2010年01月 アーカイブ

「ラブリー・ボーン」。

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 これは「映画を観る前に本を読んでしまうパターンの奴や!」気をつけなはれや!!!

「滝」に思うこと。

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 視点を変えることは歳と共に億劫になり見えていることをこれまでの自分の中のセオリーでYESとNOを決めてしまう。これが時に非常にもどかしい。同じ考えで同じモノを見ているとインプットもアウトプットも同じルートでワンパターン化されて、これが自分のスタイルだ!とうそぶいても結果量産しているだけでつまらない。だから、視点を変える、価値観をリセットする、苦手な薬を飲み込むなどなど、いろいろ試してみて本当に必要なことを自分の胃液で消化させ純化させることを見極める必要がある。それは時に胃液の訓練にもなる。

 しかしながら、そうしないことの方が人生は平穏であり視界は狭いが不安とは無縁でいられ、余計なストレスに悩まされる必要もない。それが心地いいと感じ始めたら、いったん、そのメガネをはずしたいところなのだけれど、気がつけばそのメガネが外れなくなる場合があるので注意したい。

 時にそんなことを痛感させてくれるSOMETHINGに出会える瞬間がある。それは何かのサインだと捉えているので自分の視界意外の風景にもちょっと勇気を出して顔を向けるようにしています。すると、新しい道が視界に飛び込んでくる。そして、そちらの方向に一歩だけ踏み出せばそれまで自分がいた場所がとても狭く暗く無味乾燥なことにドキリとすることも多い。

 で、ある方から「滝」の写真を頂いた。これがまさにSOMETHIN。この場合、何故?「滝」とはならないし、「滝」だからどうした?ともならない。それが逆にSOMETHINの条件なのである。そして、パターンとしてその何かは自分より年下の方から投げられる場合が多い。45年も生きてきたから自分は社会の「酸っぱいも甘いも苦いも辛いも」なんでも知っています的な鼻を掲げているとこの大切なサインを見逃す。この場合思うというより感じるに近いニュアンスです。

 私の大切な年下の友人からのそんな「滝」の写真です。

映画「KNOWING」を観て。

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 ずっとレンタルショップで気になっていたのですが、ようやく1点だけ返却されていたのでレンタル。物語はドキュメントSFタッチで50年前の暗号のディテールや飛行機の墜落シーンなどなどとても迫力がありリアリティーがありました。ニコラス・ケイジはどうもこのタッチの映画にほんとにマッチする。知的な雰囲気や勇気あるガッツある主人公はとてもマッチする。それに複雑な過去を背負う父親役というところも、ちょっと酒におぼれる部分なども含めるとこの役はニコラス・ケイジしか想像できなというほどのハマリ方でした。

 映画の物語の展開についてはあまりベラベラといくら個人ブログとは言え、書くものでもないというポリシーを基本にしているので、賛否とか偏った意見はできるだけひかえて、ひとつだけとても新鮮だったシーンがありましたのでので、それについて。

 それは、かなり後半の部分で重要な部分なのでディテールの詳細はひかえますが、オチが登場するシーンがとてもイマジネーションを極めた感じがして、「おお、ここまでクリエイトするのか!このリアリティーはやるやん!!」というクリエイトでした。CGありきで努力やガッツは感じますが、それだけ。もっと、センス的な部分やテイストの部分を物語に沿って組み上げて欲しい・・・という素人にありがちな青天井な意見がどうしてもどうしても浮上する映画が多い中、この後半からラストシーンのクリエイションはGREATでした。映画「コンタクト」以来。


 ただ、このオチ自体はありがちだったのでちょっと残念。でも、起承転結の「起承転」まではとてもとてもGOODでした。さぁ、地球の存在とは何?何?何?

詳しくはこちらをご覧ください。

After Effects CS4 の新機能について。

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 ざっと、CS4の新機能は下記のとおりらしい。

◎指定するモバイルデバイス向けにカスタマイズしたムービーを作成する:モバイルデバイスで再生できるコンポジションを作成する
※なるほど、A.E.もモバイルコンテツ機能が強化されたのか。

◎メモリとマルチプロセッサの設定をより簡単に行う:メモリとマルチプロセッサの環境設定
※よりレンダリングの負荷をプラットフォームに合わせて微調整できるということですね。

◎XMP メタデータと改善されたマーカー機能を使用して各作業段階をさらにスムーズに進める:XMP メタデータおよびマーカー
※なるほどメタデータともしっかりと連携するのですね。

◎コンポジションを Adobe Flash® Professional で使用できるように保存する:Flash Professional および Flash Player へのレンダリングと書き出し
※やはり、この部分は強いですね。FLASHとの連携はもう映像コンテンツの必須条件。

◎ネスト化されたコンポジション間をより簡単に移動する:ネスト化したコンポジションを開いたり移動したりする
※この構成は作業効率を上げるメリットとプランの際にこれを踏むのと踏まないのとでは大きな生産力の格差になるわけで、ネスト化はプログラム系に特化している仕組みだと思っていたのですが、A.E.にもその恩恵が装備されたということ。

◎位置の各コンポーネントを個別にアニメートする:位置を次元に分割してコンポーネントを個別にアニメートする
※これはちょっとさらにリサーチが必要ですね。

◎検索フィールドでより簡単にアイテムを見つける:タイムライン、プロジェクトおよびエフェクト&プリセットパネルでの検索とフィルタ
※これはかなり優れた新機能ですね。

◎Adobe Photoshop® Extended から読み込んだ 3D オブジェクトレイヤーを使用する:Photoshop の 3D オブジェクトレイヤーの使用
※ほぉ~、例の奴ですな。

◎プロジェクトのコピーを新しい XML プロジェクトファイル形式で保存して自動化ワークフローを改善する:プロジェクトの概要
※もう、プログラム連携がコンテンツ作成に必須知識のようですね。

◎Dynamic Link を使用して Adobe Premiere® Pro シーケンスを読み込むまたは作成する:Adobe Premiere Pro と After Effects の使用
※この連携はここまで進化しているのか・・・、でも、実際連動させてみないとピンとこない。

◎Imagineer Systems mocha for After Effects を使用してモーションをトラックする:モーションのトラッキングとスタビライズ
※これは新ネタですね。

これらを使いこなすには時間が必要ですが、アドビのいいのはすべて理にかなっているということ。すべてが計算されつくしてインターフェイスからアプローチ可能だという優れ感。情報として知覚していることが手になじむ、なじませるまでの時間が勝負です。でも、かなりドキドキワクワクな新機能です。

エレコムのブックスタンド。

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 これがなかなか使い勝手がいい。うんうん、こんなの欲しかったのです。

詳しくはこちらをご覧ください。エレコムwebサイトヘ

和泉村界隈の滝。

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 どうっすか!イッシン君!!福井県和泉村界隈の滝です。

上田実絵子先生テレビ登場!

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 本日のお昼の番組「思いっきりドン!」に登場されました。2009年から上田先生のところのお店「レーナマリア」さんのWEBサイトの運営に携わらせていただいているので、写真などではどのような効果があり、どのように施術するのかちょっとピンとこなかったのですが、さすがテレビ、すごく上田先生の技術の素晴らしさがたった30分でビンビン伝わってきました。上田先生スゴイです!これを期にブログも開設されました。「大きな顔」の私が今更「小顔」になど興味はあまりないと思っておりましたが、その施術の論理的なこと。血流やリンパの流れで健康になり、結果、小顔になるという仕組みだったのですね。次、東京のお店に伺った時は詳しく聞きたいと思います。テレビでされたような内容は企業秘密かもしれませんが、WEBにも少しづつ公開されるとさらに効果的なのでは・・・。

 やっぱ、テレビってインパクトがありました。しかし、上田先生は一流のタレントさんと絡んでらっしゃっててもグイグイご自分のワールドに持っていく感じ、これまた、流石です。こちらが運営をさせていただいている上田先生のお店、青山にあるレーナマリア様の公式WEBサイトです。また、ご覧ください。

◎上田実絵子先生のお店の公式WEBサイトです。

上田実絵子ブログWE!MYページ

「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」DVDそろそろ。

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 そろそろ待望の「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」が発売です。待ちに待っておりました。楽しみです。

町内で火事!!!

 わが町、十里町で火事発生!午後はずっと納品で外出していたので携帯メールで火事の事を知りました。聞けば、どうやら空き家だったらしい。う~ん、隣家にも被害は無かったらしい。物騒なことです。原因については現在究明中でしょうけれど、空き家だったのに火事ってことは、放火???う~ん、う~ん、ちょっとまってくださいよぉ~~~!ほんまに物騒物騒。火事は怖い火事は怖い。なんとか鎮火したらしいです。被害も最小限で被害を被った方もおられなかったようです。良かった良かった。

ノラ・ジョーンズを聴きながら。

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テレビ情報で「ノラ・ジョーンズ」を知る。

早速CDを3枚レンタル。確かにいい感じ。

ってことでちょっとジャケット写真を見ながらCDを聴きながら鉛筆にてドローイング。

琵琶湖・多景島。

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 昨日は曇天なのに多景島がよく見えました。望遠で見るとああこんな島なんだ・・・と。

国宝・彦根城。

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 日頃は車で30分の場所にある国宝・彦根城はスルー気味ですが、よくよく考えれば、こんな近くに国宝のお城があるってすごい事実です。改めてお堀とか城内の雰囲気は数多に存在する「お城らしき」紛い物とは異なり圧倒的なリアリティーですね。

 たくさんの歴史ファンや戦国時代の武将を好きな方が全国から訪れる理由が少しだけ分かる気がします。本物はやはり何もしなくとも本物の空気を漂わせてるってこと。創りものはやはり、なんでも勝ち負けではないですが、本物よりも格段心に響きにくいとそれを目の前にしたら感じてしまいますね。私自身それほど日本の歴史には興味がない人間なのだけれど・・・。

湖畔にて。

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 越冬している鴨をバックに湖畔で餌を探しているのカラス君一匹。

彦根城の白鳥。

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 いつもは通り過ぎる国宝彦根城。お堀の近くを車で通ったのでちょっと降りてお堀の白鳥を撮影。意外と近くで見るとデカイ。寒いのに優雅なフォルムで水面に浮かんでいました。ブログ用に写真を撮ろうとカメラを持って出る。すると何故か鳥を撮影することが多いことに気がつく。なぜだろう???

