を残すのでもなく、女性が子を残すのでもなく、天才たちが歴史を残すのでもないような気がします。画家はその時、自分の中にあった時間を残すのだと思います。「自分の中にあった時間」を意識化することは至難の業ではないが、ようやく、40歳を超えたあたりから自分にとっての「時間」の意味が少しづつ分かってきたような気がする。その時、一番身近にあったものがやはり「絵」だった。この感覚はたぶんデジタル技術には踏み込めない永遠の人の心の中にある聖地のような気がします。

 久々に、小磯良平氏の作品を観て思うことでした。

 この部分のディテールをもしインターネットが昇華できたならデジタル文化はアナログ文化と少しづつ融合していくことができるでしょう。適正に間引かれたデジタル言語の谷の部分に人間の感覚が反応していることに気がつけば何かが大きく変わるような気がします。ロジックな方程式の余りの部分に実は真理が含まれていると知るような気がします。「残す」ということ、「残る」ということの山と山の間にある谷の部分です。高い山には意義があるが、谷を流れる川にこそ・・・みたいな。

たこ焼きたこ焼き。

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 昨日はたこ焼き機を買ってきてたこ焼きを作りました。一発目にしてはなかなかの出来で想定できる食材は入れて美味しくいただきました。タコ・チーズ・お餅バージョンの3種を入れました。他にこんな食材を入れると美味しいですよってバージョンがありましたら教えてください。いつもお店で買う時はぼぉ~と作るところを見ているだけですが、いざ、自分で作ろうとなると意外と手数が多いたこ焼き。スーパーに行くとたこ焼きの素材は粉から天かすからいろいろ揃っていることも新しい発見でした。味もそれなりにたこ焼きでしたし、お餅バージョンはとても美味しかったです。

子どもたちの作品展。

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 長浜市内の小学校と中学校の作品展に行ってきました。う~ん、このエネルギー感は到底プロ連中には絶対に発散できないエネルギー。絵を描くということやカタチを創るという純粋でストレートな気持ちをいつまでもなくさないようにこうして機会があればここに来ています。う~ん、理屈とか理論とか考え過ぎのガチガチな頭を柔らかくしてくれる空間でした。

カールじいさんはやばいらしい・・・。

 ピクサーの記念すべき第10作目「カールじいさんの空飛ぶ家」はかなりやばいらしい。はじめの10分で泣けるらしい。う~ん、早く劇場に行きたい。

これが動くのだからSHADEは素敵・・・。

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 早速、サンプルデータをレンダリング。これはSHADEのチュートリアル用のサンプルデータですが、ちょっと、カメラレンズを広角モードにして口のあたりを中心に放射線状のガウスを設定したサンプルレンダリング。これは自由曲面で制作するお手本のような初級のデータです。特に複雑なモデリングも必要ないので、逆にモデリングを駆使するとレンダリングに時間がかかり過ぎるので動かす3DCGのアニメの場合はモデリングを凝らないというのもひとつのTIPSですね。すでにボーン設定はできているので、けっこうリアルに動きます。まぁ、こんな感じで3DCGならではの魅せ方を追及しています。また、新作ができたらここで紹介いたします。

ワンピースが古い!?

 映画「ストロングワールド」がテレビで紹介されていました。ここまでコミックスがヒットすればいろいろなその手の評論家が啓蟄のように地中からごそごそと現われていろいろな鳴き声を出す。大人から子どもまでドキドキワクワクのワンピースをただの「感動物語」で締めくくろうとしているこのテレビ番組の編集意図も納得はいかないし、仮に便宜上、尾田先生が「七人の侍」的に~というコメントを言われたからと言って何も「七人の侍」と「ワンピース」を関連付けてモゴモゴと鳴き始めるのだろうか。それは「ワンピース」の極々側面でしかないのに。テレビ的なコメントだろうけれど、ジブリの方(宮崎監督ではなく)が最後にコメントをしていた。「初めて読んだのですが、びっくりしましたねぇ~。この物語が驚くほど古いスタイルで~」とのこと。宮崎監督が言うならいいが、スタジオジブリのおごりだろうか、「古い」としか認識できない寂しい感覚に朝からちょっと背筋がぞぉ~でした。

