小さい小さい・・・。

 いやいや、小さい小さいと痛感するばかり。何かテーマを与えられてそれに対する解答を用意しなければいけないという状況は何もこの仕事の現場だけではないのですが、長年培ったつもりでいる自分自身の経験がこれほど微力なのか、これほど無力なのかと痛感することが多い。仕事に対して自分なりにスタイルを持って取り組む中で固定観念を捨て先入観を捨て、いつでも目の前の課題に対してリセットしているつもりでも、全然リセットできずにいつものルーティーンで処理していしまおうとしてしまう。特に新しいアイディアや企画の構想が求められているのに、使い古しのアイディアにしがみつき全然リセットできずにその場その場でオタオタしてしまう。特にWEBやデザインの世界でこのアプローチを試みていると時に(いやいやけっこう頻繁に)何が正解か分からなくなる。ただ様々なアプローチのバリエーションだけ整えれば伝わるのかという安易な手法はストレスもなく技術的な背景も詳細まで追及する必要もなく「そこそこ・ボチボチレベル」でテーマを回していこうとしてしまう。これでは全然NG。

 常に新しい知識と柔軟な感覚で自己を活性化させる・・・とはよくあるビジネス書のくだりですが、まさにこれが真理。言うのは簡単、でも、実行動でこれを具現化することのハードルは想像以上に高い場合が多い。こんな心意気だから、伝えようとする時に焦り困惑し不適切な語彙をチョイスする。こんな状態で何が伝わるのかという話。これこそまさに本末転倒である。

 しかし、この仕事を23歳から始めて45歳に至るが、どの場面でも多かれ少なかれこのような日々の連続だったように思わず振り返ってしまう2009年の年末である。何か結果を経験値として獲得できたと言えば獲得できているが、何もしていないと言えばしていないように感じる。「小さい小さい・・・」と嘆くということは自分自身の振幅が見えている状態だから、決して悪い状態ではないと思いたいが、実態(本体)の心内は穏やかではない。確実にそれは傷になっている。しかしながら、その傷を治癒する方法があったからこそ、今でもこの世界でそれなりに取り組めている。つまり、デザインというリングでふらふらですが、立っていられる。たくさんの小さい傷が有効打になり、化膿し致命傷になりダウンするという状況もあったところを、なんとか全力で治癒して復活してこれたからこそ今があると思いたいし、それは、絶対の部分で自分自身の治癒能力だけでは復活できなかったとも振り返れる。それは仲間や厳しい言葉を投げてくれた皆様がいてくれたからこその部分で、何も、暖かいベットの上で薬で治療することだけが本当の回復へのアプローチではないみたいな。

 デザインやアートという分野は決して数値や論理で推し量れない。が、時にロジックとロジックをつなぎ合わせる接着剤の機能もあり、ある場面ではテーマを総括・包括する器になる場合もある。人が何かを見えて何かを感じるというこうとが前提である以上、数値や語彙の認識よりも、イメージや五感への訴求は物事の本質の一番近い場所にある場合もある。「表面的なデザインの話はいいとして、本質の部分でこの内容では何も完結しない。」とある側面からしか物事を捉えられない方とのお話はストレスがたまるが、これも実は真理である。そこまで大きく捉えられなかった、引き出しを用意できなかった自分が小さいだけなのである。

 2009年、気に入った草を見つけて牛のようにモグモグしてきたが、2010年は威厳高く闊歩するトラのように何毎にも大きくどっしりと構え、獲物を見つけた時には鋭い爪で獲得できるようにまたまた右往左往で試行錯誤である。まだまだ、2009年を総括するつもりはありませんが、独り言でした。