「目立つ力」勝間和代著

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 「継続は力」「量が質を凌駕する」と。これこれ。タイトルが書店で目立ったものですから、いつもの衝動買い。が、こういうアプローチはアタリの確率が非常に高い。これは完全にアタリである。宝くじや当選モノにはからっきし弱い私ですがこの確率はかなりいつも高い(下手な鉄砲という側面もあるが・・・)。にしても、読めば読むほどモヤモヤしていることがクリアになっていく感覚は、素晴らしい書籍との出会い、一期一会に感謝しきり。だが、いい書籍の出会いって体調や心の状態とも深く関係しているし、私がいいと思っても、「これええですよ。」と進めた人が同じモードでなければ、このニュアンスは伝わらない。だから、書籍の出会いって人との出会いに似ている。いい書籍はちゃんと求めたテンションを返してくれるし、いい書籍は著者像がしっかりと明確になり、まるで、書かれている文脈と会話しているような感覚になる。できたら私もそんな書籍を発行したいと考えているので、このような書籍との出会いは本当にテンションが上がってしまいました。

 一部冒頭の導入部分を抜粋します。「これまで、私たち日本人はなるべく「目立つ」ことがないように、しないように、教育されてきました。その結果、考えていることや自分の内面を人に見せたり、あるいはこれ見よがしに自分の才能を人に示したりすることは、はしたない、あるいは露悪趣味ととらえられて、特定の職業の人を除いて、避けられてきました。あるいは、自分を見せてみたいと思っても、インターネットが普及する前は、不特定多数の人に自分の得意技を伝えること自体、コストがかかって、なかなかできないことでした。」とある。残りは書籍を購入してお読みください。

 これは「まさに!×120」である。ここから入られると弱い!ってところから話を進めておられる。流石、百戦錬磨である。が、「目立つ」ことが人間の本能であり、アイディンティテイとエゴについてフロイトが考察したことも、さて、八百万の神の国、日出る元(本)の国の民は、どうも他流試合を敬遠する。まるで、ちょんまげと刀を捨ててから・・・という論法が尽きないぐらい、「まさに!」なのである。で、それをインターネットでどうするのというお話がこの書籍のアプローチなのでしょうけれど、これは、これから楽しく読ましていただくとして、目立つ人に対する協調性が群れ組織に適する適さないで存在価値を判断しやすい、というか、出る杭の出る理由を考えずに「出る」=「みっともない・体裁が悪い」=「打たれろ!」みたいな構図にはうんざりする。それはひとことふたことの日常会話の中に潜むその人個人のキャラクターがしっかりと言の葉に浮き上がるから不思議。目が口ほどにと言うが「文の化」で文化ならば、人間の内面の質量は何で推量するべきかとなる。

 テンションが上がり過ぎているので、完全に文脈が乱れているが、それほど、この書籍の中の真理には舌を巻くだろう感がすでに49ページで漂っている。著者が想いを込めて切り取った心の言の葉が重なるこの書籍。このリアリティーは絶対にモニターの中には存在しえない質量だと思います。

 「ブログは15分で書け!」と何かの書籍に書いてあった、体裁を整えた文字に魂は宿らないのだろうか・・・。言葉のようにブログを書けばより内面が出てくるということなのだろうか・・・。ふう~。

なぜか1月にモンシロチョウ。

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 仕事を終えて荷物を車から出して、仕事場に帰ってきました。うん?こいつは?どのタイミングで入ってきたのだお前は?ノートパソコンを入れていたリュックの中からヒラヒラと。あれこいつは幻?かなり疲れがたまっているのか?それとも何かのマジックなのか?しかし、確かにおまえはモンシロチョウ。仕事場にいても死んじゃうだろうから、外は冬1月真っ最中ですが、逃がしてやりました。これも温暖化!?

また週末は雪?

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 今年の冬の伊吹山は結構白い。週末はまた雪らしい。さむ。

撮影現場にて。

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 本日は某所で料理撮影です。これは一番最初のテストカット。撮影にご協力いただいた施設の皆さまお疲れ様でした。また、機材の移動も手伝っていただき本当にありがとうございました。

「やっぱり、打ち合わせが必要なんです」の間違い!?

  本日到着した某社からのメルマガにはこうある。「伝えにくいクリエィティブの細かいニュアンス。もっとうまく伝えられたらと感じているのは、貴社だけでなくお客様や取引先も同じです。しかし、お互いそう思ってはいても、電話やメールでは伝わらずに結局、「訪問して同じPC画面や印刷物を見ながらのディスカッション」を繰り返していませんか?こんな昔ながらのやり方では、作業効率が上がらない上に、交通費と貴重な時間を浪費してしまいます。「それでも、打ち合わせが必要なんです」という方もいますが、本当にそうでしょうか?スピードが求められる世の中で、果たして細かい調整のための打ち合わせが歓迎されるでしょうか?そこで、一石を投じます。電話で会話をしながら、ちょっとしたニュアンスにすれ違いがあると感じた、その瞬間にこちらのPC画面をお客様や取引先に見せることができたらどうでしょうか?訪問日時を調整して、交通費と移動時間を費やして、打ち合わせをすることに比べて、貴社にとっても、お客様・取引先にとってもメリットがあります。さらに、その素早い対応と最新のテクノロジを使いこなす貴社への注目はさらに高まるのではないでしょうか?」ということ。この中には25%だけ真実が隠されている。

 それは、「電話やメールでは伝わらない何か」が確かにあること。「その素早い対応と最新のテクノロジを使いこなす貴社への注目」も確かにある。が、必ずテクノロジーには側面がある。全てニュアンスが伝わればいいのかという疑問もある。例え時間とコストを削減して新しいテクノロジーを活用しています的なコミュニケーションをしても、伝わらない時は伝わらない。そして、最新のテクノロジーを使いこなしているから、伝わらないことが伝わるとは到底考えにくい。ならば、いくらPCでお互いにFACE TO FACEでも、たぶん五感には響かないだろうと思います。それが、ニュアンス的に75%は難しいだろうと感じました。作業効率だけ追求しても「コミュニケーション」の質は向上するしないが25:75のような。

 が、ただ現実的に顔を見てコミュニケーションをとりたいのにとれない場所の方とのコミュニケーションにはこの機能はとても有効だと思います。百聞は一見に・・・のとおり言語だけの情報は確かに視覚情報の100分の1程度だと言いますし、つまり、見ているという状況は視覚の情報がプラスされ、表情やジェスチャーやリアクションのスピードなどの情報が人間の視覚から脳への伝達ディテールには含まれている。それが、この機能でどこまで可能か?が疑問ですね。コミュニケーションするためのTPOを微細に人間はロジックにテクニカルにチョイスしている。最新のテクとはいえ万能ではない。だから、「打ち合わせは必要なんです」。

FLEX3という仕組み。

 なぜFLEXなのかという部分を考える。それは、WEB本体の進化の過程とそれが市場にどのような機能を配信するかという軸が一番重要なポイントである。従来の静的なページやダイナミックWEB的な機能は時代の流れと共に確実に進化してきている。このテクノロジーでも勿論従来の機能的な部分は十分にクリアしているのですが、それで市場が満足しないというわけでもないのでしょうけれど、技術の進化という視点でその背景には市場のニーズの多様化というか確実に高いレベルを求められている層が存在する。それを技術的にどう対応していくかという部分が大切であり、高すぎる技術を棚に上げてしまった瞬間、技術者としてというかクリエーターとしてTHE END.のような危機感があります。

 もうかなりスタンダードですが、FLASHという技術は目に見えての部分で動的に印象的にという動きの部分だけでブラッシュアップしてきていない。FLASH=写真が上下にF.I.とF.O.を繰り返して「おおっ~!」という時代ではない。逆にそんなFLASHの使い方をしているWEBサイトを一瞬でも見てしまうと、何かいけないものを見てしまったような気持ちになり、ドキリとする。このドキリは何のドキリかと言えば「ええ~っ!これでええの?」とか「これはFLASH3で作ったの?別にJAVA.S.でもできるやん?」とか「いやいや、もしかして、オンマウスで次の瞬間3Dになる???ならんのかい!」みたいな感覚になる。必ずしも作り手の方の技術的な部分を見下しているわけでは決してありません。ただ、他には凄まじいWEBサイトの進化形があり、それらのWEBサイトは機能やデザインやステイタス・ブランド化を目指しているのに1998年頃なら、これでいいのですが、この動きやこのデザインでは・・・、みたいなWEBサイトはガチでキツイ。逆にお金をもらってWEBサイトを企画し構築し運営している立場の人間がこれでMAXということになっている現状が怖い。自分自身、この危機感をしっかりと持ち、デザインや機能面もさることながら、作る技術についてもやはり、「いい感じ」のWEBを創らねばと考えています。

 そして、FLEXである。FLASHのことは比喩であり、WEBを考える時になぜFLEXなのかという例えなのですが、DTPについても、イラレの3.0でもデザインはできるが、WORDでチラシを創ることが、さて、どうなのか?というベクトルのお話になります。チラシ状態になっているからチラシではない。二つ折りになっているA3の紙がそれだけでパンフレットではない。ここが仕組みと深く関係があるように思います。

 広げればキリがない話になってしまいましたが、なんでもそうですが、「安泰」の2文字が怖い。

自分にしかできないこと!?