 「古い」「新しい」を語るにはそれ相当の軸が必要ですよ。あなたは「古い」ものの何を知っているのか?あなたは「新しい」ものの何を知っているのか?たぶん、物語の登場人物の相関図だけを見てこのスタイルは「古い」と言ったのだろうか?「義理」「人情」「涙」がなぜ古いのか???ならばそれと比較してジブリは「新しい」のか?ちょっとジブリが嫌いになりました。(宮崎監督は勿論別格です。)これは間違いなくジブリのおごりのようにテレビには映っていましたね。スタジオジブリとは言え、ワンピースを敵視しないほうがいいのではないでしょうかとさえ、ヒートアップしてしまうような一言でした。

 ただ、宣伝映像でルフィーがバズーカ砲を撃っていたがあれはテイスト的にはNGだろう・・・。ちょっと残念・・・・・・。ただのTIPSならいいのですが・・・。

ましっそ家様公式WEBサイト公開!

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 本格派のこだわり弁当の「ましっそ家」さんの公式WEBサイトが本日公開です。長浜在住の皆様、ぜひ、一度ご賞味くださいませ!

◎詳しくはこちらを確認してみてください。http://www.massisoya.com/

お弁当の「ましっそ家」さんOPEN!

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 12月6日(日)長浜市内にオープンされたお弁当の「ましっそ家」さんで早速オススメメニューを頂きました。う~ん、この時間帯この写真を見ているだけで腹が反応してしまいます。今後ともお世話になりま~す。WEBサイトも近日公開予定です。いろいろな美味しいメニューをWEBサイトや公式ブログで更新されるとのこと。ぜひ、一度、このブログを見られた長浜市在住の方はまっしそ家さんへPLEASE GO NOW!

◎詳しくはこちらを確認してみてください。http://www.massisoya.com/

冬の琵琶湖。

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 重たい湖面の向こう、長浜からの対岸の山々の稜線に沈む夕日。冬の琵琶湖の夕景もなかなか。ゆっくりと暗くなるまで湖畔でぼぉ~としたいところ・・・。

マスクはするな!か。

 今朝のテレビでマイケルムーア監督が秋葉原で街行く人々を見てひとことふたこと。「マスクはするな!バイ菌も吸い込んで免疫力をつけよう!」でした。いろいろな意味で免疫力がない感じに見えたのでしょうか。監督アキバに行かずに他の日本も見てください。昨晩観た「十津川村の橋」は圧巻でした。既製品が氾濫する日本の旅ですが、あそこにはなんか行きたくなりましたね。あれが旅の旅情ではないかと思いますね。紅葉だからわぁ~、桜だからわぁ~ってウッズの浮気相手たちかいっ!

丸ちゃんおめでとう!

 待ちに待っていました。丸山茂樹さんの優勝風景。ずっとずっとアメリカ本土3勝目からずっと待っていました。本当におめでとうですね。石川遼君の最年少賞金王が昨日のメインテーマだったかもしれないけど、池田選手も残念だったかもしれないけれど、私は丸ちゃんの涙が最高でしたね。たぶん、いろいろな丸ちゃんのファンも同じ気持ちなのではないでしょうか。日本に帰ってきてくれたことだけで嬉しかったのですが、やはり、強くてモードに入っている丸ちゃんは素敵です。来年は遼君から賞金王を奪還してください。終わりよければすべてがいい・・・ってぐらい嬉しい気持ちになります。

ワンピースムービー「ストロングワールド」

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 ワンピースも早56巻となり、映画作品も今回で第10作目。このサイトで制作総指揮の原作者尾田さんが語るように1~9はそれほど記憶にない。ただいつものメンバーが登場し、ゆるい設定でドキドキワクワクらしき展開があるというレベル。どうせ映画を作るならしっかりと尾田さんのスピリッツやディテールを汲み取り取り組むべきだったように思います。ワンピースらしき物語を設定しても絶対にアラバスタのテイストや空島のテイストにはならないことをもっと心の真ん中で知るべきだったような。ファンなら期待するでしょう。ワンピースの映画なんだから。なのに、これまでの作品はルフィーと仲間が登場しているだけの尺の短い適当な物語の枠から何も越えていない。が、今回のストロングワールドの総指揮に尾田さんが加わったこと、原作からキャラ作成まで深く関わられたことを知り、とても楽しみにしています。

 物語のディテールや展開もさることながら、作画のテイストがこれまでの作品は原作からかなりぶれている。テレビの作画では比較的原作に沿っていることからとても素敵に表現されて声優の皆様も流石の流石。だけどもだけど、映画となると中途半端なタレントや女優が出てきてお茶を濁す始末。これではコミック・テレビと来ている素晴らしいワンピースの流れを活かせていないのではといつも映画を期待し観るたびにガックリでした。もう、映画が始まって1~2分でガッカリ。あとは忍耐力の勝負でした。