 大阪モード学園の生徒募集CMで「自分にしかできないこと。」というフレーズがある。一見、それは実しやかに思える。夢や希望にあふれて学校への入学を希望する方は多いだろう。義務教育を経て社会に出るというプロセスで誰もが一度は「自分にしかできないこと」は何だろうと考えたはず。その絶対量はどうであれこのアプローチはかならず誰の心にも起伏するニキビのようなもの。が、ホルモン!?が安定すれば成長期を過ぎいろいろなことが適正値になる、と同時に均一化こそが社会の在り方と知る側面を持つ。これが「大人」だと20代の頃、目上の方に言われた経験もあるはず。諭されるわけではないが、社会人として・・・みたいな部分で「こうあるべきだ」や「こうでなくてはならない」みたいなベクトルで心の起伏を整理する。と、誰もがそうだと安心したい気持ちと、輝いている人をみて「ああ、あの人は自分にしかできないことを邁進したから輝けるんだ。」とジェラシーにジレンマする。比較することは自己を均一化させていないからなのか、比較自体がすでに均一化なのか?

 で、もし、今、17歳なら、大阪モード学園のこのCMをどう受け止めていたのだろう・・・?もう、そんな昔のことは思い出せないが、自分については結構考えている。特にアートやデザインの仕事を40歳になり展開している人はこの部分についてどう自分と折り合いをつけているのだろう。私はまだあきらめてはいないが正直な部分であるが、妥協もこの中には含有しているだろうし、楽天家の自分もこう考えて心の衝動を抑制しているという面も多分にあるだろう。複雑な心の仕組みはなかなか一度にリセットできない。今、「自分にしかできないこと」は何?と目を輝かせた10代の方が目の前にたら、そっと、目を反らすのか、反らさないのか?大人の理論を並べるだけ並べた煙の中に隠れるのか。

 逆に大阪モード学園関係の人たちはこの切り口でいいのだろうか?という意味で逆に大阪モード学園に興味がある。カエラちゃんのCMソングも契約は終了しているというのに何故か印象が深かった。

PASSION AND ACTIONS

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 いつも情報紙S.O.S.でお世話になっている大阪のGATO(ガート)さんのお仕事紹介です。お知り合いのレーベルがこれまたお仲間のアーティストの方とコラボされた音楽CDです。まだ、開けていませんが、今晩、ゆっくりと聞かせていただく予定です。ジャズテイストのギターアレンジとのこと、楽しみ楽しみです。で、ガートさんのクリエティブワークCDジャケットは「お花」のような「花火」のような「南国の果実」のようなデザイン。これは、カラーペーパーをカラーボードに貼りこんでおられるようなテイスト。カッターのカッティングエッジがなんともアナログタッチで微妙な重ね具合が紙ならでは独特の雰囲気を出しています。素敵な素敵なトップデザインですね。

 ソシテ、まだこれは構想中段階なのですが、現在、デザインスタジオGATO(ガート)さんの公式WEBサイトを創らせていただくお話があります。まだ、構想プランやサイトプランイメージは投げられていませんが、ガッツリと取り組ませていただく所存です。ネエサ~ン、プランをお待ちしていま~す。

15年前の今日。

 15年前の今日は忘れもしない阪神・淡路大震災の日。昨晩のスペシャル記念ドラマを観て改めての部分でいろいろ考えた。凄まじい大災害の日、15年前の今日、私自身の結納の前日でした。朝方、ドカンという揺れで起きた。テレビをつけると大震災のニュースがすでに報じらていた。明日の結納の事よりも、大阪や兵庫の知人や友人のことだけで頭がいっぱいになり、連絡できる方にすべて電話した。幸運にも私の知人や友人は被害も比較的少なく、増して命に関わる被害に遭遇しておられる方はおられなかった。しかし、日が経つにつれ大震災の被害は膨大な数字になっていく。私自身がその前の年の秋に滋賀県の長浜に引っ越して来たので大震災のエリアからは奇しくも免れたことになった。しかし、もし、まだ吹田に住んでいたら・・・、もしかすると・・・と考えていた。

 そして、15年、改めて大震災のど真ん中で「新聞」というテーマで戦った人たちのドラマをテレビで観るにつけ、そのリアリティーはまるでその時に関西に住んでいる人たちの気持ちを蘇らせられるような実感であった。戦争を経験せず、奇しくも大震災からも免れてることができたことに、生命の危機を肌で感じることなく生きてこられているという実感が心を占領した。自分の家が崩れ、家族がその下敷きになり、途方に暮れるというリアリティーが「人ごと」から一歩前に踏み込める感覚は正直存在しない。しかし、こうしてテレビで役者が演じる「大震災の苦悩」はこの事実に正面からぶつかっていった方々の心や苦境を乗り越えてこられた多くの被災者の方たちのリアルがしんしんと心に流れ込んだ。

 私自身、決して何かに「生かされている。」という気持ちにならぬよう意地を張っている感覚がある。しかし、「生きている。」と「生かされている。」は紙一重で、大震災の苦境に遭遇した時、人間の生命力は普段の何倍も強靭になり、その状態で実感する「生きている。」こそが生命力の実体のような気がします。「生かされている。」のではないというエゴについてどう向かうかについてもそんな状況下でならその真価を問われるだろうと思う。

 あれから15年、娘を持ち、家族が増えた。もし、次の瞬間この地で大地震や大きな災害に見舞われた時、家族を失った時、自分は強くなれるのだろうか?それまで持っていた使命感や自己の軸を維持できるのだろうか?希望や未来を描くエネルギーが残っているのだろうか?と考えてしまう。6434人の尊い命に対してご冥福を遠く湖畔より祈りたい。

A6サイズのミニノート活用術。

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 人間の素晴らしい能力の一つに「忘れる」という能力があるらしい。身の回りに起こった事件や自然災害や悲惨な事件などマイナス要素がいつまでも心を占領していたら、本来やらなければいけない生きるための思考さえもマイナス傾向になってしまうからだ。かと言って、悲しみの記憶がどこかに完全に消え去ることはない。つまり、記憶には3モードあると言われており、一番大切なモードの中には悲しい記憶も楽しい記憶もいつでも意識下に引き出せるモードになっているわけで、「忘れる」とは意味を感じられなくなってしまうということ=ではない。

 また、どのモードであれ、「忘れる」ことが能力ならば、五感や脳は何を基準に「覚えている」と「忘れる」を振り分けているのだろう?それは生物学的な理由もあるだろうが、いわばその方の様々なポテンシャルに依存しているのだろう。「覚えておこう。」と判断したことを忘れる。「忘れたい。」と判断したことが忘れれらない。この仕組みの背景にはいったいどんな機能が働いているのだろう?

 で、ここ数年、とにかくメモ魔になった。思いつきや仕事のアイディアなどもいつでもどこでも小さいメモを持っていてそれに書き出すということを繰り返してきました。だから仕事場やPCのまわりにはそんなメモだらけ。それがいつの何のメモかも整理できていないが、その1枚の紙きれはいつも目に止まるところに差し込んであったり貼り付けてあったりしてあるので、たったの1枚の紙きれでそれを書いた時の気持ちやそのメモの背景や細かいディテールを一瞬で蘇えさせる効果がある。

 そんなことを繰り返していてもっと機能的で達成感のある方法はないものだろうかと考えていたら、やはり、必然としてこんな方法について書かれている書籍に出会えた。その著者はとにかくいろいろな自分が見たり聞いたり感じたりしたことをいつでもどこでも(枕のそばにでも)A6サイズのミノノートを置いているらしい。それは、外出する時も仕事で打ち合わせする時も仕事用のノートやメモとは別に常に肌身離さずモードのミニノートらしい。その著者と同じモノを早速2冊購入して試しています。このサイズだとどこにでも入るしどこにでも持っていけるので思いついたらすつにライトダウン。これを繰り返すことで「忘れたくないこと」が自分の財産として蓄積できる意外とライトなアプローチなのかもしれないと思います。

 で、余談ですがその著者が言っていました。常に仕事中会社でPCに多く触れている人限定のTIPSなのかもしれませんが、「ノートブックPCは使わない!」が鉄則らしい。その理由や効果はいろいろあるのですが、それよりも、自分の五感や脳を活性化させる時間を1日の中でしっかりと作りなさいというススメ。活性化している状態って、車を運転している時や電車などで移動している時らしい。そこにPCがあれば、常に頭は「やるべきことモード」でニュアンスやフィーリングの思考がストップしてしまうらしいですね。また、携帯電話も心を鬼にして持たない時間も作りましょうということ。どれも自然と自分自身毎日やっていることでちょっとこの著者に親近感を持ってしまった。たぶん、話は合うでしょうね・・・。

「トモダチコレクション」の完成度。

 「トモダチコレクション」とは流行りのDSのソフト。テレビでCMしていた程度で「なんじゃこれ!」「なんでこれが楽しいの???」と否定的な見方をしていましたが、実際、娘がそれで楽しく遊んでいるのを後ろで見ながら、思わずその完成度の高さというか面白さに心が奪われた始末。自分が設定したアバターがいろいろDSの中でドラマチックに動きまわる様子を見ていると、「ああ~これは売れるわ!」とつい迂闊にも声に出てしまいまいた。すごいソフトですね「トモダチコレクション」は。

 数千円でこんな楽しみ方ができるなら、そりゃ買うわ!!!「動物の森」も面白かったし、ちょっとだけやらせてもらったのですが、時間があれば、そして、友達が同じゲームをやっていたらこれは欲しくなるでしょうという感じ。

 大人目線で分析しても、「手頃な価格」「リアクションのバリエーション」「全てのアバターを管理・制御できる楽しさ」「時系列で進行する細かいTIPS」などなど、たったこれだけの小さなチップに組み込まれているんですね。キャラの設定やアバターの作り方などその表現力は圧巻。だから?という部分にさえ気持ちが行かなければこれは確かに楽しい。が、リアル社会でも逆に「トモダチ」の条件って何だろうと考えてしまいます。DSだからこれで楽しいのですが、リアル現実の部分でもパイは異なるもののフレームは同じかもしれない・・・と。それほどこのソフトの開発者の皆さまの熱意や技術力やセンスがこの中には詰め込まれているんだと思います。「たかがトモダチ、されどトモダチ。」みたいな。

ビジネスメールのルール。

 確かに最初は仕事にメールを活用するのはなんとなく無味乾燥になりがちで、PC独特の冷たさがどうにもこうにも思考錯誤してもニュアンスやフィーリングを伝えにくいように思えて必要最小限程度のほぼ連絡事項的な文脈で完結していた。しかし、ここまでメールが浸透するとそのスタンスではいけない。自分なりの活用術や世間一般の常識を踏んでいる必要がある。やはりここまで活用されているということはいろいろなメリットがあるということだし、無味乾燥になりがちな部分をなんらかのセオリーやポテンシャルで回避しながら有効な伝達手段として活用することがスタンダードになっているのだから。

 で、顔が見えないだけに気持ちが伝えづらく、誤解を招くような原因になりがち。でも、ちょっとした工夫で表現力はアップするのだろうし、メールならではの自分自身の表現をしっかりと心を込めて取り組めばこれらのハードルはクリアできると考えています。また、最近は携帯電話でのメール機能もPCと同じぐらいに浸透してPCとモバイルを連携させることでかなり有効なビジネスツールとして機能する。しているように感じています。

 そんなことを考えていたらやはりその傾向と対策に関する記事や情報にどうしても目がいく。その情報にはこのようにビジネスメールの活用する際のポイントが紹介されていました。「気持ちを伝ええるメール術」として、まぁ、活用しておられる人にしてみればベタなことかもしれませんが、やはり、基本的なことは何回確認してもいいと思いますし、たぶん、こんなことを書いてあるのだろうなぁ~とタカは括って読み始めましたがなかなか整理されていて「なるほど度」は意外と高かった。

 まず、気持ちを伝えるということで「お互いの関係をよくするには~」というポイント。「定型文では読み手の心に響かない。画面上で読む文章は無味乾燥に読まれがち。そこで一言、励ましやほめ言葉、比喩表現を入れる。ややオーバーナ表現、陳腐な言葉も、一カ所だけなら違和感も少ない。」と「追伸を活用する。自分の近況や相手の体調を気遣い、雑談などを入れる。追伸に個人的感情を交えることで全体にメリハリもできる。ただし、長すぎると読む負担になるので完結に。」とある。うんうん、確かにの部分でこのテイはすでにビジネスにメールを活用している方なら標準の心配りでしょう。ただ、自分自身の反省点とすると、伝えるべき連絡事項の前後の追伸文がテンションが無駄に上がってしまって、長文になってしまい送信してから、ああ~また余計なことばかり書いてしまったという反省ばかり。

 次に「交渉をうまく進めるためには~」というテイストなら、「何かを依頼するときは頼む理由を完結に付記する。表情や声で感情を伝えられない分、こちらの本気度を文章で必ず表現する。」や「断るときは代案を。普通に断ったつもりでも、メールの文面だと拒絶に受け取られることもある。表現を和らげると同時にできれば代案も添える。」。そして、「送信前に印刷して読み直す。相手が目の前にいないとこちらの感情ばかり高ぶってしまいがち。特に苦情や不満を伝えるときなどは、印刷して読み直すワンステップを踏み、感情的な表現を避ける。」などが効果的。この部分も確かに。海外の方と情報交換する時も英語力が乏しい私は定型の中の定型のような文面を書いてしまうのですが、それがどうやら、先方には堅苦しさを通り越して不思議な文章になるらしい。もっと、ニュアンスやフィーリングで英語文が書ければいいのですが、でも、勇気を持って英語でメールを繰り返していると自分の未熟な部分もよく見えるし、そんな暖かい送信相手に恵まれると、次からは英語でニュアンスやフィーリングをたどたどしくも考えるようになる。これが進歩になればいいかなと思います。最初に恥ずかしい感じでも前向きにさえいればあとは時間が解決。みたいな部分もあります。

 その他として、気持ちよく読んでもらうために「件名は完結に」とか「時に前置きは不要」などとストレートやフックも大切ですがジャブも必要だということ。パンチを受けて対戦相手を知るみたいなニュアンスでしょうか。

 といずれも少しづつは気にしている内容でしたが、こうして改めて文章にまとめるとより明確に意識できるという今日この頃ですね。余談ですが、ある書籍で「書籍の構成のポイントは~」という下りで、ひとつひとつのチャプターの書き方のポイントが書かれていました。それは、「ポイント→理由→エピソード→ポイント」の構成が伝わる方法ですよという内容でした。これも確かに!!!メールひとつ。書籍の文脈ひとつ。ぼぉ~と読んでいたら気付かないことも少しでも背景が見えたり、注意点が整理できると、よりアレンジ力やインプレッションも上がるように思いますね。

自分のフィルターとは・・・。

 なぜこれほどブログブログと注目されているのか?なぜこれほどインターネットインターネットと注目されているのか?このことについてあまり深く考えたことはない。仕事としてWEBサイトの企画・デザイン・作成・運営に携わらせていただいているから、デザイン的な意義や技術的な価値や全体的なインフラの諸状況などは細かく最新の手法に取り組んでいますし、プログラムがバックボーンにあるものの、表面的な独自性や機能性もグラフィックデザインと同じぐらいにWEBサイトは作りこみが難しいのでそのアプローチをロジックとセンスの部分でバランスよくリサーチし実際のクリエイティブに適用できるように試行錯誤の連続です。

 が、さて、自分にとってブログとは何のために書いているのか?と自問自答した時に、「みんながやっているから・・・」とか「自社のWEBサイトへのエンジン対策になるから・・・」とか「更新率を上げてキーワードを検索エンジンがどの程度拾うかのチェック用」とか「WEBサイトでは書けないような日々のことやちょっとひといき的なエピソードなどを気楽に発信できる・・・」とかいろいろ想い浮かぶがどれも正解であり、どれも大切な価値なのですが、それでも、さて、もっと深く「ブログ」の機能がもたらすそのブログを書いている人に対する効果は?となると、・・・だった。「楽しいから」という理由はもっとも大前提にあるのですが、その楽しさの内訳は???となるとこれまたグレイ。

 で、ある書籍にはブログの一番の意義は「自分の記録のアーカイブ・ログとしての活用術」であると記載されていました。「インターネット=発信手法」という構図がありきなので、誰かに見てもらうために書いているのテイが価値や意義の部分の多くをしめていたのですが、それほど、誰かに見てもらうことありきで書いてもなんか楽しくなかった。特にSNSについても、最初はコメントやメッセージを頂けたら初めての感覚なども相まって「楽しい」ように思えたが、それも飽きてきた。何故飽きるのか?それは、やはり、そこに価値や意義が薄いからでしょう。さりとてそれほどガチでブログやSNSをやっているわけでもなくそれだけでビジネスモデルにはなるわけがないので、その程度だからレスもその程度なのでしょうけれど、実は外向けの発信ツールでもあり、自分自身の内側に対しての価値の方が大きいのかもしれないと感じ始めていたタイミングでこの書籍のフレーズに出会った。これまた不思議な必然である。つまり、一見ランダムに書き出していることが自然と整理されパターン化され、自分の記録したいというエネルギーの傾向や方程式がこれほど明確にログれる機能は実は「ブログの最大の価値」なのだと最近思います。

 そこで、整理された自分用の記録を改めてある一定の時間を経て再確認する際に自分自身の思考パターンやチョイスするサインやフレーズが見えてくるのが実は「楽しい」のである。しんどそうだなぁ~とかややこいことやっているなぁ~とかブログを肯定できな人も多いようですが、それはその方のフィルターに「ブログ」がヒットしなかったということで、いい悪いの基準は決して当てはまらないと言えるようです。が、これが逆に「日記帳」に書くとなると、「整理しているモード」がメンドい。便利なモノってなんでもそうですが、手に入れてそれを一定期間使い込んで始めて見えてくる。よく食わず嫌いの私がここまでブログをやっているなぁ~と思うことがあるのですが、やはり、ブログの「楽しさ」を体感してしまったからなのでしょう。