 映画なんだから多くのセンスやスピリッツが結集され予算も破格なはず。なのに、尾田さんの第1巻の展開の足元にも及ばない。アラバスタには少し期待したが、あれならテレビの方がいい。他は推して知るべし。もっと、ワンピースの表面的な魅力ではなくもっともっと尾田さんが構想している中心軸の部分を共有しなければ映画として120分にワンピースワールドを展開はできない。

 で、今回の「ストロングワールド」は改めてテンションを上げていきたいと思っております。過度の期待をすることなく、改めて尾田さんの世界を映画で鑑賞できるということが楽しみです。

 「やめときな、正義だ悪だとか口にするのは!!…この世のどこを探しても答はェえだろう!くだらねェ!」って、やはり、海軍よりも白ひげよりも、M.D.ティーチは深く大きい。このタイプは過去のどのマンガにもアニメにも登場していない。それに気がつくことが一番大切だと思います。私はかの手塚先生でさえ描けなった人間の心の一番奥を描くことに尾田さんは今挑戦していると思います。ストロングワールド楽しみです。勿論、コミックスの本編も楽しみです。

 尾田さん言葉少なに語る、「描きたいシーンをより良い絵として見せたいから、物語や演出を考える。」と。感動を描く作家と言われているけど、それはスパイスでしかない。」と。まさに・・・物事の真髄がこの言葉に全て含まれていると思う。こうしたいああしたいと物事の振幅ばかりに目を向けすぎて貧弱な軸では本末転倒である。強靭で柔軟で高く大きい軸だからこそ物語が変幻自在に組み立てられひとつひとつの物語が昇華するのでしょう。だからゴム人間なのでしょうね。もうこの設定は何回舌を巻けばいいのか分からないぐらいに真髄に近いキセキなのである。

◎詳しくはこちらを確認してみてください。http://www.onepiece-movie.com/home.html

流行語大賞2009は・・・。

 2009年の流行語大賞は「政権交代」らしい。「どげんかせんといかん」から「ぐぅ~!」を引き継いで「政権交代」と、なんとなく「流行語」の定義が少しだけ理解できそうな流れである。そもそも「流行語大賞」というアワードの意義や意味がもう一つ理解できていないことと、さらに流行語に大賞という設定をしたところでどのような波及効果があるのかが見えない。正月休みに「今年はこんなあんな言葉が流行ったねぇ~と」団欒のひとときのTIPSになってほしいのか、そして、その年を振り返ってくださいというこの取り組みの母体からのメッセージなのか?にしても、選考基準が良く理解できていないままどこかで何かの基準で2009年の大賞ですって言われても初期のころからピンとは来ていなが、今だに・・・である。

 この取り組みの母体の皆様の「流行」に対する検証や意義・意味や定義が誠にグレイである。こんな時代なのだから、グーグルやヤフーに協力してもらって、「一番多く検索されたキーワード大賞」とかユニークなブログを運営している人を対象に「2009年ステキブロググランプリ」とかあるでしょう。何の基準か不明確な決め方で便宜上の「流行語」を決めて盛り上がるより、もっと、時代や世代のリアリティイーを追及することの方が流れ行く万象に沿ったふるまいなのではないでしょうか?

 「政権交代」って、語感でいうなら「政権後退」か「政権抗体」でいいんじゃないのだろうか。

社会人って?

 「社会人基礎力」という能力が時代の流れにともなってクローズアップされているらしい。大義の部分で「社会人」の定義はそうでない立場からそうなった立場で意識的に変えているのか、無意識の中で変わっていったのか、それは今となっては(45歳)もういつ頃にそのような感覚になり、何かのチュートリアルで学ばせていただいたいのか、何もあえての部分ではなく、学生から就職して変わっていったのか、はたまた、その部分が欠落したまま現在に至っているのか不明です。

 アルバイトではなく正社員になった段階で自然と身についた自覚とでも言うのか、親となり子を持つ立場で得られる自覚のように何か義務と権利を得た段階で意識するしないに関わらず感覚として自然についた能力が自分なりの精一杯の「社会人基礎力」だと思っている。分析すればモラルやポリシーやコミュニケーション能力などもそれらにあたり、仕事を通じて社会との関わり方のディテールとも言えるのではないでしょうか。