情報から記録へ、創造から発信へ。

 結局、あらゆるふるまいにあてはまるパターンなのではないかと思うのです。それは、「情報」→「記録」→「創造」→「発信」→という方程式です。すでにサーバに存在する膨大な情報や日頃目にする手にする耳にする情報は決してそのままでは「創造」というプロセスに移行しにくい。必ず、「記録」というプロセスを経て「創造」に繋がる。それが「発信」されてこそ生産的な効果的なスパイラルが完成する。

 例えば、昔、イラストレーションの仕事をしていた際に、有名なイラストレーターのタッチを取り入れて新たに手描きでイラストレーションを仕上げたいとアプローチしていた時。その場合、書籍や実際の作品を目で見て、もしくは書籍のノウハウの部分の文字を読んで理解しようと努力する。なるほどなるほどこの絵のポイントはここでこのような画材でこのように描けばたぶんこの仕上げ状態なるとまず頭で理解する。そしてイラストボードに向かう。が、頭で描いた仕上がりには程遠い。何故か考える。技術が足りないのか?頭で理解したことと実際とはポイントがずれているのか?そもそも見ていたイラストをこのモチーフに改造することが不可能なのか?長~い(長いだけの)経験値のモノサシで目の前の作成途中のイラストを推量する。結果、技術も足りない、ポイントもずれている、改造も不可となり、途方に暮れる。でも、仕事としてイラストは仕上げなければいけいない。この状態がとても苦しくてとても楽しい。ただ苦しいならたぶん今でもこの仕事はしていない。と、「楽しい」があったから今でも相変わらず同じことを繰り返してちょっとは昔より進歩したかな・・・などと余裕をブチカマシたりもできるのである。ここでのポイントは「楽しい」ということと、この「自分だけのモノサシ」の存在である。これが、たぶん「情報」を「自分の記録」に変換するために機能しているように思える。あとは「創造力」。クリエティブとは0から1を創りだすことではない。ただの自分のスパイラルのひとつのプロセスなのである。だから、ソフトウエアはツールとしてのみ活用すべきで「創造」の部分で依存すると「自分のモノサシ」の危険信号が点滅してしまう。そして、モチベーションとはこれらのスパイラルを維持・向上するためのエネルギーだと思います。もう少しこの洞察を膨らませたい気持ちもありますが、それはまた次の機会に・・・。

サイトプランメモ。

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 という感じでWEBサイトを新しく構想するときはとにかくラフスケッチやメモでアイディアや仕組みを書き出します。これが実際のソフトでの作業になった場合でも以外と出発点を確認させてくれたり、最終的に目的地点を明確にしてくれたりと効率がいい場合が多いので必ずこのテイのラフスケッチはルーティーン化しています。そんなクロッキー帳もかなりの量になり、実際に完成したクリエテイトを見ても思い出せないようなことがこのクロッキー帳を見れば思い出すことができます。これがけっこうな部分で応用や活用に汎用的でかなり有効なプロセスだと考えております。

 何気なく書き出した小さいスケッチが意外と展開力があったり、何気ないワンフレーズが芯を食うことが多くかなり重宝しています。この仕事を始めた時はMACもWINもなかった時代なので新しいモノゴトへのアプローチの出発点はかならず手描きから始めないとしっくりこないようです。ソフトウエアで作りだすと大抵納得できずに結局再度ラフスケッチから再スタートすることも多いですし、手で描いたラフスケッチの効果としては自分自身の記録なので意識下にはないような細かい記憶も蘇らせてくれる効果もあるようです。仕事のメモは1冊にまとめよう!みたいな書籍もありますが、それはたぶんこのようなことを言っているのだろうと思います。

 ただ、感覚的にサラサラスラスラと書きすぎて自分の書いた文字が読めない・・・ということもよくありますが。

「フリーソフト大全集」と「大事なことはすべて記録しなさい」。

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 右側は「フリーソフト大全集2010」という無料で出回っているソフト500を紹介している書籍。インターネットや動画やセキュリティーなどのカテゴリー別にほんとにたくさんのソフトがあることを知りました。いずれもWIN-XP~用のソフトなのですが、この機能で¥0ってほどの驚きの連続。WINの師匠から「WINには無料でも使えるソフトウエアが多いんですよぉ~」と教えられてその頃から意識しているのですが、確かに!それにくらべAPPLEは・・・。アドビの考え方は常にプロフェッショナルパワーユーザーを意識した展開をしていてソフトウエアが高価になるのはとても納得できるのですが、OSの仕組みで市場に枠を設定している方針は今の時代いかなものか・・・。でも、それがアイデンティティであることも現実であり、自信があるから「枠」を作れるという背景も事実。何も無料だからいい、高価だから悪いというモノサシ感ではないのですが、オープンソース+フリーウエイという潮流にぶつけるだけのコンテンツ力があるということは「強気だなぁ~」と雲の上の世界を見上げています。

 「大事なことはすべて記録しなさい」は新聞で広告をチェックして書店に並べてあったので早速ゲット。まぁ、昨今の啓発・啓蒙・スキルアップ企画かと思いきや、なかなかこれがいい切り口です。特に印象的だった「記録」という語感と、「整理しない!」「分類しない!」「ファイリングしない!」という情報に対するアプローチのバックボーンはこれが圧巻です。確かに確かにという連続です。また、別の角度で今書籍の企画を練り上げているので、そういう視点でもこの書籍の企画主旨や原稿の流れやデザイン面などいろいろな角度でとても参考になる一冊です。とくに冒頭の部分で「大事なことは私たちすべての人にとって大事なことといえる、記録すべきことがあります。それはあなた自身を記録するということです。」とある。このフレーズはなかなか重い。決して「情報」=「記録」ではないという切り口が氾濫する情報に対してモヤモヤ感を一掃してくれました。

寒~い夕方の空。

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 カメラを持っていたので思わず撮影。外はかなり夕方ということで冷え切っていました。この冬最高の寒気団が来ているらしい。冬の夕方のワンショントです。なかなか迫力のある夕景の空でした。

「ソウル・コレクター」について#02。

 改めて「ソウル・コレクター」について。勿論、昨日の記述どおり物語の詳細をこのブログで記述することはひかえたいと思っているのですが、ある方の寸評どおりの部分も確かに感じたのですが、さらにそこから熟考したり自分自身の感想をいろいろな角度から検証してみると、確かに物語の盛り上がりには欠けたという印象が否めないのですが、逆にそれが実は恐ろしいのでは・・・とか、犯人像は若手だったことから個人的な理由でソウルコレクトに走るわけですが、これが、もっとサイコな犯人だったらとか、もっと、組織的な犯罪パターンになっていたらと考えるとこの物語の着眼点はかなり大きく肥大する。また、犯人がターゲットとする個人情報についてもその情報網の活用術が非常にミクロだったことと、目的が非常に個人的な収集癖の悪いパターンだったから結果被害的には非常にミニマムだったように思える。これだけの着想と物語のフレームを構築できる作者なら、他に物語の展開パターンは無数にあったのにも関わらず実はこのテイで物語を完結させてたのは「狙い」「計算」の部分で、実は続編があるのでは・・・?もしくは、別の物語が用意されていて、ライムシリーズはその伏線だったり・・・?とか考えてしまいます。だって、ここで回収されている個人情報が網羅された内容は凄まじいアーカイブ総量である。これらが実際にどこかで常にリアルタイムにどこかのサーバにアーカイブされているということが、例えフィクションであれ、何かの事象に元づいているはず。それが、登場人物だけの範囲内で物語として500ページ前後の物語として完結されているから、なんとなく消化不良な感じだっただけで、このプロットをいかようにでも広げる方法や選択肢は絶対にあったはずだから、そういう視点で言うならば、じわじわとボディブローのようにこの物語はソウルに効く話だった。そして、物語は終わったが、読み終えたあとも何か余韻というか、それ以上の爪痕を残された感覚です。

 逆に自分の中にある記憶が自分自身を作り、アウトプットされた全ての「関わり」や「ふるまい」が何かの形でデジタルデータとしてどこかに保存されていることも現実であり、厄介なのはそうでないどこにも保存されていない、アナログの軌跡こそが、今の自分を構築している。そして、未来はその変数の中でしか広がっていかないとしたら、これまでの軌跡こそが人生をカタチ創っているほとんどの要素・材料だと言えなくもないのでは・・・と考えてしまう。ってほどこの作品は素晴らしいように感じ始めています。ただの小説として読んでいる間は登場人物や物語の展開に一喜一憂していればいいが、実はこの物語は誰にでも起こりうるお話で、社会に属している以上必要不可欠なアイデンティティが破滅へのトリガーになるっていうこの設定は素晴らしい。

 ブレードランナーでルドガー・ハウワーの最後の一言が聞こえてくる感覚である。0の上に1を重ねる量子コンピューターという概念がすでに起動し始めている。AIの覚醒をテーマにした物語が今後もいろいろなカテゴリーで登場するだろう。予見するにも共鳴するにもある一定の予習が必要な感じ。

「ソウル・コレクター」について。

 あるブログでの寸評である。「事件の性質は非常に興味深く、現代のデータ社会に警鐘を鳴らしているようにも感じられる。作中の事例は極端かもしれないが、数年後に同類の犯罪が起こる可能性はあるだろう。それが予想できるだけに、データの持つ非情さと、その前では沈黙するしかない人間の無力さに軽いさむけを覚えた。このタイプの犯罪に、ライムの科学捜査で立ち向かうのはちょっと無理があるように思える。データの崇拝者VS四肢麻痺の捜査官という構図がしっくりこない。証拠分析の緊迫したシーンは印象薄で、サックスが危険にさらされるというお馴染みのパターンもマンネリ気味。もとよりレベルの高い作者なのでこのくらいではびくともしないが、テーマがライムのキャパを超えた場合はシリーズ化する必要はないのでは?面白いのは面白かったが、単発モノの方が良かったような~」となる。確かにこの方の評価にはかなりうなずけてしまう。本当に小説を心から愛しておられる感じがとても共感できるし、記述しておられることに対しても確かに確かに・・・ということばかり。

 やはり、書籍というのは素晴らしいメディアだと思う。そして、「ブログ」というツールだからこそこの共感が成立するように思えた。まったく会ったこともない人と自分が気に入っている小説や映画やアーと作品に対してブラウザで繋がり、共感をできた時の感動は、たぶん、他の様々な手法やツールでの共感のディテールとは違った、狭いニュアンスも深いニュアンスも非常に小さいストライクゾーンながら構えたところにズバーンという感覚。が、反乱している情報だから、そのズバーンもなかなか出合えないことも事実ではある。が、この場合、確率の問題ではなく、ブログっていなければ、ある目的で何かをリサーチしようとしなければ出会えなかっただろう存在が必ずこのモニターの向こうにいると感じられる共感の種類はやはりブログならではの部分。と、「ソウル・コレクター」の警笛に対して逆手な意見から入ってしまいましたが、この部分の共感はブログのリアリティーとしての「楽しい」部分でもある。

 で、「ソウル・コレクター」についての私自身の感想はほぼ同じなのですが、別の角度からひとことだけ。どうしてもどうしても「ボーン・コレクター」という映画を観てしまっているので、D.ワシントンとA.ジョリーがどのページにも表れてしまい、それが、最初はいいようにも思えるのですが、後半あたりからどうもそれがこの物語のイマジネーションを膨らませ度合のリミッターになっているように感じてしまった。「ボーン~」の映画を観て、同じく原作なら良かったのかもしれないが、「ボ~ン~」の映画の感じで「ソウル~」を読んでしまったことで犯人像をMAX膨らませてしまった。それが、結果、ちょっとだけシリスボになってしまったような気がします。もっともっと、ギリギリのところまで事件の全体像が肥大するのかと期待してしまった・・・。が、これ以上はたぶん国家間の情報戦争情報をfictionしなければいけなくなり、今回の犯人像クラスでは荷が重たかったのだろう。う~ん、期待が大きいとこれだけの大作家の作品でもこうなってしまうのか・・・。

 さぁ、気を取り直して、次は「パイレーツ」です。

人生いろいろ、幸福いろいろか・・・。

 「ハッピー・リタイアメント(浅田次郎著)」という書籍が幻冬舎さんで10万部を突破したらしい。その広告面には下記のような広告コピーワークがある。「どんな人にも幸福と不幸は等量である。しかし、禍福(かふく)は糾(あざな)える縄の如し。~略~爽快な「天下り」小説!「僕らは組織をリタイアしても、人生をリタイアしたわけじゃありませんよ」第2の人生に向かって颯爽と立ち上がった壮年の男たち。風のようにしなやかに生きようと決めた誇り高き40半ばの才媛。彼らが出会った本当の幸せとは、いったい何だったのか?~略~考え方しだいで定年後の人生は輝きもすれば、くすみもする。肩書きではない。名誉ではない。ましてや金じゃない。俺たちの生き方を見せてやる!まだまだ長い、これからの人生を生きるための浅田版「幸福論」。自分の人生の価値は自分で決める!」と括られている。

 さて、最近、感じる「売れる本の傾向」がなんとなくいくつかのパターンに絞られているような気がします。ニーズを掘り起こすためには市場へのリサーチが不可欠ですが、これは書籍に限ったことだけでないとしてヒット商品やブランド思考の啓蒙やサービス内容などをこれにフォーカスして開発・創出しようとするときに必ずこの傾向は重要なサインとなりプロダクト開発のヒントとなる。つまり、マス自体が単一で同じ潮流だけを意識下に置き方向性を確定していた時期から経済的な混沌がおとずれこれまでの価値観がリセットされようとしている時代において、一時の結果らしき兆候の中で有益な情報を取捨選択する力はあらゆる分野のビジネスやライフプランに適用されるように感じています。それはある商品の販売促進ツールを企画・制作する際に必要なエレメントになり、デザインという解答を出さなければいけない場合の最終判断を確定する際に必ず踏んでおかなければいけない韻のような気がします。

 この書籍の広告のポイントは書籍のタイトルで「リタイア=ハッピー」という仮説からストレートに入っていることが印象的なタイトル化であり、この部分に「リタイア層」と「リタイア予備軍」と「リタイアシンドローム軍」が反応しているのでしょう。つまり感覚の中で自分自身は理想的なレールの上を歩んできたにも関わらず経済情勢の関係から完結完全燃焼手前でその理想的なレールから離脱しなければいけなかったこと。もしくは、適正な年齢になりその時を迎えたが、それまでに描いていたリタイア像とは違うことへ納得するための依存先をどこかしらに求めている人が確実に反応している。さらに、現在は自分の価値観と現在の職場のポジションのバランスを維持できている人でもいずれ・・・の部分の傾向と対策のためになんとか自分自身の中にある「リタイア」という価値観を予め整理しておく必要のある人に対してもこのタイトルは非常に印象的に有効に機能している。

 さらに「天下り」のイメージを「爽快な」としていることや、「組織」と「人生」をうまく切り離して考えさせようとしている点などが非常にテクニカルである。その上、「第二の人生」とよく聞くニュアンスで「第一の人生」を適当に処理して完結させている。なんとも巧みなコピーワークである。さらに本当の幸せとはいったい何だったのか?として、「肩書き」「名誉」「金」以外にも違う素敵な生き方がある!としている。幸福論を論じる際に一番重要な軸は「人生は長いのか短いのか?」という軸であるが、ここでも56歳の主人公をキーに、「まだまだ長い~」としている。自分の人生の価値は自分で決める!とあるが、では、今まで自分の人生の価値は自分で決めてこなかったのか?となる。つまり、自分自身で人生を決めてきたというい意識の薄い10万人が結果この書籍に期待して購入している構図があるのではないだろうかと考察する。

 自分自身はまだ56歳ではないし、社会からリタイアされるかもしれないが、組織からリタイアされる可能性は0%なので、この危機感のリアリティーはさほど感じていない。だから、この書籍を買うことはないが、ただ、このような世情のニーズがあり、それに反応している人があり、それをターゲットに出版社がビジネスを展開しているという構図はこの広告から読み取れる。確かに高齢化は日本の大きな問題だであり、逆にポテンシャルだという仮説もある。どちらにどれだけのリアリティーがあるのか想定できないが、ただ、幸福と不幸の綾は複雑でありそれは表裏一体でありどちらに光をあてるかで人生のフォルムの見え方が異なる。ということは理解できそうである。

8%の化石率。

 大阪大学と国立遺伝学研究所などが、ヒトのゲノムの中に、約4千年前に感染したとみられる「ボルナウイルス」の痕跡を発見したらしい。人やチンパンジーなどの共通祖先に感染したウイルスの遺伝子がヒトのゲノムに入りこみ現在まで保存されていたということである。人類とウイルスの共存関係を探る手掛かりになるのではということでその詳細は英科学誌ネイチャーに掲載されるらしい。人間などの生物は感染したウイルスの遺伝子を自らのゲノムに取り込み、ゲノムを多様にしてきたらしく、こうした遺伝子は「ウイルス化石」と呼ばれ、ヒトゲノム全体の約8%を占めると言われているらしい。

 最新の科学技術が人の遺伝子を解析した結果、このような発見が現在のそしてこれからの人類の未来にどう影響があるのか、この技術や解析結果が新しい医療技術やバイオテクノロジーの分野における偉大な功績に連動するのか否かなのである。まだまだこの人間の身体の中には解明できていないブラックボックスがありすでに解明できたことから多くの仮説が検証され多くの時間と人の叡智により、また、人類の歴史に影響を及ぼす。これが人類の歴史だと思うと科学という分野の取り組みの意義だとか価値を改めて再認識します。が、言葉や言語能力を持たない人間以外の動物についてはどうなんだろう?同じく、人間よりも歴史のあるルーツを持っている生物はこの地球上に多く存在しているだろうし、それが人類と同等に解析できているのだろうか?ある分野では特定の種に対しての研究が推進されているだろうけれど、人類ほどの研究には及ばないような気がします。