 その詳細としては、3つの能力と12の要素に分けられるらしい。

 1つ目の能力とは「前に踏み出す力」(アクション)であり、この中の要素として、「主体性」「働きかけ力」「実行力」があるらしい。「主体性」とは物事に進んで取り組む力であり、「働きかけ力」とは他人に働きかけて巻き込む力。そして、「実行力」とは目的を設定して確実に行動する力となる。

 2つ目の能力は「考え抜く力」(シンキング)であり、その要素は「課題発見力」で現状を分析して目的や課題を明らかにする力、「計画力」は課題解決に向けたプロセスを明らかにして準備する力、「創造力」は新しい価値を生み出す力となる。

 3つ目の能力は「チームで働く力」であり、自分の意思を分かりやすく伝える「発信力」、相手の意見を丁寧に聞く力「傾聴力」、意見の違いや立場の違いを理解する力「柔軟性」、自分と周囲の人々や物事との関係性を理解する力「状況把握力」、社会のルールや人との約束を守る力「規律性」、ストレスの発生源に対応する力「ストレスコントロール力」の6つの要素に分けられるらしい。これらはある冊子からの抜粋なので、非常によくまとめられていると感じながらも、これらの細かい要素を日頃ひとつひとつ再認識し意識下に置いて日々の行動を律することは私にはできない。改めてこのように何かに書かれているまとめられいるモノを見て読んで意識する程度である。つまり、社会において必要なことは知識や記憶やデータ先行ではなく、無意識に自分の思考パータンの中にある、つまり、「身についているモノ」でしか、指針を決定できないということ。ひとつひとつその場面場面でマニュアルを確認している時間や気持の余裕などなく、時間の波が次から次へと押し寄せてくる状態でおぼれないためにも、必要なことは、とにかく酸素をすうために手足を一生懸命動かして「浮いている能力」こそが最後の最後で必要な生命力だと感じた。

 ただ、振り返ると、学生から社会人に変わった瞬間とはどのようなシチュエイションだったのかと振り返ると、そこには一枚のドアがあったような気がします。それは、学生のフィールドから社会のフィールドに入るための門だったような気がします。そのドアは私の場合新宿にありました。そのドアに手をかけた時の記憶は今でもいつでも鮮明に心に残っています。このドアを開けてその中に入った瞬間から自分は社会人の一員なんだという自覚が感覚がありました。たぶん、ひとりひとりにドアがあったように、門があったように社会のサイズやカタチはひとそれぞれに異なっていていい、ただ、その中ではテキストは与えられないし課題は自分で探さなければいけない、評価など誰もしてくれない、学校のように守られた空間で自由に飛びまわることもできないということ。

 ひさびさに、学びの場で見つけた冊子にこれだけも心が反応してしまいました。が、あの4年間は今でも黄金のように輝いている。懐かしいという感覚ではなく、それが、いつまでも心にあってくれて自分の中の本体の部分がそこの何かの力で生きているという感覚こそが「教育」でいいのかなと・・・。

地デジの便利さ。

 ようやく少しづつビエラとハードディスクの便利さが実感できてきました。ここまでアナログで我慢してたのが、さて、良かったのか悪かったのかはわかりませんが、確かに予約録画は便利便利。勢いでBSを設定しようと思いましたが、まず、BSは観ないので辞めました。ずっとアナログテレビでチューナーだけでもいいじゃんと思っておりましたが、推奨するだけあってハードディスクは便利ですね。ブルーレイでも残せるのでもうVHSのテープの保存場所に困ることもないしなかなかいい感じです。

 結果、37インチにしたのですが、それまで見えなかったテレビのセットの細かい部分やテレビに登場する人の顔の肌の質感などもぜんぜんクリアです。このサイズとこの画面のクオリティーが標準でまだハイビジョンとなるとさらにコンテンツの画質が求められるわけで、テレビVSインターネットのバトルがさらに加速すればもっともっと状態になるのでしょう。逆に創り手の吟味もデバイスの性能が向上すればそれに対応する必要がある。インターネットも携帯キャリアも同じです。技術が進化する。表現力が上がる一方で未だにコンテンツ不足だという部分は、技術や環境の進化のスピードとコンテンツ制作の現場の微妙な切磋琢磨がひしひしと進行しているのでしょう。

 で、それをエンジョイする人はどうか?観る立場の人たちの感覚はそれにどう反応しているのか?もっともっと状態であることは否めないのでこの状態がどこまで至高を求めているのか?青天井なのか、そこそこでひと段落するのか?さてさて、ワクワクドキドキのリアリティーはどこがストライクなのか???

第56巻が出ました出ました。

 待ちに待った「ワンピース」最新刊第56巻が出てました。このシーズンもこれでもかってぐらいにピークに向かっていく感覚です。しかし、ただ単に最後にバトルバトルでこの章が終わるとは到底思えない。ジャンプをもう買っていないのでこのコミックスがワンピースのリアルタイム。また、これも楽しい。

 で、エースはどうなる?白ひげはどう出る?大賞は?新世界の仲間は?シャンクスは?黒ひげは?ルフィーの仲間たちは?そして、ルフィーは?もう、?が多すぎてワクワクドキドキがうにのように栗のイガのようにやまあらしの棘のようにはりせんぼんの棘のよになっています。

 で、で、もっとも気になる存在としてひとつ。エネルはどう出る???

人間の感覚。

 ナノの世界で完全に近い平面を造るためにはどのような方法が最適かという話題のテレビ番組がありました。普通の発想ならたぶん精密機械で制御された精密な旋盤のようなモノで表面を削ればフラットな平面ができると思っていたら、機械には限界があり、ナノテクノロジーの世界ではどんなに精密な旋盤を駆使しても平面はできないらしい。よりも人間がノミのような道具で面を削り、そこにパテのようなモノを塗り込みさらに削り塗り込みという作業を繰り返すことで完全に近いフラットな面を造ることができるらしい。どんなに精密な機械よりも人間の触覚や視覚などの感覚は鋭く、ひとつひとつの機能はおおざっぱでもそれらが複合的に機能することで、精密機械よりも精度が上がっていくらしい。

 で、「精度」のベクトルで言えば、デザインの仕事もそういう視点が深く関連しているように感じました。DTPデータなどもソフトウエアとPCを駆使すれば完璧な視覚的に管理・制御できない部分までクリエイイトできると頭では理解しているし、実際、0.1ポイント以下のラインなどアナログの道具で引くことは不可能ですし、1000本の平行線を1mm間隔に正確に引くことはできない。だが、人間の持っている感覚はそれらの機能ではできない微妙な色のバランスや形状の組み合わせをしているわけで、数値的なデザイン作成作業のアプローチではできない感覚のデザインこそが、人の心に響くのだろうと考えてしまいました。極端な例かもしれませんが、こうしてキーボードで入力している文字列もソフトウエアだけでは絶対に作り出せないということになる。それを読むということも実はその次の何かに深く影響しているのだろうし・・・。人間の感覚というのは誠に素晴らしいということですよね。

 デジタル時代だからこそあえてこの「人間の感覚」という部分がよりクローズアップされてくるように思います。

アマゾンより到着。

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 木村カエラライブDVDが昨日アマゾンより到着しました。最近、ビエラの37インチを買ったのでこれでライブを観るのは迫力だろうな・・・。

 で、ビエラを検討する時に量販店さんでいろいろなサイズを検討したのですが、60インチとか50インチを見ていると37インチは貧弱に見えるのですが、実際、部屋のサイズから適正かなと思われるサイズを検討すれば42インチでも大きい。ほんとに量販店のような大きな空間で商品、特にサイズやボリュームの部分を検討するとその場の比較だけが基準値になり、実際の部屋の適正サイズが判断つかなくなる危険性があると感じました。いいモノを適正価格で購入したいという願いは皆同じなのですが、比較する空間やステージにそれらをのせた場合、基準が狂ってしまうことが実際あるんだと痛感しました。これは、何も大型テレビだけのことではなく、いろいろなビジネスモデルにも適用できる基準です。

 とは言え、このDVDがWEBサイトで5つ星が付いていたらそれなりに納得しているわけで、だから、いい悪いではないのですが、評価の軸足は依存せずに自分の中にしっかりと持っておきたいものです。

 ボスのCMで「この星の人間は他人の意見に~」というフレーズがありますが、それがまたいいところでもあり悪いところでもあるわけで、何毎も「ボチボチモード」が継続に繋がるという構図なのかなと感じました。サンタがいるいないについても、この部分、決してサンタに限らず子どもだけの夢のお話ではない。

奥琵琶湖にて。

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 奥琵琶湖にて撮影した初冬の琵琶湖。バックの山々は紅葉も終わりかけてくすんだ黄色と常緑が少し寒い印象でした。いろいろな琵琶湖の写真を撮っていますと四季折々いろいろな表情があります。