 昆虫でさえ、ある一部の分野の研究者がある特定の種に対しての研究をしてきただろうが、その研究が他の種や人類への研究と連携はしているのだろうか?いずれにしても、「水分25ℓ、炭素20kg、アンモニア4ℓ、石灰1.5kg、リン800g、塩分250g、硝石100g、イオウ80g・・・」の生命体が何をどう次の種へ継承・伝承してきたかにつていは非常に興味深い。上記の成分をお金に換算すると¥5,000前後らしい。ということは、その8%は過去のログのために費やされているということにしても、¥5,000に満たない素材価値の生物が戦争や温暖化防止やと自分達で設定した貨幣文化の中で今も昔もこれからも右往左往していくってことになり、これまた地球は摩訶不思議な惑星である。

¥0のチカラ。

 WEBサイトの世界、インターネットの世界にビジネスとして取り組む前は、仕事に必要なソフトやフォントは非常に高価でした。モリサワのフォントも全ファミリーを揃えたら軽く40~50万円という世界でしたし、パソコン(MAC)も相当の金額でしたし、カラーで出力するにも、たしか200~250万円のカラーコピー機にさらにリップを付けて合わせて400万円とかっていう世界でした。でも、その頃は十分にその価値があったように・・・というか、その頃はそれしか選択肢がなかったから、別段、高価だとは思っていたがその背景については深くリサーチしないまま、結果、売り手市場の流れのままに流されていたんだなぁ~と思います。が、ソフトやPCもどんどん機能が向上し価格も年々下降していくわけですが、そんな頃、インターネットの世界に火がともされて、ちょっと遅れて自分自身もインターネットデザインと制作に挑戦したことが、その段階から10数年、結果的になんとか時代に適合する取り組みができたとひと安心。しかし、この世界は一回首を突っ込むと次から次へと状態なので、それが最近では中毒となり何か次から次へと新しい情報が手元になく、新しい技術やソフトについてリサーチしていないと落ち着かない病というか、そんな「時代の加速度依存中毒」になっているとふと考えるのですが、TOO LATE!

 で、そんなWEBサイト・インターネットの世界で何か新しいソフトやツールを入手する際に「フリーソフト」「¥0」というモノが存在することに出会います。この出会いも振りかえると最初は10年以上前なのですが、それまで仕事で使う道具で好意で頂いたモノ意外で¥0で仕事のツールが入手できるということは考えられませんでした。その時代の¥0と言えばあまり大したツールではありませんでしたが、そこから、10数年、¥0のチカラは確実に増大しています。CMSソースもすでに「オープンソース」という概念が定着していますし、ビジネス系でも3DCG系でもテクノロジーは「オープンソース」の流れが強くなっている。ましてe-ラーニングや基幹系のソースについても「オープンソース」の勢いは止まらない。つまり技術者はそのテクノロジーを¥0で市場に開放し市場全体の変革を狙っているのでしょう。そして、肥えた土でしか育たない品種の作物を創出しそこで次のビジネスステップを展開する。または、その肥えた土で新しい品種を育てるノウハウをビジネスコアにしようとしているような。しかし、これらの潮流が不連続に多様な時代性とクロススパイラルしながら捻じれながら上昇しているような概念・感覚です。

 この時代、¥0で得られるものは太陽の光と酸素と雨ぐらい。よくぞクラウドとは表現したものです。つまり、デジタルの産物は太陽光や酸素や雨と同じぐらいに人間の生活にビジネスに人生に関わってきていることを、そして、その取り組みでしっかりとビジネスを展開している人々が存在すること。その恩恵として極端な話、生命が維持されている。量子コンピューターが本格稼働し始める頃、どうやら等価交換システムのパラダイムシフトの海に私たちは適当な船を見つけることができるだろうか?それとも「つみきのいえ」のように海底にその痕跡を置いていくことになるのだろうか・・・。う~ん、¥0という価値は考えれば考えるほど恐ろしく広く深く黒い。

性格診断で・・・?

 よくこの類のメルマガを頂く。それは「あなたはどのタイプ?4つの動物に例えて判定!「最近のヒット商品は注目してしまう?」→YES/NO 「家族や恋人といるより、一人の方が安心する」→YES/NO…などなど、シンプルな質問に答えていくだけ。15秒で、あなたの性格タイプを判定します!【あなたのタイプを、動物に例えて判定!】 ★戦略的に『待つ』 ワニタイプ ★一人で転職は正直不安 ウサギタイプ ★自分の目でしっかり確認 ライオンタイプ ★決断の前に情報収集を フクロウタイプ・・・」的なサービスである。その手の書籍も読んだことはあるのですが、それなりに楽しい。そこには動物に例えて自分の性格が分析されていていろいな場面場面での方向性が示唆されている。がその信憑性については多々疑問の余地というか診断結果について実のところどう捉えたらいいのかいつも迷ってしまうことが多い。

 しかし、このような取り組みを企画してプログラムを新規で作成しようとするとそう簡単にデータの整合性を整えたりプログラムの機能性を吟味しようとするとなるとどのような材料を集めてどのようなデータを収集してということになるでしょうから、その大変さは想像もつかない。商品というかプログラム本体とすると素晴らしい練り込んだ取り組みであることは間違いない。これで多くの人が自分の個性や行動の指針を少しでも分析できて何か次のアクションに対する指針になるのなら、この診断プログラムはとても意義のある取り組みだと思う。

 それよりもこのプログラムの結果が相対的な部分であることをこれを受けた方がどう捉えるかという本人のポテンシャルの部分が一番重要になると思います。結果、分類されたことで相性のいいタイプと相性の悪いタイプが確かにあるとしても、同ジャンル内の人の中にも細かい個性のディテールがあるわけですから、一概に・・・の部分である。

 また、性格診断をなぜ動物に例えるのか?という素朴な疑問についてですが、逆に「戦略的に『待つ』ワニタイプ」と強引に設定できる相対性が実はこの企画のキモ。ワニが戦略的に待つタイプだということは普通に聞けばそうかもしれないが・・・となるが、それは生態系的に進化の過程で捕食活動を他の動物と比較して「待つタイプ」になるわけで、ワニに直接聞くわけにもいかず「私は戦略的です。」ということでもないので、分類的にワニは戦略的になっているシンボルなだけ。そこで自分がワニだと診断されたとして自分自身の「待つ能力」と「戦略的な能力」がどの程度活性化するばいいのかについては診断されていないはず。となるとこの診断結果をどう受け止めるのがいいのだろうか???となる。

 これは考え過ぎなのだろうか?この手の分析・分類で「星座」「血液型」「風水」などいろいろ存在するが、いつもその部分でひっかかる。信頼しないわけではないがその診断・判断をどう自分の中に消化させる術が実は存在していない。まぁ、この手のモノサシに依存すること自体がナンセンスなのではあるが、いつの世も「信じている人」ほど無敵な存在はない。となると、人が何かを信じるというプロセスにアプローチできるなら手法は何でもいいのかもしれない。と考えると、アートやデザインも同じとは言わないものの、アプローチとしては同ベクトルなのかもしれない。やはり救われたいから信じるの構図がここにも存在しているような・・・。

長浜大雪警報!!

 昨晩から長浜は大雪警報です。ニュースでも昨日と今日とで1m以上の積雪量が想定されるらしいです。トホホ・・・です。でも、雪はしんしんなのですが、比較的「べちゃ雪」系で路面がカチカチでさらにその上に雪が、という状況ではないのでまだ長浜の中心部は安心です。しかし、1月1日から新長浜市になったものだから北部の旧西浅井郡エリアや余呉のあたりも「長浜市エリア」。だから、ニュースのとおりこの2日間で1~1.5mぐらいは平気で積ることになりそうです。あのあたりは逆に日本海側よりも積雪量がハンパないので、この時期に打合せや納品をとなると出発する前にかなり気合を入れて出発しますね。

 雪や雨は嫌いではないので、こんな時期でも琵琶湖の湖畔で白鳥を見ながら琵琶湖に降る雪をじっと見ているってのオツなものです。ただ、この季節は気を緩めると大きな交通事故に遭遇したり、自分自身もしょうもない事故を不注意で起こしたりしないように通常より気合を入れてハンドルを握っています。琵琶湖に振る雪はきれいなのでなどとよそ見をしないようにと。

大人の教養&マナー!?

 ビジネスの地力を高める「大人の教養&マナー2010」今年こそ身につけたい全19ジャンル、という日経ビジネスASSOCIE(アソシエ)という雑誌の広告の特集の記事がありました。いつもながらの新聞切り抜き情報ですが、年頭にあたり今年の目標やビジネスにおけるビジョンを設定するにあたり、何かヒントになればサインになればとチェック。大人の教養という部分で昨年、某大学の教育プロジェクトのプレゼンテーションに参加させていただいた際に、確かに新規プロジェクトに対して何かを提案する場合、備えておかなければいけないいろいろな要素が欠落していたことについてずっと反省を反芻していたのでこのような記事に反応してしまっているのかなと思っております。

 技術的な背景は誰がの部分よりも仕様とコストをしっかりと吟味すれば数値的に分析できるのですが、企画やデザイン表現については多様な価値観の中で最適値を創出しなければいけない。それが、個人的な思いつきやバックボーンが未熟な状態では絶対に伝わらない。提案の主旨は概念として共通言語化することはある程度可能ですが、コンセプトに関して言えば、伝えるためのディテールは十分に用意しなければいけない。その部分に不備がある場合は、すでに存在する既製のパッケージに劣るという反省点です。つまり、ディテールは何で組み立てるんだい!という部分。私はこう思うからこう思ってくださいが絶対に通用しないので、なぜそう思いなぜこの仕組みで遂行させるかというフレームの部分を構築したら、次の段階はそのディテールをしっかりと連動させてこそ提案として成立するということ。

 ようはその段階で身についている自分自身の能力の中に足りないモノがあったということ。これはハード面では補えない部分ですから、確実に身につけている必要がある。そのためにもビジネスにおける教養やマナー的な部分は必要なのでしょう。が、個人や会社でどの教養やマナーを会得すればいいのかの基準は氾濫しているわけで、業種毎に必要不必要があり、時間も無限ではなく、情報化時代とは言え限界はある。では「どこまで?」ということがキモになるのですが、やみくもに情報を集めてもその中に有益な情報がなければ意味がなく時間の浪費であり、ただただ、興味本位で情報を取得しても整理できていなければ、これまた意味がない。だから、情報化時代の氾濫する情報から自分自身にとって自社にとって有益な情報をチョイスする手法というか目力が必要になる。そして、それには確固たるモノサシがあるわけではない。この無限にも思えるループを上向きのベクトルに換えるのは至難の技。

 「もう無理無理!」「訳が分からないからや~めた!」では必ずベクトルは下降する。現状を維持するための情報収集でさえかなりエネルギーを消耗するのに、さらに少しづつでもいいから上に向けようとするとその何倍ものエネルギーが必要である。この危機感の持ち方こそが結果「教養&マナー」の実態のように感じています。

 身につけたい19のジャンルということで、「経営者」「サイエンス」「礼法」「接客」「ファッション」「東京の歴史」「米国」「絵画」「ジャズ」「シェークスピア」「ワイン」「バー」「中国」「司馬遼太郎」「ドラッカー」「宗教」「源氏物語」「茶道」「クラシック音楽」とあるが、あまり興味のないジャンルも多い。が、興味がないと判断したことにこそ何かヒントやサインが隠されていることも多い。特に「ワイン」「バー」「司馬遼太郎」などどうでもいいと思っている裏に新しい価値観を得られるヒントがあるかもしれないので、そう言ったクラスの情報にも敏感に触手を伸ばしたいと思っております。が、なかなか・・・。

 何よりも「大人」という部分が一番ひっかかるので、この雑誌に「大人」の定義はたぶん説明されていないだろうけれど、これからの時代に求められる「大人」の在り方なども実はビジネスのヒントになるのでしょうね。まぁ、考え過ぎるとハードルが遠く高く見えなくなるので、ハードルの設定位置と高さ設定も吟味しなければ・・・。

ワンピース「ストロング・ワールド」を観た。

 やはりの部分で観て来ましたワンピースムービー「ストロング・ワールド」。さすがにもう「0巻」は手に入れることができず残念。が、絶対にどこかから入手したいと考えております。どこかお譲りいただける方がおられましたらぜひよろしくお願いいたします。

 さて、尾田さんの監修の元、記念すべき第10作目ということで、かなりの期待をしていきました。ここまでテンションが上がると相当の映画でも始めの数分でガッカリすることも多いのですが、そこはさすが物語や登場キャラは勿論のこと、ルフィーやルフィーの仲間達のそれぞの個性や展開がしっかりと尾田さんテイストでまとめられてて、それぞれのキャラの関係や場面設定も気になることなくひとつの物語として最後まで楽しむことができました。うん、なかなかの仕上がりでした。楽しかったです。

 金獅子のシキももっとキャラ設定を掘り下げるシーンや説明カットがあればその伝説加減もしっかりと伝わったでしょうし、浮遊する島の設定も空島ぐらいに表現できていればもっともっとテンションは上がる設定だったと思います。登場キャラがシキの仲間だけだったのでもっともっと複雑にいろいろなキャラが絡み合えばとも振り返りますが、それは映画の尺ですから・・・の部分で納得しています。ただ、ただ、唯一、ルフィーがバズーカ砲をぶちかますという設定は残念でしたが、たぶん、これも尾田先生的にこの映画だからこそルフィー達にバズーカ砲をぶちかませたかったというこだわりがあったのだと納得。それにしても、尾田先生的な進化の表現は流石。このテーマでいつか、本編と少し絡ませてほしいという部分もありましたが、それは尾田先生の頭の中にお任せして、なかなかの「ストロング・ワールド」な展開でした。

 あまり映画のストーリーをここで説明するのもヤボなのですが、冒頭のハリケーンの下りでドラゴンがもしかして絡んでくるのだろうか・・・とか、空に浮遊しているから、どこかでエネルがふらふらと現われてルフィー達を助けるのだろうか・・・とかその場面場面で余計なことが頭に浮かびましたが、シンプルに最後のバトルまで展開していったことが逆に力強くスッキリする展開でした。

 ほんとによくよく練れているキャラクター達にテンションを持っていかれた作品でした。

2010年いろいろ想うこと。

 ゆったりと新聞を読む時間ができたこと。貯め込んでいたいろいろな書籍をゆっくり楽しめたこと。仕事場もガッツリと時間をかけて整理ができたこと。なかなかできそうでできないことがこの年末年始にはできたので準備万端、明日からの仕事に気持ちを入れ替えております。新年だからと言っていきなりトップスピードにはならないのが常。ゆっくりとローギアでいいのでトルクを上げていきたいと考えております。2009年できなかったことや、中途半端で終わったことなどもこの年末にしっかりと整理できたつもりですので、ひとつひとつ確実にカタチにするべく2010年もマイペースで確実にリアリティーのある質量のある時間を目指していきたいと思っております。

 仕事の面ではまだまだ厳しい状況が一転する予兆などはありませんから、やるべきことをしっかりとクリアして前進していきたいです。具体的にはいろいろな企業様での販売促進・広告費は削減の方向であることは間違いないのですが、しかし、企業が存続するために、また、商品を訴求しブランドイメージを浸透・確立するために他社との競争能力の高い独自なデザイン表現や商品企画というのはどの時代も同じ。ただ多様になった多様になったと氾濫するデジタル表現でつけ刃な表現やパッケージ商品の流用で「そこそこ感」でいなすのか、こんな時代だからこその部分でガッツリと商品のコンセプトや営業・販売組織づくりから「企画を再構築」させプライベイトブランドの確立に向けて自社のポテンシャルを高める方向でリサーチ・模索・探究を続けるのか、それは企業理念に沿っている必要もありますが、今後のルートを縮小するのか、現状維持となるのか、はたまた、大きな展開を期待できる道に変えられるのかの大きな意味のある分岐点です。

 何もこのことはお世話になっているお得意先のお話だけではなく、自社にも十分適用できる大切なポイント。お客様からのご意向に確実なレスポンスとそれ以上の付加価値をレスできるように、日頃の切磋琢磨が多様なニーズを上方向のベクトルに変えられる唯一のアプローチだと思っております。大きなビジネスチャンスもやはりその場しのぎでは中身が伴わないことも昨年は多く学びました。これを活かすためにも、少しづつ市場のニーズ、時代のニーズを小さい会社なりに捉え、可能性が見えたならそれ相当のリスクも覚悟の上、「トライ&エラー」ありきでガチで取り組まねばと考えております。所信としていかようにでも文字化することはできますが、言葉力と実行力のバランスを見誤るとそれは数字になって跳ね返ってくるので、「確実性7:先見性3」ぐらいで本年もいい意味での右往左往をしていきたいと考えております。

 ビジネスのスピード感は加速していると言いますが、リアルな世界では、ビジネスの風は常に舞っています。無風でも海を渡る能力が必要です。強烈な向かい風、じっと、その場所で強風をやりすごすことも必要です。追い風が来たときにその風に乗れるように船に貯えを貯めることも帆を強くしておくことも大切です。これまで乗ってきた船の状態を常に確認しながら、今吹いている風を捉える感覚を研ぎ澄ますことが一番大切なこと。船は空も飛べなければ海中を行くこともできません。ビジネスのアウトラインとディテールがしっかりと見える望遠鏡も、どんなに磁場が動いても指針がぶれない羅針盤も必要です。そのために何が必要で何が必要でないかを見極め舵を調整したいもの。そして、絶対にワンピースはあると信じる心。最後はその力だと思います。そんなことを思う1月4日でした。

箱根駅伝が始まった。

 今年は気合を入れて箱根駅伝をチェックしています。「風が強く~」で駅伝のドラマチックな部分をこれでもかと感じさせていただけたものですから、マラソンとか駅伝はさほどテンションが上がるジャンルではなかったのですが、かなり気合が入ってしまいます。明日はどんなドラマがあるのでしょう?しかしながらすでにこの20組がこのルートを走っていることだけで、この大会にエントリーできなかった多くのチームがあるわけですから、すでにすでにドラマチックだとも言えます。1位のチームも20位のチームも自分の全力を出し切り次の走者にたすきを繋げているのですね。そんなトップレベルの戦いをこれまで何気に観ていたと思うと残念な気持ちにもなりますが、その分、今年はとてもエキサイティングな気持ちで観ています。みんなほんとにカッコイイ。

大雪につき・・・。

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 2010年1月1日長浜は大雪スタート。朝から雪かきとかまくらづくりで午後1時までガッツリ雪と格闘していました。これがその結果です。今も振り続けています。さすが、長浜のこの季節のポテンシャルは強烈です。両手と腰が痛い痛い。

明けましておめでとうございます!

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 新年明けましておめでとうございます。ということで、年賀状用に作成したイメージです。トラのようにアクティブな1年になればいいな・・